第13話 森の楽団と君のララバイ
前回の『本音ポロリ茶』事件以来、僕とひまりさんの間には、どうしようもなく甘酸っぱくて、気まずい空気が流れていた。天界のソファに座っていても、互いの視線が合うたびに、二人して顔を赤らめてそっぽを向いてしまう。
そんな僕たちの前に現れたルーミア様は、どこか寂しげな、それでいて優しい微笑みを浮かべていた。
「しょこたん、ひまりさん。いつもありがとうございますですぅ。……実は、これが、最後の依頼になるかもしれません」
「「えっ!?」」
僕とひまりさんの声が、綺麗に重なった。
「あなたたちのおかげで、天界のモフモフさんたちはすっかり平和になりました。ですから、これが最後の大仕事ですぅ。音符虫さんたちを、お願いできますか?」
女神様が差し出した写真には、不協和音を立てて苦しそうにしている、無数の小さなイモムシのような幻獣が写っていた。
「彼らを安らかな眠りにつかせることができれば、全てのモフモフたちの心が、安らぎで満たされるはずですぅ」
ルーミア様は、僕たちに緑を基調とした、森の音楽家のような可愛らしい衣装と、一本のタクトを手渡した。
「『こだまのタクト』ですぅ。小さな音を、森全体に響かせることができます。……さあ、最高のフィナーレを、お願いしますですぅ!」
.女神様の少し潤んだ瞳に見送られ、僕たちは、最後のバイトへと向かった。
◇
僕たちが転移したのは、不快なノイズが満ち、植物たちもどこか元気をなくしている、病んだ森だった。音楽家の衣装に着替えたひまりさんは、いつものギャルな雰囲気とは違う、ナチュラルで清楚な魅力に溢れていて、僕は思わず心臓が跳ねるのを感じた。
「よし、やるぞ!」
僕は気合を入れ直し、これまでの知識と経験を総動員した。癒し系のヒーリングミュージック、荘厳なクラシック、流行りのJ-POP。スマホから流す様々な音楽を、『こだまのタクト』で森全体に響かせる。
だが、音符虫たちの不協和音は、ますます酷くなるばかりだった。
「どうして……。どんな音楽も、ダメなのか……」
あらゆる手を尽くしても、状況は悪化していく。僕は、自分の無力さに打ちひしがれ、その場にへたり込んでしまった。僕の知識も、モフモフへの愛も、この子たちには届かないのか。
その時だった。
落ち込む僕の隣に、ひまりさんがそっとしゃがみ込んだ。そして、意を決したように、僕の目を見て小さく呟いた。
「……こういうの、ダメかな」
彼女は、少し恥ずかしそうに、でも、驚くほど透き通った声で、どこか懐かしい子守唄を口ずさみ始めた。
その素朴で、温かいメロディが響いた瞬間、森を埋め尽くしていた不協和音が、嘘のようにピタリと止んだ。音符虫たちが一斉に、歌声の主であるひまりさんの方を、じっと見つめている。
僕は、彼女の横顔から目が離せなかった。
彼女の瞳には、幼い頃、大好きだったおばあちゃんに、この歌を歌ってもらったであろう、優しくて、愛おしい思い出の光景が映っていた。
(そうか……。僕に足りなかったのは、これなんだ……)
知識やテクニックじゃない。誰かを想う、心からの、優しい音。
僕は、はっと我に返ると、ひまりさんに力強く頷き返し、『こだまのタクト』を、そっと天に掲げた。
ひまりさんの歌声が、タクトの魔法で森全体へと広がっていく。すると、一匹、また一匹と、音符虫たちが彼女の歌声に合わせるように、美しいハーモニーを奏で始めた。
一つの優しい歌声が、数万の美しい音色を呼び覚ます。森は、生命力に満ちた柔らかな光に包まれ、枯れかけていた草花も、再び鮮やかな色彩を取り戻していった。
やがて、完璧なハーモニーが最高潮に達した時、音符虫たちは、光り輝く巨大なフワフワの絨毯となって、安らかで、幸せそうな眠りについたのだった。
僕は、その神々しいまでの光景と、歌い終えて、はにかむように微笑むひまりさんの姿を、永遠に忘れないようにと、強く、強く胸に刻み込んだ。
◇
天界に戻ると、ルーミア様は「最高のフィナーレですぅ!」と、涙を流しながら僕たちを力強く抱きしめてくれた。
「お二人のバイトは、今日で卒業ですぅ。本当に、本当に、ありがとうございました」
こうして、僕たちの奇妙で、最高にエキサイティングなバイトは、終わりを告げた。
夕日に照らされた、いつもの帰り道。僕たちは、二人きりになると、また少しだけぎこちない沈黙に包まれた。僕は、ポケットの中にずっと大切にしまっていた、ある権利のことを思い出していた。
僕は、立ち止まり、ひまりさんに向き合った。
「ひまりさん。僕、前に保留にしてた、女神様への願い事、決まったんだ」
「……なによ、改まって」
夕日を浴びて、ひまりさんの頬が綺麗に染まっている。僕は、一度だけ深呼吸をして、今の僕が出せる、ありったけの勇気を込めて言った。
「これからも、ひまりさんの隣にいたいです。最高のパートナーとしてだけじゃなく……その……僕と、付き合ってください!」
ひまりさんは、一瞬、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まった。そして、次の瞬間、顔を真っ赤にして、俯いてしまう。でも、すぐに顔を上げると、少し涙ぐんだ瞳で、満面の笑みを浮かべた。
「……しょーがないな。あんたが、そこまで言うなら」
彼女は、そう言って、僕の手を、ぎゅっと強く握った。
僕たちの奇妙で、最高にモフモフな冒険は、終わった。
でも、僕とひまりさんの、二人で歩む新しい物語は、今、この温かい手のひらの感触から、始まったのだ。
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