幼馴染と親友2
[幼馴染と親友2]
中学二年の秋。俺は受験に向けて予習復習を欠かさない毎日を過ごしていた。その頃はまだ帰宅部ではなく、保育園のときに少しだけ習っていたこともあり剣道部に所属して、自分でも信じられないことに団体戦でも活躍していた。
そんな自分の隣にいつもいたのは片山光季。彼は中学校へ入学した当初、剣道部で初めて竹刀を合わせた男子生徒だった。その頃はお互いのことをなにも知らずに練習の一環で打ち合いをしていただけだったが直ぐに理解した。この男は剣道をする為に生まれてきたのだと直感したのだ。試合開始の合図と共に素早い踏み込み、一瞬にして彼の竹刀が俺の面に炸裂、するのをなんとかいなす。立て続けに振るわれた機械的なまでに正確な一撃一撃を竹刀で受け止め、いなし、距離を取ることがそのときの俺の精一杯だった。その後も勝負が着くことはなく、他の部員の練習時間がなくなるからと打ち止めとなったことは今でも覚えている。あのときの心情を光季は、不戦勝よりも気持ち悪い、と言っていた。
そこから俺たちは離れたクラスでありながらもよく話すようになり、いつの間にか剣道部のツートップとして校内で有名になっていた。部活外の時間でも気が置ける仲になり、親友と呼べるまでになっていたのだ。
俺はそんな光季を合唱部の幼馴染に紹介することにした。友達の友達は友達、というふうに俺たち三人はいつも一緒にいるようになっていた。学生らしく毎日が楽しくて、勉強も部活も順調でいて不満といえば幼馴染に恋する気持ちを告白できない自分にだけだった。
春のことが好きだった。彼女とは家が近所だということもあり、俺たちがまだ赤ん坊だった頃から親同士は知り合っていたらしく、こちらが保育園で春が幼稚園だというのによく二人で遊んでいた。最初に言ってきたのは春からだった。
「あたしね、おおきくなったらゆういちくんのお嫁さんになるの」
それが彼女の二人でいるときの口癖だった。よくある話であの頃はお嫁さんというものに憧れがあり、おままごとの気分で言っていたのだと思う。だが、そこに具体的な約束があれば話は別だった。
「はるね、ちゅーがくせいになったときに、ゆういちくんといっしょにいたら、あなたの恋人になるの」
なんて無邪気そのもので、当時一緒に遊ぶ友達がいなかった俺はその幼い約束を、あろうことかいつまでも忘れることができずにいたのだ。小学生になってもいつまでも春と一緒にいられるのだと浮かれていた。いや、今よりも子供だったあの頃の自分は浮かれていることにすら気がついていなかった。
そして中学生になり、しかし恋愛がどういうものなのかなんとなく理解し始める年頃の俺たちは、約束を口にすることなくただの幼馴染として仲良く日々を過ごしていたのだ。剣道部での活動にも一年経てば慣れ、いよいよ受験を視野に勉強に力を入れ始めた中学二年の秋の放課後。俺は決心して春を教室に呼び出した。
今から起こることを察しているのか春はどこかそわそわとして落ち着かなく、それは俺も同じことだったが堂々としていることが一番だと態度には表さないようにしていた。
「いやー、なんか最近寒くなり始めたねー。手袋欲しいよねー」
二人だけの教室にオレンジ色の陽が差し、気まずさを誤魔化す為におどける彼女にやはり俺は惹かれていた。だからこそ、真剣に気持ちを伝えなければと思ったのだ。
「春、今日は真面目な話があるんだけどな」
「え、もうなに、優一がそんな柄にもないことしないでよー」
そういえば、いつから俺はゆういちくんではなくなったのだろうか。いつまでも名前を君付けにされては恥ずかしいのでそれはそれでいいのだが。
「哀愁の秋って言うくらいだからきっと紅葉にやられてしんみりしてるんだね、うん」
「違うよ。本当に、大切な話だ」
