3.ベッド
イーノックと遭遇して翌日。考えに考えた末、今まで親に自分から強請ったことのないプレゼントを強請ることにした。お兄様がいなくなってから、両親は私がいつまでも兄の死から立ち直れない子だ、と言うと同時に、兄の死からお転婆はすっかりおさまり淑やかになったと認識している。
そうでしょうとも。私自身はお転婆なんかじゃないのだから。
まあ? 虫は素手でつかめるし、泥だらけになって遊ぶことに抵抗はないし、一度閉じ込められてから屋根裏探検なんか楽しんじゃったりはしているけれども、それはすべてバレないようにしているし他人に迷惑はかけていないから問題ないでしょう。
ともかくお兄様がいなくなって落ち着きのある私が珍しくおねだりすれば、いくらお姉様第一主義のお父様でも一つくらい聞いてくれるだろうとふんだのだ。
「ルビー用のベッドが欲しいのです」
「ルビー?」
「クマのぬいぐるみです。私の宝物なんです。だから、大きいベッドで寝かせてあげたくて」
誕生日プレゼントを昨日もらったばかりなのに図々しいと言われるかと構えたけれど、私のおねだりをお父様はそれは珍しがって、あっさり快諾してくれた。
夢ではなく、朝になっても消えておらず、当然のように私の傍にいてずっとくっついてくるイーノックは、お父様の机に腰掛け腕を組んでいる。
やはりイーノックは私にしか見えていないようだけれど、それでも心臓に悪い。お父様の部屋でこんなに大きな態度でいるなんて。
「あんたの父親、ルビーを知らないのか? 使用人たちは知っているのに」
そりゃ家族は私の宝物になんて興味ないもの。それよりそんなとこに座ってないでさっさとこっちに戻ってきて……!
「それで、どんなベッドが欲しいんだ? ベビーベッドか」
「いいえ、ルビーがお友達のお人形さんを呼べるように、大人一人眠れるくらいのベッドを。ルビーのベッドは、お人形さんたちのパーティーが開けるようなベッドがいいのです」
イーノックはぶりっ子をする私を冷めた目で眺めてその後目をそらす。せめて鼻ででもいいから笑ってほしかった。
わかってる、お人形さんのお友達とか、お人形さんのパーティーとか、柄でもないことを言っているのは。でもこれが一番確かなやり方だ。お姉様みたいなこういうほわわんとした言い回しがお父様はお好きなんだから。
「お前も可愛らしいことをするな。今日中には届くように手配するから待っていなさい」
ほらね! かかった! こういうちょっと抜けてる感じが好きなのよ。
逆にお母様はこういうちょっと抜けた感じが大嫌いなので要注意だけど。
***
「ルビーを抱かないと眠れないくせに、ルビー用のベッドなんて要るのか」
「そんなことまで……そうよね、知ってるわよね……。ルビーがいないと眠れないのは他言無用よ。ルビーは私と寝て、ルビー用のベッドはあなたが使うの」
お父様の部屋を出て庭を散歩しながら、イーノックの様子を伺う。
おとぎ話に出てくる王子様みたいな見た目をして、リアクションは生きているんだか死んでいるんだかわからないくらいほとんどない。
「俺が言うことでもないが、随分簡単に俺を信じるな」
「信じてはいないわ。でも、嘘をついてるかどうかなんてわからないもの。わからない以上最低限の礼儀ってものは気にしないとね」
「損な性格をしてるな」
「これが普通なのよ、きっと」
普通じゃないお兄様とばかり接していたせいで何が普通かは正直よくわからないけど。
ベンチにいた大きな芋虫を手で草の中へ返し、私が座るとイーノックも隣に座った。
「あんたみたいな身分の娘ならもっと怯えそうなものだが」
ゆっくり草の上を移動する青虫を見つめ、呆れてなのか感心してなのか溜息まじりにそう言われる。
確かに見た目は女性受けしないだろうけれど、日ごろから接すれば可愛い気もあるし全然平気。毒を持つような虫ではないし、暴れられたってさほどの被害もないのだから犬や猫よりもよっぽど接しやすい。
「どんな姿でも命は命だもの。むやみに騒ぐことでもないでしょう。それに、昔はお世話になったの」
「虫の世話にか」
「そう」
私が思いつく限りの復讐方法は全て試してきた。お兄様の服に芋虫をしのばせたり、大量のミミズを詰め込んだ箱をお兄様へ贈ったり、なんてうんと幼い頃にはそんな幼稚なこともした。
もっとも、ありとあらゆる手をつくしても未だお兄様にぎゃふんと言わせていない。
虫やミミズなんてお兄様には何でもない。お兄様の弱点は未だに不明だ。
