第18話 襲撃者
翌朝。
「ヤーナ様、朝食の時間ですよ」
返事がない。仕方なくリサはドアを開けた。ベッドはもぬけの殻だった。寝た形跡がない。昨夜リサがベッドメイキングしたそのままになっている。
リーテの部屋も覗いてみるが、いなくなっていた。
「リーテまで・・・一体どこへいったの?」
「ヤーナ様もリーテもおそらくこの街の中にいらっしゃいます。私と魔術回路が切れてませんから」
「リサ、あなたヤーナと同じ魔法が使えるのよね。じゃあ、位置がわかるでしょ?」
「はい。リーテと一緒に例の病院の近くにいらっしゃるようです」
早速、例の夜間診療に出掛けたのだろうか。しかし朝になっても戻らないとは。何かあったのだろうか。不安が募り、リュシーは居ても立っても居られなくなった。
「リサ、お願いよ。ヤーナのところまで移動してちょうだい」
「リュシー様、今は朝です。そして病院近くへ転移することになります。
人が多い場所に転移するのは危険があります」
「何とかしてヤーナが何をやっているか、見ることはできないかしら?」
「それでは」
とリサが言うと両手を前に突き出し短く唱えた。
「縁映」
するとリサの両手の間にスクリーンのようなものが浮かび上り、そこに今のヤーナ達の姿が映し出されていた。
「こんな便利な魔法があるのね。私も猫の姿になる前は魔法使いだったけれど知らなかったわ」
「ヤーナ様のオリジナルです。毎日一つは、新しい魔法を考え出されているようです」
改めてヤーナの魔法使いとしての資質を思い知った。魔法使いが魔法を新しく生み出すのは珍しいことではない。己の思いの具現化が魔法である。つまりイマジネーション豊かな人間ほど、オリジナル魔法を作り出すことができる。
ただし、それはあくまで個人の思いに由来する魔法である。オリジナルはあくまで個人だけが使える魔法に過ぎず、他人に伝えるのは難しい。誰もがおそらく共有できるであろう思い、これに目をつけて魔法を標準化し、その内容をまとめたのが「魔法術書」である。ヤーナとリサは一心同体。魔術回路で繋がっている。それはヤーナが魔法を創れば、リサも直ぐに使えるということだ。
リサのスクリーンに映し出された今を観る。信じられない光景があった。
病院の傍にある巨大なアーチ橋が崩れ去っていた。病院の西側には大きな河が流れている。この河は北の大都市の中心部を貫くように位置している。むしろこの河に沿って街が発展したといってもいい。農業や商業、そして人口を支えるには、なによりも淡水が必要になる。河の作る平野と水が都市に欠かせないのは、今も昔も同じである。
その中でもひと際大きな橋が、病院の傍らに掛かるアーチ橋である。石造りの橋はこの街のシンボルであり、多くの人が利用している交通の要所である。
それがない。落橋しているのだ。早朝とはいえ、多くの人が渡るこの橋が落ちてしまっている。大惨事である。最低でも数百人単位の犠牲が出るだろう。よく見ると、落ちた橋桁や崩れかけた橋台に必死でしがみ付いているたくさんの人がいる。
リーテの姿が見えた。リーテは橋台から落ちそうになっている人々を怪力を使って次々と助け上げていた。彼女の力ならば、片手で人を引っ張り上げるのは簡単なことだ。
橋桁の端で落下しそうな大きな荷馬車があった。荷台にはたくさんの野菜や酒樽が乗っていた。行商人だろう。だが御者台は橋桁の末端からぶら下がり荷台の荷重でかろうじて落ちずに済んでいる状態だ。ほんのちょっとでも平衡が崩れれば、確実に河へと落下する。水面まで50メートル以上はあるだろう。
落ちかけの御者台から声がする。
「ひぇぇ~お助けくだせぇ。誰か誰か」
リーテがそれに気付く。
「今すぐに行くからそのまま動かないで!」
安心させるために声掛けをする。
その時、荷台へ向かって凄まじい速度で一本の矢が飛んで行った。矢は荷台に命中した。荷馬車はバランスを崩し、ゆっくりと河へ落下していった。
「くっ! 絶対に死なせない」
リーテは体力と魔力を振り絞って、落ちる荷馬車を追いかけ、そして一緒に河へ落ちて行った。
リーテが空中で荷馬車を掴んだ。
「どぉりゃぁぁああああああああっ!」
大きな叫び声とともに、掴んだ荷馬車を橋桁の方へ振り飛ばした。
荷馬車は御者ごと元いた橋桁の上に戻っていた。御者は何が起きたかわからずにきょとんとしている。周りで見ていた者たちさえ、状況を理解できていなかった。
空中で反動をつけて荷馬車を投げ飛ばすなど力学的にありえない。リーテは右手で荷台を掴み、左手を鋭く宙へ放つことで衝撃波を発生させた。その反動で荷馬車を放り投げたのだ。とてつもないスピードとパワーである。
しかしリーテは空を飛べるわけでも瞬間移動できるわけでもない。見事に落水して流されて行った。
