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54.待ち望んだ幸福

「大丈夫ですよ」


 暗い空気にそぐわない軽さで、セオルが言う。

 涙に濡れたままのお母様が顔を上げたが、セオルの言葉の意図が見えないようで戸惑った表情をしていた。


「誤解は俺が解いておいたので」

「誤解……」

「リリーはあなたたちに見限られたと思ってたみたいで、すごく悲しんでたから」

『ちょ、拗れるから余計なこと言わないの!!』


 誤解は解いた、愛情は伝わってる。

 それだけで十分なのに、どうして罪悪感を煽るようなことを言うのか。


 セオルは喚き立てる私をチラリと見て、ほんの少しだけむっとした顔をした。


「だってちゃんと言っとかないと、またリリーが傷つくかもしれないじゃん」

『そ、そんなこと………。誤解だってわかったんだから、問題ないじゃない』

「大アリでしょ。俺は1ミリだってリリーに傷ついてほしくないんだから、そのためにできることは何でもするよ」

「あの……リアは何を……?」


 セオルの声しか聞こえない両親には、私たちがどんな会話をしているかよくわからないのだろう。

 困惑の声が溢れたところで、セオルが深々とため息をついた。


「明るく振る舞いながら、寂しそうに2人に見捨てられたんだと話すリリーの姿を見せてやりたかった、という話です。リリーは優しいからそんな話はするなと言ってますけど、俺は知るべきだと思う」

『ちょっと』

「そして本当に悪いと思うなら、ちゃんとリリーに会いに行ってあげてください」

『……っ』


 予想外の言葉が続いて、思わず言葉に詰まる。


「リリーが精神体となって肉体を抜け出せるようになったのは、俺が見舞いに来た日からです。それまでずっとベッドのうえで、ひたすら寂しさに耐えていました。侍女とメイドくらいしか訪れない部屋で、孤独に。それがリリーにとってどんなにつらかったか、少し考えればわかるでしょう」


 お母様は両手で口元を覆いながら、嗚咽を漏らしている。

 お父様も眦に涙を滲ませながら、唇を噛んでいた。


「リリーはさっき、反射的にあなたの手を握ろうとしていた。でもすり抜けてしまって、泣きそうな顔をしてた。……今、リリーに身体の感覚はないみたいだけど、あなたたちはその手を握ってあげることくらいできるでしょう。頭を撫でることも、髪をとかしてあげることも」


 こくこくと、お母様が何度も頷く。

 セオルはそれを確認してから、私に向き直って言った。


「じゃあリリーは、部屋で待っておいで」

『部屋に……』

「うん。ずっと待ってたんでしょ?きっとこれから、会いに来てくれるはずだよ」


 今同じ部屋にいるのだから、そんなことする必要はないのに。

 そう想いながらも、気づけば頷いていた。


 とっくに諦めたつもりだった。

 両親の真意を知ってからは、負担になりたくないとさえ思っていた。

 それでも本心では、ずっとずっと、会いに来てほしかった。

 自分でも見ないふりをしていた気持ちをセオルに見透かされていたことが恥ずかしくて、でも嬉しくて、泣き出してしまいそうだ。


 自室に戻った私は、ベッドの上で眠る自分の肉体にそっと重なる。

 動かない身体、静かな室内。

 その扉は間もなく開かれ、私はうっすらと開いた瞳でずっとそばにいてほしかった人たちの姿を見て、ずっと聞きたかった声を耳にした。


 ただそれだけのことなのに、どうしようもなく胸が満たされて、本当に久しぶりに幸福に浸ることができたのだった。

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