第14話 悪魔の碧眼
リサは極めて優秀な家事能力を持っていた。掃除、洗濯、料理、服飾、果てはインテリアの修繕や庭の手入れまで高度なレベルでこなすことができた。そしてホムンクルスだからだろうか、疲れ知らずであった。不眠不休で動き続けてもまったくスピードが落ちない。おかげで、屋敷は1週間で新築のように生まれ変わっていた。
短めのメイド服と家事全般の能力に加え、状況すべてに適応し、卒なく仕事をこなしていく姿は、まるで一流のベテランメイドのようだった。
「ヤーナ様、リュシー様。本日はどのようなご予定でしょうか。屋敷の手入れや修繕は昨日で完了いたしました」
「じゃあ、皆で今日はお茶しようよ!」
「かしこまりました。お茶のご用意ですね。珈琲になさいますか、それとも紅茶になさいますか?」
「ボクは紅茶。あまーいヤツね。お姉ちゃんは・・・」
「私は水で結構よ」
首の下を前足で掻きながら言う。
「リサも一緒に飲もうよ」
「私は下僕です。ご主人様と供にお茶を頂くことなどあり得ません」
「じゃあボクがして欲しいから。リサと一緒にお茶が飲みたいから。お願いしたらダメかな?」
「主人の願いを叶えるのが私の使命。ご命令とあらば仕方がございません」
「命令じゃないよ。お願いだよ。ボクはリサを下僕だなんて思わない。リサはボクの一部みたいなものだから」
「ありがたきお言葉です。それではお茶のご用意を」
庭にテーブルを出し、椅子を並べてテーブルクロスを敷く。ヤーナはご機嫌だった。リュシーもそんなヤーナを見て少し安心した。あれ程の惨劇を見ても、なお心を保っていられるのは凄い事だが、やはりどこか無理をしているのだろうと感じていたからだ。
「ヤーナ。聞いてもいい? どうしてリサはあのような、家事能力や人間の一般常識を生まれつき備えているのかしら?」
「それはね、魔術媒体を創った人がそうしたからだよ」
「つまりあの魔術媒体に、ホムンクルスの性格や能力を決める要素があるってことかしら」
「うーん、たぶん違うよ」
「では一体どうして?」
「魔術媒体は鍵みたいなものなんだって。鍵だからドアを開けるだけ。
配合の仕方によって鍵の種類が変わるの。でも鍵によって開けられるドアが決まっているんだって。リサを創る時は、お母さんみたいな人だったらいいな、でももっと強くてお父さんみたいな人もいいな、なんて欲張ってお願いしてみたんだ。だからあの性格とかはボクもよくわかんないの」
「お願い? 誰に?」
リュシーは怪訝な顔で尋ねた。
「もちろん、皆だよ。魔法を使う時はいつも皆にお願いして力を貸してもらうの。お姉ちゃんだってそうしてたでしょ?」
魔法は自分の精神力が具現化したものだ。お願いして誰かの力を借りるなどあり得ない。だから発現した後は、精神力が激しく消耗するのだ。それが魔術の限界でもあり、その壁を超えることは絶対にできない、不可侵のルールだ。
「もう少し詳しく聞かせて」
「ボクも口では上手く説明できないから・・・」
「皆様、お茶でございます」
「わあ!苺ショートケーキがついてる! さっすがリサ。リサ大好きだよー」
そう言ってメイド姿のリサにジャレつくヤーナ。困った風な顔をするリサ。リサは、徐々に人間らしい表情をするようになっていた。もう少し時間が経てば、不自然なところはなくなり、人と完全に見分けがつかなくなるだろう。
「イタダキマース!」
ヤーナはお茶より先にショートケーキにかぶりついた。猫のリュシーにもケーキが用意されているが、生クリームを舐めるだけにしておいた。
3人でテーブルを囲む。リサの紅茶もケーキも絶品だった。
「さっきの話だけれど・・・」
「”お願い”のお話? でもそれはイメージだからどうしても口では説明できないの。ゴメンね、おねーちゃん。でもね、そういうお話は確かお父さんの部屋の本にも書いてあったよ」
「本当に!?」
「うん。今からリサに持ってきてもらおうよ」
「何ですって!」
ここ北の都市から、以前住んでいた南の都市までは、馬を駆っても10日はかかる。往復すれば20日。今やリサ頼みのこの家を、長い間空けられては困る。
迂闊にヤーナが戻れば、粛清の騎士団が待ち構えているかもしれない。猫の体の自分が行っても本を持ち帰るのは無理だ。
「リサはほとんどボクと同じ魔法を使えるから、心配しなくても大丈夫なんだよ」
「そんな・・・ホムンクルスがどうして魔法を?」
人間らしい外観に人間らしい動きと能力。さらに魔術を使う。もはやホムンクルスという枠すら超えているような気がした。
リサが掌を前に出す。
「瞬移」
一瞬でリサが目の前から消えた。そして暫くすると分厚く埃の被った本を
