第9話 九尾の狐とまやかしの寝顔
前回のモフベロスとのチームプレイは、僕とひまりさんの関係を少しだけ変えた。天界のソファで、以前ほど距離を空けずに座れるようになったし、彼女の方から「で、次はどんなモフモフかねー」なんて、少し楽しそうに話しかけてくれるようにもなったのだ。
そんな僕たちの前に、今日のルーミア様は少し神妙な顔で現れた。
「お二人とも……。本日の相手は、これまでで最も知能が高く、そしてイタズラ好きな方ですぅ。心して挑んでくださいまし」
女神様が差し出した写真に写っていたのは、月光の下、九本の美しい尾を広げる、一体の黄金色の狐だった。
「九尾の狐……!」
「はいですぅ。わたくしも何度も寝顔の撮影に挑戦したのですが、いつも幻術でからかわれて、偽物の寝顔しか撮らせてくれないのですぅ! 本物の、すっぴん寝顔をお願いしますぅ!」
ルーミア様は、本当に悔しそうに唇を噛み締めた。
「今回は、相手の幻術に対抗するため、特別な衣装を用意しましたですぅ」
僕たちが手渡された『天狐の衣』に身を包むと、僕はなぜか雅な巫女服のような姿に、ひまりさんは煌びやかな花魁風の着崩しスタイルへと変身していた。もちろん、ふさふさの狐耳と尻尾も生えている。
「な、なんで僕が巫女さんなんですか!?」
「え、うち、超盛れてんじゃん! これ、マジでVibe-Tok【バイブトック】撮りたいんだけど!」
対照的な反応を見せる僕たちに、ルーミア様は「さあ、頑張ってくださいですぅ!」と、小さな小瓶を渡した。中に入っているのは『真実の雫』という目薬。三十秒だけ幻を見破れるが、めちゃくちゃしみるらしい。
◇
僕たちが転移したのは、月明かりが静かに差し込む、幻想的な竹林だった。どこまでも続く青白い竹が、まるで異世界への入り口のように、僕たちの周りを囲んでいる。
一歩足を踏み入れた瞬間、九尾の狐の歓迎が始まった。
「うわあ……!」
目の前に、何十匹という九尾の狐が現れたのだ。どれも黄金色に輝き、美しい九本の尾を持っている。僕の目は、完全にハートになっていた。
「すごい! 全部本物に見える! モフモフ天国だ!」
「は? 全部同じ顔じゃん、キモ! しょこたん、あんたの目、節穴?」
ひまりさんが呆れたように言う。僕が混乱しているうちに、偽物の狐たちはくすくすと笑いながら、霧の中へと消えていった。
次に、僕たちは同じ場所をぐるぐると回らされた。気づけば、ひまりさんの姿がルーミア様に、僕の姿がモフベロスに変わっている。
「うわっ、女神様!?」
「あんたこそ犬になってんじゃん! つか、マジうざいんだけど、この狐!」
ひまりさんが地面を蹴ると、竹林の奥から「ふふっ」と、楽しげな笑い声が響いてきた。
(翻弄されてる……。でも、この先に、本物のモフモフが……!)
僕は、諦めなかった。何度道に迷っても、何度幻を見せられても、「絶対にあの美しい尻尾をモフるんだ」という純粋な欲望だけを頼りに、前へ進んだ。
「しょこたん、こっち!」
ひまりさんが『真実の雫』を使い、幻で隠された道を見つけ出してくれた。目に涙をためながら「しみる、マジしみる!」と叫んでいる。
そして、ついに僕たちは、竹林の最も奥、月光が降り注ぐ開けた場所にたどり着いた。
そこに、九尾の狐はいた。
岩の上に優雅に座り、黄金色に輝く九本の尾を、ゆっくりと揺らしている。その瞳は、全てを見透かすかのように、僕たちを静かに見つめていた。
「人の子よ。わらわの幻をよくぞ見破った。だが、寝顔を撮らせてやるとは言うておらぬぞ?」
その声は、鈴を転がすように美しく、それでいて、絶対的な威厳に満ちていた。
「マジうざいんだけど! さっさと寝ろや、このキツネ!」
ひまりさんが啖呵を切るが、九尾は楽しげに喉を鳴らすだけだ。僕は、一歩前に出た。
「あなたの寝顔を撮りたいんです。でも、無理やりじゃ意味がない。だから、一つだけ、お願いがあります」
僕は、九尾の目をまっすぐに見つめ、ありったけの想いを込めて言った。
「あなたのその美しい九本の尻尾、僕にブラッシングさせてください!」
その言葉に、九尾の狐は、初めて心の底から驚いたように、ぱちくりと目を瞬かせた。
「……面白いことを言う。わらわの尾を、手入れしたい、と申すか。よかろう、わらわを満足させられたら、考えてやらんでもない」
僕は、ルーミア様からこっそり受け取った、女神特製の『神獣御用達ブラシ』を手に、九尾の元へと進み出た。そして、その黄金の尾を、一本、そっと手に取った。
(すごい……。神々の織物って、こういう手触りなのか……)
僕は、モフモフへの愛情と敬意を全て注ぎ込み、丁寧に、優しく、ブラッシングを始めた。最初は警戒していた九尾も、僕の巧みで、魂のこもった手つきに、次第にうっとりとした表情になっていく。
「……ん……ふふっ、そこじゃ、もっと……。ああ、気持ちええのう……」
九本の尾、全てを完璧にブラッシングし終えた時、九尾は、完全に僕に心を許していた。
最高のモフモフお世話をしてもらった彼女は、満足げに一つあくびをすると、自ら僕の膝の上に、こてん、と頭を乗せた。そして、安心しきった、無防備な寝顔を、僕だけに見せてくれたのだ。
僕は、目に涙をためながら、その「すっぴん寝顔」を、そっとスマホに収めた。イタズラ好きの心を、純粋なモフモフ愛が解きほぐした、奇跡の瞬間だった。
◇
天界に戻ると、ルーミア様は念願の本物の寝顔写真に、女神の威厳も忘れて大興奮していた。
「これですぅ! これこそがわたくしの求めていた至高の芸術! 国宝ですぅ!」
バイト代を受け取り、自宅のベッドに戻る。ひまりさんとの間には、もう気まずさはない。共に困難を乗り越えた、最高のパートナーとしての絆が、そこにはあった。
(どんな相手でも、モフモフを愛する心は、きっと通じるんだ)
僕は、新たな確信を胸に、満足感と共に眠りについた。
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