25、大切なこと
ミッチーが出かけた後。
冷凍ご飯をチンして、卵雑炊を作って食べた。
鳥のひき肉を入れ和風出汁とショウガで味付けした後、溶き卵を落とし万能ねぎを散らばせた、シンプルだけど栄養満点の雑炊だ。
結局ランチを中止してそのまま帰宅したからお腹が空いていて、気がつくとあっという間に平らげてしまっていた。
「・・・・・・・。」
「どうしたんだい?急にそんな難しい顔して。お茶、冷めるよ?」
れんげを持ったまま、空になった丼椀をじっと見つめていたら、向かいでお茶を飲んでいたママが話しかけてきた。
慌ててれんげを置いて、ママが淹れてくれたお茶を口にした。
八女茶の甘みと茶葉の香りがたった美味しいお茶を味わいながら、ホッと一息つくと私はママを見つめた。
言い方を変えてみたって、私の心が変わるわけではないので、私はそのままを告げることにした。
「大変な事、ショックな事があっても、私って・・・食べ物が喉を通らないってことにはならないんだよね、昔から。本当に、生きることに貪欲で、食い意地が張ってる女だなぁって思っていたところ。」
私がそう言うと、ママは目を細めフッと笑った。
「何だ、そんな風に自分のこと思っているのかい?それが、エミの良いところなのに。」
「ええっ!?」
「子供が生きることに貪欲って、親にとったら何よりもありがたい事なんだよ?私は、何度エミのそういうところに助けられたか・・・パパが亡くなった時、私はあんたをしっかり育てていかないといけないって頭ではわかっていても、心と体がショックで中々動かなくてさ・・・だけど、あんた凄く悲しんでいるのに、ちゃーんと食事の時間になったらお腹空いたって私に言ってくれて。それで、私も三食を意識することが出来て・・・あんたがショックを受けて食欲までなくしていたら、もしかしたら2人して病気になっていたかもしれない。それからあんたの声が出なくなった時も、食べたいって気持ちだけはあったから、それだけでも私は救われたんだよ。ノリコだってそうさ。最初あの子が家へ来た時、かなり栄養不足で衰弱していたんだよ。あまり食べさせてもらえなかったみたいで、胃も小さくてね。だけど、あんたがあの子に根気よく食べさせてくれて・・・ノリコは体力が回復しただけじゃなくて、食事の楽しさもあんたから教わったんだよ。」
「・・・・・・・。」
思ってもいないママの言葉に私はびっくりした。
いや、逆にパパが亡くなって数時間後に、お腹空いたとご飯を要求したデリカシーの無さを大人になって思い返して、あれはなかった・・・と思っていたのに。
そんな肯定的に思ってくれていたなんて。
ノリコの食事のことだって、ノリコの為っていうよりノリコが死んでしまうのではという私の恐怖心から必死で世話をしただけのことだし。
元気になってからは、私の料理が美味しいって嬉しそうな顔をするノリコが、ただただ可愛くて食べさせているだけだし・・・うん、それって私の為なんだよね。
それなのに―――
「結局、あんたはパパに似たんだろうね。あの人も小食でもきちんと三食をとる人だったし。家族で一緒に美味しいものを食べて、食事を楽しむ人だった・・・体は弱かったけど、そういう生きる強さを持った人だった。子供を持ってみて、そういう強さっていうのが家庭には必要だとつくづく思ったよ。ミッチーもさ、エミのそういうブレない芯の強さに惹かれているんだと思うよ。さっき、あんたがミッチーに言った事・・・ここにちゃんと帰ってくることが前提って・・・確かにそうなんだよね。何があったって、生きる事・・・それが一番大事なことだ。私もダメだね・・・目の前のショックなことに気持ちを持っていかれて、大切なことがブレるところだった。親のくせに、子供に教えられるなんてね・・・だけど、あんたは凄いよ。自然にそれができる・・・本当に、私の自慢の娘だよ。」
