22、東京-7
朝食を食べに行った大日ホテルのレストランでは、あまり関係性の良くないミッチーの異母兄と会ってしまい。
あまりよろしくない会話をして、一気に気分が急降下したけれど。
一流ホテルのコンチネンタルブレックファストはとても美味しかったし、景色も抜群だったので、ミッチーとのデートはそれでよしとしようと思っていたら。
朝食を終え帰ろうとした私たちに、ミッチーの異母兄が代金は自分の方で払っておくからいいといきなり違和感を覚えるようなことを言い出した。
ミッチーのお父さんの遺産相続の時に随分なことをした人の言葉とは思えぬ物言いだった。
それはミッチーも同じ気持ちだったらしく、その言葉に顔をしかめると自分で払うからかまうなと異母兄に言い放った。
食い下がる異母兄を無視して私の手を取りミッチーは会計のところへ向かったけれど、会計担当者は既にお支払いはいただいておりますと頑として代金は受け取らない。
面倒と思ったのか、憮然としたミッチーはレジのキャッシュトレーに1万円を置いて、再び私の手をとると店を出たのだけれど。
エレベーターで1Fに降りると、黒服のホテルの責任者のような人が私たちを出迎えたのだった。
その人はミッチーにお久しぶりですと頭を下げると、ミッチーのお父さんとの生前からの約束でこのホテルの1部の土地がミッチーのお父さんの物だったから、賃料の代わりにホテルでの精算は無料になっていることを丁寧に告げた。
その簡単な説明では要領を得ない様子のミッチーに、その人はお返ししますとホテルの封筒を差し出してきた。
そして、お兄様は良くご利用いただいておりますので、これからは是非満様もご利用下さいお待ちしていますと言うと、慇懃無礼な様子で頭を下げてきた。
ミッチーはその言葉が不可解だったようで、眉を顰め。
「そんな話、今まで聞いたことないです。」
そっけなくそう言うと、差し出された封筒を受け取らずミッチーは私を連れて足早に玄関に向かうと、停車していたタクシーにさっさと乗り込んだ。
「亡くなる前年の俺の誕生日に、父親が突然結城の家にやってきてさぁ・・・撮影が急に中止になって休みになったから、偶には一緒に過ごそうって。えー・・・今更?って内心思ったけど・・・ほら、プロデューサーの結城さんが、兄貴面して言って来いっていうから、仕方がなく父親と出かけて・・・当時父親は1人暮らしで、歳だったし面倒だったんだろうな・・・今日行った大日ホテルを自宅代わりにしていて、そこへ連れていかれたんだ。部屋には俺の為に用意した洋服や靴やおもちゃやお菓子がいっぱいで・・・でも、俺当時既に小5だったから、おもちゃやお菓子もらってもって感じだったんだけどー。」
運転手さんに行き先を告げた後、ミッチーがポツポツと話し出した。
「そっか、あのホテルはミッチーにとっては、思い出のホテルだったんだね。」
「思い出って言うか・・・まぁ、最後にちゃんと父親と会って話した記憶って感じなんだけど。父親も何話していいかわからなかったみたいで、学校の友達とは仲良くしているかなんてとってつけたような感じで訊かれたけど・・・俺、あんまり周りと馴染めなかったし、そもそも人と何話していいかわからないし、友達なんていう奴はいないし・・・だから、普通って答えたら、困った顔して。それで、じゃあ好きな科目は何だって聞かれて、迷わず音楽ってそれだけは答えたんだけど。そうしたら、父親も音楽が好きで一方的に自分の好きな音楽の話をし出して・・・俺の話を聞くはずが結局自分の話になっちゃって。まぁ、それはそれで、知らない音楽の話が興味深くて結構面白かったけど。でさぁ、散々自分の好きな音楽の話を語りつくした後に、自分の話ばっかりしてたって気づいたらしくてさぁ・・・しまったって顔になったんだよ。別にいいのに、慌てた顔になって。だから俺もめずらしく気を遣っちゃって・・・明日の朝食は部屋で食べるんじゃなくて、何でもいいから演奏しているのを聴きながら食べたいって。今、父親が話した好きな曲がどんな曲か聴きたいって。