35 レンエールの涙
ノマーリンが音を立てずにテーブルに紅茶を置いた。
『この所作一つ一つもノマーリンの努力の証なのだな。それらの所作が俺を穏やかな気持ちにさせてくれる』
サビマナを見てきたレンエールは改めてノマーリンの素晴らしさを感じていた。
「殿下。お勉強はいかがですか?」
「うん。やってみたらとても楽しいよ。ただ、知りたいことがどんどん増えるのだ。今まで自分がどれだけ無知だったのかと呆れている」
「まあ! 殿下は優秀ではありませんか。そんなに卑下してはいけませんわ」
「そうか? それは、まあ、ありがとう」
自分が恥ずかしいと思っていた過去の自分を褒められて顔を赤くした。
「確かに学園ではそうであったかもしれん。だがそれは、あくまで貴族としての教養だ。
為政者としてはそれでは足りないのだとわかったんだ。例えば、貴族であれば、自領の為政のために自領と隣領を学べば事足りる。
だが、俺はこの国の為政者となるのだ。この国のすべての領を理解すべきだし、それらの繋がりも理解すべきだ。さらに隣国についてもな」
ノマーリンは微笑みとともに聞いていた。
「これまでは、それらの勉強の必要性などを考えず、ただやらされていた。だからやってもやっても身につかなかったのだ。
だが、必要性をわかってやってみると、興味も湧くし、楽しく思える」
「そうでしたの。素晴らしいお考えだと思いますわ。ですが、なぜ、そう思うようになられましたの?」
「え? あ……そうだな……なぜだろうか?」
レンエールは顎に手を当ててじっくりと考えた。ノマーリンはにこやかに待っている。
レンエールは俯き加減で膝に肘を当て手を組んで考えながら口を開いた。
「そう……だ。サビマナを導かなければならないと必死で、導くにはそれ以上に知識が必要で、さらには根気も必要で……」
「そうですのね」
レンエールが思案顔をふと上げるとそれを微笑みで見守るノマーリンと目が合った。
「っ!!」
レンエールは慌てて目を逸らしたが染まってしまった頬は熱いままだ。
『俺はこうやって見守られてきたんだ。いつでも俺の意見も気持ちも聞いてくれて、導いてくれていたんだ……』
「いかがいたしましたの?」
「えっ! いや、何でもない」
紅茶を一口口にして落ち着こうとする。
「導くというのは大変なのだな。相手が導かれていることを理解していないと、ただただ嫌味に聞こえてしまう。だが、嫌われても断られても、相手を思えば心を鬼にして言わねばならない。つらいな……」
「そうでございますわね……」
レンエールは深々と頭を下げた。
「バザジール嬢。本当に申し訳なかった。貴女の立場も気持ちも考えず、わかろうともせず、私のわがままを通そうとしていた。
そして、それが通らないことをバザジール嬢の責任のように考えてしまっていた。
恥ずかしい限りだ」
「殿下。臣下に頭を軽々しく下げてはなりませんわ」
それでもレンエールは頭を上げない。
「今は、貴女と私しかいない。外では決してやらない。だから、だから、今は……」
テーブルに水の跡がついた。
「すまない。すまない。すまない……」
ノマーリンは黙って聞いていた。
レンエールは頭を下げたまま涙を流した。そして、落ち着いてみると今度は恥ずかしくて頭を上げることができない。
ノマーリンがサイドテーブルからタオルを持ってきてレンエールに渡した。
「すまぬ。ありがとう」
「いえ」
レンエールは下を向いたままの顔をガシガシと拭いて、大きく息を吸ってから頭を上げた。




