第18話 風(最終話)
どれくらい、そのまましゃがみこんでいただろうか。
無機質な真っ白い空間には、しばらくダイキの嗚咽だけが響いていたように思われた。
しかし、彼はようやく、自らの嗚咽に混じる、自分のものではない啜り泣きの声があることに気が付いた。
そしてそれは、聞き覚えのある女性の声だった。
「…………レイコ?」
ダイキは思わずそう呟くが、返事はなかった。
「……レイコ!! そこにおんのか!?!?」
今度は声を張り上げて、もう一度その女性の名前を呼んだ。
すると、啜り泣きがぴたりと止み、どこからともなく女性の声で返事が返ってきた。
「…………ダイキくん? そこにいるんですか!?」
レイコはダイキと全く同じことを問いかけていた。
二人とも、空間越しに会話しているこの不思議な状況に全く頭が追いつかず、困惑するばかりだった。
「……俺は今、白い空間におって、天国の入り口みたいなんが見えたとこや。レイコはどこにおる?」
「わたしも同じです。白いところをずっと歩いていたら……天国っぽいのが見えて……それで……」
レイコは皆まで言わなかったが、ダイキはすぐに、彼女が自分と同じ思考を辿ったのだと悟った。
――つまり、白い空間はそれぞれの“道”で、すべてこの天国に繋がってる?
ダイキは即座に頭を回転させ、一応の結論に辿り着いたが、自分の考えを信じきることができずにいた。
――もしまた自分の仮説が間違っていたら。また、自分のせいで取り返しのつかないことになってしまったら。
そう思うと、それを言葉にして発することはできなかった。
しかし、そんな彼の心を見透かしたかのように、レイコが言った。
「ダイキくん。……”天国”、行ってみませんか」
人生で二度と聞くことのないであろう誘い文句に、ダイキはたじろいだ。
「……でも、俺の見てる“天国”とお前の見てる“天国”が同じとは……」
「でもわたし、ダイキくんに会いたいです。ここにいたって、きっと会えることはない。……それなら、1%でも会える可能性に懸けたいんです」
ダイキは、うじうじと二の足を踏んでいた自分を恥じた。
レイコはとっくに腹をくくっていたのだ。
ああ、自分が好きになったのは、真っ直ぐな優しさと、芯の強さ、そして行動力を併せ持ったこの女性だったのだと、改めて腑に落ちた気持ちだった。
「……分かった。じゃあ、せーので踏み出すで」
「……はい!」
「「せーのっ!!」」
“天国”に足を踏み入れた瞬間、ダイキとレイコは花々の咲き乱れる美しい景色の中、向かい合っていた。
その美しさとは裏腹に、二人の目は真っ赤に泣き腫らされ、顔はぐちゃぐちゃで、なんともちぐはぐな光景だった。
あれほど伝えたいことがあったはずなのに、お互い、すぐに言葉を紡ぐことができなかった。
そよそよという風の音と、遠くから聞こえる小鳥のさえずりだけが、二人の背後に流れていた。
「……会えましたね」
レイコがようやくそう一言呟いた。
その顔は、泣きながら笑っていた。
「なんやねん、涙返せや、ほんま」
まだ涙の止まっていないダイキも、涙声でそう返した。
「……つまり、どうなったのか、ダイキ先生、解説お願いできますか?」
レイコは早くもいつもの調子に戻っていた。いや、敢えてそうしようとしていたようにも見えた。
ダイキはポリポリと頭を搔きながら苦笑する。
「……また仮説やけど。俺の前言った、“目的”があればそのままおれるってのは、半分合ってて、半分間違うてたのかもしれん」
「半分……?」
「つまり、“目的”が俺らの存在理由になってるってところは合ってた。やけど、主である水帆の恋を応援するっていう、守護霊としての目的を達成した以上は、現世にいる理由がなくなったから、現世にいることはできなくなった。その意味では間違ってたってことや」
「“二人で一緒にいる”っていうのが新しい目的だから、現世じゃなくて“天国”に存在が移動した、っていうことでしょうか?」
「……やないかと思う」
「……ふふ、なんだぁ。神様、思ったより意地悪じゃなかったですね」
レイコは安心したように笑い、ダイキにもようやく柔らかな笑みが戻ってきた。
そして、二人の唇は、また同時に動いた。
「俺……」
「わたし……」
完全なるデジャブに、二人は思わず吹き出す。
が、その先の展開は以前とは異なるものとなった。
「悪いけど、今度は俺から言わせてくれ。……レイコ。俺はお前が好きや。これからも……一緒にいてほしい」
ダイキは、今度は譲らなかった。
