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2.イーノック

 お兄様の死による家族の悲しみは、思ったよりも早くおさまった。お姉様が子爵家の次男を婿にもらったことでいずれ家を継ぐのはお姉様の旦那様ということになった。お父様は、お兄様が家を継ぐよりもお姉様が伯爵夫人となる方を本音では望んでいた。

 お父様にとって可愛い可愛いお姉様が大出世をするものだから、お母様は、お兄様の死はお父様かお姉様の陰謀に違いないと毎日私に言って聞かせる。お母様はお姉様の結婚相手以上の人を私にあてがおうと必死で探し回り、お兄様のことは「失敗」と言う。


 あのババアは俺を愛してるんじゃなくて、俺という作品を生み出した自分を愛しているんだろうよ。


 お兄様が鼻で笑って、そんなことを言ったことがある。そんなことはないと思います、なんて私は口ではそう言ったけれど、内心ではまったくその通りと同意していた。

 よもやお兄様がいなくなってこうもあからさまになろうとは。

 あなたはお母様の期待を裏切らないわよね? なんて毎日言われていたらたまらない。私に矛先が向く前はお兄様が毎日こんな圧力を受けていたのかと思うとあの奔放さもストレスがたまってああならざるを得なかったのかしら……なんて考える。

 お姉様は新婚生活を満喫して、私は世界一の幸せ者だわ! なんて言うわ、お兄様が使っていた日当たりの良い部屋をさっさと改装して夫婦で何に使うのだかわからない花やら人形であふれたメルヘンルームにしているし。


 使用人たちの方がよほどお兄様の死のダメージを受けている。兄様が亡くなってたった二年でここまでお兄様の存在を忘れている家族にあきれ返り、冷ややかな目をしている。


 そんな中私がどんな扱いを受けているかというと、家族には呆れられ、使用人たちには哀れまれている。



 お嬢様はまだセオドア様の死を受け入れられないでいらっしゃる。

 お嬢様は心を病み、まだセオドア様が生きていると思っていらっしゃる。

 おかわいそうなお嬢様。



 みんながそうヒソヒソ話し、私を見ると泣きそうな顔をする。メイドのエリンなどは、なんなら時々本当に私を抱きしめて泣く。


 ええ、ええ、わかっていますとも。余計なことは言うべきじゃない。悟られたらいけない。もし、あの遺体がお兄様ではないこと、お兄様が本当はどこかで生きていることが知れれば、お兄様はただではすまない。

 真実がどうであれお兄様の生存がわかれば、お兄様が悪事をはたらくとは夢にも思わかなった家の人々でさえ、さすがにお兄様を犯人だと思うだろう。

 どうしようもない兄に微々たるもんでも愛情のある妹としてはお兄様を危険にさらしたくはない。

 そりゃ、いつかはぎゃふんと言わせるつもりだし、積もり積もった恨みを晴らすべく未だに毎日お兄様への復讐方法を考えてはいる。いるけれど、檻に入ってほしいわけでも、死んでほしいわけでもない。泣いて謝らせたいだけ。

 いなくなった日、お兄様が残したメッセージカードには『埋め合わせはそのうち』と書いてあった。いつかは戻ってくるつもりなのだろう。それなら、それまではお兄様の秘密は守っていなければいけない気がした。


 だけど私はお兄様が生きていることを知っているわけだし、お芝居だって上手な方じゃない。部屋のドアをノックされて「お兄様?」と尋ねてしまったり、勉強でわからないところをお兄様の部屋へ教えてもらいに行こうとしたり。私のうっかりな行動は、周囲に「兄の死を受け入れられない子」として映っているのだ。

