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ベルナルディーナの不文律  作者: 文乃 優
33/48

第33話 宮殿騒動

―― 東の空が白み始めた早朝。


 キアとリーテは、まだ誰もいない王都のメインストリートを西方へと馬車を走らせていた。お忍びで出かけるためだ。行き先は決めていない。だがそれが楽しいとキアは言ってリーテを説得した。馬車は小さいカバンをいくつか積めるだけの簡素なものだ。華美な装飾や装備は、目立つということで避けた。今一番危険なことは、他人に記憶されることである。だから2人は、王都や公国連盟を避け、西方の諸国連合を目指したのだ。


 斜光降り注ぐ朝日の中、2人を見送ったヤナ。彼女は、馬車が道の果てへ消えるまで手を振り続けた。その背中は寂しさではなく、幸福を祈る親のような充実感に満ちていた。


 2人を見送り、猫の大食亭に入るとベルナルディーナが待っていた。


「リーテは幸せになれるでしょうか?」

「ボクがキアとリーテの幸せを守る。絶対に」


 ヤナは握り拳を造って自分の決意を示した。400年前の事は、彼女に取ってまだつい最近の出来事なのだ。当然両親を殺されたことも記憶に新しい。だからこそ、家族や友人の幸せを守る。これが今の彼女の最も強い原動力なのだ。


「私は転生できたおかげで、人としての幸せを享受してきました。両親に恵まれ、家族の温かさを感じながら生きています。ですがリーテは、400年間あのままで苦労して来ました。私は彼女こそ本当に幸せになるべき人だと思っています」

「わかってる。でもリサも相当な最後だったよね。マルグレットに恨みはないの?」

「ない……といえば嘘になります。でも私はあの時約束した通り、転生してこうしてお会いできた。それだけですべて救われているのです」

「そっか…ボクも君に会うことができて、本当に幸せだと思っているよ。そして何より君がちゃんと人間としての幸せを享受できていること、それが一番うれしい。どうか人を恨んだりしないで」

「もちろんです。マルグレットと対峙することがあっても、恨みに思うことはありません」


 ヤナはベルナルディーナを心配していた。惨い殺され方をしたのだ。恨みに思わない方が無理というものだ。恨みは負の心だ。負の心は闇に付け込まれやすい。闇に支配されてしまえば、マルグレットの思うがままだ。


 リサは転生してベルナルディーナになった。だから魔術回路はない。魔法を使うこともできない。卓越した家事能力も今や人並みだ。だからこそ、ヤナはその心の底を確認しておきたかったのだ。


「……そういえば、ベンゲって人のところに行くには、どうしたらいんだろう? 肝心な事を聞いておくのを忘れちゃったよ、アハハ」


「心配ない。俺ならここに居る」


 ベルナルディーナとヤナが振り向くと、貴族襲撃の時と同じように、店のカウンターにベンゲが静かに座っていた。


「いいタイミングだったようだな、創造神よ」

「どうして君がボクの事を知ってるの?」


 驚いた顔でヤナが聞き返す。


「昨日の夜、教会から使いの者が来てこれを置いて行った」


 ベンゲは裏聖典をテーブルの上に出した。間違いなくリーテの仕業だろう。早速教会に手を回して、ベンゲにコンタクトを取ったに違いない。


「それを読んだんだね。じゃあもう説明は要らないよね」

「ああ。正直驚きの連続だ。今でも狐につままれたみたいだよ。だがお前さんの戦いぶりを直に観た後だからな、信じるに決まっている」

「そういえば、君は唯一マルグレットと戦って生き残ったんだよね。それは凄いことだけれど……お願いがあるんだ」

「そっちもわかってる。公国連盟を足止めしろって事だろう? それは俺の一存ではできない。サザ国王の協力が必要だ」

「国王にはボクからお願いしてみる。だから連れて行ってくれないかな、宮殿まで」


 ベンゲは二つ返事で快諾した。

 もちろん自分の国を進んで危険に晒すようなことはしたくない。だが本音では、第2師団の仇を討ちたいという気持ちが強かった。マルグレットを直接叩くのは無理だとわかっている。だが、今はヤナがいる。彼女ならばあるいは、と期待している。あとは国王がどこまで彼女を信じるかだ。そして彼が大陸全土のために、己を費やすことができるかだ。


