第9話 守護霊たちの決裂
「成仏」という言葉が守護霊たちの脳裏をかすめて以降、二人がその話題に触れることはなかったが、共同戦線はそこはかとないぎこちなさを帯び始めていた。
いつもの夫婦漫才さながらの掛け合いは、どこか息をひそめていた。
さはさりながら、そんなことなど知る由もない水帆の日常は続いていく。
史也について思い悩む日々を過ごしていた水帆だが、気づけば脳内における史也のシェアは以前と比べ下がっており、オタクとしてのアイデンティティと葛藤することも徐々に少なくなっていた。
七海と由利や、拓実と過ごす何気ない時間が、彼女をそうさせたのだ。
これは守護霊たちにとって、紛れもなく”いい兆候“であった。
――そんな流れを断ち切るがごとく、あの男は再始動した。
何を隠そう、史也は、第二候補の七海にそれとなく水を向けてみたものの、意外と女の友情に厚い七海からは、取り付く島もなく誘いを一蹴されてしまったのである。
”やはり初志貫徹が大事”、と自分自身を正当化させた史也は、改めて水帆にロックオンしたのだった。
【水帆ちゃん、久しぶり! この間はごめんね。もしよかったら、デートのやり直し、させてもらえないかな……?】
【(お願いしますのスタンプ)】
水帆に届いたLIMEを、守護霊たちは水帆の背後からしっかり確認していた。
「あいつ、最近鳴りを潜めてると思てたら、まーーーた動き出しよった。チャラ男のくせに純情ぶりやがって。ほんまきしょいわ」
「ダイキくん、言い過ぎですよぉ。史也くん、もしかしたら心を入れ替えたのかもじゃないですか」
「レイコも水帆もちょろすぎやて。レイコ、お前は特に、史也の裏の顔見たのになんでまだそんな甘いことが言えるんや?」
「で、でも……史也くんも極悪人というわけでもないですし、もう少し様子を見てみても……」
歯切れ悪く食い下がるレイコに、ダイキは珍しくいらだちを露わにする。
「レイコ。お前は性善説すぎんねん。人の悪意に鈍感すぎると、また搾取されるだけやで」
「『また』って……ダイキくん、どういうことですか」
しまったという顔をしたダイキだが、もう取り消すこともできない手前、言いづらそうに続けて呟く。
「……レイコの旦那が、レイコを大事にしとったとは俺には思えへん。お前が30そこらで亡くなったのも、……旦那となんかあったからちゃうんか」
「…………わたしが死んだのは、わたしが弱かったから。……主人は……カズオさんは、わたしのことを、大切に思ってくれてたはずです……」
レイコの普段の伸びやかな話し方は影を潜め、掠れた声で絞り出すようにそう言った。
「……見に行くか。実は、見当はついとる」
「え? 見に行くって? 見当って……?」
ダイキは黙ったまま顎で方角を示し、レイコについてくるよう促した。
◇
レイコの生前の夫、カズオは、水帆の家からそう遠くない一軒家で、現在の妻と、その妻との間に設けた大学生の娘と三人で暮らしていた。
玄関先には、この夫婦の結婚記念日らしい“H1.2.15”という日付が刻まれた写真立てが飾られている。
写真に写るのは、気の強そうな女性と、情けなさそうな笑顔を浮かべるカズオだ。
どうやらこの家庭の大黒柱は、心理的にも、経済的にも、妻が担っているようで、カズオはすっかり尻に敷かれている様子である。
「弁当二人分、よろしくね」
そう妻から指令を受けたカズオは、せっせと可愛らしいおかずを作っていた。
レイコはカズオの頭上からその姿を目にし、――言葉を失っていた。
「あ、あのカズオさんが……お弁当??? ……た、タコさんウインナー??? 『九州男児たるもの台所に立つなんてあり得ん』、ってあんなに言ってたのに……」
「……こいつは芯のある九州男児なんかやない。本質は今みたいに長いものに巻かれるようなやつや。ただ……レイコの優しさにつけこんでただけやと思う」
「……でも、カズオさんは、わたしがいないと何もできないって、……いつもわたしを必要として……」
「レイコ。それが本当に“大事にされてる”ってことと違うのは、本当はお前も気づいてたし、ちゃんと傷ついてたんとちゃうか。……だからこそ、死んですぐ成仏せんとまだここにおるんやろ」
ダイキの言葉に、レイコは首を振りながら珍しく声を荒げる。
「そんなこと言わないで! それならわたしの人生は何だったって言うんですか! わたしは……わたしは傷ついてなんかいないし、わたしの人生は素敵なものだった!!!」
レイコの大きな声に、ダイキも思わずつられて大声になってしまう。
「ほんならなんで! 今、水帆の守護霊になって、水帆の恋応援しとるんや! 本当は水帆と自分重ねて、自分の後悔を投影してたんと違うんか!!!」
レイコは唇を噛みしめて恨みがましくダイキを見つめる。
いつも優し気に細められているその目は、いまや大きく見開かれ、ぼろぼろと涙が流れ落ちていた。
「……ダイキくんに言われたくないです。あなたも、水帆ちゃんと、……コハルちゃんを重ねてるくせに。自分の後悔を投影してるのはあなたもでしょう? ……わたし、分かってるんですから」
いつも穏やかなレイコから放たれた切れ味鋭いその言葉は、ダイキの胸に深く突き刺さる。
こんな言葉を、こんな声を、こんな表情を見せるレイコを見るのは、初めてだった。
ダイキはそれを受け止めるのに精いっぱいで、何も言葉を返すことができなかった。
レイコは、そんなダイキを涙目でしばらく見つめた後、何も言わずに背を向け、そのまま姿を消した。
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