第11話 複雑な正体
翌朝になると、店長は意識を取り戻し、すっかり元気になっていた。額の傷は完全に消え、騎士に斬りつけられたことは覚えていないという。店長娘は、精神的なショックなど見せずにケロりとしている。
ヤナはまだ意識を取り戻していない。昨日から眠り続けている。ベッドの周りにキアと店長、店長娘、厨房のコック達が集合していた。皆不安で心配そうな顔をしている。
ヤナの不思議な力を間近で目撃したのだ。ショックを隠せない。さらに貴族に目をつけられたことで、店の存続どころか自分の命までもが危ういのだ。下手をすれば、鍛冶ギルドごと潰されるかもしれない。
キアが口を開く。
「昨日起きたことについて、皆で認識を共有しよう。これから過酷なことが起こるかもしれない。でもせめて起きた事実をきちんと把握していないと
正しく立ち向かうこともできないと思う。どうだろう?」
「坊ちゃんに従いやす」
「ええ、私も」
厨房のコック達も一斉に頷く。
「よし。まず昨日起きたことを整理しよう。リヒター卿に目を着けられたことは、運が悪かったと思う。この店の評判はヤナが来てから大変なものだったし、貴族も客の中に紛れ込んでいたくらいだ。目立ってしまったのがちょっと裏目に出たのかもしれない」
「でもあの嫌な貴族には、ガツンといってあげましたわ」
「そうだった。ベルナルディーナ・・・いや店長娘はすごいな。あの状況でよく反抗できたな」
女は強しである。肝心な時は、男の方が尻込みしてしまうものである。
「そしてヤナだ。ヤナは騎士たち全員を素手で退けた。さらにベンゲ大佐の謎の発言だ」
「すみません、坊ちゃん。あっしには何が何やらさっぱりわかりやせん。わかりやすく教えて頂けやすか?」
「よし。ここからは状況証拠からの推測や仮説も混じっている。すべてが正確な真実ではないかもしれない。でも起きたことの大体は、説明することができると思う」
ヤナが使った力は、400年前に滅んだはずの魔術であること。魔術は絵空事ではなく、実際に存在していたものであること。魔術は空を飛んだり炎や水を自在に操ったり、傷を治療することができること。
これらを事細かに説明し、ヤナが騎士達を退けることができた理由を文献からの推論を交えて説明した。
「ヤナは400年前に滅んだ魔術の継承者。つまり”魔法使い”ということなのでしょうか?」
と店長娘。
「それは間違いないだろう。でもそれだけでは説明がつかない」
「・・・といいますと?」
全員が店長娘に合わせて首を傾げる。
「まず騎士の剛剣を受止めたあの腕力だ。魔術で強化した腕とも考えられるが、魔術には必ず詠唱が必要なんだ」
「詠唱、、、ですか?」
「そう。つまり己が使う術を宣言する必要がある。でもあの時のヤナにはそれがなかった」
「は、はぁ・・・?」
コック達も店長も首を傾げたままだ。顔には全員疑問符が貼りついている。
「だから、ヤナは”単なる魔法使い”ではない。魔術以上の何かの力を持っているに違いない」
「じゃあ一体ヤナは何者なんですか?」
「最近、教会の壁画を詳しく見た人はいるかい?」
「いえ」
「全然・・・」
「私も」
「聖典は読んでますんで」
「絵が綺麗だったのは覚えてます」
全員が絵の詳細を意識したことはないようだった。教会の壁画など日常の風景だ。熱心な信者であっても、普通ならばそうだろう。
「俺はあの壁画を改めて詳しく観た。あの壁画の逸話は知ってるな。そう、あれは写実だということだ」
「壁画がヤナに関係あるんですか?」
「あの壁画には、創造神と破壊神が描かれている。創造神マルグレットの顔を覚えている者は?」
「あっ!」
店長娘が声を上げた。
「でもまさか、そんな・・・あるはずがないわ」
「察しがいいな、店長娘」
「おそらくその、”まさか”だ」
「すんません、全然わからんです。何がどういうことなんで?」
店長娘が突然部屋を飛び出し、書棚を漁って戻って来た。手にしているのは、最近出版された聖典だ。文字だけの昔の聖典と違い、挿絵が入っている。近年の活版印刷の進歩は、目覚ましいものがある。聖典の挿絵は壁画の忠実な写しだ。
「ほらこれ・・・」
ぺらりと挿絵の部分を開き、皆の前に置く。
「そんな馬鹿な・・・」
一同が息を飲んだ。
「そう、創造神マルグレットはヤナに瓜二つだ。本人と言ってもいいくらいだ」
「でも坊ちゃん、神様がいらしたのは400年も前のことですぜ」
「おそらくだが、ヤナはマルグレットの子孫なんじゃないかと思う」
全員が納得の顔をする。神話は400年前に起こった史実を基に書かれている。それは教会の説法で誰もが知っていた。
「つまり、ヤナの持つ不思議な力は・・・【神の祝福】だ」
あまりの事に全員が黙り込んでしまった。確かに辻褄があっている。創造神の信者でなくとも納得できる話だ。
「違うよ・・・」
ヤナが意識を取り戻していた。ベッドから上半身を起こしている。
「ヤ、ヤナ!」
