第42話 煉獄の管理者
母娘の意見は、激しくぶつかり合った。ヤーナは”記憶の小箱”を封印するといい、キュアは中身を取り出し、死んだ人間を甦らせるという。
ヤーナの意見はこうだった。もし平等にすべての生命を甦らせたら、今の世界は窮屈なものになる。少なくとも数万年分の人間が増えるのである。今解決している食料や水、エネルギー問題も再燃し、戦乱の世になるかもしれない。この世界が平和でいられるのは、物質的に豊かで、倫理的にも安定しているからなのだ。
一方、キュアは真逆の意見だった。死んだ人間に会いたいのは誰しも同じのはず。それに設計図と記憶の関係を解明できれば、真の意味での”不老不死”が手に入る。転生ができるのだ。人間は生物として、さらなる高みに到達することができる。そう主張した。
結局、議論はいつまで経っても決着を見ず、話は平行線を辿るばかりだった。
キュアが死者の復活に拘るには理由があった。ヤーナは薄々だがそれを感じていた。父親である。キュアの父、つまりヤーナの夫は不幸にして事故に遭い、若くして世を去っていたのである。
キュアは父の愛情を知らない。他の家族の父親を見ては常々”嫉妬”していたのだ。ヤーナもその気持ちを知ってはいたが、どうすることもできなかった。だが今は過去の人間を、生前の記憶を持ったまま、転生させることができるかもしれない。その手段を使いたいと主張する娘を思うと、自分の心も引き裂かされそうになる。ヤーナも妻として、また夫に会いたいという気持ちは、キュアと同じなのだ。
(私利私欲のためだけに、都合のよい人間だけを転生させる。それこそ悪魔の所業だわ。それでは、ベルナルディーナから小箱を奪った意味がない!)
だからこそ、ヤーナは毎日教会へ通った。私欲を押さえ、科学を全人類の幸福のために平等に使う。これを再確認していたのだ。祈りの作業は、自分の中の”悪い心”を静める作業だったのだ。
キュアは真っ向から反論する。”自分たちの成果を自分のたちのために使って何が悪いのか?” もはや科学論ではない。価値観や倫理観の問題である。キュアの意見はおよそ正しい。間違っていない。
だがヤーナは思う。”死者の復活を行なう。現実に何が起きるだろうか?” おそらく歯止めが利かなくなるだろう。自分の親類縁者、友人たちを甦らせる。そして彼らからせがまれれば、そのまた家族や友人を甦らせなければならない。結局、ほとんどの人間を転生体として、復活させることになるのは、目に見えている。人口爆発が起き、資源や食糧の奪い合いが始まる。一度どこかで略奪行為が始まれば、おそらく今の平和な世界は維持できない。世界の資源は有限なのだから。
さらに強い懸念がある。倫理観の崩壊だ。『死んでも復活できる』。これを知った人間は、どういう社会を築くのだろうか。そして設計図の書き換えだ。これも知られることになる。ほんの出来心で試した設計図の書き換えや死者の復活が、人類を終焉へと導くことになるかもしれない。その可能性は高いと思った。栄華と飽食を極め、退屈しきって刺激を求める今の人類。そこへ”不老不死”と”設計図の書き換え”の情報が流れたら、きっと壮絶な殺し合いが始まるだろう。
何度死んでも復活できるのである。血の気の多い人間は、何でもありの大戦争を起こして楽しむに違いない。自然を破壊し、生物を大量虐殺し、戦乱をもたらすだろう。戦争を享楽の一部と考える輩も出て来るに違いない。強すぎる力、制御しきれない力は滅びしかもたらさない。
ヤーナは反省していた。やはり小箱を奪ってきたのは、間違いだったのかもしれない。だがベルナルディーナの世界では、生命すべての死んだ先には、永遠の監獄しか待っていないのだ。この事実は残酷すぎる。死んでも神が慈愛で包んでくれる。優しい世界が待っている。
