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5.婚約者

 馬車から先に降りてきたのはご子息ではなくパーシヴァル侯爵ご本人だった。絵で見た通り、お腹が出ている強面のおじ様だ。深く刻まれた眉間の皺に存在感のある口ひげ。細身のお父様とは真逆のタイプだ。


「立ってるだけでも偉そうだな、この髭ブタめ」

「……っ! ……っ!!」


 バカ! バカ! 戻ってイーノック!

 お父様と違ってパーシヴァル侯爵は魔法の名門で生まれ育った方なのだから、姿を消す魔法だって見破られてしまうかもしれない。そんな侯爵の目の前でふんぞり返って失礼な発言をしているのがバレたら、イーノックだけでなく我が家も終わる。

 そんな強面の侯爵にどうしてそう強気でいれるの。


「そうかしこまらないず。楽にしてくれ」


 侯爵にそう言われ、ご子息が出てくる前だけれど姿勢を上げさせてもらう。顔を上げたはいいけれど、侯爵の周りをウロウロするイーノックのせいで今も口から心臓が飛び出そう。

 あまり露骨に目で「戻れ!」とうったえかけるわけにも、声に出すわけにもいかず、とにかく平然とするしかない。


「急なことですまないね、お嬢さん。さぞや困惑したことだろうが息子は」

「オリヴィア!」


 侯爵が話している途中だというのに、誰かが私の名前を呼んだ。嬉しそうに。

 声は馬車の中からして、侯爵も私も、お父様もお母様も、使用人たちも、思わず馬車の方を見る。

 ゆっくりと馬車から降りてきた人は、そのままゆっくりと、小さく震えながら近づいてきて私の手をぎゅっと握ってきた。


「オリヴィア、どれだけあなたに会いたかったか……」


 目にうっすら涙の膜をはったその人は何故か感動しているようで握られた手から震えが伝わってくる。


「エドガー……まずは挨拶を」


 侯爵に言われて、その人はハッとして私の手を放した。


「失礼。エドガー・パーシヴァルです。よろしく、オリヴィア」


 手の甲にキスを落とされながら、眩暈がした。

 黒髪。お兄様よりも、中性的な顔立ちの美しい人。真っ白い肌と長いまつ毛のその人は、男の人だけれどお姫様のよう。

 私は彼のことを知っている。よく覚えている。今でも時々夢にみる。


「おい、どうした」


 イーノックが背後に来て支えてくれる。よかった。もう気絶する寸前。頭をうつのは怖いかから、周りにイーノックの存在がバレないよう、自然な感じで私を支えつつ地面に倒してね。お願いね。口に出して伝えなくてもわかってくれるわよね。


「ごめ……」


 ごめんなさい。丸投げで申し訳ないけど、うまいことやってねイーノック。

 これはちょっと無理。珍事のレベルが異常。冷静に整理なんてできない。一旦気を失って現実から離れないと頭が破裂する。


二年前、お兄様のベッドにあった正体不明の遺体。

 お姫様みたいなあの男の人。

 年齢はあの遺体より少し若いけれど。


 エドガー・パーシヴァルは、あの遺体と瓜二つだ。




***




 起きて最初に目に入るのがあなたの顔じゃあ、もう一度気絶したくなるのですが。


「オリヴィア! よかった……」

「エドガー様……。失礼いたしました。緊張してしまって、私……」


 侯爵子息を前に気を失ったのはまずい。失礼すぎる。どう誤魔化したものか……。


「いいんですよ、オリヴィア。体調が優れなかったのでしょう? 可哀そうに。それなのに無理をして僕を迎えてくれたのですね」

「ブタは気にしていなかったが、あんたの父親と母親はカンカンだったぞ。今のうちに覚悟しておいたほうがいい」


 ベッドの横にいるエドガー様は私の気持ちを上げようとしてきて、反対側にたたずむイーノックは落としてくる。天使と悪魔が両側から囁いてくる。悲しいのは天使の囁きをする方も私の精神的負担になる存在ということ。