その日の夕食は、世間に顔が知られているからかな・・・周りに気を遣わなくていい様に、部屋にコース料理出してもらって食べてたんだけど。やっぱり、2人っきりって気づまりで。だからそういうこともあって思いついてそう言ったんだけど、意外にも父親が凄く喜んで。それで次の日の朝食は今日行ったレストランで朝食を食べたんだ。貸し切りで、ピアノとサックスとトランペットとウッドベースが入って。そんな特別仕様にしてくれて吃驚したけど、やっぱり生演奏っていいなって思った。それで、来年誕生日プレゼントくれるなら、今日話してくれた音楽のレコードがいいって言ったら、また凄く喜んで。まぁ、それが父親とゆっくり会った最後になったんだけど。それで、あの日も晴天だったから、今日みたいに景色がよくって・・・だから、散歩しているうちに、エミちゃんもあの景色見せたいなって思って、連れて行ったんだけどさぁ・・・まさか、あいつに会うなんて・・・ついてないなー。」
淡々と話をするミッチーに、私の方が何だか切なくなったけれど。
それでも、その話を聞いて、やっぱりミッチーはお父さんに愛されていたんだと思った。
だからきっと、今日のことは偶然じゃないはず。
ミッチーのマンションに戻ると私は、手にしていたハンドバックから先程もらった名刺を取り出した。
そして、自宅に電話してママに心配をかけないようにはしゃいだ声を出して東京で楽しんでいることを伝えた後、ミッチーの自宅に不動産関係の書類が残っていたから税理士の蒲池さんにどうしたらいいか問い合わせをするため、連絡先を教えてほしいと頼んだ。
あくまで鎌倉に戻ってからでもいいけど、せっかく東京にいるから今日渡せるなら渡した方が早いからという口調でそう言い、教えてもらった。
それから展開は早かった。
直ぐに教えてもらった事務所に連絡を入れ蒲池さんにつないでもらうと、一気に今日の事を説明した。
すると、そういうことですか・・・と蒲池さんが呆れた声を出した後、すぐにそちらに伺いますと、こちらの返事も碌に聞かず電話を切った。
確か事務所は南青山だから、まぁ近いけれど・・・これは、余程のことかもしれないと予感のようなものがあった。
だけど、ミッチーをチラリと見たら、あまりにも呑気な顔をしているので、思わずため息が出た。
「いくら興味がないっていったって、引き継いだからには責任が生じるの。ちゃんと向き合わないからこういうことになるんだよ!」
そう言いながら、私は昨日今日と使ったシーツやタオルを洗濯機へ放り込んだ。
殆ど使っていない粉末の洗濯石鹸をカップで量る。
柔軟剤は置いていないようなので、今日は諦めて今度来るときには持ってこようと心の中で自分に言い聞かせながら。
ミッチーのお父さんが所有していた大日ホテルの一部の土地は、実はミッチーに相続されていた。
そして、お父さんとの約束で賃料の代わりにホテルでの精算は無料になっていることも、今日の話ではそのまま引き継がれていたようで。
勿論それはミッチーのあずかり知らないことで、借地契約書には賃料もホテル精算分の負担の事も、期間も謳われていない。
第一、ホテルの清算と言っても、ミッチーはお父さんが亡くなる前年の誕生日以来大日ホテルで個人的に食事や宿泊はしたことがなく、事実を知って寝耳に水状態だった。
その上、お父さんからの生前贈与はあったけれど、亡くなった時に遺産相続はされていないと思っていた・・・というより、弁護士や税理士から説明が一切なかった。
だけど、義母兄姉の紹介でやってきた税理士に書類の手続きで必要だからと印鑑を貸し出したことがあり、蒲池さんが言うにはその時に大日ホテルの土地の相続をしたのだろうということだった。
場所が場所だけに固定資産税がかなりの額で、それなのに家賃収入がなくおかしいと思って大日ホテルに問い合わせたところ、要領を得ない回答だった為弁護士の粕谷さんと相談をしていたところだったそうで。
一気に謎が解けた、おまけに義母兄の名刺までゲットして頂いて仕事がやりやすくなりました、始末はきっちりつけさせてもらいます!と、上機嫌で帰って行った。
