科学技術と鬼熊と
「次の金曜日に家族旅行はどうかな?」
「どこに行くの?」
「発電所の見学ツアーとダムカレーを食べに」
ダムカレーと聞いて僕は目をキラキラと輝かせる。
「行く行く!夏休みの自由研究になりそうだし!」
「ありがとう。喜んでくれて父さんうれしいよ」
父さんは微笑むと仕事に向かっていった。
(夏休みの宿題少しずつやっていこう)
旅行の日を心待ちにしつつ僕は夏休みを満喫する。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
旅行の日は朝から雨が降っていた。
雨空の中、車は高速道路を走る。
「こういうのって曇天の空模様だっけ?」
「そうね。曇天は曇りのことかな」
「なら雨模様?」
「うーん、雨模様は雨が降りそうな天気だから……」
「いろいろあるんだね言葉って」
目的地に向かう中僕は母さんと車の中で会話する。
「どうだい?科学は楽しいか?」
サービスエリアで休憩中父さんが話しかけてきた。
「うん!とっても!」
「そうかそうか。今回の旅行も選んでよかったよ」
売店でソフトクリームかジュースかを僕は悩む。
「昔は妖怪図鑑を熱心に読んでたのに成長したわね」
母さんがトイレから帰ってきて合流する。
「あの本もたまに読んでるよ!宝物だし!」
今日も出発前目を通してきた。
「科学で妖怪の意味が感覚的にわかってきたよ!」
僕はソフトクリームを選び父さんと母さんに言う。
そんな僕に乗せて車は高速道路に戻る。
「人魂はプラズマで説明できちゃうし」
僕は車の後部座席から前の両親に興奮気味に話す。
「ぬらりひょんは親戚の人と思うんだ」
「ああ、だから勝手に家に上がってお茶を飲むのね」
「そう!えーとなんだっけ……軒下をかして……?」
「庇を貸して母屋を取られる、かな?」
「そうそれ!母さん頭良い!」
スラっと答えを出した母さんを僕は誇りに思う。
「なら私たちの住む長野の妖怪ってなにかいる?」
「長野……長野なら鬼熊かなあ」
「鬼熊?」
僕の言葉を母さんはそのまま返す。
「とっても力が強いんだ!馬や牛を担ぐよ!」
「科学的にみるとどうなるの?」
ソフトクリームをひと舐めして僕は話し出す。
「歳を経た熊ってあったから遺伝子の変種かな?」
北海道で人を襲う熊も鬼熊なのは黙っておこう。
「成長し続けて大きくなりすぎたとかそんな感じ?」
「うん!そんな感じ!」
母さんの答えやすい質問で掘り下げて話せる。
(ちゃんと話を聞いてくれてて楽しいしうれしい)
後部座席の僕に母さんは顔を向けてくれた。
(うなずいてくれるし相槌もくれるし話しやすいや)
僕も友達と会話するときに使おう。
そう思っていると車は高速道路を降りる。
やがて車は目的地の駐車場に着く。
「今から行くのは世界最大級の揚水発電所らしいぞ」
「本当!?ならしっかりお話聞いて日記にも書くよ」
降雨の中、バスに来た。
僕たちは待ってた人たちと順に乗り込んでいく。
★ ☆ ☆ ☆ ☆
ツアーが終わり僕たち家族はダムカレーを食べる。
「どうだった?揚水発電は?」
「ほぼふたつのダムだけで発電できるのはすごい!」
僕は興奮気味に父さんに答えた。
「昼に発電して夜に組み上げて循環してるのよね」
「電源に繋がってるかで発電機かモーターになるよ」
母さんと父さんの言葉を僕は胸に残す。
★ ★ ☆ ☆ ☆
雨足の強くなる中、車は車は高速道路に入る。
しばらく進んでいると長野県の看板が見えてきた。
「長野に入ったわね。鬼熊出るかしら?」
母さんが僕に聞いてきた。
「変種の熊でしょ?夜更けに出るんだって」
「遺伝子の変種かあ……」
「人間もたまに背の高い人や低い人がいるじゃん」
