第4話 魔姫との邂逅
「馬鹿な!第2師団が全滅だと! 1万の兵がそんなやすやすと!」
「深手を負っておりますが、指揮官のベンゲ大佐とその参謀殿だけは、王都まで帰還しております。ですが第2師団は敵に殲滅させられております」
- サザ王国、中央王宮。
斥候が右大臣アルバータまで、早馬を駆って国境付近から知らせに来た。
「そもそもなぜ勝手に交戦したのだ。ベンゲのヤツ! あれほど指示を待て
と言い含めておいたのに。くそっ」
いつもは冷静沈着、海千山千の右大臣アルバータもさすがに動揺の色を隠せなかった。自慢の顎鬚も怒りでプルプルと震えている。
仮にも1万の兵である。しかも率いていたのは、国内随一の武王「豪剣王ベンゲ」である。奇襲や奇策にかかったとしても、全滅というのはにわかに信じられなかった。
「ベンゲを呼べ! 怪我をしておっても話すくらいはできるであろう! 医者付きで構わん。今すぐ呼んで参れ」
「その必要には及びません。ここに控えております」
包帯で上半身をグルグル巻きにされ、松葉杖をつく痛々しい大男がいた。ベンゲ大佐であった。
「ベンゲよ、儂の命令を聞かずに交戦したのはひとまず保留だ。それより本当に第2師団は全滅したのか?」
「・・・はい。申し開きもできません」
「何があった。詳しく話してみよ」
ベンゲは俯いて黙り込んでしまった。ガタガタと震えだし、顔は真っ青に変わっていた。
「き、きっとありのままをお話しても、信じてもらえないでしょう」
「何なのだ! きさまが話をしなければ先に逃げ帰って来た参謀に聞いてもよいのだぞ」
ベンゲに付き添っていた医者が一歩前に進み出た。
「右大臣様、参謀殿は重篤です。はっきり申しますと手に負えません。恐怖のあまり気がふれてしまったようです。あんな酷い精神状態は、これまでに見たことがございません」
「チッ、どいつもこいつも! いったい何がどうなっておるのだ!」
「ま、魔姫・・・いやあのような恐ろしい者は、人の手には余りすぎます」
ベンゲが呟く。そこにもう1人の伝令が大慌てで駈け込んで来た。
「右大臣様! 至急お伝えしたいことがございます」
「儂は今忙しいのだ。手短に申せ」
「参謀殿が自殺なされました」
「くっ。これで第2師団は貴様1人だ。ベンゲよ、洗いざらい話せ」
「かしこまりました。ですがおそらく、右大臣様は私が妄想を語っているか気がふれたとお思いになるでしょう。それでもよろしいでしょうか?」
「構わん。把握している事実を話せ。何を見たのだ」
ハーっと大きく空気を吐き、ベンゲは覚悟を決めた。
思い出しただけで、正常な精神を保てるか自信がなくなるほどの体験。ポツリポツリと凄絶な事実を話し出した。
* * *
第2師団。その数約1万。
ベンゲ大佐の下、士気が最高潮に達したまま、公国の山城へ突撃を開始した。
公国の中で何が起きているのかはわからないが、どう転んでも貴族が治める商業と農耕の国だ。実戦経験のある軍隊にかかれば、制圧するのは赤子の手をひねるより簡単だ。山城の城門を突貫するまでは、第2師団の誰もがそう思っていた。
山道を騎馬と兵士達が勢いよく登って行く。鍛えられた足と操馬術。険しい斜面も難なく走破していった。
山城の入口付近は、険しい地形に反して平坦な広場になっており、騎馬が詰めれば、2000ほどが並ぶことができた。
城門には見張りの兵が僅かに4人。物見のやぐらも幾つか見えるが無人だ。
交戦状態ではないため、彼らも籠城しているわけではない。ただこの戦力を前に、門番が4人とは暢気なものである。
城門の前にベンゲが馬を駆って出る。
「公国連盟へ告ぐ。サザ国王陛下の使者を切り殺した者とその命令を下した者を引き渡せっ!」
城門は不動、見張りの兵も直立したまま動かない。目を合わせようともしていない。
ベンゲが馬上で声を張り上げる。
「返答がないということは、開戦の意思ありとみなす。第2師団第1部隊前進。城門を突貫せよ!」
「応っ!」
ますます師団の意気は上がり、城門の前は殺気と興奮が入り混じった、物々しい雰囲気に満たされていた。
ガコン。ギギギギィィィ。
