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ベルナルディーナの不文律  作者: 文乃 優
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第2話 黄泉からの帰還

シストと向かう教会は、農村部でも酪農地帯の一角に位置している。牛や羊が草を食む、のんびりとした牧草風景が広がる。そこに溶け込むような古めかしい石造りの建造物が突如として現れる。

 この教会は、400年以上の歴史を持つ由緒正しい教会であり、公国連盟だけでなく周辺の国々からも、熱心な信者が毎日のように礼拝に訪れる。

 しかし貴族階級は滅多に訪れない。まして盟主たるカサブランカが訪れることは、数年に1度あるかないか。普段は商人や農民が静かに祈りを捧げている。


教会の礼拝堂には女神マルグレットの彫像があり、それを囲むように信者用の木の長椅子が据えつけられている。

 今日は祈りの日ではない。そのためか、聖堂には誰も居ないようだ。


「司教様、ここに何が? わざわざ私を連れて来た理由を教えてください」

「どうぞこちらへ」


司教が女神像の後ろ側へと案内する。カサブランカが女神像の裏面を見て、驚きの声を上げた。そこにはまるで、悪魔のような憤怒の顔が彫られていたからだ。よもや慈愛の女神の背面がこのような様相だとは誰も思ってはいないだろう。

 シストはその悪魔の顔の両目をグイっと強く押し込んだ。ガラガラと地を這うような低い響きが伝わってくると、女神像の正面にぽっかりと穴が開いていた。地下へ続く隠し階段だ。


「ついて来なさい」


押し黙ったままカサブランカは、シストの後に続く。堅牢な煉瓦の階段を100段ほど降り、さらに地下通路を進む。通路は長く、先が見えない。

壁のあちこちにはたいまつが掲げられており、灯かりには困らなかった。


「なぜ教会の地下にこんなものが?」


カサブランカの心は、【神の祝福】という言葉と好奇心、それに娘の鎮魂の気持ちとが入り混じっていた。

 長い通路が終わると急に視界が広がった。巨大な広間へ出た。かなり大きな空間だ。広間は正確にはホールのようだった。これほどの空間が、まさか教会の地下に造られていようとは。