 人間は、大災害や被害に遭遇するとわかっていても、十分な備えができない悲しい生き物だ。将来起こる危険には、本質的に対抗できない。しかしこれは、「今」という時間しか生きることができない、人間の防衛本能そのものかもしれない。国王の防衛本能をどこまで揺るがすことができるか。これがヤナの役目だった。


 ―― 数時間後。ベンゲとヤナは宮殿の入口門に居た。


 大仰(おおぎょう)な鎧を身に着け、太い槍を抱えた門番2人が、じっとこちらを睨みつけている。


「あー、第3師団少尉のベンゲだ。国王陛下に謁見を願いたい」


 門番2人は明らかに警戒している。厳めしい顔をさらにしかめながら近づいて来た。どう考えても謁見が許されると思えない。ヤナはそそくさとベンゲの大きな体の陰に隠れた。


「ベンゲ少尉。ご苦労様です。国王陛下にお取次ぎ致しますので暫しお待ちを。……そちらの娘は従者ですかな? お引き取り願いましょう」


「いや、この娘は……」と言いかけたところで、ヤナがベンゲの陰からひょいと顔を出して言った。


「魅識」


 門番たちは、途端に惚けた顔になった。目付きがおかしい。意識が混濁した状態に見える。まるで魔法にかかっているようだった。


「ボクは王様に会いたいだけなんだよ。お願いだから通してね」

「……はい。どうぞお通りください」

「お前さん、そういう魔法も使えるのか。一体どういう術なんだ?」

「今のは魔法じゃないよ。瞬間催眠術かな。1分くらいしか持たないけどね」

「恐ろしいな。そんな術にも通じているのか」

「魔術が登場する前は、催眠術が魔法と思われていた時代もあったんだよ」


 ベンゲが興味深そうに催眠術の詳細を尋ねようとするが、門番の催眠が解けてしまうからとヤナが無理矢理に門の奥へ入り込んだ。

 だがそこには、さらなる難関が待ち受けていた。


 黒髪の女が一人、仁王立ちしている。服装から察するに将校だろう。黒縁の眼鏡をかけている。制服に付けられた金色の勲章が初々しい。胸には第3師団の紋章が見える。紋章は竜と盾をあしらった物だ。細身の剣を腰に差しているが、その柄にはまだ金属の鋭い輝きが見える。剣はほとんど使われていないのだろう。軍人なのに剣は振るわない頭脳派なのだろうか、とヤナは思った。


「これはこれは、アルティ参謀殿。奇遇ですな」

「ベンゲ少尉。奇遇の訳がないでしょう。貴公をここで待っていたのだ」

「すまん、今は急いでいる。用件なら後で聞こう」

「それは聞き捨てならんな。貴公は第3師団の斥候部隊として、公国連盟へ送り込まれたはずだ。帰還したら、参謀の私に真っ先に状況報告するのが義務のはず。どうしてそれを蔑ろにするのだ。まさか、まだ自分が大佐などと思っているのか?」

「アルティ参謀。俺の階級などどうでもよい。今は重要なお役目を担っているのだ。後生だからそこを通してくれ」


 アルティと呼ばれた女参謀は、苦虫をかみつぶしたような顔をする。スラリと腰の剣を抜き、ベンゲの前に切先を突き出した。


「軍律を無視するというのか? 大敗の将ベンゲよ。豪剣王だか何だか知らぬが、私を侮辱すると許さんぞ」


 第3師団はこの女参謀が仕切っている。大将であるアディア大佐は貴族の出で、まったく戦いには向いていないと噂される人物である。一説には満足に馬も乗れないとのことである。よって第三師団のことは、すべてこの参謀に任せきりなのだ。


「今はここを通してくれ、頼む」

「いや駄目だ。軍規は守らねばならん」


 なお一層、鋭利な切先をベンゲの顔へと近づける。ベンゲは微動だにしていない。おそらく武力の差が圧倒的であることは、2人とも理解しているのだろう。だが上官に逆らった軍規違反者は、たとえ私闘に勝利しても、軍法会議抜きで死罪になる。逆に上官は正当な理由があれば、部下をどうとでも扱える。斬り捨てても、罪に問われることは少ない。


