第10話 壊れた貴族
- 翌朝。申し分ない冬晴れ。乾燥した空気と切れるような寒風が、膿んだ気持ちを払拭してくれる。気分よく研究が出来そうだった。
開店前から、猫の大食亭の前には行列ができていた。小奇麗な富裕層から仕事着の職人まで、様々な客層である。今日も大繁盛。店の方は絶好調だ。
キアは厨房裏の小部屋で賄をつまみながら、魔術に関する文献を読み込むことにした。ヤナの元気で心地良い声が、自然と耳に入る。そして賄の味は絶品である。快適すぎる環境だ。
「・・・この研究スタイル、癖になりそうだな」
そんな暢気なことを呟く。
昼食時も過ぎ、客足も少し落ち着いた頃。突然、店内に怒号が響き渡った。
金属と堅い物が激しくぶつかり、何かが破壊される音。
「何しやがる!」
「ふざけるな!」
小部屋から出て店舗内に顔を出してみると、そこには痛ましい光景が広がっていた。大柄の男が、店の中央で仁王立ちしている。軽騎士風の鎧を着け、大型の片手剣を持っている。
その大柄騎士が見下ろしている先には、店長が倒れていた。額が割れ激しく流血している。息はしているが、完全に気を失っているようだった。周囲の客は恐れをなして、固まったまま身動きひとつできないでいた。
「う、うちの店にどうしてこういう事をするんですか!」
店長娘が大柄騎士に食って掛かる。
「この店が気に入らないだからだ。最近目立っているそうじゃないか。何でも、貴族の料理店より美味い物を作って出すとか。ふん、下賤な者どものくせに」
大柄騎士の後ろから、小柄な男が現れた。一目で「貴族」とわかる服装をしている。まだ若いが口髭を蓄えているせいで、威厳があるように見える。
服の肩口に家紋がある。家紋を肩口に着けることができるのは、上級貴族だけだ。彼らは貴族の中でも王族の直下に属する。
「そんな理不尽な! 私たちはきちんと税を納め、ギルドの傘下にも入っています。どうして!」
「女。この私に口ごたえする気か。無礼な。本来ならこのリヒター卿に庶民が口を利くことさえあり得んことなんだぞ」
なんということだ。まさか貴族、それも王直属の者がこの店に目をつけるとは。しかも「嬲り屋」で悪名高いリヒター卿だ。
この街は、貴族と庶民がギルドを通じてバランスを保っている。とはいってもやはり歪んだ部分がある。貴族は、その強力な身分制から崇められる存在であるが、時折いたずらに庶民を嬲って楽しむ輩が現れる。贅を尽くした娯楽に飽きた「壊れた貴族達」だ。
そんな貴族は「嬲り屋」として庶民から忌み嫌われている。貴族がどんな悪行を庶民に働いても、罪に問われることはない。それが身分制の根本だ。支配する者と支配される者の差である。
貴族が庶民を嬲りに来る。庶民が奴隷であることを再認識させられる瞬間である。リヒター卿は、これを娯楽としているのだ。庶民にとっては一方的な破壊行為でも、貴族にとってはタダの遊びに過ぎない。真っ当な理屈など通るはずもない。
店長の額を割った大柄騎士は用心棒だろう。外の路地には、豪勢な馬車と重装備の騎士が10人ほど控えていた。こちらも護衛だろうが、それにしても大仰な装備だ。
キアには成す術がなかった。いや、キアだけでなく庶民はどんな猛者であろうと、成す術なしである。逆らったら、その場で騎士に斬り捨てられる。
仮に騎士の攻撃をかわすことができても、反逆罪で一族郎党、関係者はすべて死罪だ。それが貴族の権力。法や倫理が通じない相手なのだ。
もはや祈るしかなった。運が良ければ数人の死傷者で済む。ただし運が悪ければ、店ごと潰される。リヒター卿の騎士に、客も含めて全員斬り捨てられるかもしれない。
しかし、店長娘は予想外の言葉を発した。
「冗談じゃないよ! お前なんかに潰されてたまるか!」
「ほう。威勢がいいな。よしコイツから斬れ」
リヒター卿が命じる。厭らしい笑みを浮かべる。目を背けたくなるほどの邪悪な笑みだ。