「……今日は、やめておかない?」
「今日じゃないと駄目なんだ。今じゃないと、多分一生お前に伝えられないからさ」
「でも、そうだ、部活行かないとさ」
「合唱部、今日は休みだろ?」
「剣道部の方だよ。練習さぼったら光季に怒られるよ?」
親友の名前が出て、不意に頭に血が上りそうになった。
「今あいつは関係ない」
「そんなこと言って、親友なんでしょ? 可哀想だよ」
「関係ないって!」
途端にしんとなり、怒鳴ってしまったことが恥ずかしくなった。謝ると、別にいいけど、と春は目を丸くしていた。
「め、珍しいね優一が大声上げるなんて。ほら、他の生徒が来ない内に体育館に行ってらっしゃいね」
「光季には少し遅れるって言ってあるんだ」
「あ、そ、そうなんだ……」
これじゃあ話が台無しだ。今から伝えることは勇気を振り絞ってやっとのことなのに、上手くいくかどうか分からなくなった。けどそれでも臆病風を秋風に流し、やっとのことで口を開く。
「春、聞いてくれ。俺はずっと、お前のことが」
「待って!」
今度は彼女の方が大声を上げて、俺の言葉を制止した。なんで、どうして言わせてくれない。どうしてもこの気持ちをお前に伝えたいというのに、何故なんだ。
「優一がなにを言おうとしているのか、分かるから。待ってよ、まだ早いよ」
「まだって、あのときの約束を覚えていたのは俺だけだったのか?」
「覚えてる、覚えてるけど、状況が状況だよ」
どういうことなのか、どの状況のことを言っているのか分からなかった。俺の伝えたい思いを知っていて、幼い約束を覚えていて、それでも春は首を振るのか。断られたことに憤りを感じているのではなく、ただ煮え切らない態度でお茶を濁そうとする彼女が分からなかった。いつも真っ直ぐでいて自分の正しさを信じているはずの幼馴染は何故今になって困ったようにして、顔をこちらに向けてくれないのか。彼女の心変わりだとしたらそれでもいい。何年前にしたのかも分からない約束だけど、それなら明確な答えが聞きたかった。これじゃあ純心に彼女を好きでいた俺が馬鹿みたいじゃないか。
「他に好きな奴がいるのか?」
「そういう訳じゃ、そういうんじゃないけど……」
「なら、やっぱり俺はお前に相応しくないってことか」
「違うよ! 全然そうじゃない!」
ならどうしてそんなに悲しい顔をするんだよ。
「もしも私たちが付き合ったらさ、光季はどうするの?」
「は?」
またもここで親友の名前を出すというのかお前は。光季がどうした。俺たちが恋人同士になったとして、一体それがあいつとどう関係あるのだ?
「きっと私たち、光季といられなくなる。ずっと一緒じゃいられなくなっちゃうよ」
「そんなの大丈夫だろ」
「本当に、そう言える?」
あいつは嫉妬とかそういうものから程遠い奴だから心配いらない、と本心では思うが口に出せなかった。どこかで春の言いたいことが分かっていた。友達の友達がその友達の恋人だなんて、普通なら引けてしまう。だが俺と光季は違う。信頼し合いこの先一生袂を分かつことのない親友なのだ。お互いの欠点を知っていて、それを補うようにこの一年間切磋琢磨してきた類稀なる友なのだ。
「私はさ、ずっと優一とも光季とも一緒にいたい。高校生になっても大学に進学したり就職した後もずっと一緒がいいんだよ」
「だから、きっと大丈夫だ。あいつは俺たちと一緒にいてくれる」
「そうじゃなくて、違うの。光季が離れていってしまうことが怖いんじゃないの」
ぽつりぽつり、と春は、泣いていた。俺が泣かせてしまったのか。なにが原因か全く分からずに俺は彼女を治めようと近づくが。
「来ないで!」
