第8話 三つ首モフベロスと同時寝かしつけ大作戦
前回のバイトで見た、あの甘酸っぱい夢のせいだ。僕はあれから、どうにもひまりさんの顔をまともに見ることができなくなっていた。
(いや、意識なんてしてない。断じてしてないぞ……!)
そう自分に言い聞かせれば言い聞かせるほど、文化祭で僕の手を引くひまりさんの姿が、脳裏にちらついてしまう。
そんな気まずい空気を引きずったまま、僕たちは再び天界へと召喚された。ひまりさんも、どこかよそよそしく、神殿のソファの端と端に、微妙な距離を保って座っている。
そんな僕たちの様子に気づくでもなく、ルーミア様はいつもの元気な声で、今回の依頼内容を告げた。
「お二人とも、お集まりいただき感謝ですぅ! 本日の撮影対象は、少々手ごわいですよぉ? 天界と魔界の狭間にある門を守護する、地獄の番犬『モフベロス』さんですぅ!」
「は!? 地獄とか、マジ無理!」
ひまりさんが、素っ頓狂な声を上げて立ち上がる。僕も、さすがに物騒な名前に身構えた。だが、ルーミア様は「まあまあ、落ち着いてですぅ」と、一枚の写真を取り出した。
そこに写っていたのは、僕の想像とはまったく違う、巨大な白いモフモフの塊だった。雪山のように大きな体に、三つの頭。そのどれもが、大型犬のサモエドのように人懐っこい顔立ちをしていて、全身が純白の毛で覆われている。
「ね? とってもモフモフでしょう?」
「うわあ……! これは、すごい……!」
僕のモフモフ魂に、一瞬で火がついた。
「ですが、このモフベロスさんを寝かしつけるのが、至難の業なのですぅ。三つの頭はそれぞれ性格が違って、一匹を寝かせると、別の奴がちょっかいを出して起こしちゃうんですぅ……。ですから、三つの頭が、いっせいに、同時に眠っている奇跡の寝顔写真を、お願いしたいのですぅ!」
今回は変身がない代わりに、とルーミア様は三つの不思議なアイテムを取り出した。
「こちらは、いじっぱりな『ガード』のための『無限カミカミボーン』。甘えん坊な『ラブ』には、この『うっとり肉球クリーム』を。そして、食いしん坊の『イート』には、この『満腹ジャーキー』ですぅ! さあ、お二人とも、頑張ってくださいまし!」
◇
僕たちが転移したのは、天界の光と、魔界の影が奇妙に混じり合う、薄暮の空間だった。目の前には、黒曜石でできた巨大な門がそびえ立ち、その前に、写真で見たモフベロスが、どっしりと鎮座していた。
三つの頭が、それぞれの表情で僕たちを見ている。真ん中にいる食いしん坊の『イート』は、べろんと舌を出して、こちらに尻尾を振っている。左にいる甘えん坊の『ラブ』は、大きな瞳を潤ませて、「くぅん」と寂しそうな声を上げていた。そして、右にいるいじっぱりの『ガード』だけが、グルルル……と低い唸り声を上げ、僕たちを鋭く警戒していた。
「うわ、あいつ、マジで怖えじゃん……」
ひまりさんが、ガードの威圧感に、思わず僕の後ろに隠れる。
「よし、作戦会議だ。僕が一番優しそうなラブちゃんを担当するから、ひまりさんはガードをお願いできないかな?」
「はあ? なんでうちが一番めんどくさそうなの担当しなきゃなんないわけ?」
「ひまりさんなら、きっと大丈夫ですぅ!」
ルーミア様の無責任な応援に、ひまりさんは「ったく、しょーがねーな」と、悪態をつきながらも、ガードの方へと歩み寄った。
「はいはい、わかったって。番犬ご苦労さん。ほら、これで遊んでな」
ひまりさんが、少しツンケンした態度で『無限カミカミボーン』を投げると、あれほど警戒していたガードは、意外にもすぐにそれに食いついた。そして、僕たちのことなど、もうどうでもいいとばかりに、夢中で骨をガジガジと噛み始めた。
(すごい……。ツンデレには、ツンデレが効くのか……?)
僕も負けていられない。甘えん坊のラブにゆっくりと近づき、「よしよし、寂しかったんだね」と優しく声をかける。ラブは、大きな頭を僕の胸にぐりぐりと押し付けてきた。そのモフモフの感触に癒されながら、僕は『うっとり肉球クリーム』を、その巨大な肉球に優しく塗り込んでいく。甘い香りとマッサージがよほど気持ちいいのか、ラブはうっとりと目を細め、やがて、とろけるような表情でその場にごろんと寝転がってしまった。
その間、ルーミア様は、ずっと「はやく! はやく!」とせがむイートに、「まあまあ、落ち着いてですぅ」と、満を持して『満腹ジャーキー』を与えた。イートは、それをバクン! と一口で飲み込むと、一瞬で満足げな顔になり、へへへ……とだらしない笑みを浮かべて、瞼が重そうに閉じていく。
ついに、その瞬間が訪れた。
三つの頭が、ほぼ同時に「くぅ~ん……」と可愛らしい声を漏らし、巨大なモフモフの塊となって、穏やかな寝息を立て始めたのだ。
「やった……!」
その圧巻の光景に、僕とひまりさんは、思わず顔を見合わせて笑った。
僕たちは、そっとモフベロスの中央、三つの頭が寄り添う隙間に座り込んだ。右から、左から、そして正面から、温かい寝息と、極上のモフモフに包まれる。これ以上の幸せが、この世にあるだろうか。
僕は、恍惚の表情で、夢中でスマホのシャッターを切った。
◇
天界に戻り、バイト代の二万円を受け取る。今回の撮影は大成功だった。
「まあ、たまにはチームプレイも悪くないかもね」
ひまりさんが、少しだけ素直な言葉を口にした。その横顔を見て、僕の心臓が、また、少しだけ速く脈打つのを感じた。
モフモフの達成感と、ひまりさんとの距離がまた一歩縮まった喜び。その二つの温かい気持ちを胸に、僕は心地よい疲労感と共に、眠りについたのだった。
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