「今、人を呼んできますね」

「いえ! いいえエドガー様、もう大丈夫です。その、侯爵様と父と母は」

「今は我々の今後について話し合っているのではないでしょうか。しかし、無理をして戻ることはありませんよ」


 優しいのに……。優しいのに顔があの遺体そのままなせいで胃がキリキリする。


「戻るのが賢明だろうな。ブタ親子がいるうちに点数を稼いでおけば後の説教がいくらかマシになるだろう」


 ブタ親子って……。もう注意したところで一生その口の悪さは直せそうにない。


「エドガー様、付き添ってくださってありがとうございます。大変な失礼を。お許しください」

「気にするようなことではありませんよ。そんな悲しい顔をせずに、愛らしいあなたの笑顔を見せてください」


 状況が状況だけに、こんな甘い言葉にときめけない。それ以上に恐怖と困惑で心臓がバクバクいっている。

 夢見がちな乙女なら一瞬で恋に落ちてしまうだろう素敵な笑顔のエドガー様の顔をのぞきこんだイーノックは、ゲェッと変な声を出している。


「やはり戻ります。パーシヴァル卿にもきちんとご挨拶と謝罪ができていませんから」

「父のことなら大丈夫です。こんなことで怒ったりはしませんよ」


 そっちがそうでもうちの両親は違う。だいたい、いくら息子がいいと言ったってそういうわけにもいかない。


「いいえ、いいえエドガー様。戻りましょう、本当に」




***




「はー、いいのか悪いのかわかりゃしないけど説教が全然頭に入ってこなかった……」

「前々から思ってたが令嬢にしては時々令嬢らしくない口の悪さだな」

「私の令嬢らしくないところは全てセオドア・エインズワースのせいよー」


 もちろん、他に人のいるところでは清く正しく美しくを心がけている。

 脚も手も広げてベッドに倒れこんでいるこの姿だって令嬢らしくはないだろう。

 体くらいは楽にしないと心がギスギスでこれ以上まともな精神状態を保てない。


 お父様もお母様も侯爵親子が帰ってすぐお説教タイムに入った。だけど言った通り、さっぱり頭に入ってこなかった。

 エドガー・パーシヴァルは直接対面しても私との婚約を考え直すということはなかった。噂に踊らされているわけではない、エドガー様自身が私を指名したとのことで、そうなると政治的策略や何かの陰謀の線も薄い。そもそも何かしらの陰謀があっても果たして我が家がどれだけパーシヴァル侯爵の役にたてることか……。

 改めて私が確かめてもやはり、エドガー様は私と会ったことはないと言うし、結局何故私が選ばれたのはわからずじまいだ。

 なぜあの遺体と同じ顔かなんてことも恐ろしくて勿論訊けず。


「イーノックは、兄がどうやって死を偽装したか知っている?」

「知らない。興味もない」

「あなたって、兄に興味があまりないのね」


 お兄様の言いつけを守って私の傍にいるくせに、お兄様のことになれば興味がない、という返答の割合が多い。そのおかげでお兄様の現状は今一つわからない。

 本当かどうかはさておき、イーノックが本当にお兄様の死の偽装方法を知らないのであればあの遺体のことも知らない可能性が高いわけで、これはイーノックに探りをいれるわけにもいかない。


「婚約の話がまとまってしまったらどうしよう……」

「もうまとまったようなものだろう。親は乗り気で、ブタの息子も明らかにあんたに気がある」

「だから困ってるの。心当たりもないのに、明らかに好かれているのは何故? 何もしていないのにある日侯爵家の息子が婚約を申し込んでくるなんてそんなおいしい話に裏がないわけないわ」


 私が倒れてあんなに心配して、両親たちのいる部屋に戻ってもずっと熱い視線を送られていた。パーシヴァル侯爵家の一人息子となればお芝居だってお上手だろうしひょっとしたら何か思惑があって私に気があるふりをしているのかもしれない。ただ現状、お芝居という可能性を除けばあれは完全に私に気がある。


「あんたが好かれる理由なんてあんたが知らないのに俺が知るわけない」

「そうよね……そうなんだけど……」

「一目ぼれってこともなくはないんじゃないか。よほど奴の好みの顔だったか」

「そ……れは……、ないと思う……」


 私の顔の良しあしは関係なく。

 エドガー様は最初に「どれだけ会いたかったか」と言っていた。会う前から私に会いたがっていたというなら、一目ぼれではないだろう。


「そんなに心配しなくても、結婚するとしたらあと何年か先だろう。奴が嫌ならそれまでに逃げればいい」

「どうやって? 生まれてから今日まで衣食住に困らない生活をして、他人に頼って生きてきたのに、逃げた後私は生きていけると思う? 情けない話だけど、自信がないわ……」

「俺か先生に頼ればいい」

「私が結婚するか逃げるか決心できるのって、結婚が近づいてきた頃だと思うわ。それまであなたは私の傍にいるの?」

「さあ」


 目をふせたイーノックは私にルビーを投げつけて、「もう寝ろ」と自分もベッドに倒れた。


「あなたか兄に頼ればいいって提案は、私を励まそうとして言ったの?」

「そのつもりはなかったが、そう受け取りたいなら受け取ればいい」

「じゃあ、そう受け取っておく」


 鬱陶しそうに溜息をつくイーノックに、眠る前、今日のお礼を言っておく。

 気を失って倒れる時、皆に妙な倒れ方をしていたと言われた。後ろに倒れかけて立て直し、ゆっくり膝から落ちて行っていたという。異様なくらいゆっくり崩れていったために、地面に落ちる前にエドガー様が支えられた、という話を聞いた。

 ゆっくり倒れたのはおそらくイーノックが先に支えてくれていたから。

 一週間傍にいても彼が本当にお兄様の知り合いなのかなんて確かめられない。嘘をついているかもしれない。だけど実際彼は私を守ってくれたし、この一週間ほぼ二十四時間一緒にいれば彼が攻撃的でないことも、存外優しいところがあるのもわかってきた。


「おやすみなさい。良い夢を」

「……そっちこそ」


 返事は期待していなかったけれど、小さな声が返ってきた。





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