びくりと足が止まってしまう。ここで止まってしまっては悔やむに悔やみきれないことになりそうで、しかし一歩を踏み出す勇気がなかった。たった一歩、その後の数歩を歩みよれさえすれば幼馴染の涙の理由もきっと聞けたのに、動けない。教室に落ちる夕方の影が酷く残酷に見える。俺は、情けない。
「来ないで、私、これ以上優一に近づいてしまうのが、怖い」
「なんだよそれ、なんだよお前」
ゆういちくんと呼んでくれたあの日のお前はどこにいってしまったのか。元気で清らかで絶えない笑顔をしていたお前はどこに? 目の前にいるのは傷つき必死で俯く、俺の知っている幼馴染とは正反対の春だ。胸が痛む、心が痛い。すすり泣く声に訳も分からずこちらも傷ついてしまう。もう、なにも言わずとも分かった。俺は、春にとって特別な人にはなれない。彼女にとって特別な男には、決してなれないのだと。
「私は、三人でいたい。ずっとずっとずっと、三人のままでいたいの。だから、お願い優一」
ぎゅっと肩を寄せ、苦しそうに屈む春。
「友達のままで、ただの幼馴染のままで、いさせてください」
懇願する程に辛そうで、俺の思いは伝える前に砕かれた。届ける前に破かれた。幼い頃からの思い人、その人によって。
「……分かった」
と言うのがやっとだった。
「約束して。いつまでも、ずっとこの先も、私たち三人は一緒だからね」
桃源の誓いにしては季節外れなものだった。三人でいることを二人きりで約束するなんて矛盾している。けど、俺は、そうまでしてでも春といたかった。過去の約束に上書きされた約束に、痛みを押し詰めた胸に誓ったのだ。
「俺は今まで約束を守ってきた。お前の為だと言い聞かせて、三年間ずっと我慢した」
その間も春は昔と変わらずわがままを言ってきたし俺はそれを受け止めた。これが俺たち三人を繋ぎ止める最善なのだと誤魔化し続けてていた。しかしそれも今日が限界のようだ。元より光季と喧嘩した時点で既に決壊していたのかもしれない。
「なにも変わらないように取り繕って、お前に対する気持ちを光季には悟られないように、全部お前の為だと思ってだよ」
「そんな、でも、優一、そんなこと一度も言ってなかった」
驚愕する春を見ると更に憤りが大きくなる。一度も言っていないから思っていないとでも勘違いしていたのだろうか。そう考えるとまた黒い感情が浮き彫りになってしまう。
感情に呑み込まれないようになんとか冷静を装うも、やはり声を重く鎮めるのがやっとだった。
「いい加減やめようぜ。こんな、幼馴染ごっこはさ」
「ごっこってなによ? そんなこと思ってたなんて、酷いよ!」
「酷いのはお前の方だろ! 一方的に押しつけて、俺の気持ちは関係ないのかよ! 三人でいたいって思うけど、それ以上にあのときの俺はお前と一緒にいたかったんだ! お前と一緒なら、誰にどう思われようと構わなかったのに!」
「なんでよ、なんで今更、そんなこと言うのぉ……?」
春が泣いている。また泣かせてしまった。こんなつもりじゃなかったのに、どうしていつもこいつが相手だと感情が先にいってしまうのか。俺はまだ初恋を諦めることができていなかったのだ。
「今更なんて、ずっと前に言っただろ!」
「言ってない!」
怒鳴り声が響き渡った。このまま逃げるように立ち去ろうなんて卑怯だ。俺の言葉は聞かないつもりかよ。
「言わないでよ、そんなこと……」
「そんな、ことだと?」
駄目だ、もう俺は、春と一緒にいられない。辛すぎる、痛すぎる、苦しさに耐えられない。どんなに気持ちを伝えようとしても、これだけ聞いてほしい気持ちを受け止めてくれないどころか言わせてくれない、そんな劣悪な関係が友達と言えるものか。
「そうだよ、お前にとってはそんなことだろうな。くだらない子供の頃の口約束を信じてた俺が馬鹿に見えるよな。心の中で、救えない男だって嘲笑ってたんだろ?」
「そんなこと思ってない……」
「嘘だ!」
