それぞれの人生、それぞれの思い
井上史也は存外ネガティブな男であった。
しかしながら、それを覆い隠すかのように、常時幾層にも重ねて虚栄心を纏っているため、実は彼自身も、彼の本質がネガティブであることに気づいていない。
だがその週末、史也は珍しくその本質と直面せざるを得なくなっていた。
「万全なはずだったのに……髪、ダサいとこ見られた……最悪すぎる。嫌われたかも」
史也が街中で突然濡れ鼠と化してからすでに丸一日が経過していたが、いまだに立ち直れていない様子である。
実際には、水帆は史也の髪のことなど1ミリも意に介しておらず、むしろ問題は“オタク下げ発言”の方であったのだが、――それに気が付いていないのもいかにも彼らしいと言えよう。
彼は鬱々とした表情でスケジュール帳を開く。その週の欄には、
【木曜日 分子生物学講義→デート誘う】
【土曜日 デート当日! カフェランチ(候補:ガレット、イタリアン)→映画(恋愛もの。候補:『#ウソから始まる本気の恋』、『彼はオオカミくん』)→道玄坂ホテル】
と、細かい文字でびっしり計画が書かれていた。それを改めて眺めた史也は、
「せっかく完璧に計画したのに。水帆ちゃんが無理ゲーなら、もう第二候補の七海ちゃんに切り替えようかな」
ため息交じりにそうつぶやいた。
水帆の友人、七海と由利の史也評は、いずれも概ね的を射ていた。
「マメそう」という七海の評価が外れていないことは、スケジュール帳の書き込みを見れば一目瞭然である。
彼の自信に満ち溢れた振る舞いは、綿密な計画とシュミレーションに裏付けされたものだった。
一方で、由利の「ダメ男センサー」が正しく作動していたこともまた、ここまでの彼の言動から容易に判定できるだろう。
李徴子さながら、というにはおこがましい、彼の小さな “臆病な自尊心”を塗り固めた承認欲求は、時に「異性への節操のなさ」あるいは「優位性の誇示」という形で具現化する。
つまり、――より簡潔に、俗な言い方をするならば、「こじらせてるが故にチャラついてしまうし、イキってしまう」ということだ。
そんな等身大のダメ男が、井上史也という男であった。
◇
その男の内面にどんな本質が内在しているかは、守護霊、特にダイキにとっては大きな問題ではなかった。
水帆を弄んでいるという事実、それさえあれば、史也を敵と認定するには十分であった。
「土曜日の変」を想定以上の成果とともに終えたダイキは、翌週に入ってもなお上機嫌だった。
「いやー、にしてもほんまうまくいったな。この調子で、俺の水帆に近づくクズ男は俺が成敗したるわ」
腕を組みながらうんうんと頷くダイキに、レイコは以前から抱えていた疑問をぶつける。
「そういえば、ダイキくんって、いつも『俺の水帆』って言ってますよね。生前、水帆ちゃんと関係あったりするんですかぁ? もしかして好きだったとか……!」
「んなわけあるか。俺が死んだ頃、水帆はまだ小学校にも入ってへん。水帆は俺の……娘みたいなもんや」
ダイキはどこか懐かしげな表情を浮かべて、遠くを見つめている。
「む、娘ですか? ダイキくん、そんな歳でもないでしょうに」
「そうやな。でも、水帆が5歳のとき、俺は水帆に出会って、それ以来、この子を幸せにするって決めて、今日までずっと見守ってきた」
「5歳……ですか。それは確かに親目線になってしまうかもですけど……でも、どうしてそこまで――?」
「…………俺が死んだんは、交通事故やった」
いまだ遠くを見つめていたダイキは、レイコの質問には嚙み合っていないようにも思える返事をした後、今後は眉根を寄せてぎゅっと深く目を瞑った。
◇
「ダイキ、私な、……彼氏できてん!」
くしゃっとした笑顔が可愛らしい小柄な女の子が、少し照れくさそうに、しかし喜びを隠しきれない様子で隣の男に話しかける。
「……へえ、あいつと付き合ったんか。よかったやん。……幻滅される前に、俺が『コハルは寝てるとき白目剥いてるけどええんか』って伝えといたらんとな」
「うわ、ひどない!? 人の初恋台無しにするつもり!? ていうか、白目剥いて寝てたのは小さいときだけやし……」
コハルというらしい女の子は頬を膨らまして抗議する。
「いや、先週もばっちり剥いとったって、おばさん言っとったで。じゃあ俺、もう帰るから」
ぶっきらぼうにそう言いながら、ダイキはすでにコハルに背を向けていた。
ダイキとコハルはいわゆる幼馴染だった。
物心つく前から一緒に過ごしてきて、お互いがお互いのことは大体何でも知っていると思っていたし、現に、ダイキはコハルの大部分を理解し、把握していた。
しかしながら、コハルはダイキについて重大なことを知らなかった。
ダイキは、コハルのことが好きだった。幼稚園生の頃からずっとだ。
不器用なダイキは、コハルに思いを告げることはせず、幼馴染として隣に居続けることを選択した。
だから、いつかこんな日が来ることは分かっていた。
――それでも、コハルに彼氏ができたこの日、ダイキとコハルの初恋は、同時に正反対の結末を迎えたのであった。
「ふう」
一人帰宅したダイキは、誰もいないリビングのソファに深々と腰かけて息を吐く。
思ったより冷静に反応できたんじゃないか、と心の中で珍しく自分を褒めてやった。
おしゃべりなコハルは、日頃から繰り返しダイキに恋愛相談をしていたので、コハルの恋の相手が、彼女と同じバイト先の年上の男であることも知っていた。
一度こっそり彼女のバイト先を覗いた際、しっかりと確認したその男の印象は、ダイキにとっては到底いいものとは言えなかった。
その男は、自分の恋敵であるということを差し引いても十二分におつりが来るくらい、「いけ好かない」と直感で感じさせる雰囲気を纏っていた。
それでも、ダイキは、コハルの気持ちを尊重していた。
彼女がどんな風に彼を好きになり、どんな風に日々思っているのか、――本当は今にも耳を塞ぎたかったが――毎日のように聞かされていたからだ。
それを、無言で受け止めるのが、彼なりの愛だった。
ダイキがそれを後悔したのは、悲喜こもごものこの日から、約3か月後のことだった。
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