「ねぇ、どうして君はそんなに強い憎しみを向けるの?」


 ヤナが女参謀に向かって問いかけた。

 突然ベンゲの後ろから現れた町娘に、アルティは怪訝な表情を向けた。宮殿は限られた高貴な身分の者と、それに従う使用人しか入ることを認められていない。つまり顔見知りの者だけが居る場所なのである。入宮は本来、何か月もかけて審査された後にようやく許可される。それを経ずに此処へ入り込んだ者、つまり不法侵入者ということだ。

 アルティはベンゲからヤナに気を移した。剣の切先をヤナに向けて構える。警戒心むき出しの顔である。


「お前は誰だ? どうやって門を通って来た?」

「この者を至急、国王陛下に会わせたい」

「ベンゲ殿、気は確かか? たとえ従者であっても、素性の知れぬ者は宮殿内に入れぬのが決まり。それを許した貴公は、その娘もろとも斬り捨てられてもおかしくはないのだぞ?」


 ヤナは自分に向けられた剣の先を指で抓んだ。それを見たベンゲは「やってやれ」と短い言葉で促した。ふいに剣先を掴まれたアルティは、動揺して剣を引いてしまった。


「ぶ、無礼者! 町娘風情が何をする」

「何って、……邪魔だからどけようかなーって思っただけだよ」


 ヤナは面倒くさそうに口を開いた。横柄な態度がアルティの心を逆撫でした。怒りが空気を通じて伝わって来る。だが当のヤナはどこ吹く風だ。ベンゲもやれやれと言った感じで肩を上げて溜息をついた。


「こいつ……。ベンゲ殿、この娘は何者だ?」

「そうだなぁ、信じて貰えないかもしれんが、神様…かな」

「馬鹿も休み休みいってくれ。脳まで筋肉が詰まっているような貴公だが、ついに気が触れたのか? それとも私をおちょくっているのか?」

「そんなつもりはない。俺の言っていることが嘘だと思うなら、その娘と戦ってみればいい。武人の端くれなら、町娘に練度で後れを取ることなどあるまい?」


 ベンゲは嫌味を言った。アルティは戦場で戦ったことはない。いつも陣営の奥で作戦を練って伝えるだけの文官将校である。貴族に親類を持ち、頭が良く軍略だけは秀でている。それでいて、自分の事を軍人と言い張る。ベンゲはその姿勢がたまらなく嫌いだった。文官が武官に成りすまして戦いに口を差し挟む。それだけで怒りがこみあげて来るのだ。

 一方、アルティはベンゲの嫌味の真意を重々承知している。


「私は軍人だが剣を振るう役ではない。代わりの者を戦わせることとしよう」


 そう言ってピュウと口笛を吹くと、直ぐに宮殿の奥から武装した衛兵が100人ほど現れた。どの衛兵もかなりの重装備である。今にも戦場へ出る、そんな格好である。普段は何も起きない平和な王都だが、サザ王国は仮にも軍事国家だ。警戒する兵もそれなりに備えられているのである。


 それを見たベンゲが「やれやれ」と呟き、溜息を吐く。


「先ほどまでの勢いはどうした? いかに豪剣王であっても、この人数ではどうしようもないだろうがな、ククク」


 アルティが(いや)らしい笑顔で見下したように笑った。多勢に無勢である。

 宮殿に詰める衛兵は、その辺の傭兵とは違う。軍から選抜された、練度の高い優秀な者である。この場合、優秀というのは上からの命令に忠実で、戦いに秀でているということだ。


「確かにこれだけの宮殿の衛兵相手に戦って勝てる者などいまい」

「わかればいいんだ。大人しく投降しろ、ベンゲ」

「投降だと? それはそちらがすることだ。ヤナ、こいつらを頼む。でないと王には会えなそうだ」

「そうなんだね。ボクにはあの女参謀だけが壁のように見えるけど仕方がないね」


 アルティは内心焦っていた。これだけの精鋭を前にしているにもかかわらず、ベンゲもそして町娘もまったく怯む様子を見せないからだ。状況は圧倒的にこちらが有利なのは明らかだ。