「嘘じゃない!」
「ならどうしてこの気持ちを聞いてくれないんだよ!」
「聞かせないでよそんなこと!」
お終いだ。こいつとは、分かり合えない。
「そんなの聞いたら私は……」
「なんだっていうんだ?」
春は口をきつく閉じ、言いたいことを我慢しているようだった。そよ風が鬱陶しい。
「出て行けよ。もう二度と、お前の顔なんて見たくない」
それきりなにも発さずに、涙を流し続ける人形のような春に慰めの言葉をかける気には全くならず、最後に黒々とした本音をただぶつけた。虚ろな瞳、それが俺の記憶に残り続けるであろう彼女との決別だった。
どれくらいが経ったのだろうか。そいつがいなくなってから炎症気味の喉に水分を取る為リビングへ降りると、偶然居合わせた母に心配された。大丈夫なの? と神妙な面持ちになるものだから可笑しくなった。大丈夫もなにも随分前から大丈夫じゃなかったみたいだ。
――その日の夜はどこまでも続く針の山の上を歩かされているようだった。過去を振り返えろうと足を止めれば突き刺さり、前へ前へと踏み出す度に突き刺さる。上手く寝付けない夏の空気の中で何度も何度も中学二年の秋を彷徨っていた。教室に来る幼馴染は真っ直ぐな笑顔を見せていて、窓辺で隣り合う彼女と手を繋ごうとするとたちまち煙になり消える。夕暮れの中、俺は独りだった。かと思えば私服の遠葉がやって来て心配そうに下から覗かれて、何故か俺は、なにかあったのか、と彼女に聞いていた。しかし遠葉はなにも言わず動かず俺を覗き込んだまま固まるのだ。
そして扉からの視線に顔を向け、ある女に見つめられていることに気がついた。その人はここのものではない制服を着ていた。逆光よりも煌めく金髪ロングの前髪ぱっつん女だった。その少し生意気そうな口を優雅に開くと、俺の脳内に魅惑の声が木霊する。
季節外れの風物詩でもどうだ?
教室中に雪が降る。積もることなく落ちては消えて、落ちては消え。雪と一緒に遠葉の姿も溶けていた。。残されたのは俺と制服の女だけ、言葉は交わさず目線だけが真っ直ぐ合う。窓から紅葉が舞い落ちて、雪がその葉と優しくぶつかった。そんなあり得ない光景に見惚れているとまた女は口を開いたが、今度はなにも聞こえない。耳を向けても聞こえない。
聞かせないでよそんなこと!
急に胸が苦しくなった。違う、その声は制服の女のものじゃない。もっと近くて、ずっと一緒で、いつまでも大切だと思っていたあいつのものだ。俺を拒絶し否定した、あいつのものなのだ。頼むから、もうその口を閉じてくれ。眩暈がする。倒れそうになり必死でそれを堪えたが、宙に浮いたかと思った一瞬落ちていく体に視界が歪み白かと思えた黒がぐにゃりと笑った。
「月城君の家のキッチン使い易いね。はい、お粥作ってきたからゆっくり食べてね」
翌日になり、ベッドの隣にはエプロン姿の遠葉が椅子に座っていた。どうやら俺は昨夜から高熱を出してしまっていたようで、今日になり体が思うように動かせなくなってしまっていた。起きたのはついさっき、精神的に参っていたのかその手は無意識の内に充電が切れかけの無造作に置かれたスマホに伸び、知らず知らずにメールを送っていた。あろうことか、遠葉にだ。
俺は彼女の優しさに甘えたかったのだろう。仕方がない、こんな高熱は覚えている限り初めてなのだから不安にもなる。母は朝早く仕事に行ってしまいなにかするにも自分ではどうしようもないのだ。まあ、だからと言って他人にお世話をしてもらうなんて、思うところがある訳だけど。
「あ、それと一応風邪薬持ってきたから食べ終わったら飲もうね」
病院のやつじゃないけどね、とまるで遠葉も一緒に飲むような言い方だ。それが面白くて少し頬が緩んでしまう。あんなことがあった翌日に、まだ少しでも笑う気力はあるとは不思議だ。
