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1、夢の感触

毎日更新は無理そうですが、細々がんばります

今朝は、波が荒い。

雲が多めの空は、海も鉛色に映していて。

それでも江の島が見えるのだから、悪くない一日の始まりと思おう。


砂浜に下り、髪を風になびかせたまま、砂を鳴らす。

雨の日以外の、私の日課だ。

午前8時過ぎ、ランドセルを背負った小学生の分団登校の声が聞こえてきた。

ほんの10年くらい前は自分もあんな子供だったのに、はるか遠い昔の事の様だ。


ただ変わらないのは、目の前の海とこの潮の香り―――



朝方、珍しく夢を見た。

青い、大きな蜘蛛の夢。

見たことがないくらい大きくて、肉厚で毛が生えていた。

でも凄く鮮やかな青色で、その美しさに見とれていたら、蜘蛛が床に足を崩して座っていた私の膝に登ってきた。

正常な状態だったら、怖くてパニックになるのだろうけれど。

夢の中の私は、可愛いとさえ思い・・・何を考えているのか。

ヒョイと手でつかむと、蜘蛛にキスをした。


衝撃的な夢だった・・・だけど、何となくまだ手に掴んだときの感触が残っているような気がして。

マジマジと右手を見つめてしまう。



「エミ!?・・・どうした、こんな時間にこんなところで!」


せっかく1人の大切な時間を無粋な声に邪魔され、思わず小さく舌打ちが出た。

しかも、声の主が歓迎しない人物。

つまり、1回寝てみて興味を失った男。

だけど、これで応答しなかったらまたうるさい事になりそうだから、仕方がなく私は声がした方を振り返った。



「エミ・・・お前、今、スッピンなのか?何でいつもあんなケバい化粧してんだ?」


振り向いた私が、大きな声で散歩中!とだけ言ってまた歩き出すと。

無粋な声の主が歩道から砂浜に駆け下りてきて、私の顔を見るなり目を丸くした。


「あのメイクは、仕事用。」


普段は、面倒で日焼け止めのみだけど、母親から引き継いだアメリカンバーではわざと濃いメイクをしているのだ。

化粧をしていない私の顔は実年齢よりも幼く見えて、ナメられそうだから。

すると目の前の男はニヤリと笑い、鼻の下をのばした。


「俺は、こっちの方がいいな。」


「そう?」


別にあんたに良い悪いを言われる筋合いはないんだけど・・・と心の中で毒づく。

だけど、面倒くさいので口には出さない。

すると、何を勘違いしたのか、そいつは私の肩に手を回し。


「なぁ、今から付き合えよ。」


なんて、顏を近づけてきた。

この男は自分の見目の良さを知っていて、こういう態度をとる。

大概の女はここで、ポォッとなって、この男の言うがままになるんだろうけど。

生憎、私はそんな可愛気のある女じゃない。


「朝から何盛ってんのさ。それに、あんたとはもう付き合う気はないよ。」


そう言って、私は近づけてきた男の顔を、手でぐいと押し返した。

驚く男の顔が、私の指の隙間から見えたけれど。

男が何か言う前に、私は再び歩き出した。


「エミ!?」


私を呼ぶ声にも驚きが混じっていた。

驚くということは、私のうんざりとした気持ちが伝わっていないということだ。

だから、これはハッキリと言った方がいい。

ため息をつくと私は足を止め、振り返った。


「あのさ、確かにあの時はあんたと寝てもいいかと思ってつきあったんだけど、1回寝てみたらわかったんだ。」


「わかったって、何がだ?」


長身の色男だけど、この男地元じゃかなりのワルらしく、それを証明するかのような鋭い目を私に向けた。


「あんたは不合格だって。」


「・・・・・・。」


「あ、やめてよ。上手い下手の話じゃないから。私の男として不合格だって言うの。」


私はそう言い捨てると、体の向きを戻しまた歩き出した。

男はもう声をかけてこなかった。



相田あいだ 江見えみ、22歳。

家族は、去年肝臓を悪くして病気療養中のママと、5歳年下の歌手デビューを控えている妹のノリコの3人だ。

そしてパパは、私が9歳になるちょっと前に、病気で亡くなった。

