10、同調できない
「成程ねぇ。やっと、意味が分かったよ。結局、子供を顧みなかったことを後悔してたんだろうね・・・才能のある作家で、心理描写は得意のはずなのに、おかしいと思ったんだよ。この絵本の主人公は、この話の中で「悪かった」とか「後悔している」とか「反省して心を入れ替えて頑張っている」とか、そういった描写がいっさいないんだよ。だから、変な救いようのない話になって、読み手はとても納得できない。それは・・・わざとだったんだね。旦那に、どうしてこの仕事をうけたんだと聞いた時に、『主人公が皆に嫌われて、話の結末は全部主人公が悪いって読者に思われる絵本にしたいと言われて、興味がわいた。ほとんどの人は良い話を書きたい、人に共感される話を書きたいって思うはずなのに、東さんはそうじゃなかった。でも、自分はイラストレーターじゃなくて画家をめざしているから、自分が好きなように描いていいなら描くけれど、そちらに細かい注文をされて希望に沿うように描くことはできない。そう言ったら、それでいいと。主人公が嫌な奴だと一目で見て取れるような絵じゃなくていい、そのタッチで美しく描いてもらえばいいと言われて、描く気になったんだ。』と言っていたんだよ。うちの旦那も芸術家だし、東 幾さんも優れた作家だったから、凡人にはわからない感性ってもんがあるんだと、私はその時理解できないことをそうやって理由づけたんだけどね・・・事件の後、ミッチーに一度も会うことがなかったって言うことは、東 幾さんは結局あわせる顔がなかったんだろうよ。責められて謝罪すべきなのに、できない・・・だから、誰もが主人公を責める話を書こうと思ったんじゃないのかい?」
パパとの会話を思い出しながら、ママがゆっくりと東 幾さんの本とその気持ちについて、思うことを述べた。
その表情は悲しく切なくて、多分ママは自分が私やノリコにそういうことをもししてしまったらと、想像しながら東 幾さんの気持ちに沿っているのが、それでわかったのだけれど。
私は断じて、納得がいかなかったし、その気持ちに同調することもできなかった。
「責められて謝罪すべきなのにできない・・・だから、自分を重ね合わせた主人公を敢えて責められるように書くなんて・・・はぁ、そんなまどろっこしい事するなら、拒否されたって合わせる顔がなかったって、ちゃんと面と向かって会って謝ればいいじゃん。私には、わからないわー。パパも東 幾さんも芸術家だから感性が違うって、ママ、しょせんは同じ人間だよ?悪いことしたって思ったら、ごめんなさいを言うのは当たり前の話!しかも、全く関係のない子供たちが読むであろう絵本を、こんな酷い内容にして、ほんと迷惑千万だよっ!」
何だか、よくわからないけれど、腹の底から怒りが込み上げてきた。
そんな私の様子と言葉に、それまで凍った表情でママの話を聞いていたミッチーが突然ふきだした。
「ぶはっ、アハハハッ・・・エミちゃん、迷惑千万って・・・アハハハッ・・・やっぱり最高っ・・・ククククッ・・・。」
だけど、ゲラゲラと楽しそうに笑うミッチーに対し、ママはそんな私を見て何故か顔を歪めた。
そして、真剣な様子で私に向かって、スッと頭を下げた。
「そうだね・・・ちゃんと謝るべきだった。悪かったね、エミ・・・あの時私は、自分の事しか考えていなかった。ずっと、それを今でも後悔している。ごめん、エミ。」
いきなり思ってもいない言葉がママの口から発せられ、その辛そうな表情からそれが本心なのだとわかったけれど。
その謝られている内容自体に、私は思い当たることがなくて。
「えーと・・・何の話?」
ママの方は張りつめた雰囲気なのに対し、間の抜けた言い方になってしまった。
そんな私にママは、ひとつため息をつくと。
「あんたって子は、人の痛みや苦しみには敏感なのに、自分に対しては二の次って言うか、疎かになるところがあるよね・・・私の育て方に問題があったのかもしれないけど。もうちょっと、自分を大切にしないと・・・まぁ、そういうこともあって、あんたが喋れなくなったんだろうけど。あれは、私が——「ええっ!?エミちゃんが、喋れなくなったって・・どういうことっ!?」
ママの謝罪は、私が喋れなくなった時の事だと理解しかけた時に、『喋れなくなった』というワードに反応したミッチーが、いきなり騒ぎ出した。
面倒くさいから、早口でパパが亡くなった時の事からノリコがうちに引き取られて、ここへ3人でもどってきたころのことまでかいつまんで話した。
すると、ミッチーが成程・・・と頷き。
「そっかー、史子ママはその時エミちゃんの心のショックに気づかずに、自分が辛いからって東京に戻ってしまった事を後悔してるんだね?だけどさー、その後エミちゃんが鎌倉に戻りたいって言ったら、ちゃんとエミちゃんの気持ちに応えたじゃん?東 幾は俺がいくら家政婦が怖い嫌だっていっても、聞き入れてくれなかったよ?全然違うよねぇ?それにさぁ、やっぱり東京にいったん戻ってよかったんじゃない?だって、東京の実家だったマンションに戻っていなかったら、ノリコと会えなかったんじゃない?」