「この者たちを捕えよ!」


 掛け声と供に、衛兵たちが一斉にベンゲとヤナに襲い掛かる。ベンゲは腕組したまま直立不動だった。そしてヤナがひらりとベンゲの前に立つと、右掌を開いて前に突き出し、短く言葉を発した。


「睡衝」


 次の瞬間、アルティは信じられないものを見た。

 町娘が突き出した掌から、青白い光が発せられたかと思うと、衛兵全員が前のめりに倒れた。折り重なる衛兵の山はピクリとも動かない。茫然と立ち尽くす女参謀を尻目に、ベンゲが興味深そうに衛兵の一人を、仰向けにひっくり返す。兜のフェイスガードをスライドさせると、そこには幸せそうに熟睡する兵士の顔があった。


「……なるほど、今のは昏睡させる魔法なのか」


「衛兵さんたちに罪はないし、これからボクの手足となる人たちだから、傷つけたくないんだよ。でも今日は目を覚まさないと思うよ」


「あ、な…何をした、町娘」


 目の前で起きた現象を理解できずに、女参謀がヤナに尋ねて来た。彼女は握っていたはずの剣を地面に落とし、眼を大きく見開いている。体の動きが完全に停止していた。

 アルティの問いには、ベンゲが答えた。


「これが魔術というヤツだ。お前にも第2師団の戦いの話は伝わっているだろう? 俺のようになりたくなければ、おとなしく従うことだ」

「馬鹿な!? 魔術だと?! そんなものはおとぎ話に決まっている」

「参謀殿は自分の目を疑うのか? 今起きたことが紛れもない証明だ。どんな技術や武力を持っていも、100もの人間を一瞬で昏睡させることなど、魔術以外にできようはずもない」


 アルティは自分のプライドを砕かれたことと、魔術という伝説の力を目撃し、頭の中が混乱していた。だがそこは持ち前の気の強さで、なんとか冷静さを取り戻していた。


「たとえ魔術だとしても…町娘、おまえが宮殿に入って良いことにはならぬ」


 ベンゲもヤナも”めんどくさい奴だ”という視線を投げかけた。アルティは見た目こそ知性溢れる姿だが、もはや事は”軍律や軍規”などという次元ではないことに気が付いていない。


「あのなぁ、お前、いい加減に理解しないか。魔術が登場した。しかも公国連盟がそれを保有している。つまり王国全体が転覆の危機なのだ。国の存亡にかかわる重要人物を俺が連れてきているのに、お前は軍律がどうとかいうのか!?」

「し、しかし…私はあくまで軍人だ。規律は守らねばならん。どうしてもここを通るというのならば、私を倒してから進むがいい」

「このわからず屋が…。では遠慮なくそうさせてもらう」


 言葉の端を空中に残したまま、アルティの腹部に拳を叩きこんでいた。荒事にはまったく慣れていない女参謀は、激痛を感じる間もなく意識を失っていた。無駄のない見事な当て身である。


「ベンゲ、君は本当に凄い力を持っているね。マルグレットと戦って生き残ったのが何だかわかるよ」

「よせよ、買い被りすぎだ。次にあの破壊神と対峙したら、悪いが一目散に逃げることにするぜ。俺の武力はあくまで人間用だからな」

「あはは、君って正直な人だね。そういう人はボク、頼りにしたいな」

「この国を救えるなら協力は惜しまない。ましてや協力する相手は神様だしな。神に仕えるなんざまったく柄じゃないが、お前さんならそんな気にならないから不思議なもんだ」

「ありがとう。じゃあ君はボクの補佐官に任命しちゃおう」


 そう言ってヤナはベンゲに手を触れた。ベンゲは自分に魔術攻撃が来るかもしれないと察知し、反射的に身構えてしまった。本能的な恐怖からだった。顔は戦闘モードに入っている。ヤナは少しだけ寂しそうな顔をした。


