ふたりの幼馴染
いつも読んでいただきありがとうございます。
他にも作品がありますので読んでもらえたら嬉しいです。
宜しくお願いします。
高校入学の日、コンビニで風香に会ってから、ちょうど一年が経った。
あの日、彼女が「好きな人があなたと同じ学校に入学するから」と、少し切なそうに笑った顔を、私は今でも覚えている。
きっと洸平のことだ。
私たち三人は幼い頃から一緒だった。風香がお金持ちの私立へ行き、私と洸平が地元の公立へ進んでも、その三角関係——いや、私が一方的に感じているだけの三角——は、形を変えて続いているような気がしていた。
でも、連絡先を交換したきり、風香からは何の連絡もなかった。
私もあえてしなかった。
洸平とはクラスも違い、挨拶程度の関係。
私はただ、日々を平凡に過ごし、唯一の楽しみは、図書室で借りる異世界転生ものの恋愛小説を読むことだった。現実が色あせて見えるほど、物語の世界に没頭していた。
そして今日も、放課後の教室で一冊の文庫本に夢中になっていた。
『竜王の花嫁』という、どこにでもあるようなファンタジーだ。
主人公の少女が謎の魔法陣に召喚され、冷徹な竜王と心を通わせていく——そんなくだりを読んでいる時だった。
足元が突然、暖かくなった。
見下ろすと、床から青白い光が漏れ出している。
教室の古いリノリウムの上に、複雑な幾何学模様が浮かび上がった。
それは、今読んでいる本の挿絵にそっくりな魔法陣だった。
「え…?」
驚きの声も喉に詰まる。
光は一気に輝きを増し、私の視界を白く染め上げた。
体が軽くなり、床が消えていく感覚。本が手から滑り落ちるのが、ゆっくりと感じられた。
そして、次の瞬間。
ひんやりとした石の感触が背中に伝わり、見知らぬ天井が広がっていた。
高い、ヴォールト天井。
色とりどりのステンドグラスから、優しい光が差し込んでいる。
どこか教会のようだ。
「おお…ついに現れましたな…『選ばれし者』が!」
甲高い、興奮した声が響く。
振り向くと、長い白髭をたくわえた老人が、分厚いローブを翻して近づいてくる。
その周りには、鎧をまとった衛兵たち。
皆、私を好奇と期待の眼差しで見つめている。
「あの…ここはどこですか? 私は楓です、高校一年生で…」
「ふう…? 妙なお名前ですが、構いません。ようこそ、ルミナリア王国へ! 我々は、古の予言に記された『異界より来たりし、闇を祓う光の巫女』を、百年の時を経てついに召喚することに成功いたしました!」
老人——どうやら宮廷魔導師というらしい——は嬉しそうに言った。
巫女? 私が? 冗談はやめてほしい。
運動も苦手だし、人前で話すのも得意じゃない。
ただの、どこにでもいる女子高生だ。
「きっと何かの間違いです。私はただ、本を読んでいて…」
「その『本』こそが、媒介の書であったのです! 貴女の世界に散らばった、我々の世界の断片。
それに触れし者の中から、最も純粋な心の持ち主が召喚される…予言はそう告げております!」
魔導師の言葉に、衛兵たちがどよめいた。
純粋な心? 私の心の中には、風香への複雑な想いや、洸平への淡い恋心でいっぱいだ。
とても「純粋」なんて呼べる代物じゃない。
混乱と戸惑いの中、衛兵たちに囲まれるようにして王宮の大広間へ連れて行かれた。
玉座には、威厳に満ちた王と、優しげな王妃。
そして、その傍らには——
息をのんだ。
銀色の鎧を身にまとった一人の騎士が立っていた。
颯爽とした背筋。
深い碧の瞳。
口元は厳格に結ばれているが、その顔立ちは、私の知る誰かにそっくりだった。
「こちらは、我が国の第一王子であり、近衛騎士団長、カイペル殿下です」
魔導師が紹介する。
カイペル…? その響きが、胸の奥でくすぶっていたある名前と重なる。
洸平。
違う。
別人だ。
この人は王子様で、目の色も違う。
でも、何故か…佇まいが、あの幼馴染の、無口で少し不器用な少年と重なって見える。