そんなベンゲ達の状況などお構いなしに、堅く閉ざされていた城門が、中からゆっくりと開いた。
城門からは、人影がひとつ姿を現した。白いワンピースを着た女がまるで街へ買い物にでも出かけるかのように優雅に歩みを進める。
あれほどまでに騒がしく血気盛んだった第2師団が、いつの間にか水を打ったように静まり返っていた。
何だこの女は。とても戦場に居るような者には見えない。城に奉公する侍女なのだろうか。
その場にいる全員が、ある同じ思いに囚われていた。この感情は誰もが経験がある。不吉と恐怖の感覚だ。突然降って湧いた1人の華奢な女に、第2師団が黙らされてしまった。
「女、お前は誰だ?」
矢も楯もたまらずベンゲが尋ねる。
「私は公国連盟を治めるカサブランカ公の娘、ロキ。今は実質的な公国の統治者よ」
「嘘を言うな。俺は知っているぞ。カサブランカ公の1人娘は死んだはずだ。噂に聞いたが、不幸な死に方をしたらしいと有名になった。サザ王国でも貴族連中の格好のゴシップネタだったぞ」
「あら、そうでしたのね。これは失礼いたしました。では誤解を解いておかねばなりませんね」
「誤解だと? 1年前に死んだのは、影武者だったとでも言うのか?」
ベンゲは、貴族から聞いたことのある噂の一説をぶつけてみた。まさかこういうところで、胸糞の悪い貴族のネタが役立つとは。
「いいえ。確かに私は一度死んだ。でもね、生き返ったのよ。神の祝福でね。今やこれは公国の誰もが知っている事実よ」
死者が蘇るなどあり得ない。この女は、頭がおかしいフリをしながら襲い掛かって来る「敵の攪乱作戦」の先兵に違いない。ベンゲはそう判断した。開いた城門から、すぐに公国の兵士が怒涛の勢いで、打って出てくるに違いない。
だが、ベンゲの予想は裏切られた。
ロキと名乗る女は城門へ向かって叫んだ。
「城門を閉じなさい」
ギギギギギギィー、ドコン。
重く分厚い城門が閉じられた。木と鉄でできた門は、そうやすやすと突破できそうもない。
だがこれで、ロキ1人だけが第2師団の軍勢を前にし、城門を背にした状態となった。普通に考えるなら袋の鼠、背水の陣だ。
恭しくロキは一礼すると、ベンゲに囁くように話しかけた。
「サザ国王の使者を斬り捨てたのは、無礼で気に入らなかったからですわ。
命令したのは私よ。さぁどうするの?」
「この者を捕えよ!」
鋭い声でベンゲは部下2名に命じた。だが、なぜか冷や汗が止まらない。彼の本能が感じ取っていた。こいつは危ないと。
状況を冷静に見れば、無手の女1人と重装備の屈強な兵士2000人が対峙している。女が暴れたとしても、難なく取り押さえることができる。斬り捨ててしまうのはさらに容易だ。それなのに恐怖しているのはなぜだろうか。ベンゲは自分の感情が理解できなかった。
「おい女、おとなしくしろ」
部下2人がロキを取り押さえようと彼女の肩に手をかけた。ロキが自分の肩にかけられた手を、酷く汚いものを蔑むように見下しながら短く唱えた。
「破爆」
轟音とともに部下2人が膨れ上がり爆ぜ散った。部下を構成していた肉や骨がベンゲの上に降り注ぎ、辺りに濃厚な血の匂いが立ち込める。
「な、何をした?」
あまりに突拍子のない現実に、思わずベンゲがロキに尋ねた。
「はい。あなたの兵士が死にましたね。それだけですよ。直ぐに全員がこうなります、ご安心ください」
強烈な笑みを浮かべながらも、心はここにあらずといった感じのロキ。
「あ、そうだ。お昼のお茶は紅茶より珈琲の方がいいかしらね」
何を言っているのだこの女は。ベンゲにはおよそ理解できなかった。
しかし、自分の兵が殺された事だけはわかる。全力で敵を討ち取る。武人の自分にできるのはそれだけだ。
「この女を討ち取れ! 国王の仇敵だ!」
しかし、誰一人して動かなかった。いや、動けなかった。全員が黙りこくってしまった。2000もの騎馬が居るというのに静寂が支配していた。
原因は恐怖。それもただの恐怖ではない。自分はこれから死ぬのだ、もう絶対に助からないのだ、という圧倒的な恐怖心だ。
「あら、お茶にはご招待していない方々がたくさんいらっしゃいますわね。仕方がありませんわ、全員死んでもらいましょうね」