食い地が張っている自分自身に自己嫌悪をしかけていたら、まさかママにその食い地で褒められるなんて・・・しかも、自慢の娘なんて言葉まで飛び出して。
あまりの展開と、人の気持ちって人それぞれなんだと思ったら、何だかどうしていいのかわからなくなって。
つまり・・・滅茶苦茶照れくさくなったわけで。
何だか居たたまれなくなった私はそそくさと食器を洗うと、店の掃除に行くことを理由に、家を出た。
「すみません・・・あの・・・お店って開いていますか?」
店内の空気がこもったようになっていたので、店の入り口を開放したままにしていたら、人が入ってきた。
モップで、床を水拭きしていて俯いていたので、その声に顔を上げると、とんでもなくスタイルの良い綺麗な黒人女性が立っていた。
訛りのない綺麗な日本語と、小づくりな鼻と薄い唇をみて、多分ハーフなのだろうと一瞬にして見て取れた。
ここら辺で、ハーフはそれほど珍しくない。
「ビールサーバーの入れ替え待ちで、店休みにしているんです。せっかく来てくれたのに、こめんなさいね。」
そう言って、もう一度目の前の女性をよく見ると、疲れた顔をしていた。
もしかしたら、お腹が空いているのかもしれないと気の毒になり。
「店、休みだけど・・・もし、お腹がすいているのなら・・・ピザならすぐに用意できるけど?」
と、問いかけたら、目の前の女性がいきなり目を吊り上げた。
「こ、こんな時にっ・・・ピザなんて、食べられるわけないでしょうっ!?」
その剣幕に驚くよりも、『こんな時に』という言葉に、この女性が誰の関係者なのかが何となくわかってしまった。
私は黙ってモップとバケツを壁側の邪魔にならないところへ移動させ、カウンターの中に入ると。
「ジョーなら、ここに来てもいないし、連絡も一切ないわ。叶社長が亡くなったことは、横須賀の知り合いからさっき聞いて知ったけれど・・・まぁ、とりあえず、座ったら?私に話があってきたのでしょう?」
そう言って、カウンター席を彼女に勧めた。
すると、彼女は吊り上げた目を真ん丸に変えて、つまりポカンとした顔をした。
その表情に、大人っぽく見えるけれど、案外若いのかもしれないと思った。
「すみません。お休みの日に、掃除中にいきなり店に入って来て、しかもいきなり大きな声を出してしまって・・・。」
カウンター席に勧められるがまま座った彼女はアキと名乗った後、そう言って謙虚に頭を下げた。
手を洗った私は、アキさんにウーロン茶を出した。
「ううん、私の方こそデリカシーの無い事言ってごめんね。あなたが疲れた顔していたから、つい、お腹が空いているんじゃないかと思って、余計な事言ってしまって。」
アキさんの素直な態度に、私も素直な気持ちで言葉を返すと、彼女はじっと私を見つめた。
「私・・・彼女ではないですけど、ジョーさんの事が昔から好きで・・・そういう付き合いで・・・でも、ジョーさんは自由な人だから、他にも女の人がいるのはわかっているんです。でも、その人達にもジョーさんはあまり執着してこなかったのに・・・春頃、友達から鎌倉のアメリカンバーのママにジョーさんが入れあげて店に通っているって聞いて・・・それでそれから暫くして、そのママにジョーさんが振られてクサッているって聞いて、吃驚して。今までジョーさんが女の人を振ることがあっても、ジョーさんを振る女の人なんていなかったから・・・。」
「はぁ?何それ。ジョーがナンボのもんだって言うのよ?」
思わず、その言葉が口から出ていた。
だって、恋愛って対等な物でしょう?なのに、ジョーは一体何様のつもだ?