カイペル王子は一歩前に出ると、私をじっと見下ろした。
その目は探るように、私の瞳の奥を見つめようとしている。
「異界の者か」
低く響く声も、どこか耳馴染みがある。
「はい」
「名は?」
「楓です」
一瞬、王子の眉が微かに動いたような気がした。
「楓、我が国では『カエデ』は、希望の象徴である。良き名だ」
彼はそう言うと、王に一礼して、再び私へ視線を戻した。
「ならば、希望の巫女よ。我が国は今、北の闇の森より湧き出る魔物に侵食されつつある。
貴女の力が必要なのだ。
予言によれば、巫女の加護を受けた者が、『光の剣』を揮う時、闇は退散する」
私はただ、ぼう然と彼の言葉を聞いていた。
巫女の力? 私にそんなものがあるはずがない。
でも、この状況で「できません」と言える雰囲気ではなかった。
「…お手伝いできるかどうか、わかりません。でも、もし私にできることがあるなら…」
本の世界に憧れていたのは事実だ。
でも、いざ自分がその主人公の立場になると、足が震えるほど怖かった。
「それで十分だ」
カイペル王子の口元が、ほんの少し緩んだ。
それは、まるで昔、洸平が私の拙い折り紙を見て、こっそり微笑んだ時のようだった。
「訓練は私が付きっきりで行う。心配するな」
その言葉に、周りの魔導師や大臣たちがざわめいた。
王子自らが、などと。
しかし、カイペルは彼らを一瞥で制した。
こうして、私はルミナリア王国に滞在することになり、王子直々の「巫女訓練」が始まった。
訓練といっても、魔法の詠唱や剣の振り方ではなく、まずは王国の歴史や、この世界の魔力の流れについての講義からだった。
カイペルは厳しいが、不思議と私の理解の遅さに苛立つ様子はなく、時折、本の世界ではありえないようなユーモアを交えて説明してくれた。
日が経つにつれ、彼の何気ない仕草——考え事をする時に眉のあたりを触るくせ、真剣な時に唇を堅く結ぶ様子——が、記憶の中の洸平と重なっていく。
ある夜、中庭で彼が星空を眺めながら呟いた。
「私にも、失ったものがある」
「王子様でもですか?」
「ああ。幼い頃、とても大切な『宝物』を、この手で逃がしてしまった」
その側顔は、どこか寂しげだった。私は、彼の「宝物」が何だったのか、聞くことができなかった。
そして、訓練開始から一月が経った頃、ついに実戦を兼ねた北の辺境への巡視が命じられた。
馬車で揺られる道中、カイペルは突然、口を開いた。
「楓。楓の世界には幼馴染という存在がいると聞いた」
「はい。子供の頃から一緒に育った友達のことです」
「ふむ。…その幼馴染は、今も楓のそばにいるのか?」
その質問に、私は胸が少し痛んだ。
「一人は遠くに行ってしまいました。もう一人は、近くにいるのに、遠いです」
「そうか」
彼はそれ以上何も言わず、窓の外の景色を見つめた。
辺境の村は、魔物の襲撃に怯えていた。
私たちが到着した夜、ささやかな歓迎会の最中、村の外から不気味な咆哮が響いた。
闇夜から、影のような魔物の群れが襲来したのだ。
衛兵たちが応戦する中、カイペルは剣を抜き、私の前に立った。
「楓! 予言の言葉を思い出せ! 巫女の加護とは、強力な魔法などではない! それは——」
彼の言葉が続く前に、一匹の魔物が死角から私に襲いかかってきた。
反射的に目を閉じた。
その時、私の胸の奥で、温かな光が灯った。
「想いが形となることだ!」
カイペルの叫びと同時に、私の体から柔らかな光が拡がり、彼の剣を包み込んだ。
銀の刃が黄金に輝き、一閃のもと、魔物は塵と化した。
周囲が静まり返る。
魔物たちも光を恐れ、退却していった。
私は自分の手の平を見つめた。
何も変わっていない。
でも、今、光を放ったのは確かに私の中からだった。
それは、魔法でも何でもない。
ただ、この人を守りたい、この村の人々を助けたい、という一心から湧き上がったものだった。