努力してより良い生き方をした者は、そうでなくてはならない。ヤーナの価値観であり強固な倫理観だった。誰に教えられた訳ではない。”努力した者は報われる”。当たり前のことを、当たり前にしたかっただけなのだ。
キュアにこの考えは理解できなかった。”優れた者が、優れた技術を好きなように使って何が悪いのか?”彼女はあくまで強気だった。キュアは平和ボケしていたともいえる。産まれた時から豊穣の時代だ。その気になれば、何でも手に入ったし、大抵のことは何でもできた。罪を犯さない限り、制限なく自由に生きることができた。キュアは豊かすぎる社会の申し子だったのだ。優しい心は持っていたが、稀に他人の痛みや苦しみが理解できないことがあった。”より自由に強く生きる”これが彼女のポリシーだった。だからこそ、小箱の解析を強く主張した。
「母さんは臆病すぎるのよ」
議論が煮詰まり、2人とも疲れがピークに達していた。
頭に血が昇ったキュアは不用意にも、テーブルの上の小箱を開いてしまった。彼女は箱を直ぐに閉じ、凄まじいスピードでトイレへと駈け込んだ。そう、あの地獄の小窓のようなところから、怨嗟の呻き声を聞いてしまったのだ。あの無数の骸骨と目を合わせて、精神的にショックを受けない者はいない。いかに勝気な彼女と言えども、死そのものと向かい合って平静を保っているのは難しいだろう。
キュアは直ぐに戻ってきた。口元を拭うと大きな声で言い放った。
「議論は一時お預け! まず苦難に喘ぐ魂たちを救う研究をしましょう」
母娘とも忘れていた。そもそもベルナルディーナから小箱を奪ったきっかけは、この永遠の煉獄ともいえる苦しみから、人々を解放することである。第一目標を忘れていた。母娘揃って先を見過ぎていた。死者復活の議論など、その後でいい。今は、目の前にいる無数の生命の苦痛を取り除くことが先なのだ。
◇ ◇ ◇
話しが決まると研究も一気に捗った。彼らがどうして苦しんでいるのか? 何が苦しみの原因なのか? 解明できれば、小箱の設計図の書き換えで対応できるかもしれない。
寝食を忘れ、母娘は苦痛を和らげ取り除く解析を行った。だが作業は難航を極めた。記憶や感情がどうなっているのか。その仕組みがわからないからだ。
研究が行き詰ると作業が止まる。意思疎通も止まる。2人ともこれ以上ないほど、疲弊していた。ヤーナの天才的な閃きも効果を見せていない。他の研究者の協力を仰ぐこともできず、完全な手詰まり状態であった。そしてヤーナは決心する。
自分の5感だけを小箱の中へ移し、怨嗟の主たちに話しかけてみよう、というのである。苦しみの原因は何なのか。”もう直接聞いてしまえ!”という訳だ。至極簡単な話しであるが、もちろん大きな問題はある。ヤーナの5感を小箱に移すということは、肉体と魂が分離され、魂だけが小箱に吸い込まれることになる。言い換えれば「死んだこと」になる。肉体の設計図と記憶とが分離される。これが死亡の定義なのだから。
仮にヤーナの魂(記憶)が小箱から戻って来られない場合、肉体だけが現世に取り残される。その体は肉塊に過ぎない。生命維持のための呼吸や拍動はあっても、意思や意識、記憶はないのだ。分かりやすく言えば、脳死に近い。そんな危険を冒してまで、実行する価値のある実験だろうか? キュアとヤーナはまた話合いを始めた。
しかし、今度はシンプルな技術論だ。いかに安全に”記憶の小箱”から戻って来るか。これだけである。こういうテーマが明確なものに対しては、キュアは得意である。迷いなくさっと実験計画を立てる。
1、ヤーナの設計図を書き換えて、魂と肉体を分離(ヤーナは死亡状態)
2、記憶が消えないよう設計図と魂を”複製”
3、ヤーナ本体の設計図は元に戻す(ヤーナは蘇生する)
4、複製した方の魂を”記憶の小箱”へ送り込む
