第16話 スタートライン
「……ごめん、今、何て言った?」
史也は問いかけた。
水帆と史也は、大教室を出て少し歩いたキャンパスの中庭で向かい合って立ちながら、神妙な空気を漂わせていた。
「……ごめんなさい、私、史也くんとは付き合えないです。でも、好きって言ってくれて、本当に嬉しかった。ありがとう」
水帆はどこか悔しそうにそう答えた。
「えっと………………なんで??」
“勝ち確”だからこそ勝負に出た史也は、裏切られたとでも言わんばかりの恨みがましい目つきをしていた。
「私、オタクなのを、“受け入れ”てもらいたくなんてないの。隠すつもりも、直すつもりもない。オタクにはオタクなりの矜持があるんだよ。……だから、下に見られるのは……嫌」
そう言って真っすぐ史也を見つめる。その瞳に映った憧れの君は、今や当時の輝きを放ってはいなかった。
史也は確かに、水帆をヒロインにしてくれた。
――しかし、そもそも、別にヒロインになる必要などなかったのだ。
水帆は普通の女子大生であって、少女漫画の主人公ではないのだから。
――私は、ありのままの私でいればいい。……ていうか、ヒロインになりたければ、私にはトキア様がいるしね!
そう思い始めてから、水帆の恋の余熱は徐々に引いていったのだった。
「そっか」
ぶっきらぼうにそう言うと、史也はろくに水帆に目もくれず、踵を返した。
水帆はふう、と大きくため息をついた。
気持ちに整理はつけていたとは言え、あんなにも好きだった史也の告白をたった今断ったのだ。
複雑な気持ちがないではなかった。
そんな心中を察してか、絶妙なタイミングで由利と七海が大量のジュースとお菓子を持って中庭に駆け寄ってきた。
「ね? あたしのダメ男センサーに狂いはなし! ようやく水帆の目が覚めたみたいだから、今日はお祝い! パーティーしよ!」
由利は水帆の肩を組み、その手にジンジャーエールを押し付ける。
その間、七海はすでに中庭にレジャーシートを引き終えていた。
「もう、二人とも……タイミング良すぎか!? やるしかない~~~!!!」
水帆は大きな声を上げながらどかっとレジャーシートに座り込んだ。
中庭で異常な盛り上がりを見せる女三人衆の姿は、傍から見れば異質に映ったことだろう。
しかし、守護霊たちは、これ以上ない温かな、だがどこか寂しさの漂う面持ちで、その様子を静かに見守っていた。
◇
数日後。
水帆はまたしても中庭にいた。今度は、拓実が待ち合わせの相手だった。
「佐々木さん、待たせてごめん。……えっと、話って……?」
試験の合格発表を待つかのような、緊張と期待の入り混じった表情で拓実が問いかけた。
「…………えっとね、私……」
「あれ~~? 水帆ちゃんじゃん。って、なんかお取込み中?」
「おい、邪魔しちゃ悪いって。史也~、お前、狙ってたのに残念だったなあ!」
水帆の言葉を遮るように、男たちのガヤが飛んできた。
史也とその友人たちが、絶妙なタイミングで通りがかってしまったのである。
史也は、水帆と拓実を僅かに一瞥すると、すぐ友人たちに向き直り、乾いた笑いを浮かべながら歩みを速めた。
「いや、狙ってたって言ってもワンチャンだけだからね? けど、なんかオタクらしいし、趣味合わないからすぐやめたわ。オタク同士の方が話が合っていいんじゃない? お似合いお似合い」
水帆たちにも聞こえる程度には大きな声でそう言い放った。
その言葉に、水帆の顔がわずかに歪んだ。
友人たちは、おいおいという顔をして彼を窘めようとしたが、それより早く、その横を影が通り過ぎた。
「ねえ、本人に聞こえるようにそういうこと言うの、人間性と品性を疑うよ」
拓実はつかつかと史也に歩み寄り、至近距離で史也を見下ろして凛と言い放った。
史也はこの時初めて、拓実が自分より背が高かったことに気が付いた。
「それに、前から思ってたけど、オタクオタクって……まるで違う生き物みたいに扱うの、何? 人の好きなものを貶すのがかっこいいと思ってるなら、今すぐやめた方がいいと思うけど」
拓実の涼やかな目は、怒りと軽蔑の色に染まり、鋭く史也を射抜いていた。
日頃、下に見ていた気弱なオタク君に詰め寄られた史也は、完全に面食らって言葉を失っていた。
友人たちは思わずおーっと歓声を上げ、拍手していた。
――その背後で、ダイキとレイコもどさくさに紛れて拍手をしていたのも、拓実の目にはしっかり映っていた。
「史也、悔しいのは分かるけど、さすがにやりすぎだわ。ちゃんと謝んな」
「てか、今時オタク下げ発言ってどうなん? イケメンのオタクとかむしろ優良物件でしかないでしょ。なあ、水帆ちゃん?」
困ったように笑う水帆を横目に見たか見ないかのうちに、史也はその場から駆け出していた。
このタイミングで逃げ出すことが、途轍もなく恰好悪いということが分からないほど、彼は人の感情に無頓着ではなかった。
それでも、もう一秒でもその場に留まっていることができなかった。
友人たちの引き留める声を背中に聞きながら、彼はキャンパスの外れの寂れた喫煙所に逃げるように駆け込んだ。
史也は煙草を吸ったことなどない。
ただ、誰の目にもつかない場所に行きたかっただけだった。
久方ぶりの全力疾走と、喫煙所に残る煙草の残り香は、彼の肺をひりつかせ、史也はひとりむせ込んだ。
史也が常時纏っていた虚栄心の衣は、今しがた拓実によって完全に剝がされてしまった。
丸裸になった史也は、ひとしきりむせ込んだ後、天を見上げながら、ぐしゃぐしゃと髪をかきむしった。
「…………死ぬほどダサいな、俺」
誰にも聞かれるはずのなかったその言葉は、彼の背後にいた二つの影に届いていた。
「これが、お前のスタートラインや。……髪も、そっちの方がええやんか」
「はい。これからきっと、かっこいい男になれますよ」
二人は、優しくその背中を叩いた。
――が、当の本人には聞こえる由もなかった。
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