23、東京-8
いつもここはシンとした空気に包まれていて、とても都会のど真ん中だとは思えない。
そして、駅から5分くらいの距離なのに、境内に入らないと墓地があることに気づかないから、いつも静かな気持ちで参拝ができるのだ。
まるで現実とは切り離されたような、不思議な空間だ。
参道から境内に入ってまず私は寺務所へ足を向ける。
綺麗に掃き清められた石畳の上を迷いもなく歩く私に、ミッチーがここで漸く口を開いた。
「エミちゃん、ここ来たことがあるの?結城プロデューサーからは、麻布の『福德寺』って聞いただけなのに・・・。」
「ぇえっ!?・・・あっ、ミッチー・・・。」
駅を出て花屋に寄ってからお寺へ向かう時は考え事をしていて、無口になるいつもの癖で、すっかりミッチーの存在を忘れていた。
ミッチーの声で我に返り、思ったよりも大きなリアクションをとってしまい、しまったと思った。
何故なら、途端にミッチーの頬が膨らんだからだ。
「エミちゃん・・・俺の存在忘れるなんてひどいよっ。やっぱり、エミちゃん、花かしてっ。俺が荷物もっているから、花くらいは持つって言ったけど、エミちゃん両手が塞がって手もつなげないし・・・だから、俺の存在忘れるんだよっ!!」
余程、気に食わないのか、ミッチーは石畳の上で大きな声でそう言うと地団駄を踏み始めた。
「・・・・・・。」
うん・・・35歳の地団駄って、結構キツイ。
本当に、誰もいない場所でよかった。
ホッと胸をなでおろしながら、だけど、その原因は私にあるから素直に謝った。
「ごめん、ミッチー。つい、お寺に着くまでにお参りの段取りを考えながら歩くのが、いつもの癖で・・・別に、段取りなんていつも同じなのに。ごめんね?」
私のその言葉を聞くや否や、ミッチーはピタリと騒ぐのを止め、目を丸くした。
「え、いつもの癖って、エミちゃん・・・・やっぱり、ここに来た事があるんだ?でも、どうして?」
怪訝な表情のミッチーを見て、そりゃあそうだよねと思い、先程私も驚いた偶然を説明しようと口を開きかけた時。
「おや、相田さんのお嬢さんですか?こんな時期に、珍しい。お参りですか?」
と、決して大きくはないのによく通る声が聞こえた。
そちらを振り返ると、小柄で柔和なおじいちゃんという風貌のこのお寺のご住職がニコニコとこちらに笑いかけていた。
「まさか、エミちゃんのお父さんの家のお墓もこのお寺にあったなんて、それも隣どうしに並んでいたなんて、びっくりだよぉ!」
無事、お参りを終えて。
ご住職に見送られて2人で何度も振り返り頭を下げて、駅へ向かうため角を曲がった途端、ミッチーが興奮した声を出した。
「うん、確かに。だけど、それよりも私は、あの昭和の大スターの藤城 剣さんの本名が、まさか猪熊 満吉さんだったなんて、衝撃だよ。若い頃は『麗しの美青年』って言われていたんでしょう?本名がそんな雄々しい名前なんて、アハハッ、でも満って名前の由来は、お父さんからだったんだね。」
「うん、そうだったんだよな。俺、実は父親の名前って知らなかったんだ。どこ行っても、藤城剣で名乗ってたし・・・書類見れば、書いてあるだろうけど、見もしなかったし。住所とかも、結城家出てからずっと今のマンションだから、役所に行く用事も車やバイク買う時も住民票の写しと印鑑証明書が必要なだけだったし。今日ホテルで会った『失礼でキザったらしい香水臭いオジサン』が、猪熊 吉成っていうからさぁ、猪熊って名字は知ってたけどー。満吉って、衝撃だよねー・・・ふふっ、でも、エミちゃんちのお墓と隣なんて本当に俺達、縁があったんだな・・・それに、やっぱりノリコの優しさが、俺たちをつないでくれたんだ。何か、すっげぇ嬉しい・・・。」
ミッチーが目を潤ませながら、つないでいる私の手をギュッと握った。
めぐり合わせって本当にあるんだなと、つくづく思った。
さっき結城プロデューサーから電話で、ミッチーのお父さんのお墓があるお寺の名前と場所を聞いた時、凄い偶然と思ったけれど。
まさか、うちのお墓の隣のあの猪熊家の墓に、ミッチーのお父さんが眠っていたなんて。
まるで導かれて、ミッチーと出会ったかのようだ。