大柄騎士は剣を上段に構えると、店長娘へ一直線に振り下ろした。剣本来の重さに加え、騎士の鍛えられた腕力がたっぷり乗っている。唸りをあげて店長娘へ襲い掛かる。
次の瞬間には、店長娘が斬死体になることを、その場の誰もが覚悟した。
- その刹那。
ひとつの影が猛烈な速度で、大柄騎士の前に立ちふさがった。
「キイィィーン」
高く軽やかな金属音とともに、大柄騎士の振り下ろした渾身の剣撃が弾かれた。刀身は真っ二つに折れ、刃先はクルクルと回転して飛んで行った。
その先にはリヒター卿が居た。折れた刀身はリヒター卿の頬をかすめ、壁に突き刺さった。
店長娘と大柄騎士の間にはヤナが居た。彼女は両腕を水平に構え、剣撃をブロックする格好で立っていた。あまりに速い動きだったため、目で捉えることはできなかったが、結果を見れば何が起きたかは明らかだった。
ヤナが見たこともないような、冷徹な顔をしていた。
「ボクの家族を傷つける者は許さないよ」
「・・・馬鹿な! 俺の剣撃をお前は素手で受けたというのか?!」
大柄騎士が、信じられないといった顔をしていた。だがそれは、この場にいる全員が同じ気持ちだったろう。人が素手で剣撃を受け、あまつさえその剣を折ってしまう。あり得ない。
リヒター卿は怒りに震えていた。折れた剣先がかすめて行った方の頬を押さえながら、逆上していた。
「おのれ! おのれ! おのれ! 虫けらの分際で! 殺せ殺せ殺せ! 全員ここで殺せ!」
大柄騎士がもう一本の剣を抜いた。外に控えていた騎士達も一斉に剣を抜いた。客たちが恐れをなして、一目散に逃げ出した。
店内は床に倒れた店長と、剣を向けられたショックで座り込んでしまった店長娘、そしてキアだけになった。
それに・・・逃げ遅れたのだろうか。傭兵風の男が、カウンターの端に座っているだけになった。
ヤナが静かに、そして冷やかに言い放った。
「邪悪なる意思を持つ者たちよ。今すぐに武器を捨てなさい」
外に控えていた騎士達が、剣を抜いたまま次々と店内へ踏み込んで来た。
華奢な娘と騎士11人が対峙している。客観的に見れば、結果は誰にでもわかる。娘が嬲られ惨殺されて終わりだ。
キアは数分前までの平和な状態から、頭が切り換わっていなかった。どうしてこうなった? 何が起きている? まったく思考が追いついていなかった。
ゴクリと唾を呑む。
大柄騎士が、ヤナに向けて再び鋭い剣撃を放った。今度はノーモーションからの横薙ぎ。普通なら胴を真っ二つにされて終わりだ。
だがヤナはその剣を指二本で挟むように受け止めた。
大柄騎士は、なんとかして剣を動かそうと力を込めているようだが、ピクリとも動かなかった。指に込められた力がピークに達すると、剣が破壊音とともに粉々に砕け散った。
それを合図に、後ろに控えていた重騎士達が次々と剣を構えてヤナへ突撃していった。
「ボクを怒らせない方がいい」
ヤナはそう言い放つと、右手を前に突き出し半身になった。
「氷晶」
鋭く叫ぶと、勢いよく突っ込んで行った騎士達が足元から凍結していった。
騎士たちは一歩分を進む間に、全員が氷の彫像と化していた。
残りは剣を折られた大柄騎士とリヒター卿だけになっていた。2人とも眼前で何が起きたのか、状況を飲み込めていない。目を見開いたまま茫然とするのみだった。
一方、キアは歓喜に打ち震えていた。
「魔術だ。ヤナは魔術が使えるんだ。信じられない。これが・・・魔術」
伝承の文献で読んだ通りだった。
「パチパチパチパチ」
店内に突然拍手が響き渡った。カウンターに座っていた傭兵男だ。
「そうか、ここに居たのか。俺が求めていた人物は」
「き、貴様は第2師団長のベンゲ!」
リヒター卿が傭兵男を指さす。
「”元”第2師団長だ。今は第3師団の一兵卒さ。ところでリヒター卿。忠告させて頂きます。この娘は悪魔か死神の生まれ変わりですよ。第2師団も同じ力を持った者一人に殲滅させられたんです。噂は知っているでしょう?
