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幼馴染と親友1

「幼馴染と親友」

 

翌日、ほとんど徹夜明けの俺たちがリビングで顔を合わせたのは十三時過ぎで、遅めの朝食と早めの昼食を同時に済ませることにした。鍋が大きかったこともあり料理をする手間を省きこの日もシチューを食べる。大人びている容姿の彼女がシチュー大好きと言わんばかりに頬張る様を見て、確かに俺たちと同い年だと安堵することができた。

 食器を洗い終えた後、彼女は人生ゲームをどこかの部屋から取り出して、嬉々として勝負を申し込んできたのだった。望むところだと受けようとしたそのとき、スマホが着信を知らせ見ると、遠葉、とあった。思わず鏡河の方を確かめてしまう。

「出ないの? 彼女泣いちゃうかもよ」

 若干の躊躇。しかし、このまま無視するのも失礼なのでコールを受ける。

『あ、もしもし月城君? 昨日は鏡河さんのところに行けなくてごめんなさい』

「ああ、別に大丈夫だよ。で、どうかしたか?」

 おい鏡河、顔を寄せるな耳を近づけるな。

『えっとね、昨日あったことを話したいなって思って。今から時間あるかな?』

「……悪い、今日はこれから用事があって」

『そうなんだ。えっと、そうだよね月城君にもプライベートってものがあるよね! ごめんごめん、じゃあ今度またね!』

「ああ、本当に悪かった」

『もう、なんで月城君が謝るの? 勝手に誘っちゃったのはこっちなんだしいいよ、大丈夫だよ』

 誘いを断ることよりも誤魔化したことに少しの罪悪感を持ち口ごもってしまう。

 苦しくもなんとかやり過ごせたかと思ったが、遠葉はなにかに感づいたのか。

『……あれ、もしかして月城君、今鏡河さんのところにいる?』

 と、こちらの心臓が飛び出しそうになる。いやいや必要以上に誤魔化す必要はないが、抜け駆けして鏡河の自宅にあまつさえ泊まっていたことを知ったら。なによりも、遠葉経由で春に知られたらこっちの身がが危ない。

『と言うより、近くに鏡河さんいる?』

 オッケー、何故かばれてやがるぜ。

『鏡河さんの気配がする……。月城君、私も行っていい?』

「なら来なさいな。お待ちしておりますよ遠葉さん」

 スマホ一つを隔てた近距離で、鏡河がわざとらしく言い放つ。鏡河がこういう言い方をするときは決まってなにかしらの思惑が、少なからず思うことがあってのことだ。目標の女から直々に誘われた遠葉は意気揚々に、すぐ行くね、とはしゃぎ通話を切った。

何故誘ったのかを聞くと彼女は大袈裟に首を傾げ寝癖のない綺麗な髪を揺らせ。

「あなたがいるならあの子もいるのが自然でしょう?」

 などと嫌味たらしい笑顔で返されたのだった。

 それから約三十分後に遠葉がやって来て、鏡河はいつもの調子でそれを招き入れていた。

「さあ、揃ったことだし戦いを始めましょうか」

「え、なに月城君、わたしどうすればいいの?」

「安心しろ、ただの人生ゲームだよ」

 ルールブックに一通り目を通してリビングのテーブルに盤を広げ、各々が車の駒に性別に合う色の棒を差し込む。勝負の肝は最初の準備の段階で生命保険に入るか否かによる。もちろん保険に入る為には手持ち金からいくらか払わなければならないのでスタート時の貯金は圧倒的に少なくなる。しかも鏡河が用意したこの人生ゲームは保険カードを払って保険金の代わりにするものではなく、保険カードがあるプレイヤーは事故や病気の際、負担額が大幅に減るという現実味のあるものだった。更に保険に入る為には初期手持ち金額の半額を支払わなければならないのだ。俺たちは不測の事態に慎重になり、生命保険と他プレイヤーと同じマスに止まった際の追突賠償金が免除される自動車保険にも加入し、最後に換金できる株を三枚程購入することにした。

 転ばぬ先の二つの保険と株購入を通し、みんなの初期手持ち金額は八割減っていたが、まだゲームは始まってすらいない。ルーレットを回し一番大きい数字を出した鏡河を先頭に、続いて遠葉、最後尾を俺が行く。いよいよ試合開始、人生ゲームの幕開けだ。