何冊か抱えて戻って来た。本の表題には「魔術起源」とある。
「リサーありがとうー」
「どういたしまして」
短いスカートの端を抓んで持ち上げ優雅に挨拶をする。相変わらずスカートが短いままなのは、なぜだろうとぼんやりとリュシーは思った。
「お姉ちゃん、この本だよ。これに”お願いの話”が書いてあるの」
「これは、お父様の字ではないわね。お祖父様の書体だわ」
お茶はそっちのけで、リュシーはリサの力を借りながら「魔術起源」を読み入った。
その間ヤーナはリュシーのケーキも平らげ、退屈すると庭の芝生で虫たちと戯れ始めた。
魔術起源。それはどうして人が魔法を使うことができるのか、根本的に問うた研究書であった。
- 魔術。
人の感情や意志、想いや願いがある法則によって具現化したもの。その起源は個人の持つ精神力である。よって魔術を使えば激しく精神力を消耗し、再び使えるまでには相応の時間を要する。
「ここまでは普通の内容ね」
猫の手では本のページを捲れないので、リサに頼んで捲ってもらっている。
- 魔法。
人の感情や思考を具現化するための法則。魔術としばしば同義である。
人間が突然魔術を使えるようになった理由。不明。
しかし、実験と観察によれば、個人の感情や想いが無くとも魔術を使えることが判明した。
我々の生きるこの世界のあらゆるところに、人の感情は渦巻いている。
憎悪、憤怒、嫉妬、悲哀、歓喜、幸福・・・感情は肉体の中だけに留まっているものではない。
過去何千年と生きてきた人間達の感情や願いは、この世界に膨大に蓄積されている。眼には見えず感じることもできないが、死んでしまった人間の感情すらも歴史を通じて蓄積されている。これを魔術の源として、使うことはできないだろうか。もしこれが使えるなら、その者は神にも等しい力を持つ大魔法使いになれるに違いない。
「そんな・・・歴史時代を通じて生きて来たこれまでの人間達の感情が魔術の原料になるなんて」
「そうだよ。皆のいろんな気持ちがたくさんあるから、ボクはそれにちょっとお願いして魔法を使っているんだ」
芝生でゴロゴロと回転しながらヤーナが答える。
「なるほど。理屈は合ってるわ。でも本当にそんなことができるなんて」
「ボクにもどうしてできるのかはわからない。でもボクが生まれた時にお祖父ちゃんが、ボクの眼に一世一代の大魔法をかけたんだって。でもそれが原因でお祖父ちゃんは死んじゃったんだ。だからボクはお祖父ちゃんの分まで長生きしなきゃね」
そういえばヤーナの眼だけ一族の中では碧色をしている。他の者はすべて青色だ。
「そんな話は初めてよ・・・ヤーナ、ちょっとこっちに来て眼をよく見せなさい」
ヤーナは猫になったリュシーを持ち上げ、自分の眼の前まで持ってくる。
家族とはいえ、ここまでじっくり妹の眼を観たのは初めてだった。
「これは”悪魔の碧玉”。そんなまさか・・・この眼、ちゃんと見えているのよね?」
「うん。猫になったお姉ちゃんもお屋敷の庭も全部見えているよ。どうしてそんなこと聞くの?」
- 悪魔の碧玉。
それは宝石の名前である。ある貴族が人間の頭ほどもある大きさのエメラルドの原石を掘り当てた。貴族は早速加工し、美しい宝石に仕立てた。
しかし、その貴族は宝石を盗みに入った賊に殺されてしまう。その後、宝石を手にした者はことごとく非業の死をとげた。
宝石は転売され、次々と新しい所有者に渡って行く間に、カットされ磨かれて極限まで洗練された。ビー玉ほどに小さくなったにも関わらず、高値が付き、好事家は大いに欲しがったが、あまり強烈な曰くつきの一品である。
いざとなると入手を躊躇った。仕方なくバイヤーは街の美術館に預け、展示することで禍を回避していた。
しかし、ある魔法使いが買い求めると、それっきり世に出ることはなくなった。ある魔法使いとは、ヤーナの祖父にして魔法術書の作者であるサイス=エーデルツヴィッカーその人であった。
やがてサイス自身も、孫が生まれて間もなく不審な死をとげる。
街では悪魔の碧玉の呪いと噂された。
それがヤーナの両目になっているとは、一体どういうことなのだろうか。
祖父の本に秘密があるかもしれない。リュシーは必死で本を読み進めた。
3冊目の最後に真相が書かれていた。それは文書ではなく日記になっていた。いや、実験記録というべきかもしれない。
私はついに蓄積された人の感情を見ることができた。悪魔の碧玉だ。あの宝石は類稀なる欠損の無い結晶だ。そういう物には人の感情が蓄積されやすいのだろう。だが、蓄積された人の感情を宝石で見ることができても使うことができない。体内に宝石を埋め込んだらどうだろうか?