 さすがにこのところはそんなミスもなくなったけれど、もう大丈夫と言ったって使用人たちの哀れむ視線はまだ刺さる。


「お嬢様、今夜はもうおやすみですか?せっかくのお誕生日ですのに……」

「いいのよエリン。年をとるのなんて別に嬉しくないもの」


 それに、家族も二年目のお兄様の命日はさすがにしんみりとした空気を作る。私の誕生日を祝うような空気ではない。

 部屋の前までついてきたエリンはコソッと私に本を渡してきた。


「年をとるだなんて。成長とおっしゃってください。お嬢様が素晴らしい十二歳を過ごせますように」


 エリンがくれたのは私がひそかに気にしていたロマンス小説で、彼女は私がそういった読み物をこっそり楽しんでいるのに気づいていたらしい。

 ばれないように読んでいたのに。少し驚いたけれど、数少ない趣味を理解してくれる人がいるのが嬉しかった。

 エリンは今年で十九歳になる。お兄様のいなくなる半年前からうちに来たのに、お兄様のために泣いてくれた。この世でお兄様の次に私のことを知っている人だ。

 優しくて真面目で涙もろいエリンにハグをしてお礼を言うと、エリンはうっすら涙を浮かべてお辞儀をする。

 その隙に、部屋の中をエリンに見られないように素早くドアを開け閉めして部屋へ引っ込む。


『親愛なるオリヴィア

誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがとう』


 そうメッセージの添えられた窓辺に置かれた花束は、夕食のために部屋を出る前はなかった。カードの筆跡はお兄様のもの。

 去年の誕生日にもこれ。

 どういうつもりか死を偽装しているくせに、わざわざ知らぬ間にメッセージカード付きの花束を部屋に置いて行ったらしい。どうやっているのかは知らないけれどリスクをおかしているのは確かだ。


 それにしてもどうして去年も今年も同じような赤中心の花束なのか。別に花は嫌いじゃないけれど、二年続けて同じような花束をよこされると花さえやっておけば喜ぶだろうと侮られている気がしてなんとなく癪だ。


「不満そうだな」

「そんなこと……。……は、……え」


 今私は誰の言葉に反応した?


「……」

「……」


 どっ……。


「どなた……?」


 明かりを声のした方へ向ける。私と年がそう変わらないだろう男の子が、こちらを凝視している。一瞬目を見開いていた彼はすぐに気だるげな表情になり私から目をそらした。

 サラサラの金髪、お兄様や私と似た青い瞳。どことなく淋し気な雰囲気だけれど、ピリピリと尖った空気も醸している。


 私から目をそらした彼は黙ったままで、どれだけ待っても何も言わない。しまいには私の問いかけなんてなかったかのように目をつむろうとする。

 やむなし。子どもといえど侵入者。子どもを使った卑劣な暗殺計画なんてものもあると聞くし、本人が何も言わないのなら、いや何か言ったところでどっちにしろ侵入者なのだから早く突き出さないといけない。


「誰かんんんっ」


 人を呼ぼうとすると唇がぴったりくっついて開かなくなる。仕方ない外へ出て一刻も早く人を呼びに行かなければと走ろうとすると今度は足が地面にくっついて離れない。


「イーノック」


 ベッドに寝そべった侵入者が、気だるげに言ったのは彼の名前らしい。

 あんたの名前なんて知るか! どなた、というのは、どういうつもりで私の部屋に勝手に入った何者なのか答えなさいということで、名乗れということではない。


「んんんんんんんんんんっ、んんんっ! んーっ!」

「口を閉じてもやかましいな。いいか、今から話せるようにするが人は呼ぶな。セオドア・エインズワースが困ることになる」

「んんっ」


 なるほどね! そうですか! なるほどね! 他人のベッドに勝手に入るこの無礼極まりない侵入者はお兄様からの二年ぶりのアクションということね。さすがはお兄様。まともでない問題ばかりよこしてくれる。


「っはぁ……っ! それで……? イーノックさん? あなたはどこのイーノックさん? どういう目的で無断で私の部屋に? というかどうやって入ったんです? いいえそれよりも、兄とどういうご関係?」

「ますますやかましい。普段はもっと口数が少ないだろう。日によっては挨拶以外一言も発さない日もあるやつがまるで別人だ」


 それは、普段は楽しくお喋りをするほど仲の良い人が仕事で忙しいエリンくらいしかいないからで、私が口下手なわけじゃない。って、


「どうして私の普段の様子なんて知ってるのっ?」

「二年前からあんたを監視してた。先生の命令で」

「はあ!? 何よそれ、どういうことよっ。監視って……先生って誰!?」

「セオドア・エインズワース。今は名前を変えて生活しているが」


 イーノックは相変わらずベッドの上で仰向けにくつろいだまま、眉間に皺をよせた。

 それから独り言のようにブツブツ言いだす。


「どうして急に俺が見えるようになったんだ……? 魔法がとけたか……それかいよいよ限界がきたか……」

「待って、待ちなさい。先生って何の先生? あのロクデナシは今どこにいるの! 名前を変えてるですって? あなたはお兄様の何を知ってるの!?」

「本当にやかましいな」


 これが大人しくしていられますか! どこの誰だかわからない人に二年も私の監視をさせているって! 何のために! 見張り役は私ではなくお兄様にこそ必要なものでしょうに!


