「侍と忍び」
お題「侍」「忍び」
人気のない街道を歩く男がいた。身なりからして武士だろう、刀を腰に佩いている。男は佐之助といい、実家のある里見から江戸へ戻る旅の途中である。
佐之助の親は病を患い、医者から長くはないと言われていた。それゆえ江戸で共に暮らそうと説得をしに行ったのだが、親は里見から出ぬと意地を張る。
佐之助にも仕事がある。このまま居る事もできずに、次に来るまでに考えを改めるようにと言い残し江戸へと旅立った。
本来なら暇を貰い親の傍に居たいと思うものの、佐之助は迷っていた。自分の収入がなくなれば親に辛い思いをさせるかも知れぬからだ。それに親には離れられぬ理由もあると言う。
村に流れの薬師が住み付いたとかで、その薬師の弟子──会いはしなかったが、名を蘭花というらしい──をまるで孫のように可愛がっていると隣人から聞き、そんな理由で断られているという事実は佐之助には衝撃であった。
江戸は決して遠いわけではないが、近いわけでもない。徐々に傾く日を見て、佐之助は歩みを早めた。近くに民家があれば良いが、生憎と家の明かりは見えない。宿場はまだ遠く、遅くに出立したことを佐之助は悔いた。
「お兄さん、お兄さん……そこのお侍様」
どこからか聞こえた女の声に、佐之助は歩みを止める。振り返るも姿はない。佐之助は首を傾げて先を急いだ。辺りはもうだいぶ暗い。
夕暮れは物の怪が人を化かしにくる。女の声もその類だろうと佐之助は思った。
「お侍様、こっちよ」
今度は真横から聞こえた声に、佐之助は驚いて振り返った。先ほどは後ろからだったような気がしていたが、いつの間に追いつかれたのだろう。
見ればそこに年端も行かぬ少女が、木に隠れるようにして立っていた。どう見ても大の男が足早に歩いていたにも関わらず、このような少女が佐之助に追いつけるとは到底思えなかった。
「お前は……?」
「この先に人のいない神社があるの。小さいけれど、一晩の宿には十分だわ」
少女の言葉に佐之助は目を丸くした。もしそれが本当ならば願ってもないことだが、佐之助はこの付近に神社など見たことがなかった。
少女は佐之助の考えを見破ったように笑う。それは悪意がないもので、物の怪かと疑っている佐之助は驚いてその笑顔を見ていた。
「騙しはしないわ。だって騙しても仕方がないもの。神社があるのは本当、だけど人があまり来ないから荒れているの」
「それは真か」
「でも一晩だけよ、お侍様。長居はだめ」
「わかった、案内してくれ」
すると少女はくるりと方向を変えて歩き出した。まるで獣道のようなそこを佐之助も後を追い歩く。もし物の怪だとしても、この少女が悪戯をするようには見えなかった。
街道が見えなくなるほど歩くと確かに神社らしい建物があった。しかし鳥居の紅も剥げていて、荒れているのが目に見えて分かる。
少女が鳥居の前で手を合わせてその社に入ると、佐之助もそれを真似て後を追った。
社の中は外見から想像していたよりも綺麗だった。少女は社の中にあった毛布を佐之助に渡した。
「わたしは江戸に向かうところだったのだけど、途中で探し物をしていたら遅くになってしまったの。お侍様は、どうしてこんな時間に?」
「……家を出るのが遅れたのだ。今日は野宿と思っていた。声を掛けてくれたこと、感謝する」
「旅は道連れ……でしょう?」
「そうだな」
少女はそう言って笹包みを佐之助に投げ渡した。これは何かと問うと、少女は不思議そうに首を傾げて「握り飯よ。お夕餉」と答えた。
笹包みは2つ。1つは佐之助が、もう1つは少女の手元にある。少女がそれを食べるのを見て、佐之助も握り飯を口にした。
「……うまい」
「わたしの世話になってる人が用意してくださったの。お仕事の合間に……って」
「まだ幼いのに、仕事を?」
「あら。こう見えても年は16よ。初見の人はよく間違えるけれど」
「……まだ、10かそこらかと」
「よく言われるわ。こう見えても薬師なの。見習いのだけど……師匠と一緒じゃないと、いつも信じてもらえないのよね」
そう言い、少女は肩をすくめた。
それから2人はそれ以上言葉を交わさず眠りに就いた。佐之助についてはやはり急ぎ歩いた疲れがあったのだろう。いつの間にか横になって眠る佐之助とは反対に、少女は壁に背を預けて目を閉じていた。
暫くして少女は目を開き、佐之助の様子を探るように盗み見た。そして臭いを嗅ぐような仕草をして顔をしかめた。
「いやだ。ちょっと足りないかしら……まぁ、よく眠ってくれているようだし、構わないわよね」
そう呟き、少女は軽く息を吐いて今度は完全に壁に背を預けて目を閉じた。
それから2人が目を覚ましたのは、辺りがうっすらと明るくなりだした頃だった。十分な休息をとった佐之助は前日の疲れが嘘のように感じていた。
大きく伸びをした佐之助は、後から出てきた少女を振り返って言った。
「江戸までというなら、共に向かわないか?」
「ごめんなさいお侍様、わたしは途中で用事があるの。ここでお別れね」
「そうか……いや、無理を言うつもりはない。昨晩は助かった、礼を言う」
「礼を言われるほどではないわ。また、機会があれば会いましょう」
「あぁ。では」
佐之助は少女に礼を言い昨晩通った跡を、今度は街道へと歩き出した。その後ろ姿を見ていた少女は、思い出したように社の中へと戻った。
再び出て来た少女の手の中には小さな香炉が収まっている。それを懐に仕舞うと、少女はぺろりと舌を出した。
「眠りの香はよく効いたのね。思ったよりも量が少なかったはずなんだけど」
香炉の蓋を開けて中身を確認した少女は、満足そうに笑った。師匠からは多めに香を受け取っていたが、全部使わずに済んだことが何故か嬉しいのだ。
気が付くと佐之助の姿はもうどこにも見えなくなっていた。街道に出てから、やはり昨日のように早足で進んでいるのだろう。
「……心配性の両親を持つと大変ね、佐之助様。まぁ、この蘭花の名にかけて無事に江戸まで見届けますけれど」
まるで忍びみたいだわと小さく呟き、蘭花は先へと姿を消した佐之助の後を追うために、再び気配を殺して林の中へと姿を消した。