第1話:黒い蛙
カクヨムで主に書いております。
時代小説寄りの和風ファンタジーなラノベです。
読みやすさをがんばって追求した文章に、少しでも進化していると感じていただければ嬉しいですw
大津宿に続く畦道で、黒い蛙がぴょんと跳ねた。
光沢のない黒は漆黒の闇夜のよう。
「うわっ!」
京志郎は大仰にその場で飛び上がった。
黒い蛙が赤い瞳でじっと見つめてくる。まるで観察されているかのような気分だ。
しばらくして、蛙は向かいの茂みへとすっと消えた。
「……黒い蛙、か。不気味だな」
深い溜息を吐く京志郎の胸中に一抹の不安がよぎる。
黒い蛙を目にするようになって――今日で七日目。
なにか悪いことが起きる前触れのように思いつつあった。
――歩を再び進めると、大津宿のにぎやかな喧騒が遠くより聞こえる。
東海道五十三次最大の宿場町の活気は、いつも祭りのように賑やかだ。
町に入ってすぐに香ばしい香りが鼻腔をくすぐった。
鮭の匂いだ。金網で焼かれる姿を想像すればたちまち涎が滴る。
(そういえば、もうすぐ昼時だったか……)
京志郎は近くの店にふらりと立ち寄った。
まんぷく亭という店は、言葉悪くして言えば今にも倒壊しそう。
にも関わらず、多くの客で店内はごった返していた。
(それだけうまいってことか。期待していいだろう)
京志郎はそう思った。
しばらくして――
「いらっしゃい!」
と、若い娘が出てきた。
栗色の髪に赤い瞳とは稀有である。
端正な顔立ちではあるが、まだあどけなさがそこに残る。
なるほど、と京志郎は納得した。
(違和感の正体がわかった。こいつら、この娘が目当てで来ているらしいな)
料理の進みは早くはない。そればかりかなかなか口へ運ぼうともしない。
(飯はまずいが、娘には会いたい。大方そんなところだろうが……)
来る場所を間違えた。京志郎は内心で大きな溜息を吐いた。
「お席が空きましたので、どうぞ」
件の娘に促されて渋々席に着く。
目の前の格子窓からは、人々の行き交う光景がよく見えた。
不意に、あるものが京志郎の視界に移る。
また蛙だ。相変わらず体は漆黒の如く黒い。
人ごみの中で、ただじっとする蛙を京志郎も静かに見返す。
「お前の目的はいったいなんだ?」
そこまで口にして、自嘲気味に鼻でふんと一笑する。
蛙が人語を介するわけなどない。至極当然の常識だ。
気が付けば、蛙は忽然と姿を消していた。
「よぉそこのお嬢さん。刀なんか差して物騒だな。そんなことより、俺に酌をしてくれんか?」
隣の席にいる男の顔は茹でたこのように赤い。
口を開けば濃厚な酒の臭いがふわりと漂う。
机の上にはいくつもの徳利があった。相当飲んだようだ。
そして肝心の代金が支払われた様子はなし。
「……酌ならば他の物に頼め。俺はやらん」
「そういうな。お前ほど美しい女は、俺に尽くしてこそ価値がある」
「女か」と、京志郎は鼻で一笑した。
(どいつもこいつも……皆して俺を女と見やがる)
内心腹立たしく思いつつも、京志郎は男に真実を告げる。
「残念だが俺は男だ」
「はっ?」と、男が素っ頓狂な声をもらした。
よく女と間違えられる。それほど京志郎は女性的だった。
白い肌、精巧な人形のように整った顔立ち。玲瓏な声。着物さえ整えれば、誰も男だとは思うまい。
一方で京志郎は、未だ己の容姿を認知できずにいた。
どうして。今日もまた自らにそう問う。納得のいく回答は、まだ出ない。
くしゃりと濡羽色の髪を撫でて、京志郎は深い溜息をもらした。
「お待ちどうさま。焼き鮭定食です」
「ありがたい」
京志郎は手を合わせて――
「いただきます」
と、早速箸を手に取った。
皿の上では見事なまでの赤い鮭が鎮座している。
香ばしい匂いに釣られるように、京志郎は箸を伸ばした。
一口――嬉々とした彼の顔から笑みがすぅっと消える。
(……まずい!)
京志郎は唖然とした。
焼くだけのはずが、どうしてこうもまずくなるのか。
それがとにもかくにも不思議で仕方がなかった。
(飯のまずさよりも、この娘に会いたい気持ちが勝つか……)
結局京志郎はなんとか食べ切った。
他の客と同じように彼の顔はひどく青白い。
「……他の店で口直しするか」
京志郎はすこぶる本気でそう思った。
満足感も得られないまま店を後にした時――
「またきてくださいね」
と、娘がにこりと笑った。太陽のように明るい笑みである。
「気が向けば」
と、京志郎はそそくさと逃げるように立ち去った。
二度といかない、とそう心に固く誓って――。
次の店を定めるべく物色していたところに――
「おや、京志郎はんやないですか」
と、ひろりと町人がやってきた。
大五郎といった。三度の飯よりも噂好きとして有名でもある。
とはいえど、そのほとんどが眉唾もので真実だった試しが一度もない。
「今日も相変わらずお美しいことで。その様子やと、また勘違いされたようやな」
「放っておけ――今日もまたろくでもない噂話でも持ってきたのか?」
「失礼な。ワテが一度でも嘘を持ってきたことがありましたか?」
「本気で言っているのなら失笑ものだぞ」
京志郎はほとほと呆れている。
「それで? 俺にどんな用があるんだ?」
「噂話……と言いたいところやけど、ヤタガラスからの仕事の話です」
「仕事か」
京志郎は目をすっと細めた。
遠くを見据える彼の視線は氷のように冷たく、刀のごとく鋭い。
「仔細を」
「へい。こちらですわ」
一枚の人相書きに京志郎はすっと目線を落とす。
人斬り源八――夜な夜な血刀を振るう冷酷な辻斬り。
これまでに斬った数はゆうに百を超える。
「これまでに数多くの賞金稼ぎが挑んだそうやけど、まぁ結果はご覧のとおりってわけや」
「そこで俺に白羽の矢が立った、か……」
「……せやけど、この源八という男。実は妙な噂があるみたいで」
大五郎は難色を示し、わしゃわしゃと頭を掻いた。
「噂というのは?」
「さすがのワテもこればかりは嘘やろうとは思ってるんやけど――」
源八は人に非ず――鬼である。
逆立つ長髪。血のような瞳。五尺もの大太刀を軽々と振るう超人的な膂力。
もはや人の域に非ず。故に源八は鬼である――と、巷ではこのように噂されるようになった。
「まさか」と、京志郎は鼻でふんと笑った。
鬼などまやかしだ、そんなものが実在するわけがない。
そう思った。
(だが、面白くはある)
鬼退治とは、御伽噺の中ばかりと思っていたが。
想像する。年甲斐にもなく心が大きく弾んだ。実に面白そうだ。
「というわけで、ちゃちゃっとお願いしますわ」
「心得た」と、京志郎は人相書きを懐にしまうと意気揚々とその場を後にした。