私のその口調と、その言葉に、目の前のアキさんは再び目を丸くした。
「本当に、そんなこと言う人、初めて・・・。」
「いや・・・ごめん、好きな人の事こんな風に言われてムカつくよね?これは、あくまで私の個人的感想だから。それから、ジョーの周りにいないタイプだから気になるのかもしれないけど、私に入れあげて店に来ていたわけじゃないわよ。やっちゃん・・・ジョーの友達の富士見君がさぁ、今年の2月頃にここで喧嘩して暴れてね?結構、店の備品壊したりしてくれて。それで、申しわけなかったって2人してその後ちょくちょく店に来てくれたのよ。それと、富士見君が暴れた時に、私の妹がシメて説教したのが気に入ったらしくてね。それもあって、2人もよく来てくれたのよ。まぁ、ジョーを振ったのはその通りなんだけど・・・ジョーが妹さんを凄く大事にしているって聞いてね?私もその妹がいるから・・・それで、自分の家族を大切にできる人っていいなと思って、誘われたから1度寝てみたのだけど。大切にするのは、自分の妹だけで・・・私の方はお構いなし・・・というより、自分さえも大切にしてないのが見て取れて。一気に醒めたわ。だから、ジョーとはそれっきり。一度、偶然会って誘われたけど、ジョーとは付き合う気はないってハッキリ断ったから、それ以来音沙汰もないし。」
私が事実をハッキリ告げると、更に驚いた表情を見せたが、一気に醒めたと言ったあたりから、彼女の表情が歪んだ。
「ジョーさん・・・酷い男って表面的なものを見て、そう思われるかもしれませんが・・・ジョーさんだって色々あって、妹の麻実だって体が凄く弱いからジョーさんは大切にしていて・・・事情があるんです。あなたの妹さん、ヤスシさんをシメて説教したって・・・凄く強い人なんでしょう?ジョーさんは、あなたの妹さんの強さを知っていて、麻実ほど気にかけなくても大丈夫だって思ったんじゃないですか?」
何となく、そのジョーを盲目的に庇う彼女の言い方が、引っかかった。
アキさんは、凄くジョーの事が好きなんだということも分かったけれど、だけど黙っていられなかった。
「不幸自慢をして、より不幸だから、事情を察しろっていうのは納得いかないわ。納得いかないから、ジョーとは付き合えないって言ったんだけど。ちょっと私とは別件で、妹の事で色々あって、直接叶社長からジョーの事情は聞いているわ。それでもね・・・私の妹っていったけど、本当の妹ではなくて母の養女なのよ。不幸自慢したいわけじゃないけど、うちにくるまで妹は地獄のような苦しみを味わったの。うちに来た頃はボロボロで、体も衰弱していたしね。それでも、人を思いやる気持ちと感謝する心を持っていた。どっちが大変かなんて関係ないでしょう?自分の大切な人を大切だと思う人が、私はいいと言っているの。人を大切に思えない人は、自分も大切にできない。私にもとても大切なものがあるの。それを大切にしてくれない人とはありえないっていうだけよ。」
私が一気にそう言うと、アキさんがクシャリと顔を歪ませた。
そして、俯いて肩を震わせると、ポタポタと涙がカウンターに落ちた。
「ジョーさん・・・麻実のお父さんが殺されてから、行方が分からないんです。ミコトさん・・・神崎組の息子さんなんですけど、私と友達で・・・さっきのジョーさんの話も、ミコトさんから聞いていて。ミコトさんの家から私の方に連絡があったんですけど・・・ミトコさん、犯人に刃物で反撃して警察に捕まったって・・・もう、どうしていいのかわからなくて・・・麻実は、幸いにも凄くお金持ちの安全な知り合いの所でみてもらっているから、連絡できないし・・・あと、ジョーさんが立ち寄りそうなところって、ここしか思い浮かばなくって・・・ジョーさんが、心配で。べ、別に私はっ・・・ジョーさん以外、大切な物なんてないしっ・・・ジョーさんが傷ついていると思ったら、居ても立っても居られなくてっ・・・。」
最後は嗚咽まじりに、アキさんは自分の思いのたけを私の前で吐き出した。
こういう愛し方もあるんだと、衝撃だった。
だけど、アキさんのこの先を考えたら・・・とても悲しくなった。
私は夕方摘まもうと思って持ってきていたおにぎりを、2つタッパーから出してパリパリの海苔で包み皿に乗せると、アキさんの前にそっと出した。
今日は急いでいたので、シャケフレークと白ごまをご飯と混ぜ合わせたものだ。
カウンターに皿を置いた音か、それともおにぎりの匂いか・・・アキさんが不意に顔を上げた。
「あなたがジョーを大切に思う気持ちはわかったわ。だけど・・・ジョー以外大切な物はないだなんて言わないで。自分を大切にしなければ、自分の大切な人も守れないわよ。だから、ちゃんと食べないと駄目。ジョーを支えようと思うなら、支えられるだけの体力をつけておかないと。」
私はそう言って、私を潤んだ瞳で見つめるアキさんにおにぎりを勧めた。