「馬鹿な、いつの間に・・・どうして?」


ホールの中央を見てカサブランカは思わず息を呑んだ。なぜなら娘のロキがそこには居たからだ。屋敷に”あった”はずのロキの遺体が、石の台座に横たわっていたのだ。

 自分の許可なく勝手に娘を運んだ怒りを抑えつつ、静かに切出す。事と次第によっては、司教だろうが絶対に許さない。


「シスト様、これは一体どういうことですかな?」

「喜びなさい。これより娘さんには神の祝福が与えられるのです」

「おっしゃっている意味がわかりませんな。きちんと説明願いたい」

「娘さんは今より生を得る。つまり生き返るのです」

「創造神様は”死者の復活”など教えてはなかったはず。シスト様、乱心なされたか!」


「我らには秘密の教えがあります。貴公もそれをこれから体験なさるのです。これぞ創造神の真の教えです。」


そう言って、シストは台座の上のロキの遺体に赤い液体を振りかける。


ホールに4人の男が現れた。真っ赤なローブを纏っている。全員に見覚えがあった。カサブランカ公の執事達だ。


「おまえたち!これはどういうことだ! ロキをここまで運んだのはお前たちかっ!」


「彼らは敬虔なる創造神の信者。私に賛同してくれました。ましてや自分が仕える主人の愛娘が生き返るとなれば、協力しない道理はありません」


執事達はロキの体を台座から持ち上げ、珍しい形をした椅子へと運び座らせた。椅子の背もたれが十字架になっている。木製ではないらしい。全体が銀色に輝いている。

 ロキの腕を開き、大きな赤いルビーのような石を抱かせた。


「何をするんだ。娘にこれ以上何もしないでくれ!」


動揺するカサブランカは執事達に抑え込まれた。シストがゆっくり口を開く。


「これは運命なのです、カサブランカ公。心よりお祝い申し上げます。

貴公の善行の賜物ですよ。グフフフフ」


何を言っているのだこの男は。娘の遺体を勝手に持ち出し、いかがわしい儀式を行なおうとしている。正気の沙汰ではない。ましてや聖職者が死者への

冒涜をするなど許されるはずもない。

 シストは大きく手を振りかざすと祈りの言葉を唱え始めた。自分がいつも聞いていた祝詞ではない。内容が理解できない。異国の言葉、いや呪文のようなものなのだろうか。

 シストの言葉に呼応して、ロキの遺体が抱いていた大きな赤い石が輝き始めた。光がパァっと広がりホール全体を包み込む。眼がくらむ。直ぐにシストの姿も見えなくなった。執事達の姿も光の中に消えていた。


光が消えるとホールは暗転していた。壁にあったたいまつは、一本残らず消えていた。完全なる闇。不思議なのは、シストはおろか執事達の気配すらも

感じられなかったことだ。


「ロキ、おぉロキ。もう一緒に屋敷へ帰ろう。この父と温かい部屋へ戻ろう」


カサブランカ公は闇の中、手探りで娘が座っていた椅子付近へとゆっくりと歩みを進める。

 何も見えないというのは、これほど恐ろしい事だったのか。きっと娘も死んでからはこんな寂しい闇ばかりを見つめていたのかもしれない。贖罪にも似た気持ちを抱えながら、手を前に突き出し、必死に動かす。


しばらくすると目が暗がりに慣れて来た。壁の輪郭やホール全体が薄ぼんやりと浮かび上がってくる。

 正面に人影がある。執事の一人だろうか?思わずその方向へ反射的に進んでしまう。


「お父・・・さま」


聞き覚えのある声だった。懐かしい声だった。もう二度と聞くことができないと諦めていた声だった。

 「ボッ」という炎の揺らめく音とともに壁のたいまつに一斉に火が点り、ホール内が明るく照らされた。

 カサブランカ公は幻を見ているのだと思った。前には一人の女が立っていた。長い黒髪を垂らした、娘のロキそのものの姿をした女だった。


「お父さ・・・ま。ごめんなさい」


そういうと女は両目から涙を流した。


「ロキ、本当にお前なのか?」

「そうです。私です、お父様」

「娘は死んだはずだ」

「女神様の祝福を受けて生き返ることができたのです」


カサブランカ公は激しく葛藤していた。目の前に立っている娘と死んだはずの娘。どちらも事実である。しかしそれらは相反する現実である。公は最後の理性を振り絞った。


「馬鹿な! 首を斬り落とされた人間が生き返る訳がない。お前は娘のフリをした偽物だ!」


ロキを名乗る女の目からは、さらに激しく涙がこぼれ落ちた。


「お父様、お忘れですか。女神様は万能の創造神です。信じる者にはあらゆる奇跡をくださるのです。私は本当にロキなのです。どうか信じてくださいませ」


ロキは跪き、祈りの姿勢を取る。公はその姿勢を見て確信する。この娘は本当のロキなのだと。ロキには公だけが知る癖があった。祈りの姿勢を取る時、必ず長い髪をかき上げ、左耳の後ろで縛るようにして腕を動かす。そして必ず右肩が少しだけ左肩より上がる。「祈りの姿勢が悪いぞ」としばしば注意していた事を今でもはっきり覚えている。