キアはこれまで話してきたヤナの事について、ここで覚悟を決める時だと悟った。しかし、ヤナにどう接してよいかわからない。どういう顔を向け、何と言葉をかければよいのか。
だがヤナの口から出たのは、キアの予想をさらに超える言葉だった。
「ボクはマルグレットの子孫じゃないよ」
「で、でも、ヤナ。そうとしか思えないんだ」
「子孫じゃない。ボクがマルグレットなんだ」
「・・・えっ?!」
「ボク自身が400年前に封印されたマルグレット。いや、君たちが創造神と呼んでいる者だよ。そして破壊神ヤーナ=エーデルツヴィッカーさ」
「ゴメン、ちょっと言っている意味がわからない。ちゃんと説明してくれないか?」
「・・・長くなるよ。今日はお店開けられないかも。店長ゴメン」
「かっ、神様に謝られちまっても、どう返していいのか・・・」
店長の顔色が悪い。それはそうだ。万が一話が本当ならば、これまで神様を使用人としていたのだ。家族同然の友人として接してきたのだ。そんな畏れ多いことをしたら、天罰が下るどころの話ではない。
「わかった。全部話すよ。話を聞いてどう思うかはみんなに任せるよ」
ヤナは酷く悲しい表情をしていた。今にも泣きそうだった。どうしてそんな顔をするのか。だがキアはきっとこれから、すべての謎が解けるのだろうと思った。
* * *
皆で客間に椅子を持ってくる。長くなるからそうした方がいい、とヤナの計らいだった。一同が椅子に着くと、ヤナの一挙手一投足を見逃すまいと
身を乗り出して固唾を飲む。
「まず、みんなの誤解を解かなきゃいけないね」
ヤナの話は最初から驚きの連続だった。聖典に書かれているマルグレットとヤーナは役と名前が逆になっているのだという。本当は創造神ヤーナ、破壊神マルグレットなのだ。
後世に伝える際に、誰かが間違って広めたのか、意図的に広めたのかはわからない。しかし、これまで信仰していたマルグレットの名前が仇敵の破壊神の名前だったとは。これには信心深い店長も驚きを隠せなかった。
「あ、あの、ヤナ・・・ヤナ様。その話は本当なんですかい?」
生まれ育った時から慣れ親しんで来た神様の名が、破壊神の名だったとは。俄かには信じられない。
「そこからは私がご説明いたしましょう」
客間の入口に、いつの間にか人が立っていた。背の高い女性だった。銀髪で赤い瞳をしている。その服装は、教会の司祭に似ていた。手には黄金色に輝く錫杖を持っている。その錫杖の天辺には、大きな赤い宝石がはまっている。そして服装に似つかわしくない、細身の長剣を腰に差している。柄は相当使い込まれた感がある。
「あのー、どちら様ですか?」
「私の名前はエルフリーテ。神聖帝国の教皇です」
「・・・ええーーっ!」
一同が、王都中に聞こえるのではないかと思うほどの驚きの声を上げた。
神聖帝国は、公国連盟の南部に位置する小国だ。国というより一つの都市と言った方がいいだろう。都市全体がいわば創造神信仰のための聖地になっている。
神聖帝国の教会は、大陸における最高位の聖地である。信者が聖地巡礼を行なうため、常に多くの人々が行き交う巨大な交易国家でもある。
その教皇となれば、サザの王家も跪くほどの絶大な力を持っているのだ。領土は小さくとも、何せ支持する信徒は、大陸全土の民ほぼすべてだ。一国の王程度が抗える相手ではない。神聖帝国を敵に回すことは、大陸の民ほとんどを敵に回すことに等しい。つまり教皇は、実質的な大陸の覇者と言い換えてもいいだろう。
「創造神ヤーナ様がこちらにいらっしゃるのです。その信徒である私が、ここへ参上するのは自然なことです」
「で、でも、なぜここがわかったんでしょうか?」
「それはお話が進んでからにいたしましょう」
衝撃的な事があまりに起きすぎである。キアは感覚が完全にマヒしていた。
「まず、創造神と破壊神の入れ替わりですが、それは本当です。その理由もご説明いたしましょう」
「お、お願いします!」
キアが背筋をピンと伸ばす。エルフリーテが懐から1冊の本を取り出した。古ぼけてはいるが、豪華な装飾が施されている。
「これは裏聖典です。世に出回っている聖典は誤って伝えられた話です。そして裏聖典は、枢機卿と教皇のみに代々伝えられている創造神と破壊神の本当の史実です」
- 裏聖典。そんなものがあるとは夢にも思わなかった。
「なぜねつ造された”表の聖典”が広まってしまったのでしょうか?」
キアが間髪入れず質問する。
「それについては、我が教会の過ちとしか言い訳できません。本当に申し訳なく思っています。教会設立時の権力争いが原因です。400年前、勝手に聖典を書き換えることで自分の立場を有利にしようとした枢機卿がいました。そのせいで聖典は間違ったまま広まり、人々の心に定着してしまいました。一度信仰が始まってしまったら、もう変えようがないのです」
教皇、エルフリーテはポツリポツリと語り始めた。
第二の主人公さん登場。
次回から長い回想シーンです。