自分の腕に埋め込むが、拒絶反応を起こして効力を発揮しない。犬や猫にも試したが不適合。皆すべて死んでしまった。生まれたばかりの子供はどうだろうか。仔犬の眼をこの宝石に置き換えた。驚くべき成果が得られた。宝石が適合し、拒絶反応は見られない。しかし犬は魔法が使えない。これでは意味がない。
生まれたばかりの子供に試すしかない。人体実験は倫理に反する。自分の子供なら失敗してもよいかもしれないが、他人の子は無理だ。
ここまで読んでリュシーは本を閉じるようにリサに言った。この先、祖父がヤーナに何をしたかは容易に想像できた。
事もあろうに、自分の孫を人体実験に使ったのだ。生まれたばかりの孫の両目をくり抜き、悪魔の碧玉を埋め込んだのだ。適合していなければ、ヤーナは今頃生きていなかっただろう。
そして祖父は開眼の魔法を使ったのだろう。本来は、失明した者に光を与える治癒魔法だが、これを極限まで強化して、ヤーナの眼を見えるようにしたに違いない。
これですべて辻褄が合った。ヤーナは悪魔の碧玉の適合者であり、祖父に造られた存在だった。
この事をヤーナに伝えるべきかもしれない。だが、今さら伝えたところでどうにもならない。問題はこれからをどう生きるかだ。
* * *
「お父様とお母様を弔いましょう」
ヤーナとリュシー、そしてリサは街の教会へ行って葬儀をお願いした。
突然、南の都市へ引っ越してしまったエーデルツヴィッカー家の者が戻って来たので司祭は驚いていた。
この時代の教会は自然神を祀っていた。大地の神、太陽の神、水の神・・・多神教の緩やかな教えを説いていた。宗派間の対立もなく、自分の職業に近しい神を自由に信仰することが許されていた。農業なら大地の神、漁業なら水の神、林業なら山の神、商業なら幸運の神・・・といった具合だ。
教会はそれらの神を取りまとめておくだけの集会所のような位置づけだ。
街の互助組織のような役目も強かった。職業斡旋や揉め事の解決などもやる。よろず相談屋に近いかもしれない。
司祭は両親の事をよく知っていた。そして祖父のことも。
「確かによく似ている。その顔立ちはお祖父さんにそっくりだね」
リュシーは司祭の前では黙って猫のフリをしていた。リサの肩に立ち、耳元で話したいことを囁いて指示した。いくら魔法でも、猫が話したら司祭も腰を抜かすに違いない。今は余計な詮索をされたくない。
2人と1匹が屋敷に戻ると、早速これからのことを話し合った。当面は生活費だろう。先立つ物が無ければ飢えてしまう。しかしリュシーは猫、ヤーナは16歳だ。世間に出て働くこともできない。16歳といえば、この北の都市では魔術アカデミーに通うか職業訓練を受ける年齢だ。
「それでは私が働きに出ましょう」
「気持ちはありがたいのだけれど、もしあなたがホムンクルスだとバレたら私たちもこの街どころか大陸全土から追われる身になるわ。そんな危ない橋は渡れない」
「申し訳ございません。差し出がましい意見を」
「皆で農家さんやろうよ。食べ物を自分で作っちゃえばお金要らないよ」
「それも却下ね。素人がいきなり農業なんて、食べて行くまでに時間がかかりすぎるわ」
両親が残してくれたのは、多くの魔術書籍とこの屋敷と庭だけだ。屋敷と庭はかなり広いが、肝心の金がない。金目の物は祖父がすべて研究費に充ててしまった。家具も最低限しかない。
どんなに強力な魔法が使えても飢えには敵わない。
「・・・そういえばあなたは食事を必要とするのかしら?」
リサがリュシーの方を見て答える。
「私は人間の食物だけでは存在を維持できません。ご主人様からの魔力供給がなければ、数日で崩壊します」
魔力を供給する。考えもしなかった。ゴーレムが10分足らずで動けなくなるのは素材に魔力をその程度しかこめられないからだ。ホムンクルスも同様のはず。それなのにリサは動き続けている。
「ヤーナ、あなたまさか常にリサへ魔力を送っているの?」
「送っているっていうよりボクの眼を通じてリサと回路が繋がっているって感じなんだよ。意識しなくても普通にリサとは会話できるんだ。だからリサは、ボクの体の一部みたいなものっていったの」
「回路の繋がりは、距離と関係あるのかしら。どのくらい離れると切れるの?」
