第32話 教皇の幸
―― その日の夜。
猫の大食亭のドアを開けると、そこには華やかな風景があった。ヤナにベルナルディーナ、そしてリーテが制服姿でテーブルの間を忙しそうに動き回っていた。リーテの姿は、身長の高さと長い銀髪も手伝って特に秀麗だった。長い髪は頭の後ろで一纏めにされている。いわゆるポニーテールというやつだ。その髪の端がポンポンと動くたびに、客たちは見惚れていた。老若男女関係なく、リーテは注目の的になっていた。
「おっキア! 邪魔してるぜ」
「あっ、お前ら…」
アカデミーのクラスメートたちが来ていた。火薬や蒸気機関の研究で既に特許を出し、余裕綽々の顔で料理を頬張っている。酒もいくらか入っているのか、顔が赤らんでいる。
「お前、魔術研究の方は上手くいってるのか?」
「いや、全然進んでないよ」
「だろうなぁ。でもさ、俺たちはお前の事、見直したぜ」
「……なんで?」
「だってさぁ、この店お前ん家のだろ? こんなに美味い料理、いくら研究が上手く行って特許が出せても食べられないぜ。それにあの別嬪さんたち。いったいどうやって雇ったんだよ、この野郎っ! うらやましいぞ」
彼らがふざけて絡んでくる。しかしその顔に悪意はない。美味しい料理を食べた時に見せる、他の客となんら変わりの幸せの顔だった。
(そうか…こいつらもヤナの幸せを享受してるんだな)
「あっ、キアさん、お帰りなさい!」
リーテが笑顔で声を掛けて来てくれた。キアは相手が教皇様ということをすっかり忘れ、普通の口調で返事をしていた。
「リーテ、ただいま」
なぜかリーテが赤くなる。どうしてそうなるかは、心当たりがあった。ヤナの悪戯による”あの事件”のせいだろう。キアも思い出して思わず顔が赤くなった。
「おまえ一番えげつないの選んだなぁ」
「えげつない……? どういう意味だ?」
「だってあの一番背の高い銀髪の子だけさ、レギンスはいてないんだぜ。ただでさえ超ミニスカートなのに。チラチラ見えちゃってて危ないぜ」
キアは大慌てでリーテの肩を抱き、厨房裏の小部屋に連れ込んだ。
「リ、リーテさん! レギンスはいてって言ったじゃないですか」
それに気付いた途端、リーテは恥ずかしさのあまり手をワタワタさせていた。
「ああっ! 私ったらなんてことを!」
だがその態度が妙に可愛く思えた。キアは、いつもヤナがリーテをからかう気持ちが、少しだけ理解できてしまった。
直ぐにリーテはレギンスをはくと、閉店まで一生懸命オーダーを取っていた。
(しかし、創造神と教皇に接客されていると知ったら、客はみんな驚いてひっくり返るだろうな。しかし俺、なんて凄いところに関わっているんだろう。魔術の研究なんて飛び越えて、一気に世界の趨勢に絡む立場になっちゃったんだよなぁ。はぁ。)
―― 閉店後。キアは皆を集めて嘆願の結果を伝えた。
「それでは、計画変更は成ったのですね! さすがキア様です。そしてギルドマスターへのご就任、おめでとうございます」
「ありがとうベルナルディーナ。でもね……就任するためには、大きな問題があるんだよ」
「問題ですか。なんでしょう?」
「俺が結婚することが条件なんだ」
一同に驚きの反応はなかった。世襲制のギルドでは当たり前のことだったからだ。ギルドの盟主は、家族を持って一人前になる。世間の常識では、そういうことになっていたのだ。
するとここぞとばかりに、ヤナがニヤケ顔で近づいて来た。耳元の直ぐ傍でそっと小声で囁く。もちろん他の誰にも聞こえないようにするためだ。
「キア。誰と結婚するの?……もう決まってるよね? リーテだよね」
「ばっ、お、俺は……」
そのままキアは固まっていた。好意を寄せてはいたが、声には出していない。相手はあの伝説や神話に登場する教皇様なのだ。どんなに頑張っても手が届く相手ではない。
「大丈夫、心配ないよ。ボクに任せて」
そう囁くとヤナは片目をつぶって、得意げな顔をしていた。どうやら作戦があるようだった。
ヤナはリーテだけを客間に呼び、何やら深刻な顔で話をしていた。直ぐにキアも客間に呼びこまれた。なぜかヤナが嬉しそうな顔をしている。ここ数か月の付き合いで理解していたが、こういう時のヤナは間違いなくいたずらを企んでいるのだ。
「キア、リーテ。君たちあとは万事うまく解決してね。大陸の未来は、君たちの双肩にかかっているんだから。じゃあまたねー」
ヤナはそれだ言い残してさっさと厨房へ戻って行った。何が何やら理解できない。
