第21章 「紀伊水道へ飛べ」
白雲が点在する澄んだ青空に、至って穏やかな凪の海面。
暖かい春を迎えた紀淡海峡は、天気も波も実に穏やかだね。
日露戦争で連合艦隊参謀として活躍された秋山真之中佐は日本海海戦のタイミングで「本日天気晴朗なれども波高し」っていう電報を打電されているけど、私に言わせれば今の紀淡海峡は「本日天気晴朗にして波も低し」って感じかな。
多機能ヘルメットからはみ出したツインテールが春風に優しく煽られているのも、何とも風情があって心地良いよ。
こんな穏やかな春の午前中にエアバイクで編隊飛行をするのも、なかなか乙な物だろうな。
もっとも、それはあくまでも何事も起きていない平時に限っての話だけどね。
人類防衛機構に所属する特命遊撃士である私達がこうして選抜部隊を編成している以上、このエアバイクによる出動は単なる平和的な哨戒パトロールじゃないんだよ。
「海も空もこんなに穏やかだっていうのに、特定外来生物が迫りつつあるだなんて…自然というのは本当に分からない物だよ。そうは思わない、フレイアちゃん?」
「然りですわね、千里さん。獰猛極まりない肉食ローペンの群れの迫りつつある、穏やかな凪の太平洋… この私に言わせれば、さながら葵さんのようですわ。」
緊張の糸が途切れない為に隣を飛んでいた同僚へ話し掛けた私は、何とも珍無類な返事に首を傾げちゃったんだ。
どうして今のタイミングで、神楽岡葵少佐の事が出てくるんだろう?
「何しろ、平時は穏やかで誠に愛らしゅう御座いますのに、夜になりますと俄然と激しく御求めになりますもの…しかし私と致しましては、それがまた一層に愛おしく…」
「んもう…仕様がないなあ、フレイアちゃんったら。それもこれも、フレイアちゃんが撫でたり揉んだりと絶妙に焦らして来るからだよ。」
ああ、何かと言えばまた惚気の話だったんだね。
今回のローペン駆除作戦で編成された選抜部隊には他の支局の子達も一緒だってのに、フレイアちゃんも葵ちゃんも普段と全く変わらずに明け透けなんだもんなぁ…
まあ、あの二人の事を笑ったり変な目で見るような子は人類防衛機構にはただの一人もいないんだけど。
何しろ人類防衛機構は大日本帝国陸軍女子特務戦隊の流れを汲む超国家的軍事組織で、上層部から訓練兵に至るまで女性だけで構成されているからね。
そうした完全な女所帯の組織である以上、葵ちゃんとフレイアちゃんみたいな組織内恋愛はどうしても存在するんだ。
まあ、お互いを思い合う深い愛情が高度な連携を可能にする側面もある訳だから、隊内の風紀を著しく乱さないなら全く問題はないんだよ。
葵ちゃんとフレイアちゃんが今こうして見せているようなレベルなら、軍規的にもモラル的にも充分に許容範囲だよ。
そうしているうちに、多機能ヘルメットとリンクさせている軍用スマホに入電が来たよ。
目下の私達の母艦である強襲揚陸艦・紀ノ国の艦橋が、何か掴んだみたいだね。
「強襲揚陸艦・紀ノ国より各機へ。特定外来生物ローペンの群れを伊島沖合いにて確認。現在、ローペンは紀伊水道を目指して北上中。これより、位置情報の詳細及びレーダーで探知した敵影を各機へ送信する。」
そうして入電から間髪入れずに、敵対勢力の情報が送信されてきたんだ。
「うっひゃあ…これはまた凄い数だね。この点の全部が敵だって事?」
ハンズフリーイヤホンに命令して多機能ヘルメットのバイザーにワイプで表示してみたけど、流石の私も思わず声を出しちゃったよ。
レーダーの画面に表示される反応の数が余りにも多過ぎて、まるで塗り潰したみたいじゃない。
幾らローペンが渡り鳥みたいに群れをなして飛ぶ生態をしているからって、これはまた随分と規模の大きな群れじゃないの。
「おやおや、千里ちゃん?さっきは『軍人として誉れの極み』って威勢の良い事言ってたのに、まさかとは思うけど敵の数に呑まれちゃったとか言わないよね?」
「冗談言っちゃいけないよ、覚葉ちゃん!どれだけの大群が押し寄せようとも、私達の敵じゃないね!肉食ローペン共の血の雨を景気付け代わりに、佐官としてのキャリアを華々しくさせてやろうよ!」
いつの間にやら私も覚葉ちゃんも、すっかり悪友と呼べる間柄になったみたい。
今回の駆除作戦が終わった頃には、どれだけ仲良しになれるか楽しみだよ。