車のライトがつき、ワイパーが激しく動く。
「それも個性だよ」
父さんが一言つぶやいた。
「暗くなってきたね」
「夕立かしら?ゲリラ豪雨かしら?」
「スコールかな?これだけくらいと鬼熊出るかもね」
滝を思わせる雨と暗闇の高速道路を街路灯が照らす。
遠雷が聞こえる中、車は速度を落として進む。
「車は鉄の塊だから安全を意識しようね」
父さんの行動を母さんが代弁する。
★ ★ ★ ☆ ☆
反対車線の山側からなにかが飛び出してきた。
軽トラックがそのなにかにぶつかる。
その衝撃でなにかは中央分離帯の茂みに姿を隠す。
「動物かな?」
「それなら道路緊急ダイヤルに連絡よね」
反対車線の軽トラックを通りすがり見る。
前面が大きくへこみ衝突の強さを物語っていた。
「運転手さんも心配だし連絡入れ――」
ようよと僕が言おうとした瞬間車は速度を上げる。
「どうしたの父さん!?」
「クマが追いかけてきてるんでね!」
おそるおそる後ろを振り返ると大きな熊がいた。
「軽トラックにぶつかったんでしょ!?」
「毛皮や脂肪が衝撃を防いだのかな?」
母さんの叫ぶ声に僕は落ち着いて答える。
慌てていた母さんは少しずつ落ち着きを取り戻す。
少しして母さんは深呼吸を何回かした。
「そういえば」
いつもの口調に戻ると母さんは話を切り出す。
「昔の車って100km/h超えで音鳴ってたわね」
「父さんの爺さんはなにか引っ張って運転してたな」
母さんと父さんが昔話に花を咲かせる。
「クマ!父さんクマ!すぐ後ろまで来てる!」
僕とクマの目が合った瞬間車が揺れた。
「え?車線変更?このタイミングで――わっ!」
僕が前を見た瞬間前方からヘッドライトが光る。
逆走車はそのままクマに正面衝突した。
稲光があたりを照らし雷鳴が轟く。
クマは車の前輪を持ち上げ猛々しく吼える。
「鬼熊……」
止まった車の中でつぶやくと雷が鬼熊に落ちた。
★ ★ ★ ★ ☆
父さんは車を止めしばらく様子を見ていた。
「助かったの?」
鬼熊は動きを止めている。
「どうだろう……電気の並列回路を知ってるかい?」
父さんは前方を確認してから僕に話しかけた。
「電気は抵抗の低い側に多く流れるんだよね?」
父さんは肯首して僕に問いかける。
「雨に濡れた鬼熊と車、抵抗が低いのはどっち?」
「え?えーと……」
僕が言葉に詰まっていると父さんは前を見る。
「科学で妖怪を見ても良いしふしぎなままでも良い」
車のエンジンに火がともり、ゆっくりと走り出す。
「それぞれの物差しの使い方勉強しておこうな」
車は少し進み路側帯で停止する。
「え?父さん?どこ行くの?」
「非常電話で助けを呼んでくる」
「逃げようよ!ここにいたら危険だよ!」
「そうだな。危険だよな」
「ならどうして!」
父さんは母さんに車のカギを渡す。
「自分だけ助かれば良いって考えの人はね」
僕の目をしっかりとみて見て父さんは話す。
「お天道様に顔向けできるかってお父さん思うんだ」
「………………」
「すぐ戻るよ。なにかあったらその時は頼むね」
父さんは母さんを見て笑顔で話しかけ鍵を渡す。
そのあと父さんは非常電話に向かって走りだした。
★ ★ ★ ★ ★
「ふしぎなものはふしぎなままでかあ……」
あのあと気絶から回復した熊は山に逃げて行った。
だから父さんの話し声が一階から聞こえる。
「夏休みの日記になんて書こうかなあ」
白紙のままの日記を僕はしばらく見つめた。
(ありのまま書いても信じてもらえるかな……)
いっそ内緒にしてしまおうかとも思う。
ダムカレーと発電所だけにするか僕は考える。
(雨もやんだし気分転換に外でも眺めようっと)
カーテンを開けて窓の外に視線を送る。
大きく赤い月が地平線間際を昇っていた。