「すまん。戦いの場に身を置いていると、こうなってしまうんだ」

「いいよ。ゴメンね。ボクは普通じゃないから…ね」


 強大な力は人を特別にする。だがそれは同時に人として普通には生きられないことを意味している。たとえ志を同じくする者であっても、目線を同じにするのは困難なのだ。


 ヤナが衛兵たちを打ち負かす騒動の一部始終を、右大臣アルバータは見ていた。たまたま、宮殿の庭を散歩している時間だったのだ。

 アルバータはベンゲをよく知っている。その武力や勇猛さを高く買っている。一般市民の出身ではあるが、信用できる人間だと思っている。だからこそ、第2師団を丸ごと失っても、未だに少尉の地位に置いているのだ。

 そのアルバータも自分の目で魔術の発動を見た。精鋭の騎士団が、一瞬で昏睡状態にさせられた瞬間を見てしまった。ベンゲがかつて語った、第2師団全滅の経緯を信じるしかない。

 そこからの展開は早かった。彼に話を通すと、二つ返事で国王への謁見が許可された。


 そして今、2人で謁見用の控の間に座っていた。ここに辿り着くまで5回もの身体検査を受けた。

 いくらアルバータの許可があるとはいえ、ヤナはどう見ても普通の町娘の風体である。貴族でも謁見することが難しい国王へ、どこの町娘が来たのかと怪しまれるのが当然だ。すべては宮廷内で顔の利くベンゲとアルバータのおかげだと言わざるを得ない。


「ベンゲ殿。どうぞ謁見の間へお進みください。ヤナ殿は、こちらで今しばらくお控えください」


 そう言われると、ベンゲは裏聖典を持って謁見の間へ進んだ。作戦通り行けば、国王は興味を持って、すぐさまヤナに会いたがるはずだ。


 しかし、数時間が経ってもベンゲが戻らない。ヤナはさすがに待ちくたびれてしまった。この控の間には気分を紛らわせるような物が何もないのだ。退屈を持て余し、思わずウトウトする。もう少しで睡魔に完全に身を任せるところまで来た。この世で善良な悪魔が居るとすれば、それは”睡魔”だ。ヤナはそう感じるほど、強い眠気に囚われていた。

 (まぶた)が自然と降りて視界が真っ暗になる。心地良い。この快楽には誰も抗えないんだよね、と暢気なことを思いながら、ヤナは睡魔という最強の悪魔に根こそぎ意識を持っていかれた。


 ふと目を覚ます。寝ぼけ眼を手で擦り、視界をはっきりさせる。硬くて素っ気なかった椅子が、妙にフカフカとして気持ち良い。はて、ここは何処だったろうか? ヤナははっきりと意識を持ち直して改めて眼前に広がる光景を見た。

 王冠を被り豪勢な服を着た人間を中心に、きらびやかな様相の貴族が整然と列をなし、ひれ伏していた。よく見ると、自分の座っている椅子は玉座であった。

 一見すると奇妙な光景の極みだ。町娘が玉座でうたた寝し、そこに王以下の重鎮たちが一斉に土下座しているのである。


「何なのこれは…… ボクは一体どうなっているの?」


 すると唯一見慣れた顔であるベンゲが前に歩み出て来た。


「すまんな。ちょっと薬が効きすぎちまったぜ。裏聖典の話を事細かに話したら、国王様以下、全員が心酔しちまった。それで控の間にお前さんを呼びに行ったら、気持ちよさそうに寝てるもんだから大変だったぜ。”神様を起こしたら祟りがあるとか”いうヤツも出て来て、扱いを決めるまで2時間もかかっちまった。で、結局玉座に移しておけば失礼はないだろう、なんてことでな。おかげでこの有様さ。驚かせちまってすまんな」


「こらベンゲ、お前はなんと慣れ慣れしいのだ! 神に向かって敬語を使わぬとは」

「この神様は、そういうのがお嫌いなんだそうですよ」


 ベンゲが嫌味を込めて言う。王よりも堂々と振る舞っているその姿に、ヤナは思わず笑ってしまった。


「おぉ! 神様がお笑いになられた。これは吉兆に違いない。我が王国にも幸運がもたらされるに違いない。このままお祀りするのだ」


 この反応は、とても嫌な感じだった。保有している強大な力がわかると、途端に眼の色が変わる。自分や自分の国の利益のためだけに、ヤナの力を利用しようとする輩に共通の空気である。本来なら、今すぐ逃げ出したいくらいの欲望の強さを感じていた。だがヤナは逆にこの反応を利用することにした。