つまり、ミッチーの義母兄姉はミッチーが不動産の事を良く知らないのをいいことに、勝手にホテルの土地をミッチー名義にして固定資産税だけ払わせて、自分たちは大日ホテルをただで使用していたのだった。
ミッチーには母親の方の遺産もあるから、高額ではあるけれどホテルの土地の固定資産税を払うくらいバレないだろうと高をくくり、監視の為税理士にチェックさせていたのだった。
「責任か・・・。」
洗濯機を操作する私の手元をジッと見つめ、ミッチーが私の言葉を反芻した。
私はスイッチを入れ、洗濯機が作動するのを確認すると、ぼんやりと私の横にたたずむミッチーの手を取り、リビングへと戻った。
2人ならんでソファーに座り、改めて隣のミッチーに体をひねって目を合わせると。
「さっきミッチーが話してくれたお父さんとの思い出・・・私、いい話だと思ったよ。小さい時に大変なことがあって、親に対して複雑な気持ちがあっただろうけど。最後にちゃんと誕生日を祝ってくれたんじゃない。お父さんが嬉しそうだったのって、きっとミッチーが自分の希望を伝えてくれたからだよ。色々なことがあって、お父さんもミッチーにどうしてあげればいいかわからなかったのかもしれないね・・・凄く素敵な思い出だよ。」
そう私が素直に思ったことを告げると、ミッチーの瞳が揺れた。
だけどすぐに照れ臭いのか、ぶっきら棒な口調で。
「でもさー。エミちゃん、よくこんなに敏速に動いたねー。まさか、いくらなんでもあんな大きなホテルがそんないい加減なことやるなんて思わないじゃん?」
なんて、のんきすぎる発言をしたから、私はイラッとしてパコンと頭を叩いた。
「ちゃんと、現実を見なよ!あのねぇ、店舗を経営していく上で『賃料の代わりにホテルでの精算は無料』なんていい加減なことしてたら、絶対にうまくいかないって。規模は全然違うけど、私だって店を経営していていい加減なことしてたら、全部がルーズになっていくってわかるよ?あのホテルはおかしいよ。一刻も早くこの問題は解決しておいた方がいいって、直感したんだよ。」
私が少しきつい口調でそう言うと、ミッチーはうーん・・・と考え込んだ。
そして、しばらく考え込んだ後、上目遣いで私を見て。
「うん、わかったー。ちゃんと自分のことに責任持って、今回の事税理士さんと弁護士さんにきちんとしてもらう。それで、どうなっているか自分でもちゃんと把握するよ。だけど・・・俺って、あんまり数字に強くないんだよねー。管理とかも・・・だからさー、これからはエミちゃんに任せちゃっていい?もう結婚するんだし、エミちゃんの好きなようにしてくれていいからさー。ほら、人間適材適所って言うもんがあるしー。」
なんて、とんでもないことを言ってきた。
私が焦って拒否しようとしたけれど、その前にミッチーが言葉を続けた。
「父親に生前贈与してもらった不動産とかは、音楽で身を立てられるようになるまでたしかに助かったけど・・・実際このマンション以外、俺にとってそれほど執着ないんだよ。それに、翌年の誕生日プレゼントにって言ったのに、12歳の誕生日からすぐに父親のレコードのコレクション全部くれるって連絡があって、枚数聞いたらとんでもない数で・・・そんな枚数のレコード結城家に置けないって言ったら、この部屋用意してくれて・・・寝室の反対側の部屋・・・エミちゃんまだ見てないけど、あそこにぎっしりそのレコードが入ってる・・・俺にとっては、財産分与はもうそれだけで充分なんだよ。」
その言葉で今日私があのホテルのレストランに連れていかれたことが、やはり偶然ではなかったのだという気になった。
ミッチーの異母兄とは正反対のお金に執着しないミッチーに、ミッチーのお父さんが心配したのかもしれないと思った。
だから私はもうミッチーの言葉に反論せずに、ミッチーの手をギュッと握ってハッキリと私の気持ちを伝えた。
「洗濯物を干したら、ミッチーのお父さんのお墓へ挨拶に行きたいな。私のこと、婚約者ってちゃんと紹介してよ。」