「ありがとな、遠葉」
「いいのいいの、困ったときはお互い様だよ。それに月城君が熱出して動けないのを放っておける訳ないよ」
本当にどここまで優しいのだろうか。友達と言っても他人の為にここまでする奴が他のどこにいるだろう。上半身を起き上げて作ってくれたお粥を一口食べると、じわりとなにか暖かいものが染み渡った。
「美味しいよ、これ」
「良かったー。お粥なんて作ったの久しぶりで緊張しちゃったよ」
微かに梅の風味が効いていて、少しだけ甘い食感がぼうっとする体に丁度良かった。ゆっくりと噛みしめて食べ終わるまで、遠葉はいつも通りのなんでもない話をしてくれた。そして食器を片付けてから部屋に戻った彼女は息を整え。
「月城君、なにかあった?」
と、強制的に自白を求めている声では決してなかった。だからこそ俺は下手に意地にならず昨夜のことを話せてしまう。話す上で避けては通れない中学二年の秋のことも、俺が春にどういう思いを抱いていたのかその全てを吐き出した。
遠葉は話の途中で茶化すこともなく真剣そのものだった。
「……片山君」
「え?」
「片山君となんで喧嘩しちゃったのか、月城君話してない」
意外な返答だった。確かに光季との喧嘩の理由については話していない。だが、問題はそこではなく、春とのことなのだが。
「それを教えないと」
打って変わって強制的な言い方だった。
「だって、友達が友達と険悪になってたら解決したいって思うのが友達でしょ?」
「いや、でもな、遠葉と光季は会ったこともない訳だし」
「わたし?」
きょとんとしたのは彼女だけではない。
「わたしは、そこに関係ないんじゃないかな、はぁ……」
「いや、自分でショック受けるくらいなら言うなよ」
しかしならばどういうことだ?
「わたしにじゃなくて、日菜宮さんに。ちゃんと話した?」
「……話せる訳なかったよ」
喧嘩の原因お前だぜ、なんて言えるかよ。いや、昨日に限っては勢い任せに言ってやっても良かったのかもしれないが、別にあいつを虐めたい訳でもなかったし。
「……じゃあ、わたしにしてみる?」
「遠葉に、か?」
「そう、わたしで、試してみる?」
誤解を招きそうな一言に包容力を感じつつ、気恥ずかしさを覚えつつ、俺は甘んじることにした。遠葉が椅子からベッドの上へ移動し座るといよいよ勘違いの空気に満たされる。察知したのか、赤らめながら。
「あ、違うからね。本当に、ただ話を聞きたいなって、願わくばそういうことにならないかなとか思ってないからね」
いや、もしもそんなことになろうものなら今はやめてほしいものだ。熱に拍車をかけて倒れちまうよ。
改めて、整えて。
「……光季と喧嘩したのは夏休みに入る少し前なんだ。休みの日に一緒に映画でも見に行こうかってなってさ。俺は、春も誘うつもりでいたんだけどな、光季が二人で行きたいって言うからそうしたんだ」
「男二人で?」
「ああ、それだけ気の知れた仲だったってことで」
よっぽどなんだね、と遠葉は関心していた。
「それで当日、映画館には行かなかったんだけど」
「行かなかったんだ……」
「まあ、その日その日で予定が変わるなんてことは男同士ならよくあるよ」
多分、俺たちが特殊な訳ではないはずだ、と思いたい。
「代わりに公園でのんびり過ごそうってことになって」
「度々ちょっとごめんね、それ老夫婦の話じゃないよね?」
「なに言ってんだ? 俺と光季の話に決まってるだろ?」
全く遠葉は面白いことを聞くよ。
「で、何気ない学校での出来事だったり世間話だったりをしている内に中学の昔話になってさ」
思えばあのときそういうふうになったのは光季の誘導だったのかもしれない。生真面目なあいつがそんなことをできるかどうかは別として、それが目的だったのかもしれないのだ。
