7、情熱
買い物から帰ると、江村さんが来ていた。
一昨日パリから帰ってきたばかりという江村さんは、少し疲れた顔をしていたけれど沢山のお土産を広げてママと楽しそうに話をしていた。
そうか、ちょっと顔を見ないと思ったら、フランスへ行っていたのか。
「エミちゃん、元気そうだね。よかった・・・あれ?・・・・何か、雰囲気が丸くなった?」
ノリコがうちへやって来るちょっと前、私の声が出なくなった時の事を、江村さんは今でも気に病んでいる。
結局は父親の死のショックが原因だったというのに、私の声が出なくなってしまった責任を凄く感じてしまった。
それも10年以上前の話で、今はこんなに元気なのに、それでもやはりまだ気にしてくれていて。
昔と違って、パリコレにも出るような世界的に有名なデザイナーになっても、こうして頻繁にママに会いに来て、私が元気だとホッとした顔をする。
「え、そう?元気は元気だけど・・・うーん、ちょっと太ったのかな?」
自分では体型の変化に気が付かないけれど、モデルを見慣れている江村さんがそう言うなら、そうなのかもしれない。
となると、毎回江村さんが作って持ってきてくれるワンピースもサイズが合わなくなっているかも!?
そう思って、腰に手をあて両方の人差し指と親指でウエストの辺りを確かめていたら。
「バカだね、丸いっていうのは雰囲気だって言っているじゃないか。」
ママが呆れた声をだして、江村さんもそれに頷きクスクス笑う。
「そう、そう。体型はスレンダーのままだよ。だけど、雰囲気が柔らかくなったって言うか・・・うまく言えないけど、この間会った時よりもいい顔になった。」
なんて、お世辞まで言い出した。
ママは意味ありげにそりゃぁねぇ・・・と呟いたので、私はそれを遮るように。
「江村さんっ、お昼食べたの?簡単なものでよかったら、おにぎりでも食べる?」
もう14時近いけれど江村さんは仕事を片付け、一刻も早くママに会いたくてお昼を抜いてここにやってきたに違いない。
私の言葉に江村さんは目を輝かせて、食べる食べると即答した。
江村さんは昔からママの熱狂的なファンだ。
売れないデザイナーの頃にママと知り合い、ママは江村さんの作るドレスを気に入って衣装は江村さんのものをその頃から着て、皆に宣伝をしていた。
ママは昔、ホステスをする前にクラブ歌手をやっていて。
江村さんばかりじゃなく、何人もそういう熱狂的なファンが未だにママにはいる。
皆、それぞれの道で成功していて多忙なはずなのに、月に1度は必ず『Chicago』に来てくれて。
昨年ママが体を壊して私に店を引き継いでからも、皆律儀に店に通ってくれている。
大体、自宅の方へママに会いに来てくれて、店に飲みに来てくれると言う流れだけど。
江村さんに至っては、多い時は毎週とまではいかないけれど月に2・3度は来てくれて。
そのたびに店で着るシンプルだけどラインがとても美しいドレスを持ってきてくれて、ママはずっと江村さんのドレスを着ていた。
そして、私がママの店を本格的に手伝うようになったら、私のドレスも作ってくれるようになった。
だけど、江村さんの作るドレスはどれも素材がシルクで、クリーニングに出さないといけないものばかりで。
元来貧乏性の私はそれだと不経済で困ると言い張り、私のものだけは家で洗濯できる綿やジャージ素材のワンピースに変えてもらった。
とはいっても、全て江村さんの好意でプレゼントして頂いているのに、江村さんのドレス制作のスタンスを無理に変えさせてしまい申し訳なくて、無理しなくてもいいと頂くたびに伝えていたのだけれど。
ママが店に出なくなり店で着るドレスが必要なくなった時に、自宅で着るワンピースを私用と同じ素材で作り始めたのを見て、江村さんの私たちにプレゼントをする気持ちに改めて気がついて。
申し訳ないと恐縮するより、感謝して大切に着ようと思ったのだった。
