4、痺れるような予感
久しぶりに、ママのあんな楽しそうな笑い声を聞いた。
ミッチーは、かなりぶっ飛んだ思考回路の持ち主の様で、悪気はないのは分かるが普通の人とかなり異なっていた。
まぁ、普通というのがどう普通なのか説明しろと言われても困るけれど。
とにかく、常識とか建前を飛び越えて、素直すぎる言動ばかりだ。
そりゃぁ歌手を目指しているくらいだから、感受性が強いのだろうが。
ノリコは先月ジミーが紹介してくれたコリーレコードのプロデューサーに歌手にならないかと声をかけてもらい、オーデイションを受けて見事合格した。
ノリコはとても歌が上手い。
姉のひいき目ではなく、本当に上手で尚且つ人の心を打つような歌をうたう。
ママがノリコの鼻歌をきいて、ノリコの才能に気づき。
ノリコは小学校6年生から、うちの店のステージで客を前にして歌い始めた。
最初にノリコの『I was born』を聴いた時、私は胸が震えた。
たった12歳の少女が、こんなにも人生を切なく歌えるものかと、不思議だったけれど。
考えてみれば、ノリコが5歳でうちへ引き取られるまでに、その短い人生で一生分以上の苦しみを味わったのだから、ノリコの心のひだは他の同年代の子らとは深みが違うのかもしれない。
そんなわけで、ノリコは現在デビューを目指して、コリーレコードへ毎日レッスンに通っているのだ。
ミッチーとはオーデイションで一緒になり、一緒に合格した仲間で毎日一緒にレッスンを受けているうちに仲良くなったという。
歌だけでなく、格好いいという言葉じゃ足りない程ルックスが際立っているので、少し歳がいっているような気もするけれど、そんなこと気にならない位人気が出るだろう。
だけど、うちまで来るなんて余程ノリコが気に入ったのか・・・いや、ミッチーが店に来てから、やたらとまとわりつかれているのは私で、一体どういうわけなんだと考えはじめたところで、面倒になってそれを中断した。
ともかく私の事は置いておいて、ミッチーとママは波長があったらしく、気が付けば話が弾んで午前3時近くになっていた。
店に出ていたから髪についたタバコの臭いが気になり先に私が風呂に入った後、ノリコはすぐに風呂に入り、早朝に起きてランニングをするからとさっさと寝てしまった。
私も明日店が定休日とはいえ、いい加減寝ないとダメだとママとミッチーに声をかけた。
ママはとっくに風呂に入っていたから、おやすみと自分の部屋へ引き上げたけれど。
いきなり、ミッチーと2人にされた私はどうすりゃいいのという心境だ。
いや、別にどうもしないけれど・・・ママが去ってリビングに2人だけになった途端、ミッチーが真面目な顔になった。
その変わりようにドキリとしたけれど、だからってそれを顔に出すほど初心でもない。
私はミッチーを和室の客間に案内し、ここで寝てと襖を開けたら。
ノリコが既にきちんと布団を敷いておいてくれた。
本当にノリコはいい子だ。
気遣いばかりか、人のために労力を惜しまない。
それが自然とできる子で、それはうちへ来た時から私は感じていたけれど、あんな劣悪な環境で自然とそういう澄んだ心を持ち続けられたということは、奇跡の様だ。
そんなことを考えながら、ノリコが敷いた布団を見つめていたら。
「本当に、そういうところがエミちゃんもノリコも良いと思う。」
突然、そんな意味不明なことをミッチーが言い出した。
そもそも、『そういうところ』ってどこだよ。
そう心の中で突っ込んだら。
「俺が泊まることになったから、この客間を使うと思ってノリコが布団敷いておいてくれたんだよね?エミちゃんはそのノリコの気持ちが嬉しくて、布団を見ながらニコニコしていて。ノリコも俺が寝る布団だから俺のためでもあるんだけど、仕事終わりのエミちゃんの負担を減らそうっていう気持ちもあったんだよね?本当にノリコっていい子だよね。その気持ちにちゃんと気がついて、嬉しく思えるエミちゃんもいいなぁって思ったんだ。いや、ノリコからエミちゃんの話を今までよく聞いていて、そう思っていたけれど。本当にそうだったんだなぁって、俺もなんだか嬉しくなっちゃった。」
