忘れ物に気がつきました。
つまらない文章、くだらない文章。
それを駄文と呼ぶ。
どうもこんにちは、はじめまして。
僕は今俗に幽霊と呼ばれる立場にいるものですが、どうか僕の話を聞いてください。
僕がかつて(といってもまだ三ヶ月ほど前のことですが)存在し今も漂っているこの東京という場所で、僕は交通事故にあいました。子供を助けようとしただとか飛び出してきた子猫を避けようとしただとか、そんなにご立派な理由があったわけではありません。居眠り運転をしていたトラックに正面からポーン、と逝かれてしまった……のだと思います。というのも、何故かは分かりませんが僕はその辺りの記憶が非常に曖昧で、まぶしく光ったライトと激しいブレーキ音、暗転した視界……脳裏に焼き付けられていた僅かな記憶から僕は僕の死因を推定したのです。
さて、この東京という場所において何らかの理由で死ぬ人、というのは特に珍しくもなんともありませんが、僕のようにいつまでもこの世をさ迷っているのはどうも珍しいようなのです。事実、僕以外の幽霊(浮遊霊というのでしょうか)とはこの姿になってから一度も出会っていません。
では、何故僕がここにいる理由は何でしょうか?
どれくらい自分が考え込んでいたのか分かりませんが、胸に残る訳のわからない悔しさから僕はようやくその理由を察することができました。
どうやら僕にはこの世への忘れ物、すなわち未練があるようなのです。
生前の僕は大学の卒業を目前に控えていました。就職難が叫ばれるこのご時世にありながら就職先もしっかりと決まっていましたので、残りの大学生活をのんびりと過ごそうと思っていた記憶があります。かといって僕の未練は死に物狂いで勉強して大学に合格しやっとの思いで就職を決めたのに、その未来をつぶされてしまった、そういったことに対するものではなさそうなのです。それは僕が未練について考え始めて早々に思い付いたものですが、どうもしっくりとはきませんでした。
これから僕がどうなってしまうのかは分かりませんが、分からないことは早めにはっきりさせておくに限る、というのは僕が生前からずっと思っていることです。
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥という言葉がありますが、そんなわけで僕は今、生前に親しかった友人の元への侵入を試みています。
「山田くん、山田くん。」
「………。」
「やーまーだーくんってば!………やっぱり聞こえませんかね。」
僕は先程の宣言通り、高校からの友人であった山田くんの元を訪ねています。彼はただいま自分の部屋の机にぼんやりと向かい、何やら考え事をしているようです。その目が潤んでいて今にも泣いてしまいそうな印象を受けるのは、僕の気のせいなのでしょうか。
そんな風に二人で重い沈黙の中を(感じているのは僕だけですが)過ごしていると、僕が背を向けていた扉が突然開き、一人の女性がズカズカと足音をたてながら入って来ました。
「山田!」
僕もよく知る彼女は何事かと振り返った山田くんの顔を見るなり、その可愛らしい顔をゆがめて自らのハンドバッグでその頭を殴り付け……うわぁ。殴られてすぐに彼は頭を抱え込んでしまいましたからその表情をうかがうことはできませんが、相当に痛そうです。見ているこちらにも痛みが伝わりそうなその一撃に、僕は初めて痛みを感じないこの体に感謝しました。……山田くん、もしもこちら側に来てしまったら一緒に未練を探して成仏しましょうね。
「ってえ、何すんだよ!頭割れたかと思っただろうが!」
「そんなことで割れる頭ならさっさと割ってしまいなさい。それに、あんたがそんなしけたツラさらしてんのが悪いわ。もうちょっとシャキッとしなさいな。」
「・・・・・・うっせえな。」
山田くんは自分がしけたツラをさらしていた自覚があるのか、川上さんの言葉を否定せずに窓の外へと視線を向けました。ところでご紹介が遅れましたが、先程部屋に乱入してきたのは彼の幼なじみで川上さんという方です。なんでも彼らが幼稚園生であった頃からのお付き合いらしく、お二人のやり取りはもはや夫婦にしか見えません。(川上さんにこれを言うとかなり華麗にアッパーをきめられるので口にはしませんが。)
そんな夫婦の間にはいつも穏やかな空気が流れていて僕もそれにはいつも癒されていたものですが、何故だか今の彼らにはそのような雰囲気も表情もなく、やはりどこか涙が溢れそうなのをこらえている感じなのです。
「あんたがそんな風に過ごしてたって彼は帰ってこないわよ。」
「分かってる。」
帰ってこない、というのは一般的に死人に適用される言葉ですが僕のこと……なのでしょうか。
「時の流れが解決するしかないって問題もあるとは分かってる。でももう三ヶ月経ってるのよ?いつまでそうして……」
