第40話 魔術研究の答え
――― 今から1万年前、神代と呼ばれた時代。
人類は科学技術により栄華を極めていた。高度な知能を持ち、自律して稼働する精巧な機械を量産することに成功した。これによりあらゆる労働から解放された。いくつかの重要な発見や技術革命により、水や食料、資源、エネルギー枯渇問題の解消、天候や天災の予知にも成功した。胎児の段階で疾病の多くを治療することもでき、大部分の人間が病気から無縁であった。
無尽蔵に近い物資と、自由で健康な生活。誰もが等しく豊かさを享受できる時代。富や地位、権力といった概念すら希薄になっていた。あるのは形式的な「名誉」くらいであった。
戦争やテロなど暴力的な活動もなかった。資源や経済問題がないのだ。権力闘争もない。そもそも戦争の理由がない。争いがあるといえば、娯楽のための格闘技くらいだ。宗教は科学技術に置き換わり、信仰や神は幻想であり、世界は科学で解き明かされると信じられていた。科学技術により、物質文明の頂点を極めていたのだ。人口の99%以上が、穏やかな心で満ち足りた暮らしをしていた。
ヤーナと娘のキュアは研究者だった。世界の真理を知って制御する。これがテーマだった。知的好奇心ゆえの職業だったが、幸福な時代の継続と脅威を排除する目的もあった。この時代が指す”脅威”とは、人類という種が貧困と飢餓、戦乱の時代に戻ることである。
キアたちの時代も概ね平和ではあるが、貧困や身分格差、宗教の違いにより、小さな争いが絶えない。理不尽で不条理な事もたくさん起きる。疫病や飢餓に常に怯える生活である。神代の時代は栄華を極めていたからこそ、陥落することを畏怖していた。
幸福を極めた人間が考えるのは、いつの時代も「不老不死」である。人間はいつまでも若くありたいと願う。健康な肉体を永遠に保つのだ。残念ながら神代の時代でも「老化と死」は人々に平等に訪れた。寿命を延ばす研究に従事する者は多く、その甲斐もあって平均寿命は大幅に伸びた。しかし、完全な若返りにも蘇りにも成功することはなかった。
――― ある日の夜。
いつものようにヤーナとキュアは研究に没頭していた。だがこの日は違っていた。偶然にも世界を変える発見をしてしまった。生命と自然についての”からくり”を知ってしまったのだ。
それが「設計図」と「材料」の関係である。万物の設計図を書き換えることで、世界を根本から改変することができる。たとえば、人間の設計図を書き換えれば、人を犬や猫にすることも、石や水などの無機物にすることもできる。
設計図と様々な素材を組合せることで、生命や自然を自由にコントロールできることも発見した。物理法則も設計図を持ち、それを書き換えれば制御が可能であった。つまり、病気や怪我の治癒はもちろん、天候さえも完璧に制御することができるのだ。とてつもない発見である。
この「設計図」がこれまで”魂”と呼ばれていた物であることも突き止めた。人の死はすべての終焉。しかしそれは違う。設計図に基づいて作られた「材料」である肉体が壊れ、別の材料へ変化するだけなのだ。
ヤーナとキュアは興奮していた。ついに世界の真理を解き明かした。神そのものに迫ったと思った。
「お母さま、ついにやりました!」
キュアは感情の高ぶりを抑えられなかった。ヤーナも喜び、キュアと抱き合って思わず飛び跳ねてしまう。
世界の真理は解明された。しかし技術として利用するには、大きな課題があった。精緻で複雑すぎる生命の設計図を迂闊に改変すれば、何が起きるか予想がつかない。岩石や水など単純な物なら書き換えは簡単であったが、生命の場合、些細なミスが期待とは大きく異なる結果をもたらす。
人類最大の興味は不老不死。世間の期待は人間の設計図である。だが失敗すれば不老不死どころか、即死する可能性さえある。もちろん人体実験などできる訳もない。設計図の改変を成功させるには、極めて高度な演算が必要なこともわかった。たとえば、失われた指を1本再生させるだけでも、100年の演算時間が必要だった。
計算能力に特化した機械を作る研究も行われた。だが直ぐに断念された。必要な計算時間があまりに長く、現実的ではなかったからだ。「万物の設計図」の発見。原理はわかっても利用はできない。ヤーナたちの発見は、そんな認識をされるようになっていった。