 自分がこれからこの国に要求するのは、多くの兵の命なのだ。正面から交渉しても到底適わない願いだ。ヤナが最も望まない行為であるが、神としての立場を利用するしかないだろう。大事の前の小事、とはよく言ったものだが、人の命は等しく平等だ。そして祀り上げられた神の末路は決まっている。要求がエスカレートして、人は己を省みなくなるのだ。欲求はさらなる欲望を生み、果てしなく強く濃くなって行く。最後に待つのは破滅だけなのだ。


「神よ、その奇跡の力をぜひお見せください」


 如何にも貴族といった井手達の壮年男が、ヤナの眼前で恭しい姿勢を取った。


「何をすればいいの?」

「私は不治の病に侵されております。医者からはもってあとひと月と言われております」

「……要は君を治せばいいんだね。じゃあ行くよ」


 右手を貴族へかざし、短く発した。


「壊理」


 あまりに唐突なヤナの動きに壮年貴族は面喰った。”神の祝福”は何か儀式めいた厳かなものであると想像していたからだ。


「はい、治ったよ」

「も、もうですか…?」

「うん、君は寿命まで健康に生きられるよ。原因は細菌が体内に入ったことで、炎症を起こして膿みが内臓に広がっていたことだね」

「その通りです。医者からもそのように言われておりました。やはり貴女は…」


 謁見の間にどよめきが起こる。貴族たちは堰を切ったように一斉に願いを求め出て来た。病気治癒から出世の願いまで様々だった。中には「誰よりも幸せになりたい」などという手の施しようがない願いもあった。それらを叶えるわけにはいかない。そもそも魔法で実現できない願いが殆どなのだ。


 騒がしくなったところに国王の一喝が響き渡った。さすがに貴族達も我に返り、頭を下げたまま動きを止めていた。


 王冠を被った若者がおずおずと前に出て来た。


「申し訳ございませぬ。この者たちの非礼、どうかお許しくださいませ」

「別にボクは気にしていないよ」

「寛大なご処置、深謝いたします。我が国は貴方様を女神としてお祀りさせて頂きます。どうかこの宮殿に末永く留まりくださいませんか?」


「いいけど……それには条件があるよ」


 なぜか玉座の隣に立っているベンゲが、ヤナに向かってニヤリとする。予想していた展開とは違うが、ここが交渉の肝心なところになる。


「どのような条件でしょうか?」

「君たちの命、ボクにくれるかな」

 

 王が激しく動揺する。貴族以下も一斉に顔を見合わせ、どよめきが広がった。


「神よ、それは生贄を欲するということでしょうか?」

「違うよ、何言ってるの…えーっとね、上手く言えないな。ベンゲあとはよろしく」


 ベンゲは膝を立てたままの王の前に出ると、腕を自分の腰に当てて言った。


「国王様、ヤナはこう言っています。公国連盟の破壊神を供に討ち滅ぼしたい。そのために王国軍の力を貸して欲しい」

「なんと…それは我らも願ったり叶ったりだ。公国連盟とは戦わねばならないと思っていた。創造神の旗印があれば、我らに怖いものはない!」

「いやね…それでいいんだけど…ベンゲくん、戦いのことは君に任せるよ。力が欲しい時だけボクに言って」


 ヤナは玉座で腕組みをしたまま王へ話しかける。この作戦を考えたのは自分だが、まさかここまですんなり上手く行くとは思っていなかったのだ。自分が囮になれば、間違いなくマルグレットの意識はサザ王国へ釘付けになるだろう。その時間を利用して巨大魔法陣を完成させればいいのだ。


 ヤナは一仕事終えたと思った。その途端に眠気がまた増して来た。きっと今日は魔法を使い過ぎたせいだ。とはいえ、あと数回は使えそうな気がしていた。この宮殿に入ってからというもの、思念濃度の局所的な高まりを感じていた。おそらく宮廷という特殊事情があるのだろう。人の欲望渦巻くところには、昔から思念が蓄積するのだ。


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