「俺さ、お墓参りなんてしたことないし、周りにするやつもいなかったから、全然知らなかったけど。お墓参りって、単に墓に行って墓の前で手を合わせるだけじゃないんだねぇ。まさか、あんなに掃除するものだなんて・・・だから、エミちゃんこんなに荷物多かったんだ。」
「うん、草ぼうぼうだったり、墓石が汚れていたらご先祖様に申し訳ないじゃない?自分の家や部屋だって、汚れてたら嫌でしょう?それと一緒。ちゃんとお掃除してから、お参りするんだよ。いつもさぁ、ノリコが率先して掃除してくれるの。うちの父方のお墓で、ノリコの血縁者じゃないのに・・・あの子ったら・・・『こんな優しいお姉ちゃんを自分に与えてくれて、ありがとうございます』って、一生懸命してくれるの。」
「何か、わかる気がする。本当に、そういうところノリコらしいよね。それで、相田家のお墓が綺麗になってふと横の猪熊家の墓を見たら、草ぼうぼうで墓石も随分汚れていて、誰もお世話していない状態だってわかって・・・ノリコのことだから、放っておけなかったんだろうなぁ・・・フフッ、目に浮かぶよぉ。」
「最初ノリコがお隣の草むしりを始めた時、よそのお家の事だし勝手なことしていいのかって気持ちが先に出て、ノリコに注意したんだけど。ノリコは、自分のところだけ綺麗でも隣がこんな風じゃ、胸がモヤモヤして苦しいって。そうしたら、ママがご住職にノリコの気持ちを伝えて、お隣も掃除させていただいていいでしょうかって確認して許可もらってくれて。それからずっと、お盆頃とお彼岸の頃2回・・・年に3回お墓参りにきて、一緒に猪熊さんのお墓も掃除してたんだ。不思議だよねぇ・・・すごい、縁だねぇ。」
お彼岸は春と秋で気候がいいころだけれど、お盆は真夏で・・・鼻に汗をかいて、一生懸命掃除していた小さなノリコがふと、脳裏に浮かんだ。
とても暑かったのに、掃除が終わった後は2つのお墓を見て満足そうに二パッと笑ったノリコがとても可愛くて、ますます大好きになった。
そうだ、そういえばあの時——―
「エミちゃん?どうしたの?また考え事―?」
急に立ち止まり、黙り込んだ私の顔を覗き込むミッチー。
その時、急に風が吹いた。
それも、日陰もないこんな炎天下に涼風が。
あの時と同じだ。
「え・・・風?涼しい?なんで?」
ミッチーが驚いて、キョロキョロしている。
やはり、今日はここへ来るべきして来たのだ。
いや、導かれていたのかもしれない。
私はそう確信すると、まだキョロキョロとしているミッチーの手をとり、歩き出した。
顏や体にかかる涼風は続いていて、とても気持ちがいい。
それに対し、しきりに首をかしげるミッチー。
私は黙って歩き続けた。
そして、信号を渡る直前に、その風は止んだ。
「うわ・・・風がなくなった・・・・暑い・・・。」
ミッチーの言葉と同時に、私も汗が出てきた。
信号を渡り切ったら、駅はもうすぐそこで。
来た道を振り返ると、あちらとこちらでは佇まいがまるで違う。
もしかしたら、ミッチーのお父さんと私のパパが、信号の手前まで見送ってくれたのかもしれないと思った。
「エミちゃん?」
「今日、来てよかった。ミッチーのお父さんもうちのパパもきっと喜んでくれたよね?」
私のその言葉に、ミッチーがハッとした顔をして、私を見た。
「もしかして・・・今の、涼しい風って・・・。」
信じられないと言う顔でそう言いかけたから、私はよくわからないけどと告げた後、少し間をおいて言葉を続けた。
「ノリコが猪熊さんのお墓を初めて掃除した日の帰り・・・今日みたいに涼風が吹いたんだ。あの日も夏の暑い日だったから、凄く気持ちが良くて・・・だから、何がどうなって、なんて深く考えなかったけど。お墓が綺麗になって喜んでくれたんだねって、ノリコが素直な気持ちで言ったそのことが本当なんだろうなって思った。だからさ、今日もきっとミッチーのお父さんとうちのパパが喜んで、私達が結婚すること、祝福してくれているんだよ。」
あの日のノリコのように、素直な気持ちで感じたことをミッチーに伝えた。
するとミッチーは、そっかぁ・・・と小さく呟いてから。
「エミちゃん、またお参りに来よう。」
そう、しっかりと私に告げた。
その表情は、とても柔らかくて。
ミッチーの心の中の何かが、浄化されたのかもしれないと思った。