「ふう、リーテは大丈夫かしら。でもよくやったわ」
リュシーが言う。
その頃ヤーナは、次々運び込まれる怪我人の対応に追われていた。ただでさえ混雑する病院が、落橋で発生した患者で溢れていた。しかもほとんどが命にかかわる重傷だ。魔法使い10人、医者5人、看護師5人ではとても対応が間に合わない。
「先生、もうあちらの患者さんが出血多量で亡くなりそうです」
「わかってる! でもこっちは内臓破裂で心停止しそうなんだ」
「先生!」
「わかってるわかってる!」
「くそっ! なんでこんな事に」
院内はまさに地獄の様相だった。手足の千切れた者、頭を潰された者、橋を構成する木材に貫かれた者・・・続々と運ばれてくる。
ヤーナは決心した。もう黙って見てはいられなかった。リーテは居ないが仕方がない。
「先生っ! お願いがあります」
「うるさいっ。今は手が離せんのだ」
「じゃあ勝手に治療させてもらいます!」
「もういい! とにかく出来ることは何でもやってくれ」
ヤーナは多くの怪我人が寝かせられている奥のホールへ入った。ここは普段、院内の礼拝堂として使われている。医者や看護師は、慈愛の女神を信仰している。その礼拝のためのものだ。
だが今日はたくさんの患者達が床に寝かせられている。院内のベッドに収まりきらないのだ。しかも治療の順番待ちである。その間に亡くなった者もいそうだ。
ホールも診察室同様、阿鼻叫喚の地獄だった。血の匂いと苦悶の呻き声で満たされていた。ヤーナが両手を前に突き出し唱える。
「不視」
姿が背景に溶け、完全に透明になった。リサの魔法のスクリーンにもほとんど映らない。
「傷癒」「留血」「昇気」「戻器」
これを何度も唱えて繰り返す。傷を塞ぎ、止血し失った血を補充する。そして自己治癒力を最大まで向上させる。おそらくこの連続魔法で治らない傷はない。そして、四肢や重要な臓器を失った者も”生きてさえ”いれば問題なく元に戻る。
さらに「幻思」の魔法をホール全体に発動させる。数分のうちにホールに居た患者全員が、健康を取り戻していた。全部で100人ほどだろうか。彼ら全員が、魔法で治癒する間に同じ光景を見ていた。礼拝用の女神像が微笑みながら輝いているのを。そして女神の手が触れると、たちまち傷が癒された。そういう幻想をヤーナは仕込んだ。
本来、記憶を操作するのは人の道に外れる行為だ。しかしこうでもしなければ、一気に治癒した大勢の患者達は大騒ぎになる。病院側にも迷惑がかかってしまうだろう。神の御業ということにしておけば、人々は納得してしまうに違いない。
ヤーナは透明のまま瞬間移動して、リーテが居た橋桁まで移動した。だが彼女は居なかった。馬車を助けるために落水したからだ。
「索妖」
魔法でリーテの位置を探る。だが見つからなかった。魔術回路の繋がりも切れている。街の外だろうか。
もっと広くまで探せる探索魔法を使わないと、見つけるのが難しい。人目の多い橋を離れ、病院の屋上まで瞬間移動した。
透明化を解くと、改めて広域探索魔法を発動した。
「索威」
リーテの気配を感じる。同時にリーテの傍にも人の気配を感じる。数人以上いるようだ。いきなり転移したら騒ぎになる。少し時間を置くことにした。
* * *
馬車を助け、落水したリーテは河に流され、一気に街を下っていた。リーテは肺に水が入っても直ぐに治癒する。だから溺死はしない。しかし肝心の泳ぎ方を知らなかった。そのため、溺死寸前まで耐えては治癒を繰り返していた。やがてヤーナとの繋がりも切れ、魔力も衰え、本当に衰弱していった。
偶然、中流付近の小さな村の川岸に打ち上げられていた。河原に辿り着いたのは、幸運としかいいようがない。
「ゲッホゲッホ」
咳をして水を吐き出す。あらかた出たようだ。しかし体力と魔力の消耗が激しい。
「おいあんた、大丈夫か?」
漁師風の男達が駆け寄って来るのが見えた。おそらくこの村の住民だろう。リーテは視界が霞んでいくのを感じた。直ぐに真っ暗になった。
「ヤーナ様・・・ごめんなさい」
漁師風の男達は3人がかりでリーテを抱え上げると、急いで近くの小屋まで運んだ。医者を呼ぶために1人が走って出て行った。
「こりゃ見たこともない別嬪さんだなぁ」
「どこから流れて来たんだろうなぁ」
「昨日の晩に雨が降って、結構流れが速くなってるからなぁ。もしかしたら北の都市からか?」
男達はあれこれ詮索するが事態は一向に進まない。
「そうだ、体が冷えるといけねぇ。服を脱がせて体を拭いた方がいい」
「俺は火を焚こう」
リーテは全裸にされて、体を念入りに吹き上げられ、ベッドに寝かせられた。
「・・・おい、俺たちとんでもないもの見たな」
「ああ。女の体が神々しいと思ったのは初めてだよ」
