14、元カレ
間が空いた更新になってしまいました。申し訳ありませんが、仕事の関係で11月下旬くらいまでは、こんな感じになりそうです。
里子に出された先の結城家に挨拶に行ってから、ミッチーは精神的に落ち着いたようで。
そして私との結婚に一歩近づいたと思っているのかすっかり我が家に馴染み、ともすれば私やノリコやママを自分が守るといった行動を自然ととるようになっていた。
それは決して大げさなことではなくて、例えばちょっとした力仕事や電球の付け替え、ママの通院の付き添い、ノリコに対してまるで妹を溺愛する兄のような接し方、店の手伝い等・・・本当に大げさな事ではなくて、何気ない日常の中でのことだ。
うちは今まで男がいない家庭で、しかもママが病気になってからは私がしっかりしなくてはと言い聞かせていた面が、全て覆された感がある。
だからと言ってそれが嫌だと言うわけではなく、むしろ知らず知らずのうちに肩に力が入っていたのか、私も精神的に楽になった。
つまり、ミッチーとの付き合いは、とても順調だと言うわけで。
今日も私は、ノリコとミッチーを送り出した後、海へ朝の散歩に出かけていた。
朝から快晴で、海の表面がキラキラと輝いて、私の心も弾んでいて。
本当に気持ちの良い朝で、気分良く一日をスタートさせられると思っていたら。
「朝の散歩の習慣は変わらないんだな・・・エミ。」
散歩を終え、砂浜からコンクリートの階段を昇り歩道に出たところで、懐かしい声がした。
振り向くと後方の道路の路肩に、これまた懐かしい若草色のセダン。
その車から降りてきた本人も懐かしい笑顔を浮かべていて。
「浅田先生・・・久しぶり。」
だから、私も笑顔で再会の挨拶をした。
すると、浅田先生は少し驚いた顔をして。
「うん、久しぶり。何か、雰囲気が丸くなったな・・・いや、ますます綺麗になった。」
なんて、言い出した。
雰囲気が丸くなったというのは、ここ最近よく言われることだ。
何となく自分でも、肩の力が抜けたせいかなとは思うのだけど。
そんなにわかるものなのだろうか・・・自分で鏡を見てもちっともわからないのに。
だから、私は首を傾げて、そう?と答えたら。
浅田先生はそんな私を眩しそうに見つめて、少し話ができるかと聞いてきたから、道路を挟んで向かいに建っているレストランで話をすることにした。
浅田先生は、ノリコが小学5年生の時のクラスに来た教育実習生だった。
当時彼は横浜にある大学の3年生で、親戚が経営する全国展開の学習塾に就職するために教員免許を取得しようとしていた。
キラキラのハンサムと言うわけではないけれど、品のある整った顔立ちと優しそうな雰囲気の彼は、子供達に人気でいつも取り囲まれていたという。
だから、よくいじめられていたノリコはそこに近づくことはなく、浅田先生との接点は全くなかったのだけれど。
ある日帰宅途中で、道路の反対側でクラスのいじめっ子に取り囲まれて暴力を振るわれているノリコを私は見つけて、いじめをしている奴らをぶっ飛ばそうと向かったら。
1人の若い男が、凄い勢いでその輪の中に入っていった。
つまりはそれが浅田先生で、私よりも早くその事態を見つけて、いじめをしている奴らを叱り飛ばしてノリコを救出してくれたのだった。
おまけに慌てて道路を横断した私も、危ないと注意をされた。
線の細い優しそうな顔立ちの彼の雰囲気とは真逆の、その間違ったことは許さないという毅然とした態度に、私は新鮮さと好感もった。
突き飛ばされて足と手と顔を怪我したノリコを彼はそのまま送ってくれたから、お茶でも出そうと思ったら、学校に帰ってこの事態を報告すると急いで帰ってしまった。
結果的に、浅田先生がいじめていた生徒全員の顔と名前を憶えていて学校に報告してくれたことから、その子たちの親から謝罪が入った。
しかも、その席にママのファンである弁護士の粕谷さんが同席して、今回の事だけではなく今までの経緯も含め交渉をしてくれ、その後ノリコに対するいじめはなくなったのだった。
ただその時、私はノリコの怪我の手当てをしながら、浅田先生があっさりと帰ってしまった事を残念に思っていたから、今思えばその時は既に彼に好意を抱いていたのだろう。
彼の方も私に気持ちがあったようで、教育実習が終わると『Chicago』に顔を出すようになり、付き合うようになるまで時間はかからなかった。
昔から自分に対してはあまり気が入らない私だったけれど、彼との恋愛には一生懸命だと思っていた。