夕方店におにぎりをもっていって食べようと、昼食を作るついでに鮭を焼いておいてよかった。
鮭をほぐして、自分用と一緒に大き目なおにぎりを握り、パリパリの海苔でまいて。
大根のお味噌汁は作り置きの出汁を使ってママの夕飯用と合わせていつもより多目に作り、疲れているようだからはちみつを入れて作った梅干をつけて・・・簡単にすぐ用意したものを江村さんの前に出したら。
「うわぁぁぁ、エミちゃんありがとう!もう、3週間日本離れていたら、日本食が恋しくて恋しくて。昨日なんかは疲れすぎて、食欲ないし・・・ああ、早く食べよう!いただきますっ!」
江村さんは大喜びで、差し出したおしぼりで手を拭くと、箸を持ちみそ汁のお椀に手を伸ばした。
おにぎりを食べてすっかり元気になった江村さんは、開店と同時に店にやってきた。
多分、ママが夕食をとる前に出てきたのだろう。
夕飯時になったら、ママのことだから食べて行けと誘うはずだから。
今日は持ってくる荷物が多かったのと、今日中に帰らないといけないらしく車で来ていた江村さんに、私はコーラとピザとシーザーサラダを出した。
「聞いたよぉ、エミちゃん。彼氏ができたんだって?」
ママがミッチーの事を話したのだろう、江村さんはニコニコ顔でそう言うとピザを頬張った。
「いや・・・彼氏って言うか・・・人懐っこい迷い犬が、うちに居ついたっていうか・・・。」
照れ臭いのと、ミッチーに対してどうしてか『彼氏』という言葉がしっくりこないのとで、ついそんな言い方をしてしまったけれど。
そんな私の言葉に、江村さんがおしぼりで口元を拭くと、真顔になった。
「それでも、エミちゃんはその彼の事を、その日のうちに内側にいれたのでしょう?僕が知る限り、エミちゃんがそうやって内側に入れた人って、ノリコちゃんだけだよ?エミちゃんは本当に優しいし美人だから、今までもモテて彼氏もすぐできたけど。そうやって内側に入れた人って今までいなかったよね?エミちゃんは、感受性が強いから・・・自然と愛せる人を見極めているのかもしれない。史子さんが言っていたけど、マグカップをエミちゃん彼の分まで買ってきてたんだって?出会う直前に・・・僕はリアリストではなくて、ロマンチストだからそういう偶然は、必然って思うんだ。『彼氏』って言葉が悪かったかな?だったら、『大切な人』、『かけがえの人』、『愛を注ぎたい人』・・・そんな風に言葉を変えてみたら、エミちゃんの中でしっくりくるかもしれないね。」
感じなくてもいい罪悪感を私に持ち続けている江村さんは、未だに私の幸せを願ってくれていて・・・だから、江村さんの言葉はとても素直に私の心に入ってきた。
「『大切な人』、『かけがえの人』、『愛を注ぎたい人』・・・そういう人がいるのといないのとでは、自分の生きる意味が違ってくるんだ。それは、家族でももちろんいいけれど、男女の間だったらもっと情熱的で、ドラマチックになって、それはそれは素敵な人生になるよ?・・・・たとえ、それが僕のように片思いでもね?」
考え込む私に、更なる素敵なアドバイスをくれた江村さんは、最後は自虐の言葉で締めた。
江村さんは、出会った瞬間にママに恋をしたという。
未だにパパを愛しているママは、その気持ちに応えられない。
派手なタイプで、アメリカンバーをやっていたママは、ここではアメリカ人男性にいつも囲まれていたけれど。
それでも、いつもママの心はパパにしかないことを私は知っていた。
それでも、ブレることなくママを思い続ける江村さんを、私はずっと不思議に思っていたけれど。
今、ようやく江村さんの気持ちを知った。
素敵な人生と言い切った江村さんを、私は心から素敵だと思った。
その後、美味しそうにコーラとピザとシーザーサラダを平らげて、江村さんはすぐに帰って行った。
昼食を取る時間も惜しんで車を飛ばして午後に着いて、そして5時半に急いで帰っていく江村さんを目の当たりにし。