やはり、物事の芯の部分をとらえることに長けているのか、ミッチーが事も無げにそう言った。
すると、ママはそのミッチーの言葉にポカンとして。
「そりゃぁ、滅多に自分の気持ちを言わなかったエミが望むことだし・・・確かに、東京にあの時いたから、ノリコを引き取ることができたんだけど・・・。」
ミッチーが言った言葉を、肯定するように繰り返した。
だから、私もそれに続いて。
「ママ。私は今、あの時東京に行ったことを恨んでなんかいないよ?喋れなくなったのは、やっぱりパパが亡くなったショックからだったと思うけど・・・でもさぁ、ミッチーが言う通り、あの時東京に行っていてよかったんだよ。ノリコをうちの子にできたからね。ノリコがいたから、私は強くなれたし毎日楽しくなったし。私とノリコをママがちゃんと育ててくれたから、こうやって今幸せだし・・・だからさぁ、後悔なんて絶対にしてほしくないし・・・謝るなんてことしないでよ。そうそう、江村さんにもいいかげん、罪悪感を捨ててほしいんだけど?私に謝るより、それ伝えて江村さんを納得させてくれない?」
と、あえて軽い口調でそう言った。
その言葉にママは潤んだ目で私を見つめ、ため息をつくと。
「わかったよ・・・まぁ、あんたが当時の事に対してわだかまりがないのは分かっていたけどね・・・親として、ずっと後悔の念があったんだよ。だけど、そうだね・・・あのことがなかったら、ノリコとは会えなかったからね。ノリコがうちの子になって、確かに私もあんたも幸せになったしねぇ。まぁ、江村ちゃんにもそう言っておくよ。」
と、しみじみと昔を思い出すように答えてくれた。
私は分かってくれたんだと、ホッとした。
だけど、そんな私たちの様子を見て、ミッチーが切ない目で。
「いいなぁ・・・ノリコは・・・。」
と、呟いた。
するとママは、そんなミッチーにコーヒーでも飲むか?というような簡単な口調で。
「なら、ミッチーもうちの子になるかい?」
と、訊ねた。
その途端、ミッチーの顔色がばら色になり。
「なる!」
と、即答した。
だけど、瞬時に言い換えた。
「史子ママの子供になりたいけど、その前にエミちゃんの夫になりたいからっ。エミちゃんが俺のプロポーズを受けてくれるまで、ちょっと待ってて!」
その言葉に、ママはニコニコと笑い。
「ああ、いいよ。」
と、頷いたのだけれど。
いや・・・私、いつミッチーにプロポーズされたのだろうか?
結婚を考えているとは言われたけれど、プロポーズをされた記憶はない。
だから、そのことを問いただそうとした時、来客を告げるインターフォンが聞こえてきた。
時計を見ると、1時前だから多分弁護士さんと税理士さんんだろう。
「ああ、漸く来たね。まぁ、ミッチーの事情をちゃんと事前に聞けてよかったよ。」
そう言いながらママがソファーから立ち上がり、急いで部屋を出て行った。
それに続こうとしたミッチーの手を私は引いて、立ち止まらせると。
「私、ミッチーにプロポーズされてないよね?」
と、ハッキリと告げた。
すると、ミッチーは眉間にシワをよせて。
「うん・・・ごめん、まだ話さないといけないことがあって・・・それをちゃんと言わないとズルいって思うから・・・でも、怖くて・・・エミちゃんに嫌われたらどうしようって・・・ごめん、男らしくないよね?」
そう言って俯いたから、何となくそのことをミッチーは後悔しているんだと感じた。
だから、私はミッチーにうちの子になりたくないの?と聞いてみた。
すると、即答で。
「なりたいっ!」
と返ってきたから、私はミッチーの目を見据えて言い放った。
「だったら、ちゃんと話して。」
その言葉にミッチーはビクリとして、目をギュッとつぶると意を決したように、話し出した。
「俺っ、少年院に入ってた過去がある・・・里子に出された後、非行に走って・・・チームも作って・・・中学・高校時代、しょっちゅう警察に追い掛け回されてた。今は、音楽の道でちゃんと稼いで、悪いことはしてないけど・・・だから、エミちゃん——「悪いことしたって、ちゃんと理解してるんだよね?それで?里子に出された家の人には、迷惑かけたって、ちゃんと謝ったの?」
犯してしまった罪は変えられないし、少年院に入ったこともそうだ。
どうやら後悔もしているようだし、今はきちんと働いている。
だけど、一つ気になったことを問うと、ミッチーは再び俯いたから。
「『あわせる顔がないから責められて謝罪すべきなのに、できない』なんて言い訳は、東 幾さんと同じだよ。悪いけど、私・・・東 幾さんには同調できない。それに、ノリコも悪いと思ったら素直にあやまるのが当然と思っているよ・・・うちの子になりたいなら、『悪いと思ったら素直にあやまる』ってことができないと、私は認められない。ミッチー、環境がどうであれ、自分がやらかしたことのケジメをつけてきな。話はそれからだよ。同調できない男とは結婚もできないし、ママがいいっていってもうちの子にはできないからね。」
私はそう言って、ミッチーの背中を押した。