だが、その功績は大いに讃えられた。娯楽に耽るしかなかった退屈な人類の好奇心を満足させたとして、「コトワリ(理)」の称号を与えられた。研究者として当時最高の栄誉である。
それから親子の研究は、もっぱら水や岩石など、簡単な演算で済む研究へシフトした。数か月もすると、演算を機械の力で行えば、洪水を止めたり、雨を降らせたり、津波の方向を変化させたりと、かなりの力を発揮することができるようになっていた。
「でも、この設計図はどこから来るのだろうか? そして誰が作っているのだろうか?」
疑問は尽きなかった。ヤーナが大きなため息をつく。そんな母の姿を見て、キュアは研究に没頭していた。設計図にはもっと秘密があるはず。ヤーナの興味は”設計図の起源”にあったが、キュアの興味は”設計図と記憶の関係”についてだった。記憶こそが人格を形成する。人格こそ魂であり、人間そのものだ。キュアは直感的に確信していた。だが生命の設計図には「記憶」の入る余地がない。実際、人間の脳を破壊すれば、記憶も失われる。つまり脳が記憶の本体だと信じられていた。
人間とは何なのか? 人間が単なる設計図の産物ならば、わざわざ「記憶」という余計な物を蓄える必要がない。機械のように、最初から必要なものを組み込んでおけばよいだけだ。記憶が必要ないなら、生命を産み出す目的もない。だが、現実世界では記憶こそが人格であり、人間をその人たらしめるものである。だから生命の設計図には、まだまだ秘密がある。キュアは徹底的に記憶と設計図の関係を調べ上げて、実験を繰り返した。だが難問は解決できなかった。悩み抜いた結果、ついに決心する。
「お母様。私を殺してください。そして設計図と記憶がどう変化して行くか、詳しく観察してください」
キュアはついに自分を実験材料にすることにしたのだ。ヤーナは猛反対する。神代の時代、人体実験はおろか動物実験も厳しく禁止されていた。ましてや、自分の娘を殺す実験など言語道断である。
「キュア、心配しなくても大丈夫です。演算なしに設計図の書き換えする方法を見つけました。記憶の問題もほぼ解決しています」
そう、キュアが悩んでいる間、ヤーナは膨大な演算無しに、設計図を自由に改変することに成功したのである。
母が語る設計図の改変方法は驚くべきものだった。これまでは、様々な機器や薬品を用い、物理的な刺激を精密にコントロールし、長時間かけて行わねばならなかった。ヤーナはそれを何の機器も使わず突然やってみせた。
「まずは論より証拠ね。”浮翔”」
そう短く発すると、ヤーナの体は床から1mほどのところに浮いていた。
ゆらゆらとわずかに振れているが、空中で安定している。機器や薬品などは使っていない。言葉を発しただけだ。重力を制御する設計図の書き換えは難しくはない。それでも大がかりな機器と数時間の準備が必要となる。目の前で起きたことはまるで「魔法」のようだった。
驚愕で固まったままの娘を抱きかかえると、母は秘密を語り始めた。
”設計図と記憶は表裏一体”
これが答えだった。設計図によって材料が集まり、万物は物質化される。その物質の一部が、記憶を司る部位となる。生物で言えば脳だ。脳を通じて記憶が設計図の裏面に書かれていくのだ。つまり、脳が破壊されても記憶は消えない。単に設計図の裏面に蓄積された記憶の出し入れができなくなるので、消えてしまったように見えるのだ。
しかし厄介な問題と疑問もあった。記憶は確かに設計図の裏面に書かれるのだが、生物が死ぬと同時にバラバラになってしまうのだ。つまり設計図を再利用するために、ハコニワは設計図から記憶を引き剥がす。引き剥がした記憶は、何処へいくのか。これもまた謎だった。
生物が死ぬと同時に、記憶の引き剥がしが始まる。記憶だけを捕まえておく方法があればよい。保存した記憶を別の設計図に貼り付ければ、生前の記憶を持った”転生体”の出来上がりというわけだ。
「でもお母様、記憶の事と演算なしの書き換えは、どう関係するのですか?」
小首をかしげながら、まだ幼さを残すキュアが質問する。
「設計図の裏側が記憶だって言ったでしょ。だから記憶を強い意思の力で上書きすれば、設計図の方が書き換わるのよ。特別なことは要らないの」
唸りながら腕組をする。母の説明に頭が追いついてなかった。