5、小箱の中を魂を経由して観察する
6、魂を回収。回収できない場合は放置
こういう実験の手順を考えさせたら、天才的である。キュアの良さは、どちらかというとひらめき型ではなく努力の賜物、秀才タイプ。こと作戦のような手順については、迷いも隙も無く立案できるよう、普段から頭の中で訓練しているようだった。
「この”設計図と魂の複製”って…」
「先月実験して成功したの。でも3時間が限界。それ以上経つと、複製した方は自然崩壊するわ。だから母さんも3時間以内に情報収集を完了して欲しいの」
「あなた、そんなことまでできるようになっていたのね。まるで分身の術みたいね」
クスクスと笑う母。キュアは久々に母の穏やか顔を見たような気がした。やはり安心する。同時に褒められた充足感に満たされていた。
「寝ずに解析したからね。役に立たないと思ってたけどよかった」
キュアも久々に笑顔を見せた。同じ専門家に研究成果を認められることほど、嬉しいことはない。専門家は、同じ専門家に認められたいものなのだ。
「じゃあ、早速始めましょうか」
キュアが気合を入れる。既に実験の手順も整えていた。ヤーナに説明する前から、自分の手法は万全だと自信があったようだ。
この実験で最も緊張するのが、最初の工程である。一時的とはいえ、自分の母を殺すのだ。いわば殺人を行うのである。ミスが起きたらすべてが終わりだ。そんな心配を見抜いたかのように、ヤーナはキュアのことを突然抱きしめた。キュアは不思議と力が湧いてくるのを感じた。緊張も和らぐ。やはり大きくなっても母には敵わないな、と苦笑したがその表情はどこか嬉しそうだった。
「大丈夫。あなたならできる。信じてるから」
ヤーナはそれだけ言ってベッドに横たわり、娘に身を任せた。
第一の工程は何の問題もなかった。予定通り、ヤーナの肉体と魂を分離した。分離した魂は光の玉状になっている。これをキュアは複製するよう強くイメージした。ふわりとキュアの右手から左手にヤーナの魂の複製が出来た。実はこの発想、地下空間で見た老婆の作業からヒントを得ていた。老婆は自分自身のことを同じ人間だ、と言った。であればキュアにできない訳はない。案の定、気軽に試したらできてしまったのである。
だが思わぬ事態が発生した。なんと魂の複製が、1つではなく2つできてしまったのである。想定外で焦ったキュアは一瞬で原因を分析した。母への思いが強すぎて、魂の複製が勢い余ってしまったのだ。設計図の書き換えは、感情の揺らぎが大きな阻害となる。
オリジナルの母の魂を素早く肉体へ戻すべく、ヤーナの設計図を書き換えた。すると母は直ぐに意識を取り戻した。これで一安心である。キュアはほっと胸をなで下ろした。だが状況は予定と異なっている。キュアの左手には2つの複製された魂があるのだ。これをどうすべきか、焦燥が顔に出ていた。
蘇生したヤーナは、それを直ぐに見抜いた。普段研究で使っている、”記憶の小箱の模造品”へ、魂の一つを保存するように促した。同じ魂同士が干渉し合えば、どうなるかわからない。さすがのキュアもそこまでは予想していなかったのである。
「ふぅ。ちょっと驚いたけど大体予定通りね」
「母さん、今はどんな感じなの?」
キュアが興味から尋ねた。一度死んで蘇り、あまつさえ複製された魂が目の前に浮かんでいる人間の感情とは、果たしてどんなものなのか。
「そうねぇ…不思議な感覚よ。まるで自分が2人居て、私が別の私を動かしているみたい。自分の感覚と直結した機械を操縦している感じかしら。でも肉体の方の意識をしっかり保っていないと…複製した魂と区別がつかなくなるわね。そうなったら、もうどっちが自分なのかわからない。危ないわね」