 数時間後、シビアなゲームは終盤を迎えていた。が、その中に遠葉の駒は蚊帳の外、盤の外に追い払われて彼女は俺と鏡河の二人を応援している観戦者になっていた。ゲーム中盤から職を失い多額の負債を負った遠葉はその後も定職に就くこと叶わず農園荒らしを繰り返した末に国外追放をされてしまったのだ。なんと破天荒な人生なのだろう。しかしそうなったのは全てが運ではなく、鏡河という女の策略、職業カード天才詐欺師によるものだった。彼女は法的に認められていない職業に就いてから架空中小企業の代表取締を表では名乗り、懸命に就職活動に努める遠葉を勧誘しては割のいい仕事へ一時的に就かせた。そのときの遠葉は、鏡河さん一生ついていきます、と感動気味でいて偽代表取締の思惑なんて知らなかったのだからこの上なく可哀想だ。

 鏡河は人の信用と信頼を余所に株を大量に買わせ、疑うこともない遠葉は操り人形だった。人生の分岐マスというゲームの行く末を左右する終盤前のところで遂に鏡河は正体を明かし今までの総利益だけをかっさらい架空企業を解体。当然残された遠葉に経営の資格はなく、架空企業の隠された負債と解体責任が彼女一人にのしかかる。そして掴まされた株が非合法のものだという事実が判明。多額の借金と株での大損害を被った遠葉は自己破産カードを使用して順番が回っても一マスしか進めないというペナルティを受けてしまった。その後はまあ悲劇を通り越してもはや喜劇の人生を歩み、成す術なく国外追放、途中棄権となってしまった。ゲームだから許されるものの何食わない顔して鏡河は遠葉を徹底的に追いやったのだった。

 そして今は俺と鏡河の一騎打ち、部長サラリーマンと天才詐欺師の真剣勝負となっている。こちらの職業カードには特殊な効果はなく貯金額にも不安はあるが、例え鏡河の策略にはまったとしてもしっかりとした後ろ盾が存在している。無職になろうとれっきとした雇われの身分なので失業保険が利き、たった今三十年ローンを完済した都内の一軒家もある。もしものときはこの家を売ってでも完走してやるぜ。遠葉を追いやったお前に思い知らせてやるのだ。

「ローン完済おめでとう。じゃあ次、私の番。職業カードの効果を発動させる」

 詐欺師がルーレットに手をかけた。緊張の一瞬、確かルールブックにはこうある。。

「ああいいぜ。いずれかのプレイヤーが借金やローンを払い終えた後の一回だけ、この職業カードの所持者が回したルーレットの数字が偶数ならば相手プレイヤーの借金またはローンの全額を再び一括払いで払わせる、だろ?」

「へえ、あなたって頭固いからルール覚えるの苦手かと思ってたよ」

「馬鹿にするなよ。俺は勝ち負けにはこだわるタイプの男なんだぜ?」

「分かった分かったはいはいイケメンいけめん」

 月城君かっこいい、という遠葉の応援しか耳に入らなかったから鏡河の呆れ顔なんてなんのその。

「けどな鏡河、もしも今からお前が出す数字が奇数なら、俺の懐には宝くじ大当たり一等賞の当選金が入ってくるんだ。一夜にしてお前の相手は手がつけられない億万長者になっちまうんだぜ? そんな大金持ち相手に立ち回るだなんてお前もごめんだろ? だからその効果の発動を取り消すなら今しかって聞けよ⁉」

 既に彼女は勢いよく回していた。余程俺の前口上が気に食わなかったらしい。からからと回転するルーレットを見守りそして止まった数字は……、五。

「鏡河、これで俺の勝ちだ」

 ゴールまであと三マス。しかもゴール直前の数マスにはプレイヤーからお金を徴収したりスタートまで戻らせるなんていう酷い仕掛けは一切ない。あとはただ、のんびりとルーレットを回し、一マスずつでも進めば勝ちだ。勝利は目前にあり確定のはずだが、違和感があった。ルールブックの読み間違いとか、当選金の確認を手伝ってくれた遠葉から受け取った億万長者カードのキラキラ加工にではなく、鏡なんとも思っていない詐欺師の様子が腑に落ちない。ここは悔しくて悔しくて苦虫を噛んだような顔をして、おのれ正社員、とかなんとか言うところだと思うのだが。