「俺が剣道部だってことはさっき話したよな?」
「うん、エースでどんな敵将でもなぎ倒したって」
「いやそこまでは言ってない。けど、俺は剣道部を退部したんだ」
それも自主的に、止む得ない家庭の事情とか受験に専念する為でもなく、ただそこにいることが辛くなったからだ。
「光季と顔を合わせる度に春のことが思い浮かんで、それでも約束を守る為に必死だった。本当は親友に相談して打ち明けたかったのにそうする訳にはいかなかったんだよ。だってそうだろ? 春はそれを望んでいなかったんだからさ」
もしもあのとき俺が幼馴染に告白したことを相談していれば、一体光季はどんなふうに思っただろうか。今や知る余地のない様々な憶測を今まで幾度となく重ねていた。
「気まずくなってさ、部活にも支障をきたすレベルだったんだぜ? 仮試合でも負けるし練習にも身が入らない。迷惑をかけるくらいならって、思い切って退部届を出したんだ」
それが確か中学二年の冬。告白が失敗してから二ヶ月くらいの決断だった。
「周囲からはなんで辞めたのか聞かれても丁度いい言い訳が見つからないからなんとなくって答えることしかできなくて、それでも光季はそんな俺を責めなかった」
互いに実力を高め合っていた相手が突然消えて、その理由がなんとなくだなんて納得いかないはずなのに、あいつは全く問いたださなかった。俺に嫌気が差したのか興味がなくなったのか、しかしその後も光季とは変わらず親友でいられた。
「どうしても気になっていたからってそのときのことを突然聞かれてさ。ああ、公園でな」
「友達、親友だもんね」
そう、あいつは親友で、俺は親友に昔のことをひた隠しにしていた最低の男だ。
「今なら話せるかもしれないって思ったよ。けど、駄目だったんだ」
「……怖かったの?」
「ああ、打ち明けるのが怖くて、どうなるかが恐ろしかった。結局誤魔化したまま話し続けてたらさ、あいつ言ったんだよ」
それはもう試合相手を見据えるような鋭さで、蛇に睨まれた蛙だった。
「お前は春のことをどう思うってさ」
それでも俺は内に閉じ込めた気持ちを見せまいと必至で誤魔化した。だが昼間の公園に逃げ場なんてどこにもなく、怯える足取りの蛙は呆気なく追い込まれてしまう。
春のことが好きなんだろ?
と、光季は確信に迫った。否定すれば良かったのかもしれない。そんなことないと笑い飛ばしてやれば、もしかしたら今も変わらず親友でいられたかもしれない。なのに俺は口を開けず言葉を濁すことさえできなかった。
本当の気持ちだからこそ、親友に嘘は吐けなかった。
「光季がな、もしも春のことで俺に後ろめたさを感じているならそんなの全部捨ててしまえ、ってさ。全く嫌になる程格好いい奴だよ、あいつ」
「…………それで?」
遠葉が、そのときの光季に見えた。錯覚だよな、今彼女が少し怒っているように感じたが。
「それでもなにも言わなかった俺に呆れたんだろうな、逃げるなよって言われたよ」
「多分、わたしでもそう言うかも」
「え、どういうことだ?」
「なんでもない。それからまさか月城君は逆ギレしちゃったとか?」
断じて首を振ろう。その逆だ。逆ギレの逆。変に納得してしまったのだ。自分は逃げているのだと、問題の解決から目を逸らし何事もなかったかのように過ごし続けていたのだと納得させられてしまった。
光季のことを考え三人でいることを選んだ春と、俺を尊重する光季。なら俺は、誰の為に三人でいることを続けられるのだろうか。貧弱な考えが災いし、自分で抑えることのできないことを言ってしまったのだ。
春はお前のことが好きなんだよ、きっとさ。