「あの……っ、大馬鹿者ぉ……!」

「お嬢様! お嬢様、どうされました!?」


 いけない、騒ぎすぎた。

 顔を青くした執事長が、私が返事をする前にドアを開けるのでとりあえず花束だけベッドの下に慌てて隠し、さてこの侵入者についてはどうやって誤魔化そう、と考える。


「あ、あ、ええと、ええと、こ、この人は、ええと……」

「はい……? ルビーのことですか?」

「えっ? いいえ、そうじゃなくて……」


 執事長は去年の誕生日も私の様子をしきりに心配していた。今年は誕生日、お兄様の命日にとうとう部屋で一人で喚きだしたから心配してすぐに駆け付けてくれたし、ノックの返事も待たず慌ててドアを開けたのだろう。

 けれど、部屋に来てみれば私は一人ではなく侵入者と一緒。

 どんな反応をするかハラハラしたのに、執事長は侵入者のことには触れない。私が指さしているのは侵入者なのに、その先にいるクマのぬいぐるみ、ルビーのことを指していると思っている。


「あんたにしか見えてないんだ、オリヴィア」

「ど……、どうして……」

「そういう魔法を使っている。さっきまではあんたにも見えていなかったのがいきなり見えるようになったからてっきり魔法の効果が切れたのかと思ったが、そういうことでもないらしいな」

「なんで私にだけ」

「さあ」


 なんて適当な……っ。


「お嬢様……?」


 執事長はますます青い顔をしている。

 この侵入者が私にしか見えていないということは、他の人には私が独り言を言っているように見えるってこと?

 ただでさえお兄様がいなくなって心を病んでいると思われているのに? このままいくと医者を呼ばれてしまうんじゃ……。


「あ、え、ええっと、虫! そう、窓を開けたら虫が入ってきて……もう、とーってもびっくりしちゃった!」

「虫ですか? それはいけませんね。じぃにお任せください」

「うん。あ! 今出て行ったわ、ドアの向こう。ごめんなさい、混乱してしまって。もう大丈夫」


 まだ若干不安そうにする執事長を押し出し、侵入者に改めて向き直ると彼は小ばかにするようにハン、と鼻で笑った


「虫なんて平気で素手でつかめるだろう」

「どうしてそれを……っ」


 虫も触れないか弱い令嬢ぶってきたのに……! まあそんな演出をしてもお兄様のせいでお転婆お嬢様と思われてきたけど。


「言ったろう。この二年、姿を見えないようにしてずっとあんたを監視してた。先生を疎ましく思う人間から攻撃を受けないように」


 私のプライバシーはどこにもないわけ。


「ど」

「どうしてどうしてうるさい。一つずつ答えてやるから少し黙っていろ」


また私の唇がくっつく。

イーノック曰く、お兄様はイーノックの魔法の先生をしている。この家を出るずっと前からお兄様はイーノックの先生をしていた。お兄様の居場所はイーノックも知らない。定期的にイーノックのところに行って適当に授業をして課題を出してまたいなくなるの繰り返しらしい。私の監視をイーノックに命じたのは家を出た次の日から。お兄様を疎ましく思う魔法使いはたくさんいるので、私が人質として誘拐されたり報復のため襲われることがあれば守れるように、と。


 お兄様が家を出る前から弟子を持っていたのは衝撃的だけれど、私と同い年くらいのイーノックを相手にしていたというなら気まぐれに子守り感覚で魔法を教えていたのかもしれない。

 それにしたってこんな子どもに私の護衛をさせるなんて、彼の親はお兄様に彼を預けているということ? 孤児でも拾ったのだろうか。


「兄が疎まれる理由は?」

「あの性格だ。わかるだろう。自分がすぐに問題を起こす人種という自覚はあったんじゃないか。実際他人の迷惑を考えないで動くから家を出て早々大勢の恨みを買っていた。まあ、一番の理由は才能と実力があることだが。先生がいなければ地位も名誉も報酬ももっと上がる連中にとっては先生の存在は面白くない」


 あの性格、という理由が一番納得できるけれど、それ以上に才能と実力で疎まれるなんて、あの適当且つ自己中心的な性格を上回るほどの要素があるなんて。私が思っていた以上にお兄様は魔法に真剣だったのかもしれない。