悪いことは言わない、今すぐ謝罪して帰った方がいい。さもないと王都ごと滅ぼされかねない」
「ば、ば、ば、馬鹿なことを。軍崩れのゴロツキなんぞに言われたくないわ! 我とて知っておった。この者をちょっと試しただけだ!」
リヒター卿が、慌てふためいて店のドアを開ける。カランカラーン。括りつけているベルがいつものように陽気に鳴り響く。
「む、娘! 悪かったな」
リヒター卿は、もはや逃げることしか頭にないようだった。馬車に乗り込むと、何事もなかったかのように平静さを装って去って行った。
残された大柄騎士は、どうしたものかとオロオロしている。
「そこの大柄騎士くん、忘れ物だよ」
ヤナが氷の彫像となった10人の騎士の塊に、右の掌をピタリとつけ、言い放った。
「溶晶」
見る間に氷の呪縛は解け、騎士達は元に戻った。全員がきょとんとした顔をしている。何が起きたのかわかっていない。大柄騎士が号令をかけると、次々とリヒター卿の馬車を逃げるようにして追って出て行った。
ヤナはすぐさま床に倒れた店長に近づくと、割れた額に手を当てた。
「傷癒」
店長の全身が淡い光に包まれると、見る間に額の傷が塞がり、血が止まっていた。
キアは奇跡を目の当たりにしていた。聖典や説法でしか見聞きしたことのない伝説。それが今、目の前で起きている。信じられない。いや、唯一自分だけは信じられる。それを信じて研究してきたんじゃないか。
傭兵風の男が、のそりとカウンター席から立ち上がった。ヤナと店長の方へ近づいた。
「これは参ったな。まさかまた見ることになるとは。しかも治癒までしてしまうとは。お前さん、一体何者なんだ? 公国連盟の者か?」
「ボクはこの店のウエイトレスだよ」
「魔術を使い、素手で剣を弾き飛ばすウエイトレスか。冗談だろ?」
「用が無いなら今日はもう閉店だから帰ってよ」
「おいおい、そう殺気立つなって。俺はお前さんの敵じゃない。むしろ味方だぜ」
「・・・そうだね。あの貴族を穏便に追い払ってくれたのも君だし。ボクが言いすぎたね。助けてくれてありがとう」
「礼など不要だ。俺もアイツは大嫌いだったしな。しかし聞きたいことがある。今でなくともいいが、落ち着いた頃にちょっと王宮まで顔を出して欲しい。悪いようにはせん」
「わかった。ただし条件があるよ」
「何だ? 俺に出来ることなら何でもしよう」
「今日の事は黙ってて欲しい。そして明日からこの店が普通に営業できるようにして欲しい」
「確かに承諾した。ただあのリヒター卿を抑えるには少々骨が折れる。王族への根回しが必要だ。その際にお前さんの不思議な力の一端を話すことになっちまうかもしれん。それはいいか?」
「ボクの願いは、店のみんなが平和に暮らせること。そのためなら話しても構わないよ」
「お前さんの気持ちはよく理解した。俺はベンゲという。今はサザ王国軍、第3師団の少尉をやっている。よろしくな」
ベンゲといえば、言わずと知れた「豪剣王」である。庶民上がりにもかかわらず、武功により貴族と対等な身分まで駆け上がった。ある意味、庶民の憧れでもあった。しかし最近自らが率いる第2師団が大敗して一兵卒になったという噂だった。
「ボクはヤナ=エーデルツヴィッカー」
「・・・なるほど、な。お前さん「ロキ」って名前に心当たりないか?
フルネームはロキシア・・・だったかな」
ヤナの顔が驚きに満ちたまま固まっていた。
「まさかロキシア家・・・どこで会ったの?」
「やはり知っているのか。元は公国連盟の盟主の娘だが、今や連盟の頂点に立っている。神姫というあだ名付きでな。ここだけの話にしておいて欲しいが、その神姫様に俺の第2師団は全滅させられた。俺も直に戦ったが、お前さんにやられた大柄騎士と同じ結果だった」
「そんな・・・どうして彼女が」
「そういう事情だ。また来る」
カランカラーンとまたドアのベルが鳴る。ベンゲが去っていった。
バタムとドアが閉まった途端、ヤナがヘナヘナと力なく床に座り込んでしまった。キアは素早くヤナを抱きかかえて支えた。意識がない。体に力が入っていない。
キアはヤナを抱え客間へ運び、ベッドに寝かせた。昨日までと構図がまるで逆になってしまった。
ヤナさん覚醒の章です。ようやく前振りの方々がつながってきました。ほのぼのシーンから一気に戦闘シーンへ移行です。