だけど、就職した彼の勤務先が静岡になり、中々会えなくなってしまうからついてきてほしいと言われた時に、自分の気持ちがわかってしまった。
どんなことがあっても、ここの場所から離れたくない。
それが私のただ一つの望みで、それをそのまま伝えたら、傷ついた顔で別れを告げられたのだった。
彼は私の初恋で、初めての相手だった。
それでもこの場所やノリコやママから離れたくはなくて。
彼とのことが終わった後、彼に対してのような思いはなかったけれどそれなりに何人か彼氏はできた。
だけど・・・ずっと、ここから家族から離れられないと言う気持ちに変わりはなくて。
それ以前に、私には優しいけれど私の家族をないがしろにしたり、二の次に思うような男は問題外だったから、どの付き合いも長続きはしなかった。
ミッチーは不思議とそんな私の気持ちをわかっているようだ。
いや、ミッチー自身何か感じるものがあるのか、私と同じようにここで暮らしたいと思っている様で。
しかも、うちの家族の一員になりたいという気持ちが最初から強く発せられていた。
私の中で何が重要なのかがわかっているのと同時に、多分ミッチーも同じようなものを求めているのだと思う。
「別れてから、5年くらいか・・・前から大人っぽかったけど、すっかり大人になったね。元気だった?」
海が見える窓側の席に私たちはテーブルを挟んで向かい合って座り、浅田先生が優しく微笑みながらそう言った。
私は頷くと、去年肝臓を悪くしたママに代わって、今は自分が『Chicago』をやっていると伝えた。
「そっか、じゃあ・・・直接店に行けばよかったかな。そうすれば、ノリコちゃんにも会えて、久しぶりに歌も聴けたよな。」
懐かしそうに、ノリコの事を話す浅田先生。
先生と付き合っていた時、店でノリコが歌うようになって、ノリコの歌のうまさに驚いてとても褒めてくれたんだっけ。
浅田先生がノリコのことを可愛がってくれていたことを思い出した。
「先生にノリコ可愛がってもらったよね。それに、ノリコのいじめでも助けられたし。本当に、あの時はありがとうございました。おかげさまで、ノリコも今夢に向かって、歌を頑張っているんだ。毎日生き生きして、私嬉しくって。」
ノリコが元気でいることを話すと、浅田先生はフッと笑った。
「あいかわらず、ノリコちゃんのことになると口数が多くなるなぁ。エミはいつも、自分より家族のことを優先しているからな。」
それは浅田先生に初めていわれた言葉だった。
付き合っている時はそんなこと言わなかったけれど、そう思ったからあの時別れを切り出したのかもしれない。
「うーん、自分より家族を優先っていう気持ちはないんだけど。実際ノリコは凄く可愛いし。ママはたった1人の親だから、親孝行したいし。それに、私、自分にあんまり気がないんだよね。客商売しているけど、実際はそんなにママみたいに人付き合いは良くないし。得意なもの・・・人より秀でたものも、やりたいこともないし。ああ、家事は好きかな。というか、家にいるのが好きなのよね。」
言葉にするとなんともつまらない人間だと気づかされて、最後は何だかごにょごにょという言い方になってしまったけれど。
浅田先生はそんな私に、驚いた様子で。
「人より秀でたものないって・・・俺とデートしていて、何度も芸能事務所とかモデル事務所にスカウトされていたよね?」
と、思い出さなくてもいいことを言い出した。
「よく覚えてるね。私でも忘れていたのに。スカウトされたって、その気がないんだから。それに、アイドルや女優やモデルって、努力なしにはなれないんだよ?私にその気がないのにできるわけないじゃん。というより、そういう努力はできないし。だから、私は秀でてないんだよ。元々派手な事とか、人に注目されることって嫌いだし。」
「だよなぁ。こんなに綺麗なのに、エミはまったく無頓着だったもんなぁ。中身は凄く堅実だし、家庭的で優しいし。俺はそういうところが好きだったんだよな。」
私の言葉にそう言いながら、浅田先生はしみじみとした顔で頷いた。
そうだ、この人は私の事を見た目だけではなく、ちゃんと中身も見てくれていたんだということも思い出した。
というか、まぁ5年前だからもあるんだろうけれど、私って元カレに対してどんだけ記憶が薄れているんだろうか・・・と、自分自身に呆れていたら。