ただ、お兄様には何でもないけれど、こんな悪戯をするなんて悪い子にはお仕置きだ、なんて言って、お兄様により芋虫もミミズも私名義でお母様に届け直され仕返しをくらった。
「思えば酷いことよね。虫だって生きているんだもの。命を自分の都合で利用するなんて」
「伯爵家の娘が平気で虫を鷲掴みできるよう育てる環境もどうかと思うが」
「環境がそうさせたというか、兄がそうさせたというか……」
多分、お兄様がいなければ私ももう少し伯爵家の娘らしい感性と性格になっていたはず。良くも悪くも。
「怖いものなんてなさそうだな、あんた」
「まさか。世にも恐ろしいものがあるわ。私が家を出て行かない限り毎日顔を合わさなきゃいけない」
はっとして口を閉じる。
噂をすれば、世にも恐ろしい、お母様が何やら嬉しそうな顔でこちらへ向かってくる。
こんなところで大きな独り言をしているように見えたらまた変な子扱いをされる。お母様に限らず、誰に見られても私がイマジナリーフレンド、もしくは心の病から見ているお兄様の幻覚と話していると思われるから周囲には常に気をくばらないと。
「オリヴィア、こんなところで何をしているの? 早くいらっしゃい、お父様から大事なお話がありますよ」
「お父様から? つい数分前までお話していたのですが……」
「ええ、ではきっと丁度そのすぐ後ですね。お父様にお客様がいらしたのですよ。パーシヴァル侯爵の使者が」
パーシヴァル侯爵といえば、極珍しい、勉強した限りでは三つしか存在しない代々魔法使いの貴族だ。もう何世代も以前の帝国との闘いで功績を上げた大魔法使いは、国王の友人だったこともあり、魔法使いでありながら高い地位を得た。
代々強力な魔法使いが継いでいった侯爵家は今や現国王も迂闊に手を出せない。今のところ王家に忠実なため表向き平和だけれど、王家の人々はパーシヴァル侯爵家に反旗を翻されないようにいつも顔色をうかがっている。らしい。後半はお兄様からの情報なので事実かどうかは怪しい噂程度のものだ。
その、パーシヴァル侯爵家と我が家には大した接点はないはずだ。勿論、当主同士、夫人同士は多少あるのかもしれないけれど、個人的なやりとりをするほど親しくはないはず。
パーシヴァル侯爵の使者が来たことと、私に何の関係が。
イーノックを見たって仕方ないのに、ふと、彼の方に視線を向ける。
イーノックは退屈そうに頬杖をついて私と目も合わさない。そうでしょうとも、あなたは興味なんてないでしょうとも。関係ないものね。
「ではお客様が帰られたころ、お父様のお部屋へうかがいます」
「何を言っているの。今すぐに行くんですよ。あなたの今後について話すのですからね。ああ、私の娘が見初められるなんて!」
「みそ……はい?」
見初められ……?
「あのブタ、あんたみたいな子どもを愛人にでもするつもりか」
先ほどまで蝶を目で追っていたイーノックが低い声を出したので見ると、眉間に皺をよせお母様を睨んでいる。
ブタって、パーシヴァル侯爵のこと? 有名人でイーノックが絵などで彼の姿を見たことがあっても不思議じゃないし私も絵でなら見たことがある。
確かにお腹の出ているおじさまだけど、偉大なるパーシヴァル侯爵をブタ呼ばわりなんて。魔法使いの弟子にあるまじき発言。
「いや、さすがに愛人はないでしょう……」
女性関係で浮いた話は聞いたことがないし、愛人はいるかもしれないけれどこんな子どもに手を出すならもっと噂が聞こえてくるだろう。
「愛人? なんてことを言うのオリヴィア、くれぐれも二度とそんな失礼なことは言うんじゃありませんよ。侯爵が使者を送られたのはね、ご子息の相手にぜひあなたが欲しいと……、ああ、なんて光栄なことなんでしょう!」
お母様はその場で踊るようにクルクル回る。
お母様がご機嫌で何より。
「どうするんだ、レディ・オリヴィア」
お母様に手を引かれる私の後ろから、イーノックはあくびをしてついてくる。
「どうするって?」
浮かれているお母様には聞こえないよう、こそっと尋ねる。
「世にも恐ろしいあんたのお母様は、この話を断るなんて許さないだろう」
「ええそうね」
この浮かれ方、許すわけがない。
私がお姉様よりも地位の高い人と結婚することが、お兄様亡き今、お母様にとって一番の望み。パーシヴァル侯爵家以上の相手が今後出てくるとは思えない。
つまり、どうすることもできない。
「流れに身を任すしかないでしょうね」