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第2話 名も知らぬ夜

火は語らない。だが、沈黙の中にひとは、まだ生きている。

崩れた石柱の陰に、小さな炎が揺れていた。


火床ほどは土くれと灰を積んで固めた即席のだ。周囲には、濡れた布を干した石、油に濡れた皮袋、そして黙した二つの影。


ヴォルトは火の前に座っていた。背を丸めるでもなく、膝を抱えるでもなく、ただ無言で座る。火が乾かすのは衣ではない。汗のにじんだ気配と、血の匂いの残滓ざんしだった。


少年もまた、口を開かず火を見ている。


体格差は歴然れきぜんだった。少年は骨が細く、服はぶかぶかで、肩にはまだ縄の跡が赤く残っていた。腕に巻かれたツルのような腕輪だけが、皮膚と馴染なじまずに浮いていた。


やがて、ヴォルトが袋から乾きかけた黒パンを取り出し、火のそばに置いた。視線は向けない。言葉もない。ただ、そこに「置く」だけ。


少年はすぐには手を伸ばさなかった。焚火の影が動くたび、わずかに体をすくませている。盗賊の下で何を見てきたかを、語らずともさっせる身振りだった。


やがて、乾いたパンを手に取り、少しだけかじる。石のように固い音が、火の揺れにまぎれた。


食べる音も、咀嚼そしゃくも、全部を小さくするように彼は動いていた。音を立てないことに慣れている──いや、そう教え込まれていた。


ヴォルトは火を見ていた。だが、少年の食べる速度、喉の動き、指の震え、すべてを見ていなかったとは思えない。


「……」


少年がふと、視線だけを向けた。口を開こうとし、けれど何も言わず、また火に目を戻す。


言葉がない。それが怖い。


それでも、逃げ出すような素振りはしなかった。もう一口かじりながら、足元の土を靴の先で軽く撫でた。


その様子を見て、ヴォルトはようやく腰の袋を外した。


見窄みすぼらしい袋だ。だが中から取り出されたのは、複数の革袋、水筒、火打ち石、包帯、布──旅に必要な道具が、まるで底のない空間から引き出されるように次々と現れた。


少年の目が、わずかに見開かれる。


袋の内側が“普通ではない”ことを、彼は直感で理解した。

だがその感想を、あえて口にはしない。


袋の底から小さな布切れが出てきた。破れてはいるが、温かそうな手布。


ヴォルトはそれを火のそばに置いた。

やはり何も言わない。


少年は少し迷い、そっと手を伸ばす。布を取って、肩の傷を隠すように掛けた。


その間にも、夜の風が木々を揺らしていた。


風は冷たい。焚火の火が一度、揺れすぎて消えかけた。

ヴォルトは手を伸ばし、小枝を数本放り込む。


ぱち、と音がして、火がまた持ち直した。


会話はない。指示もない。だがそこには、たしかに「同じ空間を共有する」静けさがあった。


──これが、旅の初日。


お互いの名も、まだ知らない。

けれど、背中を見せたまま眠れる程度には、互いを見定めていた。


焚き火がはぜた。

少年は目を閉じた。

……まだ、この人の名前を知らない

名を問わず、夜を越えた。――それだけで、少し前に進んだ。

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