写真で見るパパは、私の記憶と少しズレがあるけれど。

細身の長身で、ハンサムというより美しい人だった。

パパの宝物のスケッチに描かれた絵は、もう私の頭の中に写真のように刷り込まれている。

そのスケッチは、パパがこの浜辺から見た江の島の風景ばかり。

元々病弱だったというパパは、私の物心がついた時にはもう臥せりがちで。

いくつもの賞を取り名前が世に出ている画家ではあったけれど、亡くなる3年くらい前にこの鎌倉に引っ越してからは、キャンバスにあまり向かうことはなく。

もっぱらこの浜辺に出て、ここから見える江の島をスケッチしていた。

その後ろで砂遊びをする私と、白いレースの日傘をさしシートに座ってパパと私を見守る穏やかなママ。

天気のいい日は、空が青くて打ち寄せる波がキラキラと光り、空には白いカモメが飛んでいて・・・。


ここに来る前、西麻布のマンションに住んでいた時はパパもまだ元気で、突然何かのスイッチが入ると取りつかれたように何日もキャンバスに向かっていた記憶がある。

父親っ子の私はそれがとても寂しかったけれど、一心不乱に筆を動かしているパパからは、何か炎のようなものが体から出ているような気がして、恐ろしくもあった。

今になって考えると、その炎というのはパパの残り少ない魂の光だったのかもしれない。


「僕はね、この世の中で一番この景色が好きなんだ。ここから見る、江の島。君のママと初めて出会ったのも、この場所だった・・・幸せだね。愛する人と愛する我が子と、愛する場所にいられるなんて。」


亡くなる1ヶ月くらい前に、この景色を見ながら、パパがポツリとそんなことを言った。

そう、確かに。

パパの幸せは、ここにあったのだ。

月日が経つにつれ、パパの匂いやぬくもり、優しい声・・・大切な記憶がだんだんと曖昧になって、堪らなくなる。

だから私は毎日ここを歩き、パパが愛した景色を一つずつ確認するのだ。





「お帰り。今日はちょっと雲が多いね。洗濯機を回しておいたから、早めに干した方がいいよ。」


手を洗い、コーヒーでも飲もうかとキッチンに入ると、ダイニングで新聞を読んでいたママがそう声をかけてきた。

『クモ』という音の響きにビクッとして、思わず手に持っていたマグカップを床に落としてしまった。

パリンと良い音がして、見事にカップは割れてしまった。


「大丈夫かい?怪我は?まったく、おっちょこちょいだね。」


「あー・・・これ、ノリコが中学の修学旅行でお土産に買ってくれたのに・・・。」


「ああ、そうだったね。まぁ、形あるものは壊れるんだし。あきらめな。丁度ノリコのマグカップも、一昨日くちのところが欠けたから、後でデパート行って買ってきな。ああ、マスカットの砂糖菓子の季節だし、ついでにそれも買ってきておくれよ。」


何事にも潔いママがそう言ってその上自分の好物まで頼んできたので、私は仕方がなくコーヒーは諦め、早く出かけるために洗い終わった洗濯物を干してしまおうとキッチンから出た。




デパートの食器売り場では、一目で気に入ったマグカップがあった。

色違いで、チェリーレッド、レモンイエロー、バイオレット、コバルトブルーがあった。

どれも発色が良く、どうせだから揃いでママの分まで買おうとチェリーレッド、レモンイエロー、バイオレットを手に取った。

だけど、何故か・・・必要のない、コバルトブルーがどうしても気になり。

多分、夢に出てきた蜘蛛と同じような色だったからかもしれない。

だけど、そんなことで何故ほしいとまで思うのか、よくわからず。

私もノリコもそそっかしいから、万が一割れた時の予備として買っておこうと、何故か自分に言い訳をして、全色購入することに決めた。

アメリカのデザイナーのものだけあって、1つでも結構な値段がするというのに。

店員さんに購入を伝えて精算を待っている間に、今更ながら無駄遣いをしてしまったと後悔したけれど。


その無駄遣いが、結果的に必要なことだったとわかるのは、その日の夜の事で。

そしてまだ、夢の感触は残っていた。


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