「よくやった」
カイペルが息を整えながら、私の方を振り向いた。
汗で濡れた額に、月明かりが当たっている。
その顔は、疲れているのに、どこか安堵に満ちていた。
「王子様 私できました。」
「今の加護は、確かに本物だ。だが、楓。楓が光を放った時、何を想っていた?」
彼の問いに、私は答えた。
「王子様が、傷つきませんように、この村の人々を助けたいと」
一瞬、カイペルの目が大きく見開かれた。
そして、ゆっくりと、まるで長い間忘れていたことを思い出そうとするように、彼は口を開いた。
「私は、かつて『洸平』という名で呼ばれていた」
時間が止まった。
「幼い頃、私はこの世界の狭間を通り、偶然、貴女の世界に迷い込んだ。記憶も力も失い、ただの少年として、数年を過ごした。そして、二人の少女と出会った。一人は、太陽のように明るく、強い少女。もう一人は」
彼の碧の瞳が、まっすぐに私を見つめる。
「少し臆病で、本が好きで、でも、誰よりも優しい心を持った少女だ」
涙が、私の頬を伝い始めていた。嘘みたい。夢みたい。
「風香と私?」
「ああ。太陽の少女の名は、確かに風香だった。彼女は、私がこの世界の者であることを、最後の最後に、薄々感づいていた。だからこそ、あの日、コンビニで貴女に会った時、『好きな人があなたと同じ学校に』と言ったのだ。彼女が待っていたのは、私がこの世界に戻り、再び『カイペル』として目覚める時。そして、必ず風香を呼び寄せると約束した時を、待っていたのだ」
「でも連絡がなかったのは…」
「この世界と風香の世界との時間の流れは、常に一定ではない。彼女には、私からの伝言が届かなかったのだろう。あるいは、届くのを待つ間、彼女自身も何かを成し遂げているのかもしれない」
カイペル——洸平は、一歩近づいた。
「私は、力を取り戻し、この世界に戻らねばならない使命があった。しかし、記憶を取り戻した時、失った宝物が何だったか、ようやくわかった。それは、楓の笑顔だった。だから、百年に一度の『狭間』が開く時を待ち、古の予言を利用し、楓をこの世界へ呼び寄せた。『純粋な心』とは、他者を想う優しさのことだ。楓、貴女はまさに、それを持っていた」
彼の手が、私の涙を拭おうと伸びてきた。その手は、幼い頃、転んだ私を何度も起こしてくれた、あの手の感触と変わらなかった。
「ずるいよ。全部知ってて、何も言わないなんて」
「許せ。だが、今の私は、王子としての責務と、洸平としての想い、両方を背負っている。楓を危険に巻き込んだことは、償いきれない。…もし、貴女がこの世界が嫌だと言うなら、帰す方法を探そう。元の世界の時間は、ほとんど進んでいないはずだ」
私は首を振った。震える声で、言った。
「私、本の世界に憧れてた。でも、今は違う。ここは、私が知ってる誰かがいて私を必要としてくれる場所がある。それに…」
顔を上げ、涙で滲んだ視界の中の彼を見つめた。
「私の幼馴染は、ここにいるから」
カイペルの目に、揺らめく光が宿った。彼は深々と一礼すると、騎士としての、そして少年としての誓いを込めて、言った。
「ならば、楓。我が光の巫女よ。これからは、私が貴女を守る。二度と、貴女を迷わせたりはしない」
夜空に、二つの月が並んで輝いていた。
一つは銀色、一つはほんのり赤い。
この世界の月は、私の知っているものとは違う。
でも、隣に立つ彼の温もりは、紛れもなく、あの日のままであった。
遠い世界で、風香は今、何をしているだろう。
きっと、どこかで笑っているに違いない。
そして、いつかまた、三つの光が交わる日が来ることを、信じている。
私は、新たな世界で、失われた時間を取り戻す旅を始めた。
それは、王子と巫女の物語であると同時に、かけがえのない幼馴染同士が、紡ぎ直す恋の物語。
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