第6話 モフ竜さんはかゆい所に手がとどかない
狼たちとの幸せなモフモフタイムから、また一週間が過ぎた。もはや、僕とひまりさんにとって、週に一度の天界訪問はすっかり生活のルーティンと化していた。
「いやー、前回の狼はマジで最高だったな……。あの毛並み、もう一回堪能したい」
「わかる。うち、あの子狼ちゃんの写真、待ち受けにしちゃったし」
僕とひまりさんは、ルーミア様を待つ間、神殿のふかふかのソファに座り、備え付けのポットでお茶を淹れるほどの余裕を見せていた。すっかりこの場所に慣れてしまったものだ。
やがて、神殿の奥の扉が開き、ルーミア様が姿を現した。だが、その表情はいつもと違い、目の下にはうっすらとクマができているように見える。
「ルーミアっち、どうしたの。なんか元気ないじゃん」
ひまりさんが、すっかり定着したあだ名で気軽に尋ねる。ルーミア様は、はぁ、と深いため息をついた。
「実は、今日のモフモフさんは、わたくし一人では少々手に負えなくて……。お二人の力をお借りしたく……。今日のお仕事は、モフ竜さんのかゆい所をかくこと、ですぅ……」
「モフ竜? ドラゴンですか?」
「はい、その名もフワルゴンさん。とっても気高いお方なのですが、近頃どうにもご機嫌が麗しくなくて……。わたくし、昨日からずっとお世話をしていたのですが、もうヘトヘトですぅ……」
女神様をここまで疲れさせるとは、一体どんな相手なのだろうか。
「竜の毛の中は広大で迷いやすいので、これを飲んでくださいですぅ」
ルーミア様が差し出してきたのは、可愛らしいピンク色のミルクだった。
(イチゴミルク味だ……。甘くておいしい)
ミルクを飲むと、僕たちの体はぽうっと淡い光に包まれ、ぐんぐんと縮んでいく。あっという間に、手のひらに乗るくらいの妖精サイズになってしまった。背中からは、半透明の小さな羽が生えている。
「うわ、ちっちゃ! これ、マジで妖精じゃん!」
ひまりさんが、自分の小さな手足を見てきゃっきゃと笑っている。僕も自分の羽をぱたぱたと動かしてみた。なんだか、不思議な気分だ。
◇
僕たちが転移したのは、どこまでも青空が広がる、見渡す限りの大草原だった。その中心に、それはいた。
全長二十メートルはあろうかという、巨大な白い竜。山のように大きな体が、草原の真ん中にどっしりと横たわっている。全身は雪のように真っ白で、雲のように柔らかな毛で覆われていた。あれが、フワルゴンさん……。
「フワルゴンさん、助っ人をお連れしましたですよ~」
ルーミアさんが声をかけると、竜はゆっくりと瞼を開いた。その瞳は、溶かした黄金のように輝いている。
「おお、ルーミアか。して、そこの小さな者たちが、助っ人とやらであるか。さて、人の子よ。わしのこの耐えがたきかゆみ、癒せるものなら癒してみよ」
フワルゴンさんは、試すような目で僕たちを見下ろした。
僕たちは頷き合うと、フワルゴンさんの体へと飛び乗った。その体は、まるで広大な白い森のようだった。太陽の匂いがする柔らかな毛をかき分け、僕たちはかゆみの原因を探して進んでいく。
「それにしても、すごい毛の量だね。マジで遭難しそう」
「でも、気持ちいい……。一本一本がシルクみたいだ……」
僕たちがフワルゴンの広大な腹部までたどり着いた時、それを見つけた。直径一メートルほどの、赤く腫れあがった巨大な虫刺されの痕。
「ねえ、ルーミアっち。これって虫刺されじゃないの?」
ひまりさんがそう叫んだ、次の瞬間だった。
「まずいですわ! お二人とも、こちらへ!」
ルーミア様の切羽詰まった声に、僕たちが駆け寄ろうとすると、背後の毛の森から、カチカチ、という不気味な音が聞こえてきた。振り返ると、そこには黒光りする鎧のような甲殻に覆われた、軽自動車ほどの大きさの、巨大なノミが立っていた。
「ちょっとぉ~! こんなデッカイノミに刺されたら死ぬんですけどぉ~!」
「あぶない!」
ノミが僕たちめがけて飛びかかってきた瞬間、女神様が張った神々しいバリアが、その鋭い口を防いだ。ガキン! と硬い音が響き、バリアに火花が散る。
「ルーミアさん、なんとかして~!」
僕とひまりちゃんが叫びながら逃げ回っていると、女神様の手に、見覚えのある緑色のスプレー缶にそっくりな、しかし黄金の装飾が施された神々しいスプレー缶が現れた。
「わたくしの特製『ゴッド・キラー』、これでもくらいなさいですぅ!」
ルーミア様がスプレーをプシューッ! と勢いよく吹きかけると、ハーブのような爽やかな香りが広がる。巨大ノミは、その香りを吸い込むと、苦しそうに身もだえし、徐々に動きが鈍くなっていく。やがて、足をわなわなと震わせたかと思うと、どさりとその場に倒れ、動かなくなった。
「おお、やはり忌々しいノミがいたのか! 世話をかけたな。ではルーミアと人の子たちよ、すまぬが薬を塗っておくれ」
フワルゴンさんの安堵したような声が響く。
僕たちは、女神様から受け取った、これまた見覚えのある青いスポンジがついた小瓶……女神特製塗り薬『女神水クーワ』を、巨大な虫刺されの痕に優しく塗っていく。
「おおっ、スーッとして気持ちいいのう……。極楽じゃ……」
フワルゴンさんは、恍惚の表情を浮かべて目を細めた。
こうして、僕たちは無事にフワルゴンさんを満足させることができたようだ。感謝の印だと言って、フワルゴンさんは自分の体から光り輝くウロコを一枚、僕たちにプレゼントしてくれた。ついでに、すっかりご機嫌になったフワルゴンさんの、安心しきった寝顔も、ばっちり撮影させてもらった。
天界経由で元の世界へと帰ると、茶封筒の中には「危険手当です」と書かれた紙と、十万円が入っていた。
命の危機に陥った対価として、この金額が多いのか少ないのかは、僕にはよくわからなかった。けれど、あのモフモフな竜の、心から満足した笑顔を思い出すと、まあいっか、という気分になるのだった。
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