爽やかな春風のような滑らかな声でロキがそういうと、兵士達はまるで体を縛っていた糸が切れたように一斉に動き始めた。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉっ! 女を殺せぇぇ!」
歩兵も騎馬も恐怖から逃れるために、一斉にロキに襲い掛かった。やらなければ確実にやられる。生物としての本能がそう告げていた。
ベンゲも兵士達と同じ気持ちだったが、指揮官としての使命感が頭を少しだけ冷静にさせていた。
伝令を放ち、山麓にいる残り8000の部隊は、何があっても平地でそのまま留まるようにと指示を出した。万が一のための保険だ。
もはや規律も戦術もなかった。兵士たちは1人の女を殺すためだけに、剣を振り下ろし、槍を突き出し、弓を絞って矢を射た。
兵士達の剣や槍、そして弓が女の体に到達する前に、ことごとく素手で払い落されていた。
払い落した槍の一本をロキが掴むと、投てきの姿勢を取った。
「爆鎚」
ロキが短く叫んで、槍を山麓方向に向かって投てきした。
ゴォっという爆音と供に、槍は一直線に山麓に吸い込まれて行った。山を一つ越えるほどの飛距離。あり得ない。剛力などというレベルではない。明らかに人知を超えている。
槍が着地したと思われた頃、山麓の方から真っ赤な光が上がり、少し遅れて凄まじい爆風が斜面を駆け上がって来た。爆風は山の木々を薙ぎ倒し、地面すら大きく揺るがした。兵士達は地面に座り込み、馬たちは怯えて動かなくなっていた。
爆風が収まると、ベンゲは己の目を疑った。残してきた部隊8000人が待機していたその場所に、ぽっかりと大きく深い穴が開いていた。
どのくらいの深さがあるのかわからないが、8000の兵士が一瞬で消滅させられたのだ。
敵の城門前に残された兵士2000は、己が感じていた恐怖の正体を知った。
かつて、王都の高名な心理学者は言った。人間は正体不明なものを恐れる。
それが恐怖心を生む原因になるという。だから恐怖の元となる物の正体を知れば怖くなくなる、という。
今は真逆のシーンである。知らなければよかった、会わなければよかった、こんな化け物に。心底そう思う。そうすれば人生もっと普通に生きることができたかもしれない。
この女は悪魔か魔王か死神か。そうとしか思えなかった。
兵士たちは、もはや戦意喪失を通り越し、意識を保つだけで精一杯の状況であった。中には既に恐怖から逃れるために、虚ろな顔をして地面に横たわっている者すらいた。
「お、お前は一体何なのだ? 神なのか悪魔なのか?」
「そうですわね、神か悪魔かという質問にはお答えできないのだけれど
公国の民からは神姫と呼ばれていますわ」
「神姫だと、ふざけるな。魔姫の間違いだろう!」
「私に敵対する方たちは、そうお呼びになるみたいね」
フフフと微風のように笑うロキ。爽やかで美しいだけにそのギャップが、さらに恐怖を増幅させるというものだ。
「ハハ、ハハハ、ハハハハハハハハハハーーーー」
ベンゲの隣で一部始終を見聞きしていた兵士が、空を仰いで笑い始めた。
恐怖で心が壊れたのだろうか。無理もない。自分だって今すぐにこの場からすべてを捨てて逃げ出したいくらいなのだ。
すると兵士達が次々と武器を置き、ゆっくりとロキの周りに集まり始めた。
「お前たち、何をしている。その女は仇敵なのだぞ、討ち果たすのだっ!」
ベンゲが悲痛な顔をして叫ぶも、まったく届いていない。
虚ろな顔をしてロキの前で兵士達は一斉に土下座を始めた。そうだ、完全降伏の姿だ。
「素直な殿方は大好きです。皆さん、これからは私を支えてくださいますか?」
おとぎ話や神話に出てくるような壮絶な力を持ち、秀麗な姿を持つ女に優しく声を掛けられたら、どんな人間も心が折れる。
そう、戦いの勝敗や人生の価値観、武人としての誇りが綺麗に吹き飛んでしまっていた。もはや崇拝や信仰に近かった。
兵士達は声を揃えて返答した。
「はい、これからは貴女様のために命を捧げます」
「そう、嬉しいわ。貴方達の心は無駄にしません。私に仕えていれば、恐怖や不安の一切はなくなります。これからも公国のためによろしくね」