彼の真っ直ぐな言葉に、レイコは、満面の笑みを浮かべながらも、その目からは涙が次々と溢れていた。
「はい、わたしもダイキくんのことが、大好きです! ずーっと一緒にいましょうね!」
ダイキは強くレイコを抱き締めた。
レイコもその背中にぎゅっと腕を回す。
二人を包む色とりどりの花畑に、もはや残酷さは微塵もなかった。
むしろそれは、二人の幸せに彩りを添える景色として、この上ないものであった。
◇
ひとしきり幸せを噛みしめたダイキとレイコの脳裏によぎるのは、やはりあの二人のことだ。
現世を覗く方法がないかとあれやこれやと”天国”を探索した”二人は、ついにその場所を見つけた。
「この“蓮の池”! 覗き込むと現世が見えますよ!!」
「おいおい……こんなん“蜘蛛の糸”やないか。俺ら、お釈迦様にでもなったんか?」
ダイキは苦笑しながらも、その“蓮の池”の鏡のように美しい水面を覗き込む。
そこには、確かに現世が映っていた。
“天国”とは時の流れが違うのであろう、水帆と拓実は付き合って数週間が経過しているようであったが、いまだ初々しいカップルの雰囲気を醸し出していた。
「わぁ、いました! 水帆ちゃんと寺ちゃん! 仲良く歩いてます!」
仲良く歩いている、という表現に相違はない。
しかし、よく見れば、拓実は水帆と手を繋ごうと右手を伸ばしては引っ込め、伸ばしては引っ込め……と、もどかしい動きを繰り返していた。
「……まったく、この間までのゾーンに入ってた拓実はどこいったんや」
ダイキはやれやれと首を振る。
「応援しようにもここからじゃ声は届かないですし……。もう、わたしたち現世には戻れないだろうから、二人に会うこともできないですね……」
レイコは寂しそうにそう呟いた。
「……まあ、寂しいけど、大丈夫や。あいつらなら。俺らは黙って、今までよりちょっとだけ高いとこから見守ろ。それに、頼れる友達もおるしな」
そう言ったダイキの脳裏に浮かんでいたのは中庭でパーティーに興じる女三人衆だった。
レイコはその言葉に微笑みながらも、やはり寂しさを隠せない様子である。
「でも、やっぱり、最後に少しだけでも、二人の背中を押してあげたいですね……」
「まあ……それは、ちょっとした奇跡ってやつを、信じるしかないな。神様、意外と話の通じるやつみたいやし、期待しとこ」
ダイキはそう言って笑うとレイコの肩を叩いた。
二人はそのまま寄り添いながら、優しい顔で眼下の水帆と拓実を見守っていた。
◇
拓実は、水帆から返事をもらったあの日以降、ダイキとレイコの姿が一向に見えないことが気がかりだった。
――やはり、“成仏”してしまったのだろうか。もう会えないのだろうか。きちんとお礼も言えていないのに……。
水帆と付き合い始めて幸せ絶頂のはずの拓実だったが、ふいにそんな寂しさと後悔に襲われ、完全に晴れやかな気持ちになれずにいた。
また一方では、水帆との次の一歩に踏み出せない自分にもやきもきしていた。
――あぁ、情けない、俺。なんで怖がっちゃうんだろう。こんなとき、レイコさんとダイキさんがいたら……。
そんな他力本願な思考は、彼をさらなる自己嫌悪に陥らせるだけだった。
その日も、拓実は成果を出せずにいた。
今日こそ手を繋ぐ、と決めたはずなのに、どうにも最後の一歩が踏み出せず、伸ばした手を何度も引っ込めていた。
水帆はそんなことを知る由もなく、にこにこと彼の隣を歩いていた。
その時、ふと、二人の背中から強く、穏やかな風が吹いた。
そのひゅうっという風の音に紛れて、ぶっきらぼうな関西弁と、おっとりと穏やかな声が、拓実には確かに聞こえた。
「え……」
拓実は思わず立ち止まって振り返る。
水帆も立ち止まり、そんな拓実を見つめながら、
「わ、今の風、気持ちよかったね。なんか私たちの背中を押してくれてるみたい、なんちゃって……」
と照れくさそうにはにかんで言った。
拓実の目には今にも溢れそうなほど涙が込み上げてきていたが、彼は深く瞬きをし、唇をかみしめてそれを押しとどめた。
「…………きっと、そうだよ。……行こうか」
拓実は潤んだ目をぎゅっと瞑った後、晴れやかな笑顔を浮かべた。
そして、伸ばした右手で今度こそ水帆の手をしっかりと握りしめ、二人は、肩を並べて歩き始めた。
完
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本作はこれにて完結となります。
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