「……俺の勝ちだよ、鏡河?」

「二回も言わなくていいでしょ。まあゲームだし、こういうこともあるよ」

 釈然としない。とてもじゃないが負けた奴のコメントではない気がする。取り敢えず、ルーレットを回すか。出た数字は、三。ゴールまでぴったりだ。俺は誰も助手席に乗っていない自分の持ち駒を動かしゴールへ到達。最終的に結婚はできなかったが億万長者になれれば万々歳の結果だろう。うん、ゲームだし虚しくないよ全然。

「月城君おめでとう。鏡河さんも、惜しかったけどナイスファイト」

 自分を農園荒らしにまで陥れた相手にすら敬意を示すとは、遠葉のお人好しは通常運転だ 。とにかくこれで、長い戦いに終止符が。

「誰が、惜しかったって?」

 いや、この場においてお前にしか当てはまらないよな。

「いや本当に、あまりにも逆転劇が過ぎてるからつい可笑しくなっちゃった」

 と、鏡河は俺たちに自ら職業カードの裏を見せつけて、表を返し、俺は目を疑った。

「職業カード、稀代の詐欺師、だと……?」

「そう、私の本職は中小企業の代表取締でもその皮を被った天才詐欺師でもない。全ての職業カードの名を名乗り、その効果を発動することができる稀代の詐欺師だったんだよ」

 彼女はすかさずその職業カードの効果を発動した。頭のいいあなたなら分かるでしょ、と勝ちを確定させた鏡河は敢えて俺の口から説明させたがっているようだ。なんという性悪だろうか。

「職業カード稀代の詐欺師の効果。ゲーム中、全ての職業カードの効果を発動させることができ、一人でもゴールに到達したプレイヤーがいる場合に限りこのカードの裏効果を強制発動させる。その裏効果は……」

「そ、その効果は……?」

 ごくりと唾を呑む遠葉は本当にルールブックを把握していないようだ。

「……その効果は、億万長者カードを所持するプレイヤーの所持金を全額没収。同時に全てのマスを飛ばしてゴールまで到達する、だ」

「え、そんな効果ありなの⁉」

「本当にさ、そんなこと許されるのか?」

 目の前の金髪詐欺師は俺たちが受けた衝撃とは裏腹に軽く頷いた。

「言ったはずだけど。ゲームだし、こういうこともあるかなってさ」

 逆転に次ぐ大逆転。俺は勝ちを謳いながらも負けていたのだ。

 遠葉はひっきりなしに鏡河を称え、褒められている当人はルールを把握していない相手に鼻高々と勝利への布石を明かしていた。何故だろう、負けたけど、こんな二人を見ていると微笑ましくなってしまう。負けて良かったなんて思わないが、まあゲームだし、こういうことがあってもいいよな?


「じゃあまた今度、明日も来るね、鏡河さん」

「……ああ、じゃあね」

 外は夕闇の風で暑さが和らいでいた。あれからまた一戦した後、気がつけば日が暮れていて、流石に二日続けて泊ることはできないので遠葉と一緒に帰ることにした。正直、聞きたいことは山程ある。あいつがどんな絵を描いているのかとか、泊りがけでも話が積もるのだ。しかしそう焦っては鏡河にも悪いだろうし、それにそうだ、昨日抜け駆けしたことを遠葉にちゃんと話しておかなければ。

「あのさ、遠葉」

「なーに?」

 マンションを出てからも遠葉の笑顔は止まないようだ。そんな彼女に、実は昨日鏡河の家に泊ったんだけどさ、と切り出したらこの笑顔が止んでしまいそうだった。だから情けないことに話を急遽変更し、誤魔化してしまう。