兵士達は強烈な恐怖から解放され、さらには美しき主君に優しく迎え入れられたことによって安堵の表情に包まれていた。それと同時に、信仰にも似た強い忠誠心が生まれていた。
こうして第2師団の残り2000人は公国の兵士となった。
「さて、そこの参謀さんと指揮官さん、どうします?」
ロキはニッコリと微笑んで両手を腰に当てて悪戯っぽく、ベンゲと参謀に話しかけた。
今まで部下だった兵士達が、憐れむような目で自分を見ている。そうだ、もう自分は敵になったのだ。
「ベンゲ大佐、最終策を実行します」
「わかった」
最終策。それは参謀の馬に取り付けられた大きな箱に関係している。
箱を開けるとブワっと大量の煙が噴き出した。敵の目を攪乱するための煙幕だ。
そう、最終策とは全力で逃げることである。逃げ堕ちて前線の情報を王都に伝えるのだ。
斥候すらも全滅し、残りの兵が寝返ったとなれば、参謀や指揮官自らがその役を果たさねばならない。
ベンゲが背中の鞘から大剣を抜き、ロキに向けて正中に構えた。
「俺が時間を稼ぐ。お前が任を果たせっ!」
「御意」
参謀の馬が煙幕を吐きながら、道なき道を必死で駆け下りて行った。化け物相手に逃げられるわけがない。しかし最後まで自分の役目は果たしたい。
「さて、お姫様よ。手合せ願えませんかね」
そう言ってベンゲはロキへ向かって大きく踏み込み、巨大な両手剣を猛烈な速さで振り下ろす。
「豪剣王」の名はダテではない。確かにこの剣撃ならば、どんな敵をも両断してしまうだろう。熊やライオンでも尻尾を巻いて逃げ出す、それほどの剛技だ。
だがその自慢の剣撃は、ロキの目の前でピタリと止まってた。信じられないことに、ロキの人差指と中指、二本の指の間に刃が挟まれていた。
ベンゲが力任せにロキの方向へ剣を押し付けるが、びくともしない。まるで巨大な岩を相手にしているようだった。ロキが剣を指で挟んだまま、さらに一歩踏み込む。ベンゲとロキが数十センチのところまで近づき、ちょうど剣を挟んで向かい合わせの形となった。
ベンゲは改めてロキの顔を間近で見た。自分が何をやっているのか思わず忘れてしまうほどの美しさ。白く滑らかな肌に、黒く大きな猫のような瞳。艶やかで長い黒髪。この細い体の一体どこに剛力が備わっているのだろうか。
「油断大敵ですわ」
ロキの掴んでいる部分の刃からヒビが入り、両手剣は粉々に砕け散った。
勢い余ってベンゲの体は、ロキ目がけて突っ込む形となった。体が激突する瞬間、ロキがベンゲを優しく受け止めた。ちょうどロキの膝枕の上に俯せになった形だ。
「良き技をお持ちのようですね。ぜひ私に力を貸してくださらないかしら」
耳元で魔姫が囁く。甘美な声と花の香漂うロキの膝枕。つい数分前に起きた凄惨な殺戮が、別世界のことのようだった。
このまま「はい」と答えれば、どんなにか楽になれるだろう。そんな誘惑に苛まれる。誘惑に乗れば自分はここで死なずに済むだろう。参謀が上手く逃げてくれれば、王国に対する義理も立つ。自分が寝返っても誰も文句は言わないだろう。次々と都合のよい言い訳が浮かんでくる。
しかし、ベンゲの出した答えは否だった。
「魔姫よ、お前が何者かは知らぬ。だがそれほどの強さ、さぞ世の中は退屈であろうな」
これは武人としての素直な気持ちから出た言葉であった。
ロキは思わずハッとする。そうだ自分にある満たされない心は、そんなところにあるのかもしれない。ぼんやりとそう思った。
「なかなか面白いですわね。そんな事を私に言ったのは、貴男が初めてよ。でも私の目的は別の所にあります」
膝枕の状態でロキが囁く。するとベンゲの頭を撫でながら言った。
「ちょっとだけ面白かったから許してあげるわ」
ロキは音もなくすっと立ち上がると、城門を開けさせ、元王国軍第2師団だった手勢2000と城の中に消えていった。
「お、俺は助かったのか・・・?」
緊張と恐怖から解放されると、一気に体の感覚が戻って来た。全身が猛烈に痛い。肋骨と足の骨が何本か折れているようだった。どこにも打撃はもらった覚えはなかったのだが、相手は未知の力を操る魔姫だ。何があっても今さら驚かない。
幸い自分の馬だけは無事だった。残された愛馬だけが今は自分の部下だった。