多忙な中時間を捻出してママに会いに来たのだと、それでも会いたいのだという情熱を私は感じ取った。
「エミちゃん、ただいまー、ただいまー、ただいまー!」
江村さんの話をずっと考えていたら、ノリコとミッチーが帰ってきた。
ミッチーの声の大きさに苦笑しながらただいまと言うノリコに、笑顔でお帰りと返すと。
「エミちゃん、ただいまー、ただいまー、ただいまーっ!」
私のところへ走ってきて、さっきよりも声を張り上げるミッチーに私も苦笑しながら。
「お帰り、ミッチー。」
と、声をかけると、輝くようなニパッとした笑顔になった。
理由なんてわからないけれど、江村さんの言った『大切な人』、『かけがえの人』、『愛を注ぎたい人』・・・その言葉が浮かんだ。
そして、今更ながら自分の気持ちが見えた。
実際行動ではとっくにミッチーを受け入れているのに、自分の心の中ではでも・・・だって、とミッチーに対して受け入れかねていたのは、ミッチーを失いたくないからだった。
ノリコがうちへ来た時は、うち以外どこへも行けない状況だったから、ノリコを健康にすれば失うことはないと子供ながらわかっていたのだ。
だけど、ミッチーは大人でしかもこんなにハンサムで、お金もあって、自由な人だ。
だから、簡単に失ってしまうかもしれないと不安があったのかもしれない。
確かに、私はもう・・・ミッチーを受け入れている。
「エミちゃん・・・どうしたの?」
お帰りと言ったきり黙り込んだ私を、心配そうな顔で見つめるミッチー。
ノリコは、私の着ているワンピースを見て、江村のおじちゃんが来たんだね、今日も素敵だねとニコニコ笑い、ミッチーが江村って誰っ!?と声を荒げるから。
「ミッチー。私、ミッチーのラブソングが聴きたくなっちゃった。情熱的なの歌って。」
そう話を変えたら、ミッチーがとろけそうな顔になった。
「それって、俺の愛の言葉を期待してるってこと!?フフッ・・・いいよぉ、俺もエミちゃんに愛が溢れかえって、今顔見たらたまらなくなっちゃったしー。この噴火しそうな情熱を叫びたかったんだよねー。丁度良かったー。もう、エミちゃんの為だけに歌って、叫ぶからねっ!ちゃんと、俺の愛を受け留めてねっ!」
いや・・・そこまでのことは期待していないんだけど。
簡単にラブソングを歌えと言った浅はかな自分を、瞬時に後悔した。
だけど、1人盛り上がったミッチーは、今日も着替えを自宅から運んできたらしい大き目のボストンバッグをカウンターの内側に置き、ギターを手に取り意気揚々と店の小さなステージへと向かっていった。
「ノリコ・・・姉の彼氏が、あんな感じでも平気?」
カウンターに入り、手を洗っているノリコに確認してみた。
ミッチーの異常な盛り上がりに、居たたまれなくなったのだ。
だけど、最近ずっとミッチーと行動を共にしているノリコは、その状態に慣れているのか、ゲラゲラと笑った。
「アハハッ・・・そりゃぁ、平気か平気じゃないかって聞かれたら、あのテンションの異常さは、平気じゃない場合もあるけどさ。でも・・・そんなの飛び越えて、ミッチーは、もう家族じゃない?なんか、凄い勢いでうちに入って来たし、まだ日が浅いけど・・・叔母ちゃんだって、エミ姉だって、私もだけど・・・ミッチーがいなくなることなんて、考えられなくなってない?一緒にいるのが当たり前みたいな・・・それって、エミ姉の彼氏飛び越えて、もう家族じゃないの?」
ノリコはとっくに、ミッチーを受け入れいていた。
確かに、ノリコはうちに来る前の経験からか、そう簡単に人を受け入れない。
そのノリコが面倒と思いながらも、ミッチーをここまで連れてきたのだ。
そのことに今更ながら気が付くなんて・・・と、ため息をついていたら。
「エミちゃん!愛してるよぉぉぉ~!あふれるパッションッをささげます!・・・フゥゥ、イェェイ~♪」
ノリノリでミッチーが、情熱ほとばしる愛の歌を歌い出した。