危険。その一言で、キュアは直ぐに実験を次の工程へ移した。複製した魂の維持には時間制限もある。手際の良さが求められる。興味を優先している場合ではない。
複製した母の魂を”あの記憶の小箱”へ送り込むのだ。正直、小箱を開けることすら嫌だった。またあの狂気の怨嗟を聞くのかと思うと、それだけで嘔吐しそうになる。だがヤーナはその中へ入って行くのだ。複製の魂とはいえ、感覚は共有している。母の精神が耐えられるか心配だった。
「母さん、いくわよ。ダメそうだったら直ぐに脱出して。お願い!」
「わかったわ。任せてよ」
なぜかヤーナは余裕の笑顔だった。親指を立てるとニッコリ口角を上げた。複製されたヤーナの小さな光の玉が、小箱の中の黒曜石のようなガラス片に吸い込まれて行った。過去、莫大なる数の魂を吸い込んで行ったガラス片。
自分は今死んだ魂なのだ。入るのは簡単だった。しかし、その先に待ち受けるものは煉獄。ヤーナは今一度、自分の意識を強く保ち、気合を入れた。
◇ ◇ ◇
ガラス片の中に入ると、光の玉だったヤーナの魂は、人の姿に変化していた。
内部には、以前覗いたとおりの光景が広がっていた。人骨で埋め尽くされた床。怨嗟の声をあげながら走り回る骸骨。骸骨といっても、全身揃った完全な者はほとんどおらず、中には下半身だけで走り回っている者もいる。よく観察すると、奇妙なことに気付いた。動いている人骨、動いていない人骨。この違いは何だろうか。
暗がりに目が慣れてくると、小さく狭い部屋が果てしなく続いているのが見えて来た。独居房の無限回廊だ。それぞれの部屋には鍵穴すらなく、中を伺い知ることはできない。苦しみの声をあげ、もがき走り回る骸骨たちはまずは放っておこう。彼らに話しかけることは、いつでもできる。それに、彼らは錯乱度が予想以上に酷かった。話しかけてもコミュニケーションが取れない可能性が高い。ヤーナはまず、内部の構造を把握することから始めることにした。
独居房に耳を近づける。無音の部屋もあれば、呻き声や祈りのような言葉が聞こえる部屋もある。異国の言葉なのだろうか。意味不明なつぶやき声もあった。その中にドンドンと激しく扉を叩く部屋があった。しかもご丁寧にわかりやすい明瞭な叫び声付きである。
「誰か! 誰か居ないのか? 早くここから出してくれ! 助けてくれ!」
ヤーナにもわかる言語だった。まだここに来てから新しい魂なのだろうか。死んで間もない人間ということになる。しかし、どう声を掛けてよいものか…。悩んでいる暇はないが、気を付けないと何が起きるかわからない世界である。慎重に言葉を選んだ。
「あなたはどうして苦しんでいるんですか?」
「おい! 誰かいるんだな! 頼むここから出してくれ。それだけでいいんだ」
「ごめんなさい。このドアを開ける方法がわからないんです。でも必ずまた来ます。希望を捨てずに頑張ってください」
ありきたりな言葉しか掛けられなかった。だが正直なところでもある。ドアの開け方がわからない。何せドアの設計図が見つからないのだ。設計図さえ見つかれば、イメージによる書き換えでどうとでもなる。ベルナルディーナが、特殊な封印を施しているに違いない。残念だがドアの設計図を探している時間はなかった。
「わかった。必ず助けてくれ!」
「約束するわ。でも教えてちょうだい。あなたの苦しみの原因は何?」
「…この部屋に入ればわかるさ。狭くて暗いんだよ。体を横たえるとスペースが無くなる。そして何も見えない。耳を澄ませば訳のわからない音しか聞こえない。これがいつまで続くかもわからない。腹も減らない、飯も食えない。眠ることだってできない。これを地獄と言わずに何というんだ!」
ヤーナはやっとわかった。彼らは、自分が死んだことに気が付いていない。何せベルナルディーナが記憶を解析するために、生きたままの人格をそのまま閉じ込めているのだ。本人は死んだことにすら気が付かず、いつの間にかこの独居房に投獄されたと考えるのが普通だろう。
