下り坂
「翔君、あたしあの雲、好き」
学期末は午前で授業が終わり、部活に入っていない翔はキキとお昼前には下校する。今も太陽がじりじり照りつけるなか帰宅している。キキがこんなことを言い出したのは長い下り坂に差し掛かったときのことだ。
「あの中にはね、空飛ぶおおきなお城があるんだってさ」
それ、ラピュタじゃん。キキは天空に立ち上る積乱雲をぼんやり見上げながら坂を下る。翔もそれにならって空を見上げる。
「行ってみたいなあ、ラピュタ。」
キキは微笑みながら言ってはいるが、その目つきはどこか物憂げで積乱雲に向けられているその眼差しは、どこか、もっと遠くを見ているようだ。
「セスナの免許でも取ってみようかな。それでラピュタまで行ってみせる。翔君も乗せてあげるよ?」
「俺は遠慮しとくよ。キキの操縦じゃおっかなくてしょうがない」
「つまんないの」
この坂からは町中が見渡せる。住んでいる家、駅前の商店街、その向こうに広がる海。二人で見上げている夏の空もここからが町中で一番広い。
でも、翔はこの街しか知らない。この下り坂から見えるものが全てだ。この景色のなかで生まれ、この景色の一部として生きている。それにこの街は結構好きだ。田舎ってほど不便を感じたことはないし、都会というほど煩雑とはしていない。死ぬまでこの景色の一部ってのも悪くない。
キキはもう頭を下げて黙々と坂を下っている。翔も言葉を発さない。聞こえるのはせみの声だけだ。高校生の男女が二人きりでいながら、手をつなぐわけでもなく、ほとんど会話もなく坂を下っている。たまにキキが思ったことを口にするぐらいで、会話になっても短いラリーで終わる。二人でいることは多いが、いつもこんな感じだ。
毎日こんな感じだけど、一日一日積み重ねていけば、いつか振り返ったときに、それが大切な思い出だと言える日が来るんだろうと思う。だからなんともない帰り道も嫌いじゃない。
だけどキキは― キキはそんな風に思ってるだろうか。この町のことも、こんな日常のことも、どう思ってるんだろう。
翔はそう思うと、ちらりとキキを見やった。キキはそこにいるし、さっきの物憂げで遠い目はしていない。深い意味はないし、直接聞けばいいだけのことだけどなんとなく聞きたくない。
それから坂を下り終えて、分かれ道に来るといつもこう言う。
「また明日……」
こう言わないと、また明日キキに会えないような気がしてならない。