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 コハルは、幸せ絶頂のその日以降も、概ね満ち足りた日常を過ごしているように見えた。


「彼、忙しいみたいで、あんまり頻繁に会えへんのやけど……でも、その分たまに会えるとめっちゃ優しいねん!」


「……へえ」


 ダイキは無表情で、さらりと答えた。

 繰り返される惚気にも、2か月が経つとさすがに免疫がついてきた。

 自身の心を守るために、惚気の内容は嚙み砕かないと心に決めていたダイキは、この日の発言も、特に気に留めることなく受け流していた。


 コハルの惚気がぱったりと止んだのは、その少し後だった。

 やや怪訝に思ったダイキだったが、当然自ら望んで聞きたい話ではないため、特にこちらから水を向けることもなかった。


 しかし、それはあの最悪の出来事の前兆であった。


 ◇


 その日はひどい土砂降りだった。

 あまりの悪天候に、友人との夕食の予定をキャンセルして巣ごもりしていたダイキに、突然電話がかかってきた。

 発信者はコハルの友人の女子だった。

 普段ほとんど連絡をすることのない彼女からの突然の電話に、ダイキは少し胸騒ぎがした。


「……もしもし」


「ダイキくん? ……ねえ、コハルと連絡とれとる?」


 彼女は焦った声で問いかける。


「先週メール送ったきり返ってきてへんけど。なんで?」


「わ、私……コハルの彼氏が他の女の子と一緒に家入るところ見てもうて。それで今日、コハルにそのこと言ってん。ほんなら、本人に確認するって、コハル、彼の家に向かってもうて……。でもそれきり何度連絡しても反応あらへんし、私心配で……」


「……分かった。俺からも連絡するわ」


 そう言い切るか言い切らないかのうちに、ダイキは電話を切って家を飛び出していた。

 胸騒ぎが先ほどよりもうるさくなってきた。

 コハルの彼氏の家、確か上本町あたり言うとったよな――これまで受け流してきたコハルの惚気を記憶の底から必死に掘り起こしながら、ダイキは駆け出した。


 片手に傘を持ち、もう片手に握った携帯電話で、コハルに電話をかける。

 コールが10回ほど空しく鳴り、ダイキが諦めかけたその時、


「…………ダイキ……?」


 コハルがか細い声で応答した。背景ではザアザアという雨の音が聞こえる。


「コハル!? いまどこにおんねん!?」


「…………ダイキ……。私な、雨の中傘も差さんと歩くとか、……ドラマとか映画の中だけやと思ってた。けどな、……ほんまに傘も差せなくなることもあるんやな」


 コハルは質問には答えず、かろうじて聞き取れれる程度の声で独り言のようにそう言った。


「コハル、どうした? どこにおるか言うてくれ」


 ダイキは焦りからつい大声を出す。コハルは相変わらず生気のない声で続けた。


「彼の家行ったら女の子いてんけど……、でもそれだけやなかった。…………八股やって。しかも私……、八番目なんやって。……なかなか会えへんわけやわ。一週間毎日デートしても、私の番は来うへんのやもん」


「…………コハル……」


「……毎回、久しぶりやってわくわくして、可愛くしとって……ほんまアホや、私……」


 コハルから伝えられたにわかには信じがたい事実に言葉をなくしながらも、ダイキは彼女を探して走り続けていた。


 そして、ついに目の端に彼女を捉えた。


 白いワンピースを着て、ずぶ濡れになりながらフラフラと夜道を歩くコハルは、幽霊にしか見えなかった。

 光を失った彼女の目には、道路の対岸の赤い光を認識する力はもはや残っていないようだった。

 コハルはそのままフラフラと赤信号の灯る車道に躍り出た。


 ダイキのもう片方の目の端には、まさに車道を通り過ぎようとする大型トラックが映っていた。

 瞬間、ダイキは、傘を投げ出してコハルの元に駆け寄った。


「コハル!!!!」



 ドンッ!!!! キキ――――ッ!!!!