そして、睡眠欲や食欲すらなくなっている。理由も知らされず、暗闇の中で無限の時が続くのだ。人は外部からの刺激がまったくない状態だと3~4日で、幻覚や幻聴に襲われるという。退屈になりすぎた脳が、刺激を勝手に創りだすせいだと言われている。
さらに数日経つと、ほとんどの者が発狂する。そういう残酷な心理実験を、ヤーナは聞いたことがあった。それを思えば、なぜ苦しいのか直ぐに理解できた。声のしなくなった独居房は、おそらく自ら作り出した幻想の世界に旅経ってしまった者達だ。動く必要も叫ぶ必要もないのだ。
ここでひとつ疑問が湧く。外に出ている骸骨と部屋の中の者の違いはなんだろうか? 独居房の外に出られるなら、大勢の者とコミュニケーションを取ることができる。永遠の孤独から解放され、精神的苦痛も和らぐはずだ。
「もう一ついい? 部屋の外に出てる人たちは、どうやって出たのかしら?」
「俺が知る訳ないだろう。それがわかったら、あんたに助けなんて求めてないよ!」
扉の向こうの声は怒気を含んだ台詞を返して来た。
どうやら謎は解けそうにない。此処に入って既に1時間以上が経つ。残りはあと2時間しかない。独居房の男性には悪いが、ヤーナはドアを開けるための手がかりを探すことを優先した。歩けども歩けども同じ風景が続く。黒い石畳の床の所々に、骨が転がっているだけである。独居房もまったく同じデザイン。怨嗟の声にも変化はない。何も見つけられないのだろうか。
諦めかけたその時、ヤーナは基本的なことを思いだした。今の自分は擬似的とはいえ、死んだ魂である。ということは、自分もこの独居房のどこかに入るはずだ。自分用の独居房へ誘導する”何か”があるはずなのだ。ベルナルディーナは「魂は自動でこの中に収集される」と言っていた。自動ということは、何か”からくり”があるはずだ。
そう思った時だった。
「新しいのが来たか。案内するからついて来な」
声がした方へ振り返ると、初老の男が立っていた。カーキ色のフードを目深に被っている。風雪に耐えた跡が見られるローブだ。
「あなたが魂の案内人?」
「…ん? 新入りの割にはやけに落ち着いてるな。ここに来た者は、全員が混乱してまともに口も利けんヤツばかりなんだが。お前は何者だ?」
ヤーナは返答を迷った。正直に言えば戦いになるかもしれない。だがこの男の設計図は見えている。書き換えもできそうだ。いつでも支配下における。時間もないことだし、直接聞き出した方が早いだろう。
「ベルナルディーナからこの小箱を奪った者よ」
「何だそうか。じゃあ俺の役割もここで終わりってことだな。魂の収集はもうしなくていいんだろう?」
男は永い仕事から解放されたとばかりに、壁に背を着け、床に座った。そしておもむろにため息をつく。どこから取り出したのかわからないが、いつの間にか煙草を咥え、火をつけて一服ついていた。
「聞いてもいいかしら?」
「なんだ?」
男は煙をくゆらせながら、眉間に皺を寄せ、肺一杯に煙草を吸い込んだ。
「あなたは何者なの?」
「ベルナルディーナに造られたここの管理人。魂の出し入れをしているだけだ。おっと、名前は聞くなよ。あの老婆と同じで、俺も気が付いた時から”管理者”ってしか呼ばれてないからな」
この男、いや”管理者”はあの地下空間に居たのだ。老婆との会話を聞かれていたと考えるのが普通だ。経緯を全部知っているのだ。これは話が早くて助かる。時間制限のある今、急ぎたいヤーナは心の中でガッツポーズをしていた。
「この独居房、開けられるのかしら?」
「俺が命じれば開け閉め自由だ」
「じゃあ、私があなたにお願いすれば自由自在なのね?」
