4.心配
夕食の席で、私は生まれて初めて家族に主役扱いをされた。
誕生日だってここまで話題の中心になったことはない。
「すごいわオリヴィア。パーシヴァル侯爵家の目にとまるなんて。あなたってとっても可愛いものね。自慢の妹だわ……。でも……うぅ……っ婚約者が決まったということは、あなたもいつか家を出て行ってしまうのよね……。淋しいわね、ジュード」
ありがとうございますお姉様。あらあらうふふ、涙を拭うそのハンカチ、随分前に貸した私のお気に入りだったのですけれどそのままお使いになって。いいんですけどね。別にいいんですけどね。ルビー以外にもたくさんいた私のお人形はいつの間にか全部お姉様のものになっているし、ハンカチくらい今更いいんですけどね。
私の椅子によりかかったイーノックもハンカチのことは知っているようで、「あれはもう返ってこないな」と呟いた。
「そうだねシンシア。リヴィは君に似て可愛らしいから。さすが君の妹だ。おめでとう、オリヴィア」
ありがとうございますお義兄様。あんまり私を褒めてる感じはしませんが。食事中にお姉様と抱き合うくらいご夫婦の仲が円満で何よりです。でももう何十回も言っているのですが、「リヴィ」と呼ぶのはやめてくださいと。
「あのお転婆なオリヴィアにまさかこんなことが起きるとは。まさか、あのパーシヴァル家に」
ありがとうございますお父様。まさか、を言いすぎですけれど。
「おめでとうオリヴィア。本当に……っ」
ありがとうございますお母様。そんなにお泣きにならないで。若干、おめでとうの向く方向が私ではなくお母様の気がしなくもありませんが。
「めでたいのはお前らの頭だろう」
「そう、その通り」
思わず小声でイーノックに同意してしまった。
私が何か言ったのを聞き取れなかった家族が探ってこようとするので、胸の前で手を組んで目を潤ませておく。
「ごめんなさい、嬉しくって、なんだか胸がいっぱいなんです」
勝手に突っ走っている家族についていけないので部屋に戻りまーす! とは言えないので適当な言い訳を並べて、恋煩いをしている乙女のような溜息をついてなんとか脱出した。
速足の私に、イーノックは難なくついてくる。脚の長さがそもそも違うのかもしれない。悲しいので考えたくない。
「婚約だけでおめでとうも何もないだろう。その婚約も正式に決まったわけでもなし」
「まったくだわ。顔合わせだってしてない、まだそういうお誘いがあるってだけなのに」
「それに」
「ええ。それにとっても妙よね。わかってるわよ。昨日から突然、魔法使いの弟子が私にだけ見えるようになったことほどではないけどね」
珍事はせめて日数をもう少し開けて、連日の発生はやめてほしい。
パーシヴァル侯爵の使者の話によれば、ご子息は私に会ったことはないけれど、噂でそれは可愛らしい女の子だと聞いたらしい。そして、兄の死に心を痛める繊細なお嬢さんを守りたい、と今回ご子息自ら私をご指名くださった。
そんなお馬鹿な話はない。
あと少しすれば魔法の基礎と社会性を身に着けるため貴族の子は学校へ入る。ご子息は私より二歳上だからあと一年で入学、そこで多くの出会いもあることだろう。なのにあと一年も待たず、会ったこともない伯爵家の娘を婚約者に、なんて妙すぎる。
もっと、才女で、とか、魔法が得意で、なんて噂が流れていればわからなくもないけれど、可愛い、なんて噂は大抵あてにならないし事実でも可愛さなんて何の役にも立たない。それに実際、私は言うほど可愛くない。お兄様の妹だから、そりゃ、ちょっとは可愛いんじゃないかなー、と思うけれど、パーシヴァル侯爵家を動かすほど可愛くはない。
しかも、兄の死に心を痛め不安定になっている、なんて、次期侯爵夫人には向かない。侯爵夫人に必要なのは繊細さより図太さだろう。
私と婚約したい、というのにその理由がどう考えても後付けなのだ。
「あのブタの息子は父親に似ず容姿は良いらしい。選ぼうと思えばいくらでも選べるだろうに」
「その言い方はひっかかるけど今はいいわ。選べる中でどうして私を選んだのかってことよね」
会ったこともない、侯爵家にとってメリットとなる要素もない、となると私自身よりも家族が理由で選ばれた、とか……。お父様の汚職を暴くためとか? お母様がよそのご夫人に意地悪をしているのがバレて制裁をくだすためとか? お姉様が何かよそのご令嬢に失礼を働いたとか? お義兄様が実は悪人で、捕縛のために動いているとか?