「兄は魔法使いになりたくて家族も名前も捨てて出て行ったのよね」

「さあ。あんたがそう思うならそうなんじゃないか」


 あの人の事情や都合には興味がない、とイーノックは本当にどうでもよさそうに寝返りをうつ。

 お兄様が家を出て行った理由なんて、本当は誰に訊かなくてもわかる。こんな窮屈な家で、好きなこともできず生涯を過ごすなんてお兄様もごめんだったに違いない。私は『埋め合わせはそのうち』というお兄様の残したメッセージを信じてその『その内』を待つしかできない。せっかくこの家を出られたお兄様を探す気がおきない。


 正体不明の人物の遺体については、イーノックに訊けない。この深刻な問題ばかりはお兄様以外に訊く勇気はない。


「……兄は今なんて名前なの」

「さあ。向こうも教えるつもりはなさそうだったしこっちも興味はないから知らない」

「名前を変えてるなら兄がエインズワース家の人間だとは誰も知らないでしょう? それなのに私が狙われるかもとあなたを傍に置かせるのは何故? 監視と言うからには、私自身が家族に真実を話したり、余計なことをしないように見張る意味合いもあるんだろうけれど……」


 名前を変えているのに、どうしてセオドア・エインズワースの妹が狙われるの?


「先生はうまいこと誤魔化してはいるが上級の魔法使いが調べればこの家と先生に何かしらの関係があることまでは突き止めるだろう。時々あんたの様子を見に先生はここへ来ているし、あんたを描いた絵とか、あんたに借りたまま返していない本とか、あんたに繋がりそうなものを落としたり盗まれたりしているからな。まあ、まさか死んだセオドア・エインズワース本人とは誰も思わない。今のところは、だが」

「いろいろ言いたいことはあるけど、つまり兄の迂闊な行動で私まで狙われるはめになっていると?」

「そうだな。エインズワースの下の娘が先生のお気に入りだという噂はもう大分広まっている」


 あまりの腹立たしさに発狂しそうになる。

 あの兄は……っ! 傍にいなくても私を巻き込まないと気が済まないの? 護衛に弟子を傍に置くなんて私のことを考えてくれてるのね、なんて一瞬でも感動した私がバカだった。そもそもあのロクデナシがまいた種。

 あの兄、次に会ったらどうしてくれよう。

また執事長や他の使用人が飛んできたら大変なので叫ぶのはぐっとこらえ、ベッドに力いっぱい拳を振り下ろす。

 ベッドが多少揺れてもイーノックは特に気にせず足まで組んでいる。


「……いつまで私のベッドにいるつもり」

「朝まで」


 予想もしなかった返事に私が言葉を失っていると、イーノックはベッドの真ん中から少し端によけた。


「あんたに見えてなかっただけでいつもそうしてた」

「そんなわけないじゃない。さすがに同じベッドに人がいたら気づくわ、見えなくても」

「あんたが眠った頃に入って起きる前に出てたからな。このクマ抱いて、端で死んだように動かないで寝てくれるおかげで俺は広々使えてる」


 イーノックがつまみ上げたクマのルビーを奪い返して、思い切り睨む。けれどイーノックは小さくため息をつくだけ。私をバカにするように。


「俺はあんたを守るためにここにいるんだ。夜中に離れるわけにいかないだろう。先生にもそうするよう言われてる」

「だからって、レディのベッドに……」


 レディ? と呟いて、またイーノックはバカにするように溜息をつく。この感じ、お兄様とは違うタイプの人をイライラさせる人種だ。


「今更気にしたところでもう二年はこうしてる」

「見えるのと見えないのじゃ話が違うし、あなたをそう簡単に信用するわけにもいかなわ」


 信用するには怪しすぎる。けれどこの人の姿が他の人に見えない以上、私が何をしても頭がおかしくなったと思われるだけ。追い出すことは勿論、告げ口もできない。


 聞こえないふりをして眠ろうとするイーノックに、せめて今まであなたがそうしていたように私が眠ってから入ってほしい、と提案すると、仕方ない、と起き上がり彼は床に座りベッドに背中をもたれさせた。


「……ありがとうって言うべきよね。あなたが言うには、あなたは私を守ってくれてるんだものね」

「必要ない。あんたのためじゃなく俺が授業料代わりに仕事をしているわけだ」


 だからって、聞いた様子では十分な授業はしていないようだし、狙われている私を守るなんて危険な上割に合っていない。

 かなり無礼な人だし私が頼んだわけじゃない。私のプライバシーなんてあったもんじゃないけれど、私の兄の尻ぬぐいをさせられている人にこの扱いは人としていけない……。

 私は悪いくない。私は悪くないけど、この人も不本意な状況……。ああ……すべてお兄様のせい。どうしろっていうの……。


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