「強い記憶は強い感情と意思によって生み出される。だから強い感情で記憶を操作すればいいのよ。”起こそうとしている現実”を【起きた】と勝手に思い込んで記憶に上書きしちゃえばいいの。簡単に言えば、強く妄想することね」
優しい顔で笑いながら、ヤーナは娘の頭を撫でた。
「昔からあなたは想像力豊かな子だった。きっと設計図の書き換えも上手くできると思うの。想像を強くして思い込むのよ。自分自身の記憶をも”騙す”ほどの強い意思でイメージする。それがこの魔法のような理論の正体よ」
キュアは、ぽかーんとした顔をしていた。母の理論は科学とはかけ離れていた。自分はずっと科学者だと思っていた。学問に誇りも持っていた。だが真理は科学では到達しえなかった。信じて来たものに裏切られたというショックはない。予想を越えたのではない。母の語る真理は、”予想の外側”にあったのだ。
それからの時間は毎日、ヤーナの魔法理論を研究した。ヤーナとキュアは次々と設計図の書き換えを成功させていった。一度コツを掴むと、短時間で高度なことが実現できた。書き換えを行なう時に、イメージを言葉に出して唱えると”具現化しやすい”こともわかった。それが魔法でいう”呪文詠唱”である。
1年もすると、設計図を複数同時に書き換え、干渉させ合うことで、人間の頭で想像できるほとんどの事ができるまでになっていた。瞬間移動、空中浮揚、台風発生、火山噴火や地震の抑制、新しい種の創造…果ては隕石の落下回避まで。
もちろん、人類最大の関心事である不老不死も可能だった。だが、一度死んでしまった生物は蘇生させることができなかった。死ぬと直ぐに設計図がハコニワへ戻るからだ。何度も試みたが、生物の設計図を修復することはできなかった。だから、事故や怪我などで致命傷を負わなければ、不老不死といえる。この時代は、病も事故もほとんどなかった。人類はかりそめの不老不死を得たことになる。
自分たちは何でもできる。神の技にも等しい設計図の書き換え、”魔法”という力を手に入れた。だが、記憶の保持は未だに上手くいかなかった。そもそも生物の”記憶”を保存しておくというイメージが湧かないのである。イメージできなければ魔法は使えない。稀に成功する場合もあったが、断片的な記憶しか残せなかった。
そしてまだ解き明かされれていない、大きな謎があった。
”設計図は何処からやってくるのか?”
制御はできる。だが、設計図を作り出すことはできない。完全な死である設計図の喪失は防げない。生物種の改変はできても、オリジナルの設計図を産み出す魔法は使えなかった。
さらに現実的な課題があった。この万能ともいえる魔法を、社会にどう公開すべきか。公開の仕方や利用を誤れば、大混乱を来すだろう。公開しないという選択もある。しかし、魔法の恩恵は計り知れない。
この二つの課題について、母娘は毎晩遅くまで議論し合った。どちらも重要な問題である。人類全体の趨勢にかかわる話である。議論は白熱した。時には大喧嘩にもなった。
結論として、まず設計図の起源から解明しよう、ということになった。さすがは科学者である。社会的問題よりも、知的好奇心が先だってしまうのは、仕方のないことだろう。それに、起源が解明できれば、魔術公開の考え方が変わるかもしれない。そういう思いもあった。
設計図の起源解明。今のヤーナとキュアには、難しいようで実は簡単だった。生物が産まれる瞬間、地上に現れる光の玉状の設計図を逆探知して追って行けばよいのだ。これも魔法が自由自在に使えるからこそだ。
魔法で時間を巻き戻し、狙いを定めた生命体の光の玉を追う。物体に関する時間の巻き戻しは、難しい魔法であった。だが数年程度の逆行であれば、完璧に制御できた。生命の設計図である光の玉が出現した瞬間、それ目がけてヤーナとキュアが唱えた。
「戻流」
時間が巻き戻され、光の玉が空間に吸い込まれて行く。そこを空間移動の魔法を駆使して追っていく。どうやら地面の方向へ進んでいるようだ。かなりのスピードである。どんどん深度が増していく。このままでは星の内部まで行くのではないか。周囲は岩盤の圧力と温度で普通なら、鉱物だけが存在できるような場所だ。ヤーナたちは温度と圧力を魔法で調整しつつも、光の玉を追っていた。