「そりゃ無理だ。俺はベルナルディーナの命令しか聞けないようになっている。俺の意思じゃ、開け閉めできない。そうあいつが設計しているからな」
彼の設計図を細かくスキャンしてみる。確かに特定の行動が制限されている。ここを書き換えるには時間がかかるだろう。最低でも解析に数日。実際の書き換えに数週間は必要だろうか。だが不可能ではない。キュアが開発した”魂の複製技術”がある限り、何度でもトライできるのだ。
「ああ、それとな。一度ここへ入ったら出られないからな。お前さんのおかげで、俺は下らない単純作業から解放された訳だが、悪いが一緒に独房暮らしだぜ」
どうやら、この男に”魂の複製”を見抜かれてはいないようだ。しかし、キュアの予想通りだった。一度ここへ入ったら出られない。ベルナルディーナが許可しない限りは。万が一、ヤーナ本体が入っていたらと思うと、背筋が寒くなった。
「それなら心配ないわ。私は直ぐに消滅するから」
「ああ、なんだ。消滅するのか。ちょっと寂しくなるが、ま、それもアリだろうさ。ここに永遠に居るなんて地獄だからな」
「ところで、外に出ている骸骨と独居房に居る魂の違いは何なの?」
男が鼻から派手に煙草の煙を出す。ふーっという音と供に周囲が白く煙った。
「中のはこれから解析するヤツ。外のは用済みのヤツ。違いはそれだけだ」
「ベルナルディーナは”用が済んだ魂は消す”と言ってたわ。おかしいわね」
「ははは、あいつは気まぐれで嘘つきだからな。少なくとも俺が魂を消した事はないぜ。ただ外に出て行っちまったヤツは知らん。だが外に出たヤツもせいぜい数千名分だからな。全体から見れば大したことない数だ。誤差範囲ってところだな」
男はペラペラとしゃべる。久々に吸った煙草の味と、仕事から解放された事で、気が楽になったのだろうか。
「この監獄には、どれくらいの魂が入っているのかしら?」
「わからん。数万年分の全生命の魂だぜ? 人間だけじゃない。数えようとする方が間違ってる」
この男の言っていることは正しい。そもそも設計図の数や種類が、とてつもなく膨大なのだ。そして設計図は使い回されている。つまり1つの設計図から何万もの魂が発生していることになる。数えようとするだけ無駄なのは明らかだった。
「じゃあ最後の質問だけど…このガラス片、壊したらどうなるの?」
ヤーナは一番聞きたかった疑問をぶつけた。独居房の開閉はなんとか実現できそうだ。つまり魂の出し入れも自由になる。魂同士が干渉し合うとどうなるか。そして、このガラス片の外で、魂のままでいた場合、どうなってしまうのか。
「ここが無くなったら、魂や骸骨たちは、少し時間を置いてから消滅するだろうな。消滅した後はどうなるか知らん。ベルナルディーナが昔言ってたのは、強い記憶は、散らばって新しい設計図に入れ込まれるそうだ。弱い記憶は思念になって漂うそうだ」
「思念…それは何?」
「細かい記憶は消えちまうが、怒りとか喜びとか、そういう強い感情はずっと残るそうだ。それが思念。そういうのがずーっと漂って人間に影響を与えるそうだぜ。その先はどうなるか俺も聞いてねぇがな」
そこまで男が話したところで、ヤーナは自分の下半身が、既に光の粒になって消え始めていることに気が付いた。どうやら時間的に限界のようだ。
「最後にお願い。この監獄の中で、あなたを呼ぶにはどうしたらいいの?」
男は言葉を発しなかった。その代わりに自分の咥えている煙草を指差して、右眼を閉じてみせた。つまりは、”煙草を持って来い、そうすれば相手をしてやる”ということだろう。物質である煙草を、魂である精神体が持ち運びできるのか疑問だったが、最後に重要なことを聞き出せてよかった。この男が管理者だ。彼を味方につけさえすれば、制御できると確信できた。