「ロキ・・・本当にロキなんだな!」

「はい、お父様」


潤んだ目。縋るような表情で返事をする。元々親馬鹿だった公は娘の蘇りを信じた。いや、信じたかったのだ。


ちょっと頭を巡らせれば、すべてがおかしいことは理解できる。だが眼前の愛らしい娘の生き生きとした姿を見たら、それだけで理性や不審など吹き飛んでしまう。


「よく戻ってくれたね。また一緒に暮らそう」

「お父様、またお会いできて嬉しゅうございます」


涙を流して二人は抱き合った。そして娘の存在をしっかりと確信した。

温かい。体温がある。心臓の鼓動がある。息遣いを感じる。死者であるはずがない。

 娘の生さえあれば、理由はなんであれ、もはや公にはどうでもよかった。


その時、地下ホールにけたたましい足音が響いて来た。地下通路、つまり入口の階段を人が駆け下りてくる音だ。それも一人ではないようだった。20人、いやそれ以上の数だろう。

 ガヤガヤと人の話す声が聞こえる。ほどなくしてホールには、完全武装した騎士達が集結した。鎧には神聖帝国の紋章が見て取れた。教会の鐘に彫り込まれているものと同じものだ。この紋章を鎧に入れることができるのは

教皇直属の親衛隊だけだ。

 身を寄せ合っているカサブランカ公とロキの前に、代表者と思われる騎士が歩み寄った。


「な、なんだお前達は」

「間に合わなかったか。この世はもう終わりかもしれん」


ロキの顔をじっと見つめ、悔しそうに呟いた。カサブランカ公には、男が何を言っているのかまったく理解できなかった。

 娘は相変わらず自分の隣で美しい顔をたたえてくれている。


「我ら教皇様の名にかけて最後まで死力を尽くすっ! 皆の者、その娘を斬り殺せ!」


「応っ!」


折角この手に戻ったのだ。訳のわからない輩に娘を殺されては堪らない。


「待ってくれ! 娘はマルグレット様の祝福を受けて生き返ったのだ。シスト司教がすべてをご存じのはずだ。どうか私たちに危害を加えないでくれ」


「異端者めっ! その娘は神の祝福などではない。禁忌を犯したのだ。シストは反逆者だ」

「お父様、下がっていてください」


ロキが優しく爽やかな声で囁いた。


- ゾクリ


その場にいる騎士達全員の背筋が凍った。騎士達が一斉にロキめがけて襲いかかる。何本もの剣が細い体に到達しようとしたその寸前、カサブランカ公は叫んだ。


「うあぁーーやめてくれーーーっ!!!」


次の瞬間には、ロキが剣で切り刻まれた無残な肉塊に変わると、誰もが信じて疑わなかった。

 だが結果はまるで反対だった。ロキはピンと背筋を伸ばし、直立不動のまま小さく叫んだ。


「失せろ」


襲い掛かった騎士たちは、血をまき散らしながら、物凄いスピードでロキから放射状に吹き飛ばされていった。ホールの石壁に鎧ごとめり込み、全員の頭が熟れた果実のように破裂していた。もはや生前が誰であったかわかるまい。

 残りの騎士は僅か5人。恐怖そのものに背骨を掴まれたような表情をしていた。それでも逃げ出さないのは、信仰心と教皇への忠誠心のなせる業だろうか。

騎士2人がロキへと素早く踏み込む。鍛えられた大振りの剣を振り下ろす。

ロキは無手の状態である。直立不動の姿勢から両手をスッと上げた。キィィーン。高い金属音とともに、振り下ろされた剣が2本同時に砕け散った。素手で人が剣を受けるなどあり得ない。