客間には自分とリーテだけになった。リーテは相変わらず美しく、気品溢れる姿だった。少し乱れた銀髪は、きっと朝から働きづめのせいだろう。だがその乱れは、逆にリーテの美麗さを際立させるものでしかなかった。教皇としてのカリスマ性は衰えていないが、服装はこの店の制服である。アンバランスな感じが、キアの心をなお一層かき乱していた。
「あ、あの……ヤナから話を聞いたんですよね?」
「はい。私がキアさんのお嫁さんになれば、世界は救われるんですね?」
(そうか。結婚も世界のため、と思えば教皇様は身を挺して縁を結ぶだろう。とはいえ、なんだかちょっと残念のような)
キアが顔を少し翳らせる。リーテはその感情の変化を見逃さなかった。
「やっぱり、私みたいな女じゃ嫌ですよね? こんな怪力で400年も生きているような化け物じゃ全然普通にはなれませんもんね……」
リーテが恐る恐る聞いて来た。
キアはそういう意味で自分が感情を曇らせたのではない、ということをはっきりリーテへ伝えなければならないと思った。誤解を解かなければ。
「そんなことはありません。俺はリーテさんに女性としての魅力を感じています。身分の差さえなければ、例の計画の話を抜きにしても、妻として迎えたいです」
リーテはその言葉を聞いて涙していた。自分は人としての在り様が普通とはあまりに違う。人間としての幸せなど、絶対に掴めないと諦めていた。だから自分はすべての犠牲になって、周りの人間が幸せになりさえすれば良いと割り切っていたのだ。しかし、キアは自分の不死性や特殊な環境を知ってもなお、受け入れてくれたのだ。
「身分の差なんてありません。教皇という立場は、ヤナ様がお目覚めになった今、もはや意味のないものです。もし許されるなら、私は一教会の司祭として生きるつもりです」
「ヤナが名実ともに神様……確かに言われてみればそうですね。あまりに近くに居るので、全然忘れていました」
「あの方はそういう御方ですから」
「でもリーテさんは、例の計画ために俺と結婚してくれるんですよね? 世界と天秤にかけたら俺なんかと1年間仮に結婚するなんて、何でもないことですもんね」
キアは自虐的に期待を込めずに聞いた。だがリーテの反応は、想像を超えたものだった。
リーテはキアの顔を平手打ちしていた。突然の事にキアは何が起きたかわかっていなかった。自分の左頬が熱い。殴られたのに気が付いたのは、リーテが自分に抱きつき泣いているのが目に入ってからだった。
「キアさん! 自分を卑下してはいけません! 貴方の勇気は称賛に値するものです。私も例の計画を抜きにしても、キアさんと一生添い遂げたいと思っています」
キアは自分の耳を疑った。教皇様が自分に告白? いやいや、そんな事はあり得ない。きっと冗談に違いない。だって…
「冗談なんかでこんな事しません!」
リーテの平手打ちがもう一発来た。今度は右の頬が熱くなった。
「いいですかキアさん。ご自分をもっと大切にしてください! 今度ご自分を卑下されるような発言をされたら、本気で怒りますよ!」
「う、うん。わかった。ありがとうリーテさん……いやリーテ」
そこにヤナがタイミングを見計らってやってきた。考えてみればヤナとリーテは魔術回路で繋がっている。だからそもそもリーテの考えや感情は、すべてお見通しなのだ。
「あちゃー、キア、かなりやられたね。リーテの一撃は軽く岩をも粉砕するからね。よく死なずに耐えたもんだよ。ボクが不死身の称号をあげようっ」
「酷いです。私だってちゃんと加減は知ってますよぉ」
「アハハ、冗談だよ。ところで2人が納得したのは良しとして…ここからの作戦はどうしようか?」
「作戦? 何の?」
「えっとね、一番の問題はリーテの素性かな。隠さないとまずいよね。教皇と水道連盟の盟主が結婚なんて言ったら、それこそ大きな噂になっちゃう。マルグレットは怪しむに違いないから」
「そこはお任せください。教皇の力で、何とか一司祭としての経歴を作ります。この街には確かオーガスターという司祭がいましたね。彼は私の昔からの知り合いです。彼に命じて私の経歴を上手く作らせます」
「じゃあ後は、魔法陣の作図をキアに覚えて貰って。それを断片化して各地のギルドに渡して計画変更してもらえばいいかな。盟主としての計画変更の仕事は、キアにお任せでいいよね?」
「お、おう。任せとけ」
キアは展開の早さについて行けず、つい勢いで返事をしてしまう。