「まだ三ヶ月だろ!」
川上さんはその唇がまるで重たいかのように、けれどまっすぐに彼を見つめて言いました。紡がれたものは一般的にいって至極常識的なものでしたが、その言葉は彼を激昂させるものでしかなかったようです。
「あいつが死んでまだ三ヶ月だぞ!?お前だって付き合いがあったはずなのに、なんでそんなに平然としてられんだよ!」
少しの間、彼女は下を向いて黙り込みましたがすぐにポツリと一言、
「あんたさぁ、馬鹿じゃないの?」
「!馬鹿はどっち……。」
「平然、としてなんかいるはずが、ないでしょ!」
川上さんの言葉の瞬間、ガツン、という骨同士がぶつかる音を効果音に山田くんは椅子から転げ落ちました。彼は加害者である川上さんを一度鋭く睨みましたが、その目から大粒の涙が流れているのを見ては気まずそうに目をそらします。いつも明るい彼女の初めて見る涙に僕も冗談も何も言うことができませんでした。
「私が平然としているって言った?そんな訳がないでしょ。さっきまた明日、って別れたばっかりなのに、また次の日も普通に会ってあんた達と四人で話したり笑ったり……。そんな風に過ごせると思ってたのに!死んだって何?平然としていられる訳がないでしょ馬鹿!」
溜めていた感情を吐き出すように泣いている彼女の体が、いつも以上に小さく見えたのは僕だけではなかったようで。山田くんはゆっくりとした動きで立ち上がると川上さんの頭をそっと引き寄せました。
「わりぃ。気がつかなかった。」
「まったく、よ。自分だけが傷ついてるんじゃないのに、毎日、毎日死んだような目ぇして……。ユリが、一番辛いときなのにあたし達まで暗くなってちゃ……。」
「……わりぃ。」
お互いでお互いを隠すように泣いて謝る二人に、僕は胸の鋭い痛みとともに背を向けました。
「すみません。」
小さく呟いた謝罪の言葉は、例え彼らに届くことはなくても。かけなくてはいけないと思ったものでした。
僕は再び東京の空をぼんやりと彷徨っていました。僕の死が不可抗力であるとはいえそれが原因で僕の大好きだった人たちを、今も悲しませてしまっているということをようやく自覚したからです。自分自身が死んでしまったことよりも、なにより彼らの涙を見ることが僕にとっては辛いことでした。
そのことを思うと、成仏をするという僕の最初の目的も何もかもがどうでも良くて、このまま何も考えずに知らずにこの世を彷徨っていたいと思ってしまうのです。
しかし。
「……しっかりしないと。」
僕は自身の頬をパシンとたたく仕草をしました。たとえ感覚はなくてもこのまま諦めてしまいそうになる心を引き締めるのにはこの仕草は必須です。なんせ、前世から僕がずっと自分を奮い立たせるために行ってきたことなのですから。
「僕が立ち止まっている訳には行きません。」
彼らはいずれ立つでしょう。人間の二回目の死と言われる人物の忘却を行わずとも、僕との思い出を大切に持って歩いてくれるでしょう。涙を流して気持ちを告白することは彼らの戦いの証、と信じています。
なんせ、山田くんも川上さんも僕の大事な親友、ですから。
さて、気持ちがまとまったところで僕は先程得た情報を思い出していました。
どうやら僕は、山田くんと川上さんともう一人、ユリというおそらく女性である彼女といつも仲良くしていたということが分かりました。しかし何故なのか僕の記憶にはユリという女性は一度も登場しておらず、その代わりに妙に靄というか、モザイクがかかったような部分が存在するのです。思い出せないということはもしかしたら彼女は僕の未練の原因に何か関係があるのかもしれません。
思い出すのです、僕の脳。とりあえず高校から今までの記憶の全てをここに晒すのです!
僕は頭を抱えて記憶に集中しました。
そこで思い出されたのは・・・・・・。
高校の体育大会で川上さんの不味……いえ、独創性溢れるお弁当を食べて保健室のお世話になった僕と山田くん。
文化祭でメイドカフェを提案した挙げ句、メイド服を着た川上さんを笑い殴られる山田くん。
期末試験の直前に川上さんに泣きついてパーで殴られた山田くん。
大学の合格発表のとき嬉しさのあまり川上さんに抱きついて殴られよろけた拍子に僕に抱きつき僕にチョキで殴られる山田くん。
その後の入学式ではしゃぎすぎて水たまりに突っ込み、新品のスーツを汚して彼のおばさんに殴られる山田くん。
……不憫です、山田くん!
僕は思わず目元に目をやり、わき上がってきたあつい感覚をやり過ごしました。
しかし、思い出の大体が山田くんと川上さん、それとクラスの男友達というのは何だかとても悲しいというか虚しいというか。この年になっても恋人の一人や二人もいなかったん、で……しょう、か?
