第17話 成仏
駆け出していく史也の背中を、水帆と拓実は黙って見つめていた。
史也の言葉を聞いた瞬間、水帆の心には濁った感情が芽生えた。しかし、拓実の言葉が、即座にそれを浄化してくれた。
「寺ちゃん、ありがとう。おかげで魔女化せずに済んだよ」
オタクならではの冗談交じりに伝えたが、水帆は心底拓実に感謝していた。
拓実は、なにそれ、とふわりと笑った。
それは、先ほどの鋭い視線の持ち主と同一人物とは思えない、優しい笑顔だった。
それを見て、水帆はついに切り出した。
「……この間の返事、してもいい?」
「……うん」
拓実はきゅっと唇を結び、真剣な顔で水帆に向き直った。
「私、寺ちゃんのこと、ずっと友達だと思ってた。趣味も合って、いろんなこと話せる大好きな友達」
拓実の表情は変わらない。
が、心の中では、祈るような気持だった。
その心象風景をそのまま描き出したような形で、ダイキとレイコは、拓実の背後で祈るように両手を合わせていた。
水帆の守護霊のはずの二人は、いつしか水帆ではなく拓実の後ろにいた。
「……だけど、ここ最近、私の知らない寺ちゃんの顔があったんだって初めて知ったの。それ見て私……」
――来い、来い!
ダイキは小さく繰り返していた。
レイコも固唾を飲んで水帆の表情を窺っている。
「……私、すごくかっこいいなって思った」
水帆は頬を染めながら、少し小さくなった声でそう言った。
ダイキとレイコは目を見開き顔を見合わせた。
――来たか……!?!?
「だから私、寺ちゃんのこともっと知りたい。もっと一緒にいたいです。……だから……、これから、よろしくお願いします……!」
水帆はもはや頬だけでなく耳まで真っ赤になっていた。
それでも、彼女は拓実の目をしっかり見つめながら、そう伝えた。
「……ほんとに? ありがとう……夢みたいだ」
拓実は眉尻を下げ、泣きそうな顔で笑った。
――来た!!!!!
ダイキとレイコは文字通り狂喜乱舞していた。
大きな声で歓声を上げながら、上空でくるくると謎の舞を踊っていた。
そこには、普段のぶっきらぼうな男の姿も、おっとりと落ち着いた女の姿もなかった。
拓実は目の端でそれを捉え、小さく笑った。
「じゃあ、とりあえず…一緒に帰ろっか」
水帆と拓実は肩を並べてキャンパスの門へと向かった。
いつもであれば水帆の後ろにぴったりとついていく守護霊たちであったが、その日は歩いていく二人の背中を眺めながら、黙ってそれを見送った。
拓実は少しだけ振り返り、「ありがとう」の形に唇を動かした。
ダイキとレイコは、改めて大きな音を立ててハイタッチをした。
しかし、ハイタッチを終えても、合わせられた両手は糊で張り付けられたかのようにくっついたままだった。
両手を先ほどよりは少し下の位置で合わせたまま、二人はしばし見つめあった。
先ほどまで謎の舞を繰り広げていたとは思えない、真剣な空気が二人を包んでいた。
その沈黙は数秒であったはずだが、二人には数時間にも感じられる時間だった。
ダイキはようやく手を動かしたかと思えば、おもむろに、自分の手でレイコの両手を包んだ。
そのとき、二人の唇が同時に動く。
「俺……」
「わたし……」
二人は気まずそうに顔を見合わせた。
「ごめんなさい、ダイキくんからどうぞ!」
「いや、俺のは後の方がええから、レイコから……」
そんな譲り合いをしていると、二人の身体が突然輝き始める。
「「………!?!?」」
自分の身体と相手の身体を交互に見ながら、二人は困惑するばかりだった。
しかし、次の瞬間、二人は自分の身に起こっている出来事が何かを悟った。
“成仏”。
天の大いなる力に自らの魂が呼ばれている感覚があった。
当然、二人にとってそれは初めての感覚だった。
しかしながら、何故か本能的に、これが“成仏”なのだとすぐに分かった。