どれもあり得る……。
けど、一番考えられる可能性は……
「お兄様が、目をつけられたとか……?」
お兄様は魔法使いに疎まれて、そのせいで私も狙われている。だからイーノックが私の傍にいる。パーシヴァル侯爵家は代々魔法使い。すべてがつながる。
「それはないな。いくら優秀と言ってもパーシヴァル侯爵家の目に入るほどじゃない。パーシヴァル侯爵家ほどとなれば今更優秀な魔法使いの一人や二人現れたところでさして影響はないからな」
それはなんだか……安心したような、がっかりしたような……。
「来週パーシヴァルの息子が来るまではどうせ考えても何もわからないだろう。それまでいったん忘れておけばいい」
「そんなに悠長にしてていいこと?」
「案外、本当にあんたが可愛いという噂に踊らされているだけかもしれない。もしそうだったらあんたの顔を見てその場で婚約の話自体消えるだろう」
「やっぱりあなたの発言にはひっかかるけど、確かにそうなったら無駄に考えて無駄に疲れるのも馬鹿馬鹿しいわよね」
婚約の話が消えたら、お母様は荒れに荒れるのでそれも大変だけど。
「そうだ。あなたもさっき聞いてたでしょうけど、ご機嫌のお父様がもうベッドを用意してくれたから」
「ふうん」
「あんまり嬉しそうじゃないのね」
「俺が頼んだわけじゃないからな」
「ああそう……。まあいいわ。お礼って強要するものじゃないもの」
素直にありがとうと言いそうな人でもない。守ってもらっている側の義務を果たすだけでお礼を求めるわけにもいかない。
「婚約の話はとにかく忘れて、来週まではあなたのことだけ考えるようにする」
考えても何もわからない婚約話より、目の前にいるこの怪しい自称お兄様の弟子との接し方について考えるのが先だ。
彼が本当にお兄様の弟子なのか、確信を持つにはどうすべきか。彼と今後どういう関係性を築き接するべきか。他にも、彼の生活品や……
「そういえば、あなたの食事や服はどうしているの? お風呂は?」
「全部魔法で済む」
「魔法って、そんなに万能なの? あ! じゃあベッドも出せたんじゃないの?」
「あんな重い物を用意するのは疲れるからやらない」
「魔法でも重いと疲れるのね……」
微妙に不便なところもあるんだ……。
「そうやって俺や先生のことだけ考えていればいい」
部屋のドアを開けてくれたイーノックは静かにふっと笑った。
「あんたにとって不都合なことが起これば全て俺が対処する。何も心配する必要はない」
あんまり綺麗に笑うから、私はつい目をそらして自然とため息が出た。
「お兄様もよく言ってた。何も心配しなくていいって」
何も心配するなと言うお兄様が心配の種だったのに。
***
「少し落ち着いたらどうだ」
「無茶言わないでよ……」
いよいよ今日、パーシヴァル侯爵のご子息が来る。わざわざ向こうから。
ルビーを抱えて部屋をウロウロする私を、イーノックは自分のベッドから無表情で見つめてくる。
「本でも読んで気を紛らせばいい」
「本なんて今は……ってそれは私の秘蔵の」
「何度も言うがあんたに見えないだけで俺はずっとここにいたから隠し事も何でも知ってる」
お兄様にも内緒で読んでいたロマンス小説……! エリンどころかきちんと知り合って一週間のイーノックに知られているなんて…!
「ちょっ……」
ページをめくるな……!
「令嬢らしからぬあんたにしては令嬢らしい趣味だな」
「あ、頭悪そうでしょ、こんな小説を読んでるなんて……」
「いや? 読んでいてもいなくてもあんたは賢い娘には見えない」
悪気なんてありませんという真顔で悪気しか感じないことを言うから余計腹が立つ。お兄様のように騒がしくないのに、お黙り! と言いたくなる。
「これを読んで頭が悪そうに見えると誰かが言ったのか?」
「その小説の第一巻で、ヒロインがヒーローに言われるの」
「この本の類を読むことは頭が悪いと、この本の中で? それを真に受けてるのか? あほらしい」
「わ、私だってそう思うけど、のめり込んで読んだら何でも影響を受けるでしょう? あなたも読んでみたらわかるわ」
「冗談だろう」
自分から引っ張り出してきたくせに読めと言われたらしまうなんて! 可愛くない! 別にいいわよ。あなたと本の感想を言い合っても楽しくなさそうだから。ロマンス小説にいちゃもんつけるタイプでしょうから。
「この顔でいけばパーシヴァルの息子もあんたとの婚約はやめたいと言うだろうな」
膨らませていた頬をつままれ鼻で笑われる。
こ、この……っ、この無礼者……っ!
「お嬢様、そろそろお客様がいらっしゃいます。外へ来て一緒に待つようにと旦那様がお呼びですよ」
外からエリンの声がして、思わずヒッと声を上げてしまった。
いよいよくる……。
「心配するなと言ったろう。俺も一緒に行く」
背中をポン、と軽く叩かれて、なぜか少しだけ肩の力が抜けた。
「……今何か、緊張をほぐす魔法でも使った?」
「いや?」
首をかしげると、イーノックも一緒になって首をかしげる。
「お嬢様? 眠っていらっしゃるのかしら……」
「起きてる! 起きてるわエリン。今行くから」