その自虐を込めた一言が、光季の逆鱗に触れることとなった。思ってもないことを言うなと光季が静かに怒鳴る。本当のことだよと俺が顔を背ける。自分の気持ちに嘘を吐くのかと彼は怒りに震え、あいつのことだろと素知らぬふりで俺は俯く。春の気持ちを偽って優一自身の気持ちさえ偽っても意味ないだろ。だけど俺はあいつと一緒にいたくない。どうしたんだよいつもの優一らしくないぞ。いつもの俺ってどんなだよ。お前は俺よりも強くて賢いはずだ。お前に勝ったことなんて一度もないけどな。剣道の話じゃない。成績だって平均以上止まりだ。そういうことを言ってるんじゃない。ならどういうことだ。優一には屈しない心と思いやる賢さがあるって言ってるんだ。過大評価だ屈したよ俺は。なにがあったんだ。それは絶対に言えない。一人で抱え込むなよ俺がお前の力になる。そういうこと軽々しく言わない方がいいと思うけどな。お前だって知りもしないクラスメイトのところに毎日行ってるだろ。それ誰から聞いたんだよ。周知の事実だ。誰からだ。春が心配してた。関係ない。関係ないことないだろあいつだぞ。なんであいつの話になるんだよ。お前の幼馴染だろ。なら光季が口を挿むことじゃない。俺ですら関係ないって言うのかよ。これは俺の問題なんだよ。なあ優一少し無理をし過ぎだぞ。そんなことない俺は全然なんとも思ってない。嘘だよなそれ。本当だよ。嘘だよお前は嘘が下手だからな。お前に言われたくない。ああだから俺は嘘を吐かない自分の気持ちもお前や春の気持ちもこのまま見て見ぬふりなんてできないんだ。だからなんであいつの話になるんだよ。お前の大切な人だろ。決めつけるなよそんなこと大体光季が俺のことを心配する理由はどこにもないだろ! ……俺たち、親友だろ?
「お前なんか、親友でもなんでもない」
後悔の日差しがきつかった。なんでもない休日のはずなのに、ただなんとなく映画を見る気分じゃなくなっただけなのに、なんであんなことになってしまったんだろうな。
「それから片山君とは?」
「……一度も会ってない」
「そっか、そうなんだ」
なにもお前が落ち込むことないと思うけどな。
「でも、仲直りする気はあるんだよね?」
「そう思ってたけど、今更そんなことできないだろ」
「月城君、わたしの質問しっかり聞いて」
いや、聞き流していた訳じゃない。ただ幼馴染とも仲違いしてしまった今となってはなにをする気にもなれないのだ。
「仲直りする気は、あるんだよね?」
遠葉の目が、俺を正そうとしていた。今の自分はそれを直視することができない。
「できるできないじゃなくてね、その気があるのかないのか聞かせて」
「普通言うなら逆じゃないか、それ」
「逆じゃないよ。だって、絶対に片山君と仲直りできるって分かるんだもん」
なにを根拠に、どんな理屈なのだろうか。疑いはするけど、遠葉の言葉は苦し紛れの慰めなどではない柔らかな熱を帯びていた。
「片山君のことはよく知らないけど、男の友情がどんなものなのか分からないけど、これだけは確かだよ。二人は絶対に元に戻れるよ」
説得力の欠片もない理屈理論をぶっ壊しすっ飛ばした遠葉。なんだよそれ、そんなの卑怯だろ。臆病風をものともしない笑顔を今するなよ。そんな顔を見たらさ。
なんとかなる気がしてしまうではないか。
「あの鏡河さんの自宅にまで招き入れられた月城君だよ? 親友との仲直りなんて訳ないよね」
きっと遠葉は俺の知る誰よりも前向きで健気で一生懸命なのだ。高熱なんてどこ吹く風。いや風邪なんだけど、それでも少しして体力が戻れば俺はまた、朝早く不登校児を説得しに毎日押しかけたずうずうしくお節介な月城優一に戻れる気がした。
「そうだよな。俺、あんな捻者の家に泊れたんだもんな」
「え?」
あ、しまった。
「どういうことかな月城君? 詳しくお聞かせ願っていい?」
油断大敵。俺は寝込みながらも遠葉の言及に応じなくてはならなくなった。終始笑顔の遠葉が怖かったのはここだけの話だ。