「きゃああぁぁあ!!!!!!!」



 鈍い衝突音と急ブレーキ。そしてコハルの悲鳴。


 ダイキは、遠くなる意識の中でも、コハルと自分がトラックに衝突したこと、そして、――それが彼らの人生の終幕となるであろうことを、直感的に悟っていた。


「……コハル」


 薄れゆく意識をつなぎとめようと、ダイキは最愛の女性の名前を呼ぶ。

 せめて最後に、彼女の顔を見て、彼女の手を握って逝けたなら。

 そう思って血で汚れた手をコハルに向けて伸ばす。


 しかし、彼女の体は、その手の届かない距離に転がっていた。

 かろうじて見えたその顔、その唇は、弱弱しく「ごめんね」の形に動いたきり、開かれることはなかった。


 ダイキの伸ばした手は空のまま、血の海に染まっていく。

 その絶望に涙を流す暇さえなく、彼はその後間もなく意識を手放した。


 ――これがダイキの、命あるうちの最後の記憶だった。




「……てな感じで、俺は上本町の道路で死んだ。しばらくは道路脇に花やら飲み物やら供えられとったみたいやけど、俺が霊として戻ってきた頃にはもうほとんど枯れとった。けど――」


 ◇


 平成22年の夏、水帆はお盆のため、大阪の祖父母の家に帰省していた。

 ご先祖様のお墓参りに行く道中、彼女は、道路脇に枯れた花束が置かれているのを見つけた。

 それはあまりにさりげなく、現に彼女の両親はその存在に全く気付いていなかったが、なぜか彼女はそれがどうしようもなく気になったのだ。


「おかあさん、さっきのんでたお水ちょうだい」


 そう言って母親からペットボトルの水を受け取った水帆は、父親が運んでいた墓前のお供え用の花束から、百合の花を一本こっそりと抜き取り、ペットボトルに差し込んだ。

 そして、それを枯れた花束の隣にそっと置いて、にっこりと微笑んだ。


「お花、きれいになったね!」


 気づけば霊となってこの世に舞い戻ってきてしまったダイキは、数週間ずっと、もはや誰も弔うことのない自分の死に場所を無感情に眺めていた。


 水帆の行動は、ただの子供の気まぐれだったのかもしれない。

 それでも、ダイキはその行動に、死後初めて感情を揺さぶられた。


 それどころか、生前にもほとんど泣いたことなどなかった彼の目からは、気づけば涙が流れていた。

 思えば、彼は、失恋したその日から、意識的に心を無にすることに努めていて、自らの抱える悲しさや悔しさと正面から向き合うことはしなかった。


 そうして目を反らし続けて、積もりに積もった感情が、少女の些細な優しさに触れて、ついに溢れ出したのだった。


 ◇


「戻ってきてしばらく、死んだ道路から動けへんかった。俺、地縛霊ってやつになったんかなって思てたけど、水帆に会ってから、何故か動けるようになった。それからは、ずーっと水帆の後ろについて見守ってきた。……まあ、俺が水帆の守護霊になったんは、そんなわけや」


 ダイキは長い回想話を終え、ようやくレイコに視線を戻す。

 そこには、涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔をしたレイコがいた。


「うっ……そんな……ダイキくん、辛すぎますぅ……。これからは、いっぱいいっぱい楽しいことしましょうね!! もう悲しいことなんて起こさせませんから……!!」


 レイコはダイキの両手を握りながらそう繰り返す。


 ダイキは照れくさそうに目を反らしながら、


「なんでレイコがそんな泣くんや。……まあ、レイコも水帆の後ろ来てくれてからは、退屈してへんし……前より楽しい、かもな」


 と呟いた。


 その言葉に、レイコは相変わらず涙にまみれた顔をぱあっと明るくして、


「よかった……! 私もダイキくんと一緒で毎日楽しいです……! これからも、一緒に水帆ちゃんの恋応援したり、他にもたくさん、いろんなことしましょうね!」


 と握ったままの両手をぶんぶん振った。


 霊のはずのレイコの手は不思議と温かく、ダイキはその手の熱に、あの夏以来15年ぶりに涙が出そうになるの必死に堰き止めようと、何度も瞬きを繰り返した。


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― 新着の感想 ―
ダイキさんの生前の物語。やっぱりヤバいくらい悲しい話でした。水帆ちゃんとこんな形で交差してたんですね。 レイコさんにも彼女のストーリーがあるんだろうな。ていうか、キャラの作りこみがすばらしい! 史也…
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