第3話 恐怖前夜
サザ王国の南には、公国連盟の領土が広がっている。公国連盟は貴族の国である。中小規模の貴族が領土を持ち、それぞれが独立した緩い連盟の下、国家の形を成している。その盟主がリヒャルド=カサブランカ公である。
サザ王国の貴族階級には、公国連盟の貴族の血縁者が多数いる。普段から交流も円滑で、親密な国交関係である。
公国連盟は、大陸でも随一の肥沃な土地を持つ。農耕や牧畜が盛んで、食糧に恵まれていた。軍隊を持たず、主に農産物の流通で財を成した貴族や商人が集う、巨大な商業都市でもあった。
軍事力の弱い公国は、他国に狙われやすい。ただでさえ、寄せ集めの貴族の国だ。少数の軍隊で蹂躙することはたやすい。しかし貴族や商人も馬鹿ではない。豊かな土地からの恵みを活かし、相応の生活をするためには、あくまで独立した国家でなければならない。他国の圧政下で税を取られるなど冗談ではない。
公国連盟は、サザ王国と契約を結んだ。自国を守るために金で軍隊を雇ったのだ。換わりにサザ王国は、公国の肥沃な土地から食料を得られるというわけだ。北方に位置するサザ王国は、痩せた土地がほとんどだ。冬は厳しく雪に覆われ、農作物には適していない。貴族階級は贅沢な暮らしをしているが、市民は質素倹約に努めなければ、飢えてしまう。
お互いの独立を保ちながらもサザ王国は”食料”を得て、公国連盟は”軍事力”を得る。親戚関係でもある公国の貴族は、サザ王国の軍隊に支配されることもない。持ちつ持たれつのサザ王国と公国連盟は、長い間兄弟のような関係だった。
それが破られた。臆病で軟弱な烏合の衆。贅沢と娯楽に耽り、己の富を増やすことに執心している集団。それが公国の支配階級、貴族だったはず。
突如として、サザ王国に契約解除が申し入れられた。瞬く間に国境付近に巨大な山城が建造された。
サザ王国と公国の国境は、山岳地帯で隔てられている。公国は徹底的に国境を封鎖し、自国の食糧が他所へ流れるのを止めた。
一方的な契約破棄。これを不審に思ったサザ国王は使者を送った。しかし使者は、カサブランカ公には謁見できなかった。使者は公国の城門で斬り捨てられたのだ。これは即ち、サザ王国に対する公国連盟からの宣戦布告である。
一方、サザ王国内部は大混乱であった。何せこの大陸は、各国が軍隊を持つとはいっても太平な世が400年も続いている。兵士が斬り結んで死者が出ることも滅多にない。国境付近での小競り合いはあっても、せいぜいお互いに牽制しあって遠矢を射るくらいだ。あとは政治外交、経済制裁のカードをチラつかせて事を収める。それが当たり前の時代だった。
荒事に慣れていない王侯貴族たち。サザ王国は長期間にわたり、文官たちが政務を取り仕切っていた。
「ええい! いったいどうなっているのだ!」
「王、まずは冷静になってください」
「宣戦布告されて、どうやって冷静になれと!」
「まずは斥候を放って、何が起きているのかを掴むことです。同時に国境付近へ牽制するための軍を派遣しましょう」
混乱し、慌てふためく若きサザ国王を収めるのは右大臣アルバータであった。
アルバータは、先代の国王より仕えて来た重臣中の重臣だ。たっぷりと蓄えた白鬚髭から「魔術師」とあだ名されていたが、肝も据わった知恵ある優秀な政治家である。
「わかった。余には経験も知識もない。いたずらに動いても人心を惑わすだけであろう。まずはお前に任せる」
王国は南西部の国境を防衛するため、第2師団1万を派兵することになった。師団長はベンゲ大佐である。
ベンゲは士官学校からの叩き上げで知力、武力ともに優れた武官だ。地方の小競り合いを鎮圧して回っていたのも彼だ。欠点といえば、短気で喧嘩っ早い性格である。
ベンゲは、腕っぷしが強い上に、彫の深い迫力のある顔が特徴だった。その外見を見たら、どんな猛者でも彼に喧嘩を売る者は居ないだろう。戦いに勝つために骨身を削り、血反吐を吐くまで訓練を重ねた。天賦の才と恵まれた肉体を持った者が、惜しみない努力をした。武技は冴えわたり、練度は頂点を極めた。
王の前で半年に一度開かれる武技大会がある。圧倒的な内容で5回連続優勝。特に剣に優れ、超特大の両手剣をどっしりと正中に構える姿から、ベンゲは「サザの豪剣王」として知られることとなった。おかげで低い身分でありながらも、大佐の地位まで登り詰めることができた。
* * *
右大臣アルバータはベンゲを王宮に呼出した。
「よいか、まずは斥候からの情報を待つのだ。情報を速やかに儂まで伝えよ。判断はこちらがする」
「はっ!」
「決して早まるなよ」
2週間後。サザ王国南西部。国境付近の山岳地帯。第2師団長、ベンゲ大佐は頭を抱えて悩んでいた。
放った斥候が誰一人として戻らないのだ。斥候の数は30人。いずれも経験豊かな優秀な者たちだ。公国で過ごした事のある、地理に明るい者も含まれていた。だが誰一人として帰還しない。
3日間で戻る手はずだった。どんなに遅れても5日後には帰って来るだろうと踏んでいた。
ここは草木の覆い繁る山岳地帯。密偵活動をするには最適だ。身軽な人間であれば、無数の逃げ道や隠れ場所がある。仮に追っ手にあったとしても、隠密術に優れた斥候ならやり過ごすことは容易だろう。
違和感を感じたベンゲは、すぐさま斥候の第2派を放った。ただし今度は深入りしないようにと、念入りに指示を出した。それでも斥候は戻らなかった。
王都の右大臣からは「様子を知らせよ」という催促が矢のように来ている。
ベンゲは軍を動かすことに決めた。
「大佐、右大臣からは独自の判断で、軍を動かすなとのご命令では?」
参謀が諫言する。
「手練れの斥候が全滅だ。これは尋常ではない。ここから見える公国の山城も、日々増築されている。王都からの命令を待っていたのでは、手遅れになる」
「かしこまりました。全軍進行体制に入ります」
軍は戦うものである。戦って武功を挙げてこそ存在意義がある。功を急いている訳ではない。しかし武官には武官の本分がある。
文官の天下。太平な世で武官の出番は無いに等しい。この時代に必要なのは武力ではない。知識や知恵、そして政治という権力社会で生き抜くための根回しと金策こそが絶対の力である。
それらすべてに長けていない武官達は、普段から虐げられていた。剣の一つも振るえないくせに、偉そうに命令ばかりする生意気な文官どもを見返したい気持ちがある。そして自分の武力を思う存分試したい欲求もある。
第2師団全体が高揚感に満ちていた。ベンゲだけでなく、兵士達も大なり小なり武功を挙げたい気持ちは同じだった。
「これより第2師団は国境の城へ攻め込む。王の使者を斬り捨てたことは、王を斬り捨てたことに等しい。義は我らにある。全軍前進! 城を落として力を示せ!」
「おおーーーっ!」
ベンゲの声掛けでさざ波のように士気が上がっていく。馬上でベンゲが参謀につぶやいた。
「これが戦だ」
その顔には残虐ともいえる笑みが貼りついていた。しかし、これは大陸を巻き込む戦乱と悲劇の始まりに過ぎなかった。