「いや、このままいけば夏休み明けには登校再開してくれるかもな」

「そうだね、そうだといいなー。ううん、きっとそうなるよね」

 根拠もない期待を与えてしまいまたもや罪悪感が胸を襲う。遠葉の無邪気な言葉を聞くだけで劣等感にも似た感情が浮き立つようになったのはいつからか。住宅街を抜けて駅付近のネオンが眩しい。行き交う車のライト、仕事帰りのスーツの姿、早くも閉まっている街角の古着屋、遠くから夏祭りの準備をする音が届いて聞こえ、不意に将来に不安を感じてしまう。

人生ゲームのように波乱万丈ではないかもしれないが、それでも現実味を帯びていずれは身に降りかかる社会という名の火の粉が怖い。まだ高校二年とはいえ夏の現在、進学か就職かも定まらずただその日の空気に晒されているだけなのだ。幼い頃はなにも考えず遊び、なにも考えず好きなことに夢中だった。好きな人に、夢中だったのにな。

 いけない。どうも月が出始めるとノスタルジックが流れ込む。

 遠葉も大人になれば変わっていくのだろうか。黒い部分に打ちのめされて俺の嫌いな大人になってしまうのだろうか。

ふと、観覧車で鏡河が言っていた言葉を思い出す。綺麗のままでいたいとあいつは言っていた。今の俺は、遠葉に後ろめたさを感じている汚い奴なのだろうか。

「なあ遠葉、お前ってこのまま変わらずに、綺麗なままでいたいって思うか?」

 いきなりな質問にびっくりしている。そうだよな、普通はこんな人通りの多い道で歩きながら聞くことじゃないよな。

「…………誰かと一緒なら、その限りじゃない、かも」

 けど遠葉ならきっと真剣に答えてくれる。そして彼女への勝手な信用は外れることなく増すばかりで。

「大切な人と一緒なら綺麗のままでいなくたっていい。その人の為なら綺麗なんてどこかに捨てるよ」

「意外と大人びてるよな、お前ってさ」

 慎重に言葉を選びながら答えた遠葉は俺の言葉には首を振る。

「普通のことだよ。綺麗でいたいなら独りでいればいい。綺麗でありたいなら他人と関わらなければいい。でもね、綺麗でいることが正しいなんて、わたしは思わないよ」

「でもさ、やっぱり正しいことをしたやつは綺麗に見えて、綺麗でいる奴は正しく見えるよ」

「うーん、そうかな。正しいことは綺麗だと思うけど、その逆はどうなんだろう」

「逆?」

「うん、全く逆の話。綺麗が正しいなら、汚いは間違いなのかな?」

「大人の事情に子供を巻き込む大人は汚い。それだけは、はっきりしてる」

「確かにね、そうだよね。巻き込まないでほしいよね」

 目を細めたその言い方がいつもの遠葉らしくなく不満たらしく聞こえた。夜の明かりが眩しかっただけだとしても俺は気になって。

「お前もしかして、なにかあったのか?」

 と聞いてしまった。話が途切れ、もうなにもないでは済まされないくらい遠葉は言葉に迷っている。もしもなにかあったのなら、俺は全力で彼女の力になろうと思うのだ。遠葉の純心を傷つけ壊そうとするなにかから守ろうと思えた。だが、必要以上に心配をかけさせまいとしたのか健気に夜空へ背伸びをし。

「なにもないよ? もう、そんな顔しないでよ。月城君がナイーブになるからちょっと伝染しちゃっただけだよ」

「……なら、いいんだけど」

 なにかあっても一人で抱え込むなよ、と元気づけるつもりで言うと。

「わたしのことより鏡河さんのことだよ。明日も一緒に行こうね」

 遠葉は最後まで俺の方を見てくれなかった。そして堪らなくなり立ち止まり、どうしても気になっていたことを、昨日からずっと抱いていた疑問を解消すべく彼女に問う。

「なあ、遠葉。鏡河が中学二年の秋にさ、教室を滅茶苦茶にした事件、知ってるか?」

 離れたところの信号が青になった。駅に吸い込まれていく人の波の中に俺たちの姿はなく、遠葉は振り向かず、活気ある街の音に負けてしまうような声で。

「知ってるよ」

と、なにを語るでもなく、もしかして月城君は鏡河さんからなにか聞いたのかな? なんて仲間外れにされた子供の声色をしていた。だから俺もそれに釣られ、聞いた、と頷き少し鋭い夜風に任せるしかなかった。