ロキは構わず歩を騎士へ進めた。両手を軽く前に突き出すとロキの腕が重厚な鎧を突き破り、騎士の背中まで貫通していた。

 横から見るとまるで騎士の背面から、白くて滑らかな花が咲いているようだった。


ロキが腕を抜くとドシャりと騎士は倒れ、それきり身動き一つしなくなった。残りは3人になった。

 手についた血をペロリと舐めた。


「肩慣らしにもならないわ」


壮絶な笑顔を浮かべ、3人の騎士へとゆっくり向かった。


「うあぁぁぁーっ!」


必死の声を上げながら騎士3人がロキめがけて突撃した。ロキはそれをヒラリとかわす。

 騎士達の動きは鍛えられた物だ。生半可な練度ではない。まぐれであってもお嬢様育ちの箱入り娘が、かわせるような代物ではない。

最初に踏み込んで来た騎士の鎧に、ピタリと掌を当てる。


「氷晶」


騎士の周りの水分が、急激な速さで凍って行く。瞬きする間に騎士の氷漬けが出来上がった。

 残り1人には掌を押し付けた。


「業火」


瞬時に騎士は大きな炎に包まれ、真っ黒な炭の塊となった。辺り一帯に肉と脂が焼け焦げた匂いが立ち込める。

 気が付いて見れば、声をかけられてから僅か10秒で騎士30名が死体となっていた。


カサブランカ公は、目の前の事実がひどく遠くで起きていることのように見えた。あまりに突飛なことが次々と起きたため、完全に思考が停止していた。


「そうだ、これは夢だ。私は長い夢を見ていたのかもしれない」


そう思い込むことで、正常な精神を保とうとした。それが無駄な抵抗であることは直ぐに証明された。


「あら、お父様ったら酷く疲れたお顔をされてますわ。ロキが癒して差し上げます。ご安心くださいね」


血まみれの娘が優しく囁いてくる。


ああそうだ、娘が死んだところからすべて夢だったのだ。だからこれからは自分は幸せに暮らすのだ。

 体が重い。強烈な疲労感が全身を襲う。公は意識を失い倒れた。しかしその体をしっかり支える者がいた。

 血まみれの娘。首を斬り落とされても蘇り、騎士団達を素手で屠る剛腕と不思議な力。これが何を意味するのかは、もう少し時を待たねばならない。


- 数日後


ロキと騎士団が戦った教会の地下ホールに人影があった。釣り目をした気の強そうな銀髪の女だった。無残に蹴散らされた騎士団と同じ紋章の入った修道服を着ている。一通りホール内を見て回る。


「ふーん。成功しちゃったのか。シストめ、やりやがったか。生きている人間の魂5人分。見合った器と媒体と呪詛があれば”アイツ”がこっちに出てきちゃうのか」


そう呟くと、女はホールの中央に静かに立った。


「ティア様! ・・・大司教様! 騎士達の鎮魂を頼みます」


「わかっている。今すぐ執り行う」


話しかけたのはこの教会の司祭だろうか。ティアと呼ばれた女が手を頭上に突き出す。


「勇敢なる者たちよ、教皇様への忠義、しかと見届けた。お前たちの心は無駄にはしない」


眉間に皺を寄せて騎士達の無念を代弁する。


「収束」


短く唱えると、散乱していた死体や鎧が、ティアの掌に唸りを上げて吸い込まれて行った。

 話かけた司祭が信じられないという顔でティアを茫然と見つめる。


「これは・・・これが魔法というものなのですか!?」

「ええ。これは人間の意思の力よ。正確にはその力の一端を上手いこと利用しただけ」

「ですがこの奇跡は神の祝福としか・・・」

「いいか、このことは教皇様の名にかけて他言無用だ。ま、他の者に話をしても信じないだろうがな」

「も、もちろんです。大司教様のご下命とあれば」

「これから私は教皇様へ報告に参る。この村で一番速く走れる馬を用意してくれ」

「し、しかし、大司教様をお送りするのに、一人で馬乗せるなど畏れおおいことです」

「お前には事態の深刻さがわかっていない。私が誰であろうと関係ない。早く用意するんだ」

「かしこまりましたっ」


司祭はそう返事をすると、小走りに地上へ戻って行った。


「やれやれこれは大変な事になった。流石に私も自信がない。さて教皇様へはどう報告したものか」


ポリポリと頭を掻くと気まずそうな、そして厄介ごとを押し付けられたと

いう風な顔をして天を仰いだ。


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