医者を呼びに行っていた男が帰って来た。
「おーい、今日はいつもの医者が休みだって言うんで、新しいお医者を連れて来た」
「そうか、ご苦労さん! じゃ早速診てもらおう」
白衣を着たその医者は若い優男だった。マルグレットの従者、ライツだ。
ライツは目にも止まらぬスピードで、漁師たち3人を手元のナイフで斬り刻んでいた。男達は何が起きたかもわからずに絶命していた。
ライツはずっとリーテをつけていた。アーチ橋の上からこの村まで。ヤーナではなくリーテを狙っていたのだ。荷馬車に矢を放ったのもライツだろう。
「ではコイツを切り刻んで調べてやるとしよう」
ベッドに横たわるリーテにナイフを振り下ろす。しかし、切先が喉に届く寸前、ヤーナが小屋へ転移し、その手で刃をがっちりと掴んでいた。
「ほほう。これはこれは・・・」
「リーテに何するんだ!」
「ようやく正体を現したという訳ですか。まさか瞬間移動の魔法がこの世に存在するとはね。そして魔法を使っても普通に動き続けることができる。これはまさに奇跡ですねぇ。あなた一体何者ですか?神か悪魔か」
「どうしてこういう事するの?」
「愚問ですね。私はマルグレット様の下僕。命令を遂行するだけです。どんな手を使ってでもね」
ライツはもう一本ナイフを取り出すと、ヤーナに向けて至近距離から投げつけた。さすがにこの距離からでは、魔法を発動させる時間がない。
魔法使いには接近戦が有効。これが基本だ。ましてやライツの投げナイフは、鍛え抜かれた技だ。狙いも速度も申し分なかった。
ヤーナは両手をクロスして顔を庇った。ナイフが腕に刺さる。しかしそれは囮だった。ナイフを投げると同時にライツは大きく踏み込み、一気に間合いを詰めていた。強烈な中段突きが飛んでくる。また拳を受けてしまった。
ヤーナの体は、小屋の壁を壊して外まで吹き飛んだ。
「グハっ」
猛烈な一撃に意識を失いそうになりながら、ヤーナは必死で立ち上がった。距離を詰められたらまたやられる。その前に魔法を!
だがライツの姿は小屋の中になかった。隠形の術と高速移動術を駆使して
既にヤーナの背後に回り込んでいた。あまりにも速い。人間の能力を超えている。普通の人間は、魔法を使わないと、ここまでのスピードは出せないだろう。
ヤーナは背後からライツの強烈な一撃を喰らってしまった。背中に激痛が走る。治癒魔法を使う暇さえなかった。ここまで魔法使いの特性を熟知して
闘い慣れている者などいるのだろうか。ヤーナは初めて自分が死ぬかもしれないと覚悟した。
ライツがもう一本ナイフを取り出し、突き立ててくる。体が思うように動かない。もうダメだと思った。
その瞬間、ライツのナイフがぴたりと止められていた。正確にはライツの体全体が押さえられていた。
「リーテちゃん!」
リーテが、ナイフを振り下ろそうとしていたライツを羽交い絞めにしていた。
「銀髪の麗しに全裸で抱かれるとは光栄ですな」
「減らず口もここまでだ。ヤーナ様によくも! このまま抱き潰してやろうか?」
リーテが力を込めると、ライツの骨がミシリと音を立てる。
「どうぞ。そのまま熱烈に抱いてくれ。ハハッ」
「コイツっ!」
リーテがさらに力を入れると、ライツは肩の骨、そして肋骨までもスルスルと動かして、あっという間にリーテの万力のような怪力から逃れていた。
「なんてヤツだ。お前ただの下僕じゃないな!」
リーテが殺気を向ける。
「そっちこそただ者じゃないですよね。さすがに2対1じゃ分が悪い。ここは撤退するよ」
「私が逃がすと思うの?」
「さっき俺が投げたナイフ。猛毒が塗ってある。早く魔法で治療しないと死ぬぞ」
「なんだって!?」
ヤーナを見ると真っ青な顔をしている。ナイフの傷口が黒く変色している。明らかに毒だ。リーテは治癒魔法を唱えた。見る間に傷口が癒え、不吉な色も消えた。
その間に当然、ライツの姿は消えていた。隠形と高速移動。そして常識を超えた格闘術。普通ではない。
「ヤーナ様。ごめんなさい。私が不甲斐ないばっかりに」
「リーテはよくやったよ。ボクがリーテでも同じように馬車を助けたし」
「ありがとうございます。でも私、ヤーナ様をお守りできませんでした」
「ううん。ちゃんと守ってくれたじゃない。ボク、あのナイフで刺されてたら死んでたよ。さぁお家に戻ろう」
「ヤーナ様はいつでもお優しいですね」
「それはそうと・・・」
ヤーナはじっとリーテの全身を舐め回すように見つめた。
「な、何でしょうか?」
リーテは恥ずかしがって思わず前を隠してしまう。
「やっぱりリーテは女の子なんだよねぇ。凄く綺麗だとボクも思う。ガブリエラにヌード描いてもらおうよ」
「何なんですか、改まって!」
リーテは顔を赤らめていた。