「いっつ……!?」
恋人、というフレーズを思い浮かべたとたん僕の頭は急な痛みを訴え始め、川上さんの殴打よりも痛みのあるそれと共に何かの記憶が急に溢れてきました。
「あ……ユ、イ?」
記憶の中には笑っている僕と親友、そしてユイと呼ばれる女性がいました。そしてまた明日と彼らに手を振る僕の姿。
何故忘れていたのでしょうか、本気で考えも分からないほど自然に、僕は彼女のことを思い出していました。
都内のとある墓地、彼女はそこで一つの墓石前に立っています。そして小さな花束を一つそこに手向けると再び何かを思い出すように口を開いては閉じて、そして、
「イツキ。」
僕の名をそっと呟きました。
僕が忘れていたのは薄情にも、この短い一生の中で一番愛した恋人のこと。そして、その未練も同じく彼女のことに関連したことでありました。
「イツキぃ……。」
僕の目の前には最愛の女性。やがて彼女は肩を震わせその場にしゃがみ込みましたが、その肩を抱くことも背中に声をかけることも抱きしめることも、今の僕には絶対にできないことでした。
「ユイ、ここにいますよ。」
「う……ひぐっ。」
同じように、声をかけたとしても決して届くことはありません。目の前にいる大事な人が悲しんでいるというのに何もできないこの罰は、僕の不注意の死に対するものなのでしょうか。
どうにかしたい、どうにもできない。そんな感情がぐるぐる回る頭を片手でそっと押さえていると、反射した太陽光が僕の目につきました。泣いている顔を隠すように添えられている彼女の手を覗いてみると、そこには光の原因である、小さなバラの花がついたリングが嵌まっていました。
キラリと輝くそれが、そのリングこそが。
「僕の未練、ですね。」
僕のこの世への忘れ物でした。
あの日、彼らと別れた僕は地元の小さなアクセサリーショップにいました。別に何の記念日があるという訳でもありませんでしたが、バイト代が貯まってきた時であったので彼女に何かを贈りたいと思ったのです。そのお店は小さいものではありますがセンスがよくお値段もそこそこ手が出しやすいものでもありましたので、何かを買う時はそこにすると決めていました。
とはいえ、女性に何かを贈るというのは僕にとってそう慣れたことではありませんでしたのでどれを選んだものかと狭い店内を彷徨っていると、見かねた店員が声をかけてきました。
「何をお探しですか?」
「あー、えっと。女性に贈るリングを探しているんですが、何かおすすめの品はありますか?」
「それでしたらこちらはいかがでしょうか。」
そういって店員が差し示したのは小さなバラの花がついたペアリングでした。薄いピンクとブルーに彩られたそれは、シンプルすぎずかといって派手すぎない、それでいてお値段もなかなかに良いものでしたので僕は即購入することを決意しました。すぐに購入の意を店員に伝えると彼はすぐに会計と包装を済ませ、にっこりと微笑みながら僕に手渡してくれました。
「お買い上げありがとうございました。きっと喜んでくださると思いますよ、なんせ情熱的なバラのリングですから。ご存知ですか?バラの花言葉。」
「花言葉、ですか?」
「ええ、バラの花言葉はですね………。」
「〝あなたを愛しています〟」
僕はそっと呟きました。その時のやり取りを思い出して自然に出た言葉でしたが、普段照れてなかなか口に出せないそれは、今となっては悲痛な響きを発するものでしかありませんでした。彼女の指にそれをはめることを楽しみにして、けれど実現できずに死んでしまった僕はそのことを未練として成仏することができなかったのです。
「………。」
僕は少し考えて彼女に一歩近づき、側にしゃがみ込みました。そして彼女の手にあるリングにそっと手を添えて、
「あ、リングが……!?」
少し力を入れると、僕が幽霊だからでしょうか?金属でできているはずのそれはこの手の中で甲高い音を立てて二つに割れました。ユイは割れて地に落ちるリングを呆然と見ていましたが、地面との接触音にハッと割れにかえると慌てて破片を手に抱えました。
信じられないものを見る目でそれを見ている彼女の額に、僕はわからないとわかっていても、唇を軽く押し当てました。
「ユイ、すてきな思い出を、思いをありがとうございました。」
そしてふわりと浮かび上がります。
「リング、というのは僕の勝手な束縛の証。だから君にはこれからも自由に生きてほしくてそれを壊しました。君の幸せな顔を見たいというのも僕のことを引きずらないで欲しいというのも僕の勝手なエゴです。けど、君に押し付けます。だから、」
〟どうか、幸せになってくださいね。〟
白く消えていく視界の中で、空を見上げた君と目が合った気がしました。
もうこの世のどこにも、僕の忘れ物はありません。