21.仄暗い思考
屋敷に滞在するあいだ、セオルは四六時中張り付いてくるのかと思っていたけど、そんなことはなかった。
当然だ。
仕事もあるし、伯爵家の跡取りとしての役目もこなさなくてはならない。
とにかく忙しく動き回るセオルが屋敷で過ごすのは、夜から朝にかけての時間だけだ。
それでもセオルは、毎日忙しい合間を縫って私の様子を見に来てくれる。
朝には「おはよう」と囁き、夜には「ただいま」と「おやすみ」を忘れない。
必要ないと言ったのだけど「おはよう」を言うと仕事のモチベーションがあがるし「ただいま」を言うと疲れが吹き飛び「おやすみ」を言うといい夢が見られるのだと熱弁されてしまえば、断ることはできなかった。
セオルのいない日中、私室で過ごす時間は静かで寂しい。
世話をしてくれるマリアやロザリーのささやかなおしゃべりだけが孤独を慰めてくれるが、それもいつもではない。
私の身の回りの世話以外にも忙しく動き回る彼女たちが、部屋にいない時間の方が長いのは仕方のないことだと理解している。
相変わらず、両親は見舞いに訪れない。
仕事や家の管理があるとはいっても、同じ屋敷で暮らす娘の顔も見られないほど忙しいとは思えないから、きっとそういうことなのだと思う。
腹立たしさとともに、どうしようもない悲しみに打ちのめされそうだ。
かつて、家族の情を疑うことのなかった日々が、今は遠い昔に感じられる。
平凡で、でも温かな食卓を囲む日々が、どれほど尊かったことか。
あの席に、また私が戻れる日は来るのかな。
そんな儚い夢を見る自分を嘲笑する。
たとえ元の身体に戻ったとしても、家族の関係は元に戻せはしないだろう。
両親がまた私を愛してくれたとしても、一度切り捨てられた事実が消えることはないのだから。
イレーヌはきっと、今も私を案じてくれている。
優しい子だから。
でも彼女はこの部屋には訪れないはずだ。
両親がきっと許してくれない。
それに私は、今もあの子を裏切る想いを捨てきれずにいる。
ああ、気分がどんどん沈んでいく。
いっそ、精神体になってどこか遠いところへ飛んでいきたい。
肉体とのつながりが途切れるほど遠い場所で、誰にも知られぬまま消えてしまいたい。
「ただいま」
仄暗い思考のぬかるみに沈んでいく私の耳に、聞き慣れてきた挨拶が降ってきた。
「今日も遅くなってごめんね。会いたかった」
うっすらと目を開けている私に見えるよう、顔を覗き込みながらセオルが言う。
少しだけ疲れた顔をしている。
負担をかけている事実に、胸が痛んだ。
私よりも自分の身体を優先するって約束したのに。
バカな人。
文句の一つでも言ってやりたいものだけど、あえて沈黙を貫く。
決めたのだ。
このまま彼に依存してしまわないために。
このところのセオルは失礼だし、バカみたいなことばかりするけれど、惜しみなく与えられる愛情は素直に嬉しい。
素直に口にはできないけど。
でも一方で暗い感情も募っていく。
妹への罪悪感だけじゃない。
それももちろんあるけど、時間が経つごとに膨らんでいくのは、自己保身ゆえの不安だ。
いつ手のひらを返されるかなんてわからない。
今は私に向けられている愛情が、いつまでも続くはずがないと知っている。
明日になれば、セオルは屋敷を出ていって二度と戻ってきてくれないかもしれない。
そして妹と……あるいは他の令嬢とあっさり結婚して、幸せな家庭を築くのだ。
もしもそうなったらーー……想像するだけで、心が壊れてしまいそうになる。