「大体街一つ分くらいかなぁ。回路が切れてもリサは普通の子と同じように食事で少しだけ魔力を回復できるんだ。ボクから離れても、3日くらいは大丈夫なんだよ」
「わかったわ。つまりリサを賄うためには、ヤーナが飢えないようにしなきゃダメってことね」
それからもあれやこれやと、いくつか案を出すが到底この大きな屋敷を維持しながら生活費を得ることはできそうにない。
「ふぁぁあ」
ヤーナが大きなあくびをする。長時間話し込んでしまった。話が行き詰ったので、皆半分諦めかけていた。
最終手段はある。この屋敷と土地を売り、小さな借家へ引っ越すことである。先祖から引継いだこの屋敷を売るのは忍びない。だが背に腹は代えられない。もしも良い手がなければやむを得ない。
ドンドンドン。正面入り口のドアを叩く音がする。
「すみませーん」
「誰か来たわ。もう10年以上この屋敷には誰も住んでいなかったのに。訪問者があること自体、おかしいわ。南の都市の粛清騎士かもしれない。用心して。リサ、私を肩に乗せたまま対応して」
リュシーはジャンプしてリサの肩の上に乗った。
「どちら様でしょう」
リサが正面玄関ホールの扉越しに尋ねた。
「教会の使いの者です。エーデルツヴィッカーさんにお渡しする物があります」
ドアを開けると、そこにはヤーナと同年代くらいの少年が居た。服装からすると学生か商家の者だろう。少年は古めかしい封筒をリサに手渡すと「それじゃ」といってそそくさと屋敷を去って行った。
封筒は念入りに封がされ、蝋で押印されていた。宛先には「ヤーナ=エーデルツヴィッカー」の文字が書かれているだけだった。
リサは早速封を開いてみた。リュシーとヤーナが覗き込む。封筒の中には一通の手紙が入っていた。手紙は魔術アカデミーからの招待状だった。教会の司祭からの口添えが書かれていた。
- エーデルツヴィッカー家は大陸屈指の魔術の名家。ヤーナがこの都市のアカデミーに在学するだけでこの国の貴族は名誉に思うだろう。私からアカデミーの校長には口添えしておいた。入学金など経済的な面は心配いらない。
当面の生活費は、君の両親から預かっている。アカデミー在学中くらいは十分やっていけるはずだ。
「お母さん、、、お父さん、、、」
ヤーナが涙を零していた。リュシーも猫の姿にもかかわらず眼が潤んでいた。
これで少なくとヤーナがアカデミーを卒業するまでの3年間は、この屋敷を手放さずに済む。ただ問題が解決された訳ではない。3年後、どうするかが課題なのだ。
「そんときはもうボクも大人だからね。大丈夫だよ。魔法でバンバン稼ぐから!」
「だから、それはできないのよ」
「どうして?」
「魔法は一度使ったらその後どうなるか知っているわよね。もしも連続で使ってごらんなさい。好奇の目で見られて、この街で生活できなくなるわよ」
「そうなん・・・だよね。ボクは普通じゃないんだよね」
ヤーナが寂しそうな顔をする。
「一度使ったら疲れたフリをしなさい。後は暫く人前で使わないようにすれば大丈夫よ」
「やったー! じゃあボクがお金稼ぐね」
「でも困ったわね。”疲れたフリ”のヤーナを引き取りに行く役の人がいないわ」
大陸での魔法使いの働き方はこうだ。魔法使い1人に必ず補助が1人以上付く。それが絶対のルールだ。
用途の7割が治癒魔法である。したがって働く先は病院などの医療施設が多い。そして残りの3割が力仕事だ。農業、漁業、林業、土木。人間の力だけでは難しい部分を魔法でサポートするのだ。
魔法は1日1回。使った術者は倒れるか、身動きが取れなくなる。だから術者を家まで運ぶ人間が必要なのだ。これが補助要員である。
つまりヤーナ1人では働くことができない。補助要員を雇うとなると、収入が半分になってしまう。魔法の対価は高額だが、補助要員の給与も支給されるところがポイントだ。つまり補助要員が身内なら、その家族分給与が出ることが多いのだ。
リサに補助要員の役を頼むとなると、今度は屋敷の手入れが疎かになる。
リサは長い時間屋敷を離れられない。当然、猫のリュシーでは役に立たない。
「そっか。一人足りないんだね」
あっけらかんとヤーナが言う。リュシーが難しい顔をして知恵を巡らせるがいかんともしがたい。何せ身内が居ないのだから。
だが、この状況を打ち破るヤーナからの提案は、とんでもないものだった。
「よし。もう一人ゴーレムちゃん創ろう」