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モフ願い!〜眠るモフモフの寝顔を撮る天界バイトのお話〜  作者: 塩野さち


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第10話 海竜ラッコと人魚のデュエット

 天界のふかふかなソファにも、僕たちはすっかり慣れたものだった。ひまりさんはスマホでVibe-Tokの動画をチェックし、僕は備え付けのポットで淹れたお茶をすすっている。週に一度の、非日常が日常になった瞬間だ。


「まあ、たまにはチームプレイも悪くないかもね」


 前回のバイトの後、ひまりさんがぽつりと呟いた言葉が、僕の頭の中で何度も反響していた。最高のパートナー。その響きが、なんだかとてもくすぐったい。


(僕と、ひまりさんが……パートナー……)


 そんなことを考えていると、神殿の奥の扉が開き、いつもより少しだけ心配そうな顔をしたルーミア様が現れた。


「お二人とも、お待ちしておりましたですぅ……。実は、今回のモフモフさんは、少々デリケートな状況にいらっしゃるのですぅ」


 女神様が差し出した写真には、青い海の底で、長い竜のような胴体を持つ、愛らしいラッコの姿が写っていた。


「海竜ラッコ……! 水中のモフモフですか!」


 僕の目が輝くのと対照的に、ひまりさんは「は? 海とかマジ無理。メイク落ちるし」と、眉をひそめた。


「この海竜ラッコさんは、美しい歌声で海の魔物を鎮める、とっても心優しい幻獣なのですぅ。ですが、最近どういうわけか歌うのをやめてしまい、眠れない日が続いているとか……。このままでは、海のバランスが崩れてしまいますぅ!」


 ルーミア様は、僕たちに小瓶を差し出した。中には、虹色にきらめくグミが二つ入っている。


「こちら、わたくし特製の『マーメイドグミ』ですぅ! これを食べれば、水の中でも自由に活動できる人魚になれます! ソーダ味です!」


(人魚……!)


 僕とひまりさんは、顔を見合わせた。そして、覚悟を決めてグミを口の中に放り込む。シュワっとしたソーダの風味が広がると同時に、僕たちの体はまばゆい光に包まれた。


 光が収まった時、僕の足は一本の美しい青い尾びれに変わっていた。隣のひまりさんを見ると、彼女は鮮やかなピンク色の尾びれを持つ、華やかなギャル人魚へと姿を変えている。


「うわ、マジ人魚じゃん! てか、うちの尾びれ、超可愛くない?」


 ひまりさんは、自分のピンクの尾びれをぱたぱたと揺らし、まんざらでもない様子だ。彼女の姿に、僕は思わず見とれてしまう。


「似合ってます。すごく……カワイイです」


「……っ! ば、バーカ! それより、さっさと行くぞ!」


 ひまりさんはぷいっと顔をそむけたが、その耳は少しだけ赤く染まっていた。


「最後に、これをどうぞですぅ! 水中でも会話ができる『珊瑚のイヤリング』ですわ!」


 ルーミア様の声に見送られ、僕たちの体は、青く澄んだ光の中へと溶けていった。



 僕たちが転移したのは、どこまでも青が広がる、美しいサンゴ礁の海だった。色とりどりの魚たちが、僕たちの周りを楽しそうに泳いでいく。


(すごい……! 本当に、海の中だ!)


 だが、感動も束の間、僕たちは人魚の体に慣れず、うまく泳ぐことができない。ひまりさんは、その場でくるくると回転してしまっている。


「ちょ、何これ! まっすぐ進めないんだけど!」


 イヤリングから、ひまりさんの焦った声がクリアに聞こえてくる。僕が先に泳ぎ方のコツを掴み、ひまりさんの手を引いて、なんとか体勢を立て直させた。


「ありがとう、しょこたん……。助かった」


「いえ……。行きましょう、ひまりさん」


 僕たちは手を取り合ったまま、海竜ラッコが住むという海の楽園を目指して、ゆっくりと進み始めた。


 やがて、ひときわ大きな岩場の陰で、僕たちは一頭の海竜ラッコを見つけた。写真で見た通りの、愛らしい顔。しかし、その瞳は深く悲しんでいて、元気がまるでない。僕が近づこうとすると、怯えたようにさっと身を隠してしまった。


「なんだか、何かを探しているみたい……」


 ひまりさんが呟く。その時、近くの洞窟の奥から、邪悪な気配と共に、キラキラと輝く光が漏れているのに僕たちは気づいた。そっと中を覗き込むと、そこには巨大なタコ型の魔物が、美しい真珠貝を独り占めして遊んでいた。


「あれだ! ラッコさんの大事な宝物に違いありません!」


 ラッコは、お気に入りの真珠貝がないと眠れない。僕のモフモフ知識が、そう告げていた。


「よし、うちがおとりになる。その隙に、しょこたんが貝を取り返して!」


 ひまりさんが僕の返事を待たずに、タコ魔物の前へと飛び出していった。その挑発に、タコ魔物は怒り、八本の太い足を振り回してひまりさんに襲いかかる。


「ちょ、マジで離せって!」


 ひまりさんの体が、タコの足に捕まってしまった。


「ひまりさん!」


 僕は、恐怖よりも先に体が動いていた。ためらわずにタコ魔物の前に飛び出すと、女神様によって防水仕様に改造されたスマホを取り出し、カメラのフラッシュを最大光量で焚いた。


 ピカッ!


「!?」


 突然の光に、タコ魔物の目がくらむ。その一瞬の隙に、僕は叫んだ。


「ひまりさん! タコは狭い場所を好む習性があります! あの岩の隙間に誘い込んでください!」


「……! わかった!」


 僕の意図を即座に理解したひまりさんは、自由になった体で見事にタコ魔物を誘導する。まんまと岩の隙間にはまり、身動きが取れなくなったタコ魔物を尻目に、僕たちは真珠貝を奪い返すことに成功した。


 僕たちは、海竜ラッコの元へ戻り、その美しい真珠貝をそっと差し出した。ラッコは、信じられないというように僕たちの顔と貝を交互に見て、やがて、感謝するように僕の手にその柔らかな頬をすり寄せた。


 真珠貝をその胸に抱きしめると、ラッコは透き通るような、美しい声で歌い始めた。その歌声は、荒れていた海の魔物たちの心を鎮め、楽園に穏やかな時間が戻ってくる。


 やがて、歌い終えたラッコは、僕たちのすぐそばで、安心しきった顔でこてん、と眠りについた。その胸には、大切な真珠貝が固く抱かれている。


(ああ……なんて、尊い寝顔なんだ……)


 僕は目に涙をためながら、その奇跡の瞬間を、そっとスマホに収めた。



 天界に戻り、バイト代の二万円を受け取った後も、僕の心臓はドキドキと高鳴っていた。


 自室のベッドに倒れ込み、目を閉じる。ひまりさんの手を引いた感触。彼女を助けるために、夢中で飛び出した自分。


(あの時、僕は……)


 ひまりさんも、きっと同じことを考えているだろうか。言葉がなくても通じ合えた、あの瞬間のこと。


 僕とひまりさんの間には、また一つ、新しくて、温かい絆が生まれた気がした。

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