追跡は数日も続いただろうか。真っ暗なだけの岩盤の中に、突然明るい空間が現れた。光の玉はそこへ吸い込まれて行った。空間の中に2人で入る。驚くべきことに、空間は明るくやわらかな光に包まれ、木々や牧草が覆い繁り、美しい花がそこかしこに咲き乱れていた。とても地下とは思えなかった。空間は数キロメートルほど続いているようだ。澄んだ小川が流れ、鹿や蝶、牛や馬などの動物も数多く見られた。”桃源郷”という言葉があるが、ここを見た者は皆同じ単語を使うだろう。星の深部にこのような空間があろうとは。
2人は驚きと共に気が付いていた。ここには建物がない。あるのは自然だけだ。唯一目立つ物があった。かなりの樹齢であろう巨木だ。空間の中心付近にポツンと生えている。追ってきた光の玉は、その中へ吸い込まれて行った。よく見ると、樹の根元から無数に光の玉が出入りしている。
「母さん、もしかしてあの場所が設計図の起源でしょうか?」
「とにかく行ってみましょう」
自然の美しさに感動するより、今は好奇心の方が勝っていた。
桜の樹のような樹皮で覆われた老木。地上では見たことのない種だった。太さは直径数十メートルあるだろう。とんでもない巨木だ。よく観察すると、光の玉は自由にその樹皮を出入りしていた。見ただけでは何の設計図かはわからないが、とにかくとてつもない数だ。空間が明るいのは、この光のせいかもしれない。そんな疑問を持って観察を続けようとした瞬間、突然背後から声がした。
「おや、お客さんとは珍しいね」
2人が振り向くと、そこには老婆が立っていた。蒼いローブを被った鷲鼻。髪は乱れ、白髪である。曲がった杖を持っていれば、完全に中世魔法使いの風貌だ。しかもどちらかというと、悪役の魔女の方だろう。
「無断で入ってしまってごめんなさい、謝ります」
「なぁに、入れる者なんて普通はいないんだ。気にすることはないよ。それに久々の話し相手だしね。大した物は出せないけど、立ち話もなんだからね」
老婆が巨木に手をかざす。ドアが現れ、その中へ入って行った。2人が茫然としていると「さぁ、早くお入り」と招き入れられた。
巨木の中は広い部屋になっていた。暖炉も椅子もテーブルもあり、完全なる生活空間ができていた。老婆はヤーナとキュアを椅子に座らせると、何もいわずにお茶を淹れ始めた。出て来た物は紅茶だった。甘いリンゴの香がしていた。アップルティーだろうか。だがそれだけではない、仄かに桃の香もする。
すると老婆が突然、「そうさね、よくわかったね」と言った。
”心を読まれた!?”。
キュアはそう思って口に出そうとしたが、それを老婆は制した。
「ここでは口に出しても出さなくても同じさね。何せ魂を扱う場所だからね。お前さんたちもいろいろ聞きたくてここへ来たんだろう?」
老婆はすべてお見通しだったようだ。
ヤーナは背筋を正すと、老婆を真っ直ぐに見据えて頭を下げた。
「私はヤーナといいます。これは娘のキュア。2人とも職業は研究者です。教えてください。ここのすべてを」
老婆が遠い目をしてフッと笑った。
「あたしが知っている事なら何でも教えてあげるよ。あんたらが知ったところで何が変わるわけでもないし、私にとっちゃどうでもいいことだ。だけどここに魂以外の人間が来るなんて、何千年ぶりだろうねぇ。以前来たのはだいぶ若い娘だったねぇ。大層気の強い、芯のしっかりした子だったよ。そうそう名前は……もう忘れちゃったねぇ。名前なんてどうでもいい事だ」
老婆は遠い記憶をたどるように、早口で話を始めていた。
「あなたのお名前は何というのですか? そしてここで何をされているのですか?」
キュアが真っ直ぐな質問をした。この質問だけで、心を読める老婆は、すべてを悟ってくれるだろうと察したのだ。
「おや、思ったより娘さんの方はせっかちだね。ほほほ、これじゃあ親子喧嘩もよくやるんじゃないかい?」
老婆が紅茶を啜りながらヤーナの方を見る。
「ええ、それはしょっちゅうです」
ヤーナは苦笑いをしながら紅茶を口に含む。強い甘みのある桃の後に、すっきりとした酸味のあるリンゴの香がやってくる。絶品の紅茶だ。
「…さてと、娘さんの謎解きをしてあげなきゃね。もっとも、期待するような答えにはならないと思うけれどねぇ」
思わせぶりな事を言う。
老婆の答えは実にシンプルなものだった。
「あたしの名前は”作業者”。やる事は2つ。設計図を作る事と捨てること。それだけさね」