「今度さ、うちの塾が、鎌倉にも進出することになって。俺、鎌倉勤務になったんだ。それで、先週からこっちに引っ越してきて。ずっとエミの事が心に残っていたんだ。でも、あの時、ムキになって俺から別れを切り出しておいて、今更どの面下げて・・・って思ってたんだけど。この間、ブルーの車に乗ったエミを見て、やっぱりやり直したいって、強い気持ちに気が付いて・・・エミ、もう一度俺とやり直してくれないか?エミがここを離れたくない、家族を大切にしたいって気持ちは分かっている。だから、それを踏まえたうえで、結婚を前提に付き合ってほしい。」
と、復縁を切り出された。
まぁ、話があるっていうことと、熱のこもった視線で何となく察していたけれど。
こんなにハッキリ、私の気持ちを考慮して将来のことまで含めての復縁だとは思っていなかったから、正直驚いてしまった。
というのは、浅田先生は真面目な人で、何事も軽々しく言葉にする人ではなかったから。
だから、今の話は彼にとっては真剣ということで。
私のその気持ちに対して、真剣に答えなければならないということだ。
一瞬、どういう言い方をしたらいいのか迷ったら、突然デリカシーのない声が聞こえてきた。
「あれー、エミちゃん。こんな朝から、元カレと深刻そうな話か?いいのかー?ミッチー、が知ったらやきもちやくぞー。」
振り返ると、配達に来たマサルの長兄の長太郎。
マサルの実家は大きな酒屋を経営していて、この長太郎は後継ぎだ。
私より、5歳上の人はいいけれど、ガサツな男だ。
マサルは優しくて気遣いのできるイイコで、ノリコと仲がいいから可愛がっているけれど。
この長太郎は、私ははっきり言って苦手だ。
私が中学に入ったころから、何度か告白されたけれどタイプじゃないからフリ続けていて。
もちろん、店の常連だから私の歴代の彼氏も知っていて、いちいち口出しをしてくるやつだ。だけど、ミッチーは信じられない位カンがよくて、そこら辺の雰囲気を店で長太郎を一目見て悟ったらしく。
ミッチーはギロリと長太郎を睨みつけ、黙らせたのだった。
でも、ミッチーがいないところでは、未だに長太郎は私にくだらないことを言ってくるのだ。
私の長太郎にうんざりとした気持ちが顔に現れたのか、向かいに座る浅田先生がクスリと笑った。
「久しぶりですね。こっちに転勤になったから、エミに会いに来たんです。それで、エミにもう一度つき——「ごめん。浅田先生。今、彼氏いるの。この間見かけたでしょう?私が青いスポーツカーに乗っているの。あれ運転していた人が彼氏。多分、結婚すると思う。だから、先生とヨリを戻すことは・・・ううん、彼以外、誰とも付き合う気持ちはないんだ。」
長太郎にも私の気持ちをハッキリ見せておこうと、浅田先生の言葉を遮り、私は自分の気持ちを告げた。
あっけにとられる長太郎と。
眉間にシワを寄せた浅田先生。
浅田先生が眉間にシワを寄せるのは不機嫌なわけではなく、私の心配をしている時だったなと、また思い出した。
そう言えば、浅田先生はいつも私を心配してくれていた。
自分に無頓着なことも、高校に進学しないことも、店で夜遅くまで働いているのに朝起きるのが早いことも、店で酔っ払いに絡まれるんじゃないかとか・・・。
ブワッと、当時のことが思い起こされた。
結局私が、彼の気持ちを考えないで、自分の気持ちばかり優先したことで、別れてしまったのだけれど。
それでも、あの時は一生懸命恋をして、この人の事がちゃんと好きだったんだと。
私より7歳年上で、一生懸命背伸びをしていたとか。
大学の友達を沢山『Chicago』に連れてきてくれたけど、女子もいて・・・密かにやきもちをやいたとか。
意地っ張りの私を、きちんとした正論で叱ってくれるのは彼だけだったとか。
真面目だけど、私に対しては熱い気持ちをぶつけてくれたとか。
それから、キスする時は必ず一度私の瞼にキスしてから———
「エミちゃんっ!!!」
それはまるで、私の回想を引き留めるかのような、店に響き渡る大きさで。
しかも、かなりご立腹な感情も混じっているような声で、私は名前を呼ばれた。
朝、ノリコと一緒に東京へレッスンに出かけたはずのミッチーだけど。
何でここにいるのかを聞いたって、きっと凡人には理解できないサイコパスかと思うような理由だろうし。
それを聞くのも面倒なので、私は500円をテーブルに置いて立ち上がり。
「ミッチー、帰ろう。」
テーブルの傍までやってきて、眉を吊り上げ頬を膨らませたミッチーに私はそう告げた。