「・・・・・・。」
驚いた。
何に驚いたかっていうと、ミッチーの洞察力だ。
ただぶっ飛んだ思考回路の持ち主だと、そう思っていたけれど。
この人って、人間の本質を見る目を持った人だ。
ママと波長が単に合ったのだと思ったのは間違いで、ママは話をしていてミッチーの洞察力の鋭さに、気が付いていたのだろう。
ママは勘が鋭い人で、そして人間の悪意に敏感だ。
だから、クラブでナンバーワンも取れたのだろうし、ここでも人気の『アメリカンバー』をここまでやってこられたのだと思う。
「ん?エミちゃん、どうしたの?」
ミッチーの言葉にただただ驚いて、言葉が出ない私にミッチーが首を傾げた。
私はハッとして、慌ててごまかすように。
「生憎、男性物の着替えはないけど・・・シャワーは浴びるでしょう?」
そう言ってミッチーの答えも聞かずに私はミッチーを手招きし、風呂場へミッチーを案内するとバスタオルを渡し、心中の動揺を見抜かれないようにさっさと自室へと戻った。
翌日、寝不足の私は何とかベッドから這い出して、2人分のお弁当と朝食を作った。
わざわざリクエストしただけあって、ミッチーの喜びようは凄かったけれど。
予備の為に買ったと言ったはずのコバルトブルーのマグカップで、コーヒーを飲む顔は輝いていて。
とても、昨晩出会った人だとは思えない、ここへの溶け込み具合だった。
2人が元気よくレッスンのため東京に向かうと、私は日常のリズムを崩してもうひと眠りしようとベッドにもぐりこんだ。
そして目が覚めるや否や、激しく動揺。
せっかくの休みだと言うのに、昼近くまで眠ってしまった。
ママは近所のカフェへランチに出かけていた。
いや、多分ママも遅く起きて、朝食と兼用だろう。
何故、ママが近所のカフェへランチに出かけたのかを知り、激しく動揺しているのかと言うと。
目が覚めた時、私の隣でミッチーが眠っていたからだった。
そのことに気がついて飛び起きた私に、ミッチーが私のベッドの中で伸びをしながらママの情報を教えてくれたのだった。
「な、な、な、なんでっ・・・ここに、いるのっ!?」
焦る私に、ミッチーはクスクス笑いながら。
「おはよう・・・ん?おそようかなぁ、フフッ・・・。」
そう言って、私の唇にチュッとキスをした。
戸惑う私に、ミッチーはもう一度キスをしようとしてきたので、私はガバリと立ち上がった。
私はとりあえず落ち着こうと、マグカップで牛乳を1杯飲むと。
出かける用意をするため、顔を洗い日焼け止めを塗り着替え始めた。
いつもの日課である浜辺へと向かうためだ。
そんな私を、コバルトブルーのマグカップを手に、ミッチーはじっと見つめていて・・・!!!
「ちょっと!着替えているのに、何でいるのよ!!何、見てんのっ!!」
昨日会ったばかりなのに、ミッチーはそこにいるのが当たり前のように気にならなかった自分に驚きながら、私は慌てて下着姿の自分を着替えようと思っていたワンピースで隠した。
なのに、ミッチーは平然としていて。
「そのワンピース、後ろファスナーだよね?そんなことしてないで、着ちゃいなよ。俺、ファスナー上げるからさぁ。」
なんて、下心はなく親切心で言っているような雰囲気を出してきたから、私もそれを突っぱねるのが大人気ないような気になり。
仕方がなく、サササッとワンピースを足から入れて身にまとった。
そのスピード感が面白かったのか、ミッチーはアハハと笑いながら私の後ろに回り、ファスナーをジジジッと上げてくれたのだけれど。
一番上のホックを留めた後、その指は私の首筋を這い出した。
その思ってもいない動きに私はビクリとして。
思わずそれを阻止しようと、私はミッチーの指を鷲掴みした。
「フフッ・・・エミちゃんは、敏感だな。」
耳元で囁くミッチー。
私は、ゾクゾクと何かが体を駆けあがってくる気配に、もう彼からは逃げられないんじゃないかと、痺れるような予感がした。
なぜなら、その指を掴んだ感触がまるで、夢で見たあの青い蜘蛛を掴んだ感触と同じだと気がついたから。