「レイコ、すまん。……俺の仮説は間違ってたみたいや。主のハッピーエンドで即“成仏”て……神様も意外と意地悪なもんやなあ」
ダイキは空を見上げ、悔しそうに呟いた。
「……そんな。嫌です、わたし、まだ、ダイキくんと……」
レイコの身体は、そう言い終わらないうちに、半透明からほぼ完全な透明へと変わりつつあった。
「――レイコ、待ってくれ! 俺やって、お前ともっと……」
ダイキの身体も同様だった。
二人とも、ついに言葉を結ぶことができなかった。
半透明な二つの影があった場所は、どんなに目を凝らしてももう微かな影すら捉えることはできなかった。
◇
気が付くと、ダイキは真っ白な空間にいた。
脳内に霧がかかったようにぼんやりとした気分だ。
しんと静まり返ったその空間は、五感を麻痺させそうなくらい無機質だった。
――これが天国か? 意外と質素なもんやな。スティーブジョ○ズの部屋みたいやん。
脳が十分に働いていない彼には、まだそんなとぼけたことを考えている余裕があった。
どこに行けばいいのか、そもそもこの空間がどこに繋がっているのかもわからないが、ぼんやりとした頭で、無意識に歩き出していた。
歩きながら、脳内の霧は徐々に晴れていき、次第にここに来る直前のことが鮮明に思い返されてきた。
“……そんな。嫌です、わたし、まだ、ダイキくんと……”
“――レイコ、待ってくれ! 俺やってお前ともっと……”
「……また、言えへんかった」
ダイキは気づけば速足になっていた。
その小刻みな足音だけが、空間に響き渡っていた。
生前は自らの選択で言わなかった言葉を、今度こそは伝えることを選択したはずなのに。
結局、余計な口出しばかり一丁前にして、本当の自分の気持ちをしっかり言葉にすることができなかった。
――俺の人生、なんなんやろか。
“ダイキくんも、これからもわたしと一緒にいたいって思ってくれてたんですね? わたしといるのが、ダイキくんの“目的”になってるんですね?? ふふふっ“
“うるさい。レイコがいつもみたいに『言い過ぎ』って止めてくれんと、俺はすぐ暴走してまうからな。……それだけや”
あの頃の、そんなやり取りを思い出す。
同時に、彼の目からはぼろぼろと涙が零れ落ちた。
涙をぬぐうこともせず、彼はそのまま速足で歩き続けていた。
しかし、いくら歩いても、無常なほどに代わり映えのない空間が続いているだけだった。
あの時に、素直に言ってしまっていればよかったのに。
仮説は仮説なんだから、一緒に入れる時間をもっと大切にするべきだった。
なぜぎりぎりまで言わずにおいたのか。
最後だって、変に譲り合ったりしていなければ――。
一つ、また一つと浮かんできた後悔は、いつしか津波のように重なってダイキの胸に押し寄せていた。
ああ、この未練と後悔をもって、現世に復帰することはできなないのだろうか。
……現世は出戻り厳禁なのだろうか。
そんなことを考えているうちに、ついに空間の出口と思われる場所が見えてきた。
その向こう側には、緑が生い茂り、色とりどりの花も咲いているように見える。
まさに“天国”の概念を具現化したような景色だった。
それは今の彼には残酷なほど、美しかった。
ダイキの足は、ゆっくりと速度を緩めた。
この空間を出て、あの美しい“天国”に足を踏み入れれば、今度こそ、二度と後戻りはできないような気がして、それ以上進むことができなかった。
そうして、ダイキの足は完全に動かなくなり、ついにはその場にしゃがみこんだ。
「………………好きや。レイコ」
ダイキは、しゃがみこんだまま、彼女に伝えることができなかった言葉をひとり呟いていた。
涙はまだ、止まることはなかった。
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