だがまだ実感がわかない。一昨日まで、別の小さいことで悩んでいたような気がした。だがそれが根本的に壊れ、まったく新しい流れになっているのだ。
「あとは…ベンゲ大佐って人にお願いして、何とか1年間だけマルグレットを止めてもらわなきゃね」
水道による魔法陣完成は1年後だ。それまでマルグレットを止める必要がある。ヤナやリーテだけでは到底無理だ。ここはサザ国王軍の力を借りなければならない。だが、未曽有の死人が出るのは間違いない。そんな依頼をどう受けてもらうか。これまた難問であった。
「そうだ、キアとリーテは10日間お出かけしなきゃね。リーテ、その間ボクとの繋がりが切れても、魔力の方は大丈夫だよね?」
「はい大丈夫です、でもどうして10日間街を離れなきゃいけなんでしょうか? このまま私が店で働いていると、何か不都合があるのでしょうか。もしかして、私、クビになるような失敗しちゃいました?」
「うーん、そうじゃないんだよね。詳しくはキアからどうぞ」
キアは父との会話の中、勢いで自分の婚約相手である司祭が、この街をしばらく離れていことにした経緯について話した。その場の流れとはいえ父に嘘をつき、許しも得ていないリーテをイメージして返答してしまったことを素直に謝った。
それを聞くとリーテは恥ずかしそうに「そういう嘘だったら私は大歓迎です」と言った。キアは自分がいかにリーテに好かれていたのか、今さらながら実感していた。
「リーテちゃん、顔、真っ赤だよ。それにキア、勘付くのが遅いよ! もうリーテは一目見た時からキアの事が好きだったんだから」
「えっ……でも俺、リーテさんのこと全然知らないし、リーテさんも俺のことなんか知らなかったでしょ?」
ヤナが腕組にして得意げな顔をしている。そして右手の人差し指を立て、チッチッと舌打ちしながら顔の前で左右に振る。そこでようやくキアが気付いた。キアのことはヤナから、すべてリーテに伝わっていたのだ。しかも伝聞ではない。ほとんど感覚を共有した形でである。つまり、キアはヤナと向かい合いつつも、リーテとも同時に向かい合っていたのだ。
「ボクが見て感じていたキアは、全部リーテに共有されていたから、もう初めて会った時にはリーテはキアともう3ヶ月以上知り合っていたのと同じなんだよ」
「そうか…じゃあ俺がヤナに感じた事は、全部リーテさんにはお見通しなんだな」
「ボクとリーテに隠し事はできないよ。奥さんに隠し事したら、必ずバレちゃうから覚悟してね」
満面の笑みで怖いことを言うヤナ。真顔で言われるよりも怖い。だが神様と伝説の教皇様相手だ。まったく冗談ではないのだ。
「10日間は、新婚旅行だと思ってどこかでゆっくりしておいでよ! ボクはその間、ベンゲとかいう人とこの国の王様を説得しておくから」
「そんな、ヤナ様お一人では……私も交渉に出向きます」
「大丈夫、こっちは安心して任せて。それに教皇が突然動いたのがわかったら、マルグレットも何か感じて動きかねないから。あくまで大切なのは、ボクらが彼女に動きを悟られないこと」
リーテはそれでもヤナが心配なのか、少し困った顔をしていた。キアは「心配ならこの店に居てもいいよ」とそっと促した。だがヤナはそれを許さなかった。キアの父、ザルツに素性について疑いを持たれては計画が成り立たない、万全を期したいと言い切ったのだ。
「それにしても、”凄い歳の差”カップルだよね」
「ん? どういうこと?」
「だって380歳差の夫婦だよ~」
言われてみれば確かにそうだ。
リーテの年齢は400歳。キアは今年で20歳。さらに身長の差もある。リーテの方が15cmほど高い。
「差なんて関係ないさ。リーテはリーテなんだから」
顔を赤らめるリーテ。それを見て爽やかに笑うヤナ。
「リーテちゃん、よかったね。ボクはいつも君の幸せが気になっていたんだよ。何せ君ほど苦労した人は、この世界に居ないんだから。だってボクとこの大陸の人々の面倒を、400年間も看続けて来たんだからね。誰よりも幸せになる権利が君にはあると思う」
「そんな…ヤナ様こそ、ご苦労なさったのに」
「ううん。ボクは苦労なんてしてないよ。皆が居るからね。それにボクは神様なんだよ。神様は人を幸せにすることが一番なんだから。リーテを幸せにできない神様なんて、そんなの失格だよね」
ヤナは本当に嬉しそうな顔をしていた。
キアは思った。彼女の喜びは、他人が幸せになることなんだと。実に神様らしい価値感だ。だがそれは同時に、人間として最も尊いあり方でもあるのだろう。