いよいよヤーナの体は消え、首だけが浮いている状態になった。光の粒子に全身が変換されると、魂の複製体はガラス片から完全に消滅した。
残された男は、煙草を床に押し付け、火を消しながら言った。
「これからどうなるのかねぇ。あっ……いっけね! あのねーちゃんに俺の好きな煙草の銘柄を伝えるのを忘れてたぜ。こりゃうっかりだ。しゃあねぇ、早くまた来てくれるのを祈るしかねぇか、ハハハ」
さすがに数万年を生きているだけあって、のん気を通りこして、すべてが悠然としている。男はこれまで管理者だったが、これからは無職である。楽天的な男は、骸骨相手に世間話でもして暮らそうと、漠然と考えていた。
◇ ◇ ◇
「プハァッ」
ベッドの上のヤーナがガラス片から戻って来ると同時に、息を噴き出した。魂の複製の方が侵入していたので、本体には直接影響はないのだが、気分というか感覚はまったくの同一なのである。暗く冷たい深海から、明るい水面へ浮上したような気分だ。
「母さん! 大丈夫? キュアは素早く母の体を調べる。設計図も変化無し。会話も普通にできる。精神的にも問題なさそうだ」
「ええ、大丈夫よ。そして知りたかったことも大体わかったわ」
ヤーナはガラス片の中で起きたことを、事細かに話していった。理解の早いキュアは、さらに次の作戦を立てる。
「ということは…魂たちの苦しみを取り除くには、管理者を味方にして設計図を書き換えて、独居房から出してあげる事よね?」
そこで2人は気が付く。全ての魂を房から出したらどうなってしまうのか。ガラス片の中は大混乱になる。下手をするとガラス片が壊れてしまうかもしれない。ガラス片自体の仕組みは未だに解析不能なのだ。
「…母さん、どうしよう…」
珍しくキュアは作戦が立てられないと、弱音を吐いた。正直、ヤーナにもどうしてよいものか、正しい答えはわからない。
その時、ふとキュアが「余分に複製してしまったヤーナの魂」を入れておいた小箱へ目をやった。複製した魂の生存時間は3時間前後。当然消えているはずである。しかしそこには、魂の代わりにモヤモヤとした空気のよどみのようなものが滞留していた。砂糖を水に溶かした時、溶けて行くようなあの”もんやり”した感じのものだ。
恐る恐る触ってみる。何の抵抗もなかった。そしてちょっと空気を動かしただけで、瞬時に消えてしまった。魂の残渣のようなものであろうか。
「もしかして…これが思念?!」
ヤーナが確信したように言う。今は何もなくなってしまっている実験用小箱の設計図を見てみた。一部が書き換わっている。設計図が勝手に書き換わることは、通常あり得ない。だが、消えた魂は思念となり、それが設計図に影響を与えたと考えれば辻褄が合う。あの管理者の言っていた事とも符合する。ある意味、魂を消滅させずに設計図に保存できるともいえる。これは思わぬ大発見だった。
「これが思念…でもそうだとすると、ガラス片の外に出してしまった魂たちは、すべて思念となってこの世界に計り知れない影響を及ぼすってことよね」
「確かにそうね。しかもどんな影響が出るかわからない。おまけに強い感情や記憶を持つ魂は、またどこかで部分的に転生するのよね…」
母娘で深刻な顔をして見合わせた。
「そんなの人間が制御できるのかしら…」
100や200の数ならともかく、無限とも思える数の魂。それらの複雑に絡み合った感情と記憶。これが制御できない状態で解き放たれ”思念”と化したら、コントロールできる者がいるとは思えない。あのベルナルディーナでも、無理ではないだろうか。
だが彼らの苦痛を解放するためには、少なくとも独居房から出し、人間的な生活環境を提供しなければならない。ガラス片の中にもう一つの世界を創ることが求められる。世界の創世など土台無理な話しだ。またまた母娘の研究は暗礁に乗り上げてしまった。