「そっか、月城君には、ううん、そうだよね。だって、結局わたしは……」

 その後の言葉は突然駅前に流れた聞き覚えのある音楽にかき消され、聞き返すこともできずうやむやにされたまま俺たちはそれぞれの帰路へ別れたのだった。

 帰宅して用意されていた夕食を食べ、二階の自室に籠り、一昨日からの出来事を一旦整理することにした。鏡河が魔法使いという非現実的な現実に直面したことで心が騒がしく落ち着かない。いつもの自分を装ってみるも、やはりそのことが引っかかってしまっていた。

 そして鏡河が不登校になった理由が中学二年の秋、ということにも少し動揺してしまっていた。ときを同じくしてあの頃の俺も、自分の意思を曲げなければいけない出来事があった。やりきれない思いで頭がパンクしてしまいそのままベッドへ倒れ込む。もふっと受け止められた自分の体が思っていたよりも重いことに気がついた。お風呂に入るのもなんだか気怠い。このまま目を閉じ、微睡に身を任せ、明日になれば、また遠葉と、鏡河のところ、に………………。


「…………る?」

 なんだか頭がくらくらする。

「……てる?」

 誰かの声が聞こえるような気がしないでもないかもしれないかも知らない。俺は今、夢見心地の最中にいるのだ。

「……きてる?」

 澄んだその声に懐かしさを感じるのは、きっと昔のことを思い出してしまったからだ。

 ああ、俺、ふられたんだな。と、行き場のない悲しみに打ちのめされた秋。思い続けた思いと約束を呆気なく砕かれた過去のこと。それでも俺は、新しい約束を律儀に守り、本心ではあの子を諦められずに。

あの子? そんな呼び方したことない。いやこれも、思い出したくない記憶の中で意識が混濁したせいだ。ああ、揺らすなよ。そんなに揺らされたら俺は起きなければならないじゃないか。今とっても気持ちがいいのに、目を覚まさなければならないなんてそんな酷なこと、現実に戻れとお前は言うのか?

「ねえ、本当に大丈夫? 優一、生きてる?」

 春の香りがした。今は夏だぞ馬鹿。そんなに体を密着させなくても、俺は。

「ねえ優一、生きてるの?」

「……起きてるよ」

 わざとらしく不機嫌に見せてやろう。そうでもしないとこの幼馴染は自分の正当性を主張し続けてしまうのだ。なんで勝手に俺の部屋に入ってきてやがるのこいつ。

「じゃあ返事くらいしてよ」

「今しただろ」

「もっと早く。変な寝方してたから心配しちゃったじゃん」

 どうやら本当に倒れ込む形で眠りに落ちていたらしい。相当思い疲れてたんだろうな。そりゃあ陸に打ち上げられた魚みたいにもなるはずだ。

「で、なんの用だ? まずは少し離れてくれ」

「あ、ごめんごめん」

ゆっくりと体を引き離す春は少し赤面していた。そんなことよりも部屋に上がり込んで来たことを謝ってほしいのだけど、今更物申したところで聞く耳持ってはくれないか。諦めて話を聞くとしよう。さて、今日はどんなわがままを言い出すのかな。

「えっとね、そう、光季のことなんだけどね」

「ああ悪い、用事を思い出した。その話はまた今度ということで」

「にーがーさーなーいーかーらー」

 妖怪かお前は。

「ほら扉閉めて、そこ座って、こっち向いて」

 俺は扉を閉め、ベッドの上に座り、春を見た。いつでもどんなときでもこいつの目は輝きを映している。くそ、こんなときでも可愛く見えるとは何事か。

「あとこの部屋少し暑いから窓開けて風入れて」

「他人の部屋で言いたい放題だな」

 確かにクーラーをエコモードにしているから涼しくはない。言われた通りに窓を開けると寝起きの神経に静かな空気が流れ込む。部屋中にまた春の香りが巡回した。

「でね、優一。光季のこと、どうするの?」

「あいつは俺と違ってイケメンだから女には困らないだろ」

「冗談言ってるんじゃないの」

 冗談のつもりではないんだけどな。

「なんで喧嘩したの? 今までそんなことなかったのに、どうしたの?」

「いやー、男同士のじゃれ合いだよ。その内解決するから心配ない」

 じゃれ合いが解決とか我ながら意味の分からないことを言っている。その後も言葉を重ねて聞かせたが、当然幼馴染を上手く煙に巻くことはできず、なんと言うか語るに落ちたのだった。

