恋人はおっさん
(もう十時……。待ち合わせの時間なのに、遅いなあ。どうしたんだろ?)
僕はスマホに表示されている時刻を見ながら、来るはずの恋人のことを考えていた。
今日は、楽しみにしていた水族館デートの日。駅前で待ち合わせているのだが、肝心の恋人が来ない。遅れる時には必ずスマホに連絡をくれるはずなのに、今日に限ってそれもない。
何度目かわからないため息をついたところで、ふいに声が聞こえた。けれど、それが自分に向けられたものだと思わなかった僕は反応しなかった。
「ねえ、シカトはひどくない?」
男の声が真横から聞こえる。驚いて振り向くと、雑に染めた金髪の男が軽薄そうな笑顔を浮かべていた。
「ねえねえ。君、ひとり?」
「あの……人を、待ってるんですけど」
(やだな、苦手なタイプだ……)
そう思ったけれど、なんとか問いかけには答える。
「待ってるって、彼氏?」
「まあ、一応」
「こんなかわいい子を待たせるなんて、ひどい奴だね。そんな奴、放っておいて俺と遊ぼうよ」
「え……嫌です。それに僕――っ!?」
女の子じゃないと言おうとしたけれど、男に腕をつかまれて言うタイミングを失ってしまった。
「ちょっ……やめてください!」
「いいじゃん、ちょっとだけだからさ」
そう言って、ナンパ男は強引に腕を引こうとする。
ふりほどこうと抵抗していると、
「おい、他人の連れに何してんだ?」
怒気をはらんだ声がかけられた。
視線を上げると、見知った黒髪のおっさんが不機嫌そうな表情で立っている。
「本宮さん!」
僕は思わず、うれしそうな声で彼の名前を呼んでいた。
「え? 待ってたのって、このおっさん?」
困惑しているナンパ男の言葉に、僕はうなずいた。
眉間にシワを寄せているこのおっさんが、僕の恋人の本宮さんだ。
「……ごめんね、無理言って」
本宮さんの迫力に気圧されたのか、ナンパ男はそう言ってそそくさと立ち去った。
「大丈夫か?」
心配そうな本宮さんに、笑顔でうなずく。
「ごめんな、俺が遅くなったばっかりに……」
抱きしめてくれる彼の体温が心地よい。少なからず、緊張していたみたいだ。
しばらくこのままでいたいと思う気持ちを追いやった僕は、
「本宮さん、早く水族館に行こうよ」
「わかった、わかった」
本宮さんは苦笑しながらそう言って、僕を解放してくれた。
僕は彼の手を引いて改札口へと走りだす。電車の発車時刻が迫っていた。