第12話 幻惑モフとときどき本音
ライバルとの競争を経て、僕とひまりさんの間には「パートナー」という確かな絆が生まれていた。天界のソファに座る二人の距離は、以前よりもずっと近くなっている。そんな僕たちの前に、今日のルーミア様は少し意地悪そうな笑みを浮かべて現れた。
「お二人とも、最近ますます息が合ってきて、わたくし、とっても嬉しいですぅ。そんなお二人の信頼を試すような、今回のモフモフさんはこちらですぅ!」
女神様が差し出した写真には、何も写っていなかった。いや、よく見ると、背景の森の景色に、陽炎のように輪郭が溶け込んでいる獣の姿がおぼろげに見える。
「これは……蜃気楼獣。カメレオンのように姿を隠し、見る者の心を映す幻を見せる、とっても臆病な幻獣ですぅ」
(心を映す幻……?)
「今回は変身なしです。その代わり、この『本音ポロリ茶』をお持ちくださいですぅ。幻を三十秒だけ見破れますが、副作用として、ご自分の本音が意図せず口から漏れてしまうので、ご注意を!」
「はあ!? 何それ、やばすぎでしょ!」
ひまりさんが素っ頓狂な声を上げる。僕も、とんでもないアイテムに冷や汗が流れた。しかし、ルーミア様は「健闘を祈りますですぅ!」とウインクするだけで、僕たちは有無を言わさず、光の中へと送り込まれてしまった。
◇
僕たちが転移したのは、じりじりと熱い空気が揺らめく、不思議な森だった。一歩足を踏み入れた瞬間、目の前の景色がぐにゃりと歪む。
(うわっ……。もう幻術が始まってるのか……?)
僕が隣のひまりさんに向き直った、その時だった。
「…………え?」
そこにいたのは、いつものひまりさんではなかった。
腰まで伸びた髪はシルクのように輝き、大きな瞳は宝石のようにきらめいている。彼女が微笑むと、背景にはなぜかキラキラとした光と、純白の羽が見えた。まるで、後光が差しているかのような、手の届かない完璧な超絶美少女。それが、僕の目に映るひまりさんの姿だった。
(き、綺麗だ……。いや、綺麗すぎてもはや女神様……。僕なんかが、気安く話しかけちゃいけないんじゃ……)
僕が完全に気後れして固まっていると、ひまりさんが怪訝そうな顔でこちらを見た。
「な、何よ、じろじろ見て……」
その声を聞いて、今度は僕が驚く番だった。僕の目に映るひまりさんには、いつものギャルっぽい雰囲気は微塵もなく、その声はお嬢様のように上品に聞こえた。
一方、その頃。ひまりさんの目には、全く違う光景が広がっていた。
目の前に立つしょこたんは、いつもの冴えない彼ではなかった。身長は少し高く見え、その眼差しは自信に満ち溢れている。海で自分を助け、空でグリフィンを従えた、あの時の頼りがいのある姿。まるで、物語の主人公のような、完璧超人スーパーヒーローに見えていた。
(な、なんなのよ、こいつ……。いつものしょこたんどこいったのよ……!)
あまりの威圧感に、ひまりさんはいつもの調子が出せず、完全にペースを乱されていた。
「あ、あの、ひまりさん……。蜃気楼獣を、探さないと……」
「……っ! わ、わかってるわよ、そんなこと!」
幻のせいで、全く会話が噛み合わない。このままではらちが明かないと判断した僕たちは、意を決して例のお茶を飲むことにした。
「せーの……」
ごくり、と湯呑みに入ったお茶を飲み干す。その瞬間、目の前の幻が晴れ、三十秒間だけ、いつものお互いの姿が見えた。
「あ、いつものひまりさんだ……」
僕が安堵の声を漏らした、次の瞬間だった。
「うわっ! やっぱりいつものひまりさんも綺麗すぎて直視できない! 心臓もたないんですけどぉ!」
「はあ!?」
僕の口から、抑えようのない本音が大音量で飛び出した。僕が顔を真っ赤にして口を押さえるのと、ひまりさんが驚きに目を見開くのは、ほぼ同時だった。
「な、なんなのよ、そのヒーローみたいな幻! こっちのペースが狂うからマジでやめてほしい! てか、正直カッコよすぎてなんかムカつくんですけど!」
「ええ!?」
今度は、ひまりさんの本音が炸裂した。彼女も、自分の口から飛び出した言葉に気づき、顔をぼっと赤らめる。
僕たちは、互いの本音を聞いてしまい、言葉を失った。三十秒が過ぎ、再び目の前の相手が幻の姿に戻る。しかし、今度はさっき暴露された本音が頭から離れず、余計に意識してしまった。
気まずい沈黙が流れる。でも、このままではいけない。僕は、真っ赤な顔のまま、勇気を振り絞った。
「幻じゃ、ない! 僕が信じるのは、いつものひまりさんだ! スーパーヒーローじゃない、僕を信じてください!」
僕の必死の叫びに、ひまりさんは一瞬驚いた顔をしたが、やがて、ふっと息を吐いて覚悟を決めたように僕を見た。
「……しょーがないな。あんたがそう言うなら、信じてやるよ。いつものしょこたんを。だから、あんたも信じなさいよ、いつものうちを!」
僕たちは頷き合う。幻の姿に惑わされず、「本当の相手」を心に思い描きながら、声を掛け合った。
「ひまりさん、右の茂みが怪しいです!」
「わかった! あんたは左をお願い!」
その時だった。僕たちの純粋な信頼の心に、何かが応えた。陽炎が揺らめいていた空間から、そっと、一頭の獣が姿を現す。
オーロラのように美しいグラデーションの毛皮を持ち、潤んだ瞳でこちらを見ている。蜃気楼獣だ。僕たちに敵意がないことを悟ったのか、臆病な獣は安心したようにその場に丸くなった。全身の毛が、穏やかなパステルカラーに変わり、やがて、すうすうと小さな寝息を立て始めた。
(信じて、よかった……)
僕は、その幻想的な寝顔を、そっとスマホに収めた。
◇
天界に戻ると、ルーミア様は「お二人の信頼の力が起こした奇跡ですぅ!」と大絶賛してくれたが、僕とひまりさんは、気まずくてお互いの顔をまともに見ることができなかった。
自室のベッドに倒れ込んでも、ひまりさんの「カッコよすぎてムカつく」という本音が、耳の奥で何度も再生される。
(僕のこと、そんな風に……)
パートナーとしての信頼の先に、もっと別の、甘くて、どうしようもなく恥ずかしい感情があることを、僕たちははっきりと自覚してしまった。その夜、僕が一人で悶々と枕に顔をうずめていたのは、言うまでもない。
「とても面白い」★五つか四つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★二つか一つを押してね!