「私にできること、ない?」

「……お前が間に入るとややこしくなる」

「どういうことそれ失礼な話じゃないの」

 本当のことなのだ。光季と仲違いした理由は俺との口論にあったのだが、発端となったのはその場にいなかった春、この幼馴染に他ならない。

 だから言えない、とも本人を前にして言えないのだからこいつの真っ直ぐな性格って実は非常にややこしいものなのだ。

「あのね、優一。二人が喧嘩したって教えてもらってからね、私不安で練習に集中できないの。それだけじゃなくて、本当に二人のこと心配してるんだからね?」

 練習とは歌のことだろう。夏休み中も気を抜かずに頑張っているとはやるものだ、と話とは違うところに関心していると見透かされてしまったのか睨まれた。

「いやでもな、このことに関しては春に出て来てほしくないと言うか男だけでなんとかなるようなものなんだよ」

「でも解決してないじゃない」

「それはあれだ、これからなんとかしようかなってところでさ」

 今まで持ち越していたことだけど。

「じゃあ、いつ解決する? いつになったら元に戻る?」

「それは、分からないけど」

「ほらね」

 ほらね? なにそれ?

「そうやって先延ばしにしてると友達いなくなっちゃうよ?」

「別に俺は、それに光季とはこれが初めての喧嘩って訳じゃないし」

「え、そうなの?」

 しまった。寝起きにこいつと話すものじゃないな。墓穴をいくつ掘れば済むのか分からないよ。

「なんかさ、私の知らないところで色々やってるみたいだけどさ、少しは心配するこっちの身にもなってほしいよ」

 心配するこっちの身?

「ねえ、進路とかどうするの? 流石にこのままだと優一自身が困ることになると思うよ?」

「俺が困ったら、どうなんだよ?」

「私が困るよ」

「いやいやいや」

 思わず鼻で笑ってしまった。なんだか馬鹿らしくなってきた。

「なんで俺の進路がお前に影響するんだよ? 意味分からないだろ」

「だってさ、進学するなら同じところに行きたいじゃん?」

 同じところに行きたいじゃん、だと? こいつは自分の言っていることを理解しているのだろうか。

「もしもさ、同じところに進学して、それでお前と俺が、なんになるって言うんだ?」

「……優一、ちょっと疲れてる?」

「今関係ないだろ。大体寝てるとこを起こしに来たのはそっちだろ」

「ああ、ごめんなさい。えっと、じゃあもしかして、帰った方がいい?」

「話の途中だろ」

 勝手に上がり込んで勝手に質問攻めして勝手に心配して勝手に帰って、一方的な幼馴染に対して我慢の限界がきていた。喉が痙攣して肩が怠い。春は言いたいことだけ言って去ろうとするし、自分の部屋なのに窮屈で仕方がない。

「あー、その、優一お疲れみたいだからさ、夏風邪も流行ってるみたいだし無理しない方がいいんじゃないかなー?」

 あはははは、と擦れた笑いをする春は恐らくこの時間まで歌の練習に励んでいたのだろう。夢に向かって直向きな彼女が今の俺には疎ましい。

「前々から言いたかったんだけどな。お前は俺のことを心配してるっていうよりも、自分が納得いかないから他人に勝手な価値観を押しつけてるだけに思うんだけどさぁ」

「……なに、それ?」

「分からないのかよ? いつだってお前はそうだっただろ」

「いつの話してるの? ねえ、優一、いつの」

「あのときのことだよ!」

 がらがら声で叫んでしまったことに後悔はない。後には退けないこれはいい機会だ。

俺たちにあった昔の話。人生の分岐マスでの本当の気持ちを、今まで何年もずっと恋い焦がれていた彼女に、あの子に、目の前にいる、日菜宮春という幼馴染に話すときがきたのだから。


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