9.仄暗い執着
おすましさん……おすましさんって……。
言葉を反芻していると、そういえば普段は彼の前でがっつり猫をかぶっていたことを思い出した。
淑女教育の賜物と言っていいだろう。
感情を顕にすることを避け、年上の彼に見合うようにと、落ち着いた淑女を演じてきたのだ。
対して今は、精神体になったことで開放的な気分になっているのか、ほとんど取り繕えていない。
理性が本能に追いやられてるということだろうか?
口調は砕けているし、足もパタパタとはしたなく動いている。
まるで幼児じゃないかと恥ずかしくなって、足をピタッと止めて縮こまる。
「やめちゃうの?可愛いのに」
そういう彼の瞳はとろりと甘くて、目が合うと息が詰まりそうだ。
今は呼吸って概念もなさそうだけど。
いたたまれなさからセオルを恨めし気に睨みつけたが、残念ながらまったく効果はないらしい。
「君の楽なようにしてていいよ。どうせ、俺にしか見えないんだから」
飄々と言ってのける彼を睨みつけながら、ふと気づいた。
思わず『……待って』と低くつぶやくと、彼は「ん?」と続きを促す。
『取り繕ってないのはそっちでしょ?』
「なんのこと?」
『なにって、人が動けないのをいいことにあんなっ……!』
「あんな……なぁに?」
こてんと首をかしげる仕草が母性本能を刺激する。
年上のくせに可愛い仕草で誤魔化そうとするなんて、と叫び出したい気持ちを堪えて、ぴっとその顔に指先を突き付けた。
すっとぼけようとしても無駄だ!
『か、からだを勝手に……よ、嫁入り前のレディに対してっ』
激しく糾弾してやりたいのに、恥ずかしさが勝って言いよどんでしまう。
セオルは目を丸くして、少しだけ眉を下げた。
叱られた子犬みたいで可愛い……って違う!
「ごめん、そうだね、お嫁さんに来てもらうまで待つべきでした」
『そう……じゃなくて!!あなたの婚約者はイレーヌでしょ?!私は元婚約者に過ぎないのに、みだりにそんなことをされたら困るのっ!』
「……は?」
地を這うような低く冷たい声に、私はビクッと肩を震わせてから固まった。
さっきまでの甘ったるい視線が嘘のように、彼は仄暗い瞳に私の姿を映している。
きゅ、急にどうしたって言うのだろう。
さっきまで怒りで頭がいっぱいだったのに、今は恐怖心に支配されている。
怖くて目をそらしたいのに、怖くて目をそらせないというジレンマ。
「元婚約者、ね」
含みのある口調で、セオルがつぶやく。
向かいの座席から腰を持ち上げた彼が、私のいる座席に両手をついた。
まるで腕の中に閉じ込められたみたいで、私はとっさに肩を丸めた。
『え?えと、あの、だってお父様が』
「俺はね」
しどろもどろになりながら口にする言い訳を遮るようにセオルが言って、至近距離まで顔が近づいてくる。
目の焦点をうまく合わせられず、今すぐにでも逃げ出してしまいたいのに、蛇に睨まれた蛙のように動けない。
今の私は実体ではないのだから、いくらでも脱出できるはずなのに。
「婚約を解消するつもりはないから」
触れ合いそうな距離まで額を近づけながら、セオルが言った。
まっすぐ私を射止める視